教室の空気がどこか、閉じ込められた動物園の檻のように感じるようになったのは、前週の全校集会からだった。
 壇上で校長が高らかに宣言した。「青春偏差値の運用は正当であり、生徒の成長を助ける教育的試みだ」と。続いて生徒会が、スコア上位者に記念品を渡す。名前と点数がマイクで読み上げられるたび、教室の後ろでじっとそれを聞く丈太郎の耳に、耳障りな拍手とざわめきがぶつかってきた。
 冷たい風が吹くわけでもないのに、彼の背中にはぞくりとしたものが這い寄った。――もう我慢できない。どこかで、そう叫ぶ声がする。
 灰色同盟の秘密拠点、旧校舎の物置部屋。今日は十人が、珍しく全員そろっていた。
「ねぇ、さすがにさ」優亜が開口一番、唸るように言った。「校長も生徒会も、完全に“点数偏重”ってやつじゃん。私たち、何のためにここまで動いてきたんだっけ?」
 その言葉に、皆の目が丈太郎に集まる。彼は黒板に書いた『点数→?』の矢印の前で、何度もペンを走らせては消していた。何に置き換えれば、数字では測れない価値を伝えられるのか――答えはまだ出ていなかった。
 涼平が静かに補足する。「校長の演説には、反論の余地がある。“点数でモチベーションが上がる”って、それ、全員に当てはまる前提で語ってる。でも俺たち、そもそも“数字”に傷ついた側なんだ」
「じゃあ……いっそ、点数をなくす? 提出も集計もしないって方向でさ」
 由衣の声は、けれどどこか心許なかった。否定ではない。だけど、穴の空いたボールをそっと撫でるような言い方だった。
 優也が腕を組んで首を振る。「ただの廃止だと、何も残らない。“反対”のままでは、何も築けない。だから俺たちは、代わりを提示する必要がある。未来のために」
 丈太郎がふと、立ち上がった。
「点数は、“色”にしよう」
 唐突だった。
 皆が一斉に眉を上げる中で、丈太郎だけはまっすぐ前を見ていた。
「色?」
「そう。点数って、ひとつの価値観しか映せない。でも色なら――選べる。自分の気分、考え、得意なこと……全部“色”に例えられる。赤は挑戦、青は冷静、緑は協調。点数の代わりに、自分の“今の色”を自分で決めて、提示する」
「それって、まさに“自由の見える化”じゃん!」と、ほのかが嬉しそうに叫んだ。「いい! 超いい!」
 宏美が腕を組んで少しだけ考え込む。「でも、それってつまり“自分の色”を誰かに見せるわけでしょ? 見た目とか、雰囲気で損する人もいそうだけど……」
 「そこだよな」と、泰輝が重く頷く。「自由に見えて、結局“派手な色の勝ち”になりかねない。安全設計が要る」
 優也がすぐ応じた。「任せて。構造設計は俺と泰輝でやる。全色に“同価値”を付ける方式にしよう。人気投票にならないように」
 「じゃあデザイン部門は私ね!」と、ほのかが立ち上がる。「色の一覧表、布とかリストバンドとか、見せ方も考える!」
 「……その行事名、決まってる?」と、萌美が静かに聞いた。
 「うーん」優亜が腕を組む。「どうせなら……“フリーカラー・フェア”とか?」
 「即決かよ!」と、涼平が笑った。
 けれど、たしかにその名前はぴたりと空気に合った。
 フリーカラー・フェア――点数から脱走し、色の中に自分を映す。そんな行事。そんな革命。



 話し合いは白熱し、もはや「話し合い」というより「創作作戦会議」になっていた。
「色の申告方法、どうする?」と、雅也が手を上げる。「言葉で“俺は赤です”って言うのは、ちょっと……。見た目でわかるようにした方が説得力ある」
「布とかバッジは?」と由衣が小さく言う。「安全ピンでつけるやつなら、どこにでもつけられるし……」
 「賛成! リストバンドもいいけど、布のほうが“自分で選んだ感”がある」と、萌美がうなずく。「いくつかの素材と色味は、事前に選べる形で統一しておいたほうがいいね。行きすぎた個性アピールを避けるためにも」
 丈太郎は、それらを次々ホワイトボードに書き記していった。議論が、行動に変わっていく瞬間。その中心に立てている自分が、少しだけ誇らしかった。
 ――僕たちは、逃げるだけじゃなくて、変える側になったんだ。
 優亜が、ふっと息を吐いて立ち上がった。
「さて。じゃあ、今ここで“檻からの脱走”を始めようじゃないか。反対するための集まりから、創るための同盟へ」
 まるで舞台の幕を開けるような声だった。
 その夜、十人は作戦名称を書いた紙を中央に置いた。
『フリーカラー・フェア計画始動』
 その下に、十色のサインペンが並べられていた。赤、青、黄、緑、紫、橙、水色、白、黒、そして――灰色。
 誰が先とも言わず、丈太郎が灰色のペンを取り、そっと「丈太郎」と記す。
「え、灰色選ぶんだ」と、優亜が呆れたように笑った。
「うん。まだ、“混ざってる途中”だから」
 優亜は赤、涼平は青、萌美は水色、雅也は橙……十人がそれぞれ、自分の色でサインしていく。無理に派手にしない。強がらない。隠さない。それぞれが選んだ“今”の色を。
 全員のサインがそろった瞬間、丈太郎は深く息を吸った。
「ここからだ。本当に“見えない青春”に、色をつけていくのは」
 誰からともなく拍手が起きた。
 その音は、点数という檻を破る、最初の衝撃音だった。
(第21話「檻からの脱走計画」完)