全校集会が始まる頃、丈太郎はすでに吐き気を堪えていた。
 体育館の天井を見上げながら、乾いた唇を何度も舐める。壇上には校長と生徒会の役員たち。彼らの背後には巨大なモニターが設置され、「青春偏差値・上位者表彰」の文字が冷たく浮かび上がっていた。
 「寒……っ」
 隣にいた宏美が、小声でつぶやいた。
 「なんで体育館の暖房、いつもこうなの?あたし、タイツ二枚履いてるのに」
 丈太郎は、答えられなかった。
 寒さよりも、これから告げられる“強化宣言”に、身体の芯が凍るような気がしていたからだ。
 壇上に立った校長は、マイクの前に出てきて、静かに口を開いた。
 「霧山高校の皆さん。まずは、前期の青春偏差値上位者に拍手を――」
 パチパチという拍手が、体育館に響く。涼平が座るブロックでは一応手を叩いているが、萌美や泰輝、ほのかの表情は固い。優亜は腕組みをしながら、口角をひくつかせていた。
 「続いて、制度のさらなる透明性と公平性を高めるべく、新たな評価項目を導入します」
 モニターに、次々と新項目が表示されていく。
 ――協調性、主体性、発信力、感謝力、美意識、夢力……。
 「……夢、力?」
 優亜が思わず呟いた声が、丈太郎の胸に突き刺さった。
 どこかで聞いたような言葉だ。だが、どれも“誰かに測られるための言葉”にすぎない。シートはさらに複雑化し、点数が伸びるほど“正解”に縛られる仕組みだ。
 「それぞれの指標には、加点だけでなく、減点も存在します」
 その一言で、体育館の空気が変わった。
 “減点”という言葉が、無数の檻に化けて、生徒たちの周囲に降り注いでいくようだった。
 丈太郎は、ゆっくりと目を閉じた。
 「やっぱり、こうなるんだな……」
 校長の声は、続く。
 「点数を恐れず、挑戦する者こそ、真の青春です。皆さんが真摯にシートに向き合うことを、期待しています」
 誰かのために、笑うこと。黙ること。合わせること。
 点数のために、自分を切り売りする日々が、また一歩、深くなった――。



 集会が終わると同時に、生徒たちはざわついたまま校舎に戻っていった。口々にこぼす声の中には、歓声もあれば、明らかな不満もあった。
 「なんか、もう就活のエントリーシートみたいだよね」
 「夢力って、どう測るの?意味わかんな」
 丈太郎は一人、昇降口の柱に背を預け、喧騒を見つめていた。
 誰が何を思ってるのか。何を我慢してるのか。全部がバラバラなのに、制度はひとつの数値でそれを“まとめたこと”にしてしまう。
 「丈太郎、あんた震えてるよ。大丈夫?」
 声をかけてきたのは、宏美だった。
 彼女は丈太郎の前に立ち、ロングコートの襟を立て直してから、ちょっとだけ眉をひそめる。
 「ここで倒れたら、青春偏差値マイナスで“責任感不足”って書かれるかもよ。ふざけた制度だよね」
 「……宏美も、怒ってるんだ」
 「そりゃそうでしょ」
 宏美は両手を腰に当て、少し声を強めた。
 「私は“見た目偏差値”でずっと評価されてきたのよ? こっちがどれだけ気を使ってると思ってんの。なのに“美意識”って項目が新設されて、それが加点と減点って……何その“より高みを目指せ”システム」
 丈太郎は、力なく笑った。
 「俺、“感謝力”って見たとき、真っ先に宏美の顔浮かんだよ。“毎朝ちゃんとメイクしててありがとう”って書いたら満点かな」
 宏美は目を見開いて――そして笑った。
 「いいじゃないそれ。朝のHRでみんなから“ありがとう一言カード”配る?『きのう隣で黙っててくれてありがとう』とか、『休み時間に席立たなかったから集中できたよ、ありがとう』とかさ。もう皮肉大会ね」
 笑いながら、二人の肩が自然に近づいた。丈太郎は、ふと口を開く。
 「これ、抗議じゃ足りないかもしれない」
 「……どういう意味?」
 「今までは“制度が間違ってる”って主張してた。でも今日みたいに、制度がアップデートされるほど、逆に“正しいふり”が強化されてる」
 丈太郎の目が、じっと前を見据える。
 「もう“間違ってる”って言うだけじゃダメなんだ。“他の道がある”って見せないと、誰も動けないよ」
 宏美は、しばらく黙っていた。
 そして、ゆっくり頷いた。
 「じゃあ……作るしかないね。檻の外に出る方法。点数じゃない選び方。自分の物差しで決める“正しさ”を」
 丈太郎は、拳をそっと握り締めた。
 そうだ。この制度が檻だとするなら――僕たちはその鍵を作る。どんなに不格好でも、偽物でもいい。「扉は開けられる」と証明する、それが“灰色同盟”の意味だ。



 その夜、灰色同盟の秘密拠点――旧校舎の空き教室に十人が集まった。
 床に敷かれたカーペットの上には、各自の座布団と、中央にはコンビニのお菓子と紙コップ入りのインスタントココア。冬の足音が近づく中、ほんのりと湯気を立てる湯気が、静かな緊張を包んでいた。
 「……これ、ガチで“檻”だな」
 そう呟いたのは、雅也だった。
 彼は手元のプリントを見つめながら、前髪をぐしゃぐしゃにかき上げる。
 「“自主性評価”の導入って、表面上は自由に見えて、実は『自己責任』の圧力強めてるだけだろ。自分でつけた点数を“客観的に”審査されて減点されるとか、矛盾してるじゃん」
 涼平が冷静に補足する。
 「要は、外からの数値評価に“自己申告”という形で内部同調を誘導してる。生徒を自動的に自己監視させる。制度としてはよく設計されてるよ、むしろ」
 「むしろムカつくよ!」とほのかが叫んだ。
 「“見た目努力値”ってなんなの!?『似合ってない』って理由でマイナスつけるなら、もう裸で登校するしかないじゃん!」
 宏美が吹き出した。
 「じゃあ私は今日から“ノーカラーリップで無言抵抗”よ」
 「全員すっぴんで校舎歩いたら、逆に新しい評価基準できそう」と萌美がぼそりと笑う。
 泰輝が、そんな空気を遮るように口を開いた。
 「……もし、この制度が“檻”なら、扉はどこにある?」
 由衣が小さく手を挙げた。
 「点数の外側に、“自分で決めた指標”を置く。たとえば、“音楽”や“絵”や、“誰にも評価されないけどやりたいこと”。それを、みんなの前で“表現する場”があれば……」
 「“フェア”だな」
 優亜が、立ち上がって言った。
 「点数つけるやつらの“土俵”で戦っても勝てない。だったら、土俵ごと変えよう。“誰にも色を決められない自由”を、でっかくぶちまけるイベントやろうぜ」
 丈太郎はその言葉に、胸がぎゅっとなった。
 そうか――これが“檻”を壊す方法だ。
 自由を証明するには、抗議じゃなくて、創造だ。
 「……名前は、“フリーカラー・フェア”にしよう」
 全員が息を飲んだ。
 「誰もが、自分の好きな色を掲げていい。点数じゃなくて、物語で。誰かに“素晴らしい”って言われなくても、自分で“誇れる”って思える一日。それを作るんだ」
 その瞬間、拠点の空気が変わった。
 誰もが小さな火を宿すような顔をしていた。
 “灰色”という名を背負った十人が――この夜、“色”の未来を描き始めた。
(End)