十二月初旬の河川敷は、どこまでも乾いていた。
 空の色も、草の色も、丈太郎の心の中までも、すべてが冬枯れのグレーに沈んでいる。
 同盟のメンバーで集まるのは、今日が十日ぶりだった。
 けれど誰かを誘う気にはなれなかった。丈太郎は一人、霧山川のマラソンコースを歩いていた。
 昼前だというのに、川べりを走る生徒の姿はまばらだった。
 体育の授業に使われているこのコースも、年末が近づくと授業削減でほぼ無人になる。
 丈太郎はポケットに手を突っ込んだまま、手すりに腰をかけた。
 冷たい風が頬を打つ。向かい風ではないが、なぜか前へ進む気が起きない。
 耳の奥に、校長の声が残響していた。
「君は、変わったようで変わっていない。評価の奴隷だよ、丈太郎君」
 先週、校長室で言われた言葉だった。
 たしかに、そうかもしれない。点数という檻を壊すどころか、形を変えて別の柵を作っていただけなのかもしれない。
「フリーカラー・フェアなんて、ただの言い訳だったんじゃ……」
 ぽつりと呟いた声が、白く煙った。
 そのときだった。丈太郎の背後から、がつがつとスパイクの音が近づいてきた。
「おい、逃げてんじゃねーよ、灰色代表!」
 聞き覚えのある豪快な声。振り返ると、優亜がジャージ姿で走ってきた。
「……なんでお前がここにいるんだよ」
「こっちの台詞。マラソン補講? 反省ラン?」
 言いながら、優亜は丈太郎の隣にぴょんと腰を下ろす。息も上がっていない。走り慣れてるのか?
「お前こそ、フェアの準備は?」
「んー。由衣とほのかが黙々と布の色見本選んでたけど、あたしが手出すとケンカになるから逃げてきた」
 まったく悪びれずに笑う優亜の頬が、冬の風で真っ赤だった。
 丈太郎は黙ってうつむいた。優亜の存在はありがたい。でも今だけは、元気な声が刺さる。
「……俺、さ。もうリーダー降りようと思ってる」
 ふと漏れた本音に、優亜の肩がびくりと揺れた。
「は?」
「誰かに決めてほしいんだ、もう。どうすれば全員納得するか、どうすれば失敗しないか。考えるの、疲れた」
 丈太郎の声は震えていた。怒りでも悲しみでもなく、ただ単に疲弊していた。
 すると優亜は、くっと立ち上がり、何も言わずに丈太郎の前に立った。
「立て」
「は?」
「立てよ。走るぞ」
「ちょ、おま、聞けって――」
「聞いてるよ。でも、聞いたからこそ走れって言ってんの」
 優亜は有無を言わさぬ目で、丈太郎の腕を引っ張った。
 仕方なく立ち上がった丈太郎を見て、彼女はにやりと笑った。
「いい? 今から、橋の向こうの折り返しまで競走」
「……競走?」
「そ。勝った方が次のリーダーね」
「はあ!? いや、おかしいだろ、そのルール」
「うるさい。やるの。せーのっ」
 優亜はカウントも待たず、勝手に走り出した。
 その背中を見て、丈太郎は――なぜか、笑ってしまった。
 無茶苦茶だ。意味なんてない。でも、こういう時の優亜は、だいたい正しい。
「ったく……!」
 丈太郎は地を蹴った。冷たい風を裂いて、優亜の背中を追う。
 何の意味もない競走。だけど、そこには確かに自由があった。
 二人は何度も抜きつ抜かれつ、笑いながら叫びながら、ひたすらに走った。
 橋の下をくぐったとき、丈太郎はふと、隣を見る。
 優亜も同じタイミングで、こちらを見ていた。
「手ぇ出せ!」
「は?」
「二人でゴールすんだよ、いいから!」
 丈太郎は反射的に手を伸ばした。優亜の手ががっしりと絡む。
 そして――二人は並んで、ゴールラインに滑り込んだ。
 しばらく、二人とも動けなかった。地面に手をついて、はあはあと息を吐く。
 やがて優亜が言った。
「……ったく。なんで、こんなに走ったのに、まだ息が続くんだろうね」
「お前、走り慣れすぎだろ……」
「違うって。走ったからこそ、まだ進めるって気づいただけ」
 丈太郎は、その言葉に目を見開いた。
 たしかに。さっきまで前へ進めなかったのに、今は、少しだけ、歩けそうな気がしている。
「勝ち負け、どうすんの?」
「ん。どっちも勝ちで、いいんじゃね?」
 優亜はあっけらかんと笑って、丈太郎の背中をどんと叩いた。
「この調子で、フェア、ぶち上げようぜ。自分の色、選べるってことをさ!」
「……ああ」
 丈太郎はうなずいた。
 冬の河川敷に、二つの影が並んで伸びていた。
 違う色を持った二人が、今、同じ速度で未来へ走り始めたのだ。
―――第22話「二色の大河」了