四月下旬、放課後の資料室は、ふだん誰も寄りつかない場所だ。
机とイスはところどころガタついて、棚に積まれた古い資料がカビ臭い。
だけど今、ここに三人の人影がある。
俺――花咲丈太郎。
転校生で言いたい放題の生田優亜。
そして、俺の中学時代からの知り合いであり、今は進路担当でもある生徒会副会長の瀬野涼平。
蛍光灯のつく音がパチパチと響いた。
黄ばんだ天井がぼんやり照らされる。
俺は重い口を開いた。
「……ほんとにやるのかよ、これ」
優亜が机の中央に、ノートを一冊置いた。表紙にはペンで大きく殴り書き。
“灰色同盟 設立ノート”
「やるに決まってんじゃん。もう言っちゃったし」
「いや、お前は言ったけど……俺はまだ……」
「じゃあ今、撤回する? “やっぱ青春偏差値、アリだと思います”って言う?」
それはできなかった。
あの日、俺は“花咲丈太郎”という名前を、あのノートの端っこに書いてしまった。
勢いだった。でも、ペン先は正直だった。
涼平が言う。
「制度批判って、つまり校長や生徒会にケンカ売るってことだぞ。下手すりゃ停学。お前が本気かどうか、俺は見極めたかった」
彼はそう言いながらも、その口調には棘がなかった。
中学の頃、無口で目立たなかった俺を、唯一引っ張ってくれたのが涼平だった。
だからこそ、今こうして第三者として立ってくれているのが、少しだけ救いだった。
「本気……なのかもな。少なくとも、“青春が何点”とか、あれに振り回されるのはもう……いやなんだ」
俺がそう言うと、優亜が満足そうに笑った。
「よし。じゃあ今日が、記念日ね。灰色同盟、始動っと」
「勝手に始めるなよ……」
俺がツッコむと、優亜はポケットから一本の極太マジックを取り出した。
「この机、もうボロいしさ。ちょっと借りるよ」
そう言って、ノートではなく、机そのものに**「灰色同盟、ここに誓う」**と書き始めた。
「おいおい……バレたら怒られるだろ、これ」
「じゃあバレる前に、伝説にしちゃえばいーじゃん」
この人、どこまで本気なのか分からない。でも、怖いくらいにまっすぐだ。
涼平がその落書きを見て、眉をしかめたかと思うと、ふいに笑って言った。
「じゃあ俺も書くか。これ以上、制度の数字で人間が決められるのはごめんだ」
そう言って、彼は机の端に**『瀬野涼平』**と書いた。
その文字が、なぜか力強く見えた。
俺も、おそるおそるマジックを取り、名前を書き足した。
『花咲丈太郎』
俺たちは、あの日。
古ぼけた資料室で、たった三人の“反抗”を始めた。
机に刻まれた三人の名前の上に、蛍光灯の光がにぶく反射する。
それがなぜか、バッジみたいに見えた。
「で? この“同盟”って何すんの?」
俺が口にすると、優亜はあっさり言った。
「とりあえず、**“チェックシート反対”**を学校側に提出する」
「早っ! もう?」
「今やらなきゃ意味ないでしょ。人が本気になるのって、だいたいムカついた直後なんだから」
言いながら、優亜はノートを開き、活動方針みたいなものを書きはじめた。
《灰色同盟:初期方針(案)》
・キラメキチェックシート制度の廃止要求
・点数による生徒間評価の反対
・“青春”という言葉の一元的な定義にNOを突きつける
・「好きにしても生きてていい」を可視化する
見てるこっちが赤面するくらい真っ直ぐな字で、堂々と書かれていた。
「……お前って、なんつーか、真剣だな」
「うん。バカが真剣なのが一番おもしろいんだよ」
優亜はそう言って笑った。
その笑いは、周囲を挑発するようでいて、どこか孤独を隠すみたいな色をしていた。
「人、集めないとダメだな」
涼平が言った。彼の目はすでに“動かす”側のそれになっていた。
「三人じゃ、意見として弱すぎる。せめて十人。具体的なエピソードと数字も必要だ。チェックシートの弊害を可視化できれば……」
「それ、あんたの得意分野じゃん。涼平、やってよ」
優亜の言葉に、涼平は一瞬だけ苦笑した。
「俺は生徒会に籍を置いてる。これ以上表立って動けば、処分対象になりかねない」
「じゃあ裏で動けばいい。データ屋さんってことで」
「……ま、協力するだけなら。俺なりの責任でな」
資料室の空気が、じわじわと熱を帯びていく。
俺もまた、ここから降りられなくなっていた。
「十人、か……」
「あんた、誰か心当たりある?」
優亜にそう聞かれて、頭に浮かんだ顔がいくつかあった。
見た目を気にしてるやつ。評価に縛られてるやつ。自分を殺して空気を読んでるやつ。
「……何人か、声はかけてみる。うまくいくかは分からないけど」
「いいじゃん、そっからで。誰かひとりの背中、押せれば十分」
優亜は机の上にしゃがみ込み、マジックで**「同盟署名欄」**と書いた。
そして、番号を1から10まで振っていく。
「まずは、このリストを埋めよっか。埋まったらさ、何かが動き出す気がする」
彼女の目が真っ直ぐだった。
こっちはまだ半信半疑なのに、なんでこんなに信じていられるんだろう。
「……優亜はさ、怖くないの? 自分の言ったことで、敵をつくるの」
「怖いよ。でも、何も言わないで、後から『やっぱあれおかしかったよね〜』とか言うほうが、ダサいじゃん」
彼女はケタケタと笑った。
けれど、笑いの奥にある孤独だけは、なぜか俺にも見えてしまった。
「じゃ、行動開始な。明日から一人ずつ集めようぜ、同志」
俺と涼平は、無言でうなずいた。
誰もいない資料室の埃っぽい空気の中に、
“何かが始まってしまった音”が、確かに鳴った気がした。
翌日から、俺たちは「署名欄」を埋めるために動き出した。
と言っても、大々的に声をかけるようなことはできない。学校側に目をつけられれば、同盟はそれで終わりだ。
だから俺たちは、各自が心当たりのある生徒に、こっそり接触することにした。
最初に声をかけたのは、萌美だった。
同じクラスの女子で、いつも冷静で論理的。教室でもグループから一歩引いた距離を保ってる子だ。
「……キラメキチェックのこと?」
俺が放課後、廊下で声をかけると、萌美は即座に言った。
しかも、こちらの出方を見るでもなく、まっすぐ目を見てきた。
「前から思ってた。“青春”ってそんなに画一的に評価されるものなのかなって。何が10点で、何が0点なんだろうって」
「だったら……」
「ただ、文句だけじゃ意味ない。どう変えたいのか、そこまで考えてる?」
俺は黙った。
正直に言えば、そこまでの青写真はない。けれど、俺たちは“始めた”んだ。
「……まだ未完成。でも、まずは“変だよね”って声を集めたい。そっから一歩ずつ、考えていこうって思ってる」
「それ、誠実なやり方ね」
萌美はしばらく考え込み、それからゆっくりと頷いた。
「じゃあ、参加する。私、こういうことこそ冷静に語り合うべきだと思ってる」
四人目、確保。
次に優亜が連れてきたのは、雅也という男子だった。
何を考えているのかよく分からない、感情の振れ幅が大きいタイプらしい。
けれど、いざ話してみると、妙に物事の本質を見抜いている。
「点数? ああ、あの紙っぺら? 俺、先週『共感』の欄で2点もらったんだけど、なんでって聞いたら“目つきが鋭いから”だってよ。アホかって思ったね」
「じゃあ……署名、してくれる?」
「ま、面白そうだしな。とりあえず名前貸すわ。でも、これ長期戦になるぜ?」
「それ、分かってる。だから仲間が必要なんだよ」
五人目、ゲット。
机の「灰色同盟」署名欄は、半分が埋まりつつあった。
その夜、資料室にまた三人で集まった。
俺、優亜、涼平。
優亜は興奮気味に言う。
「五人。あと五人だよ。そしたらこの署名、校長に突きつけてやろう」
「突きつけんのはもうちょい後でいいだろ……。準備が甘すぎる」
涼平がため息まじりに口を挟む。
「行動力だけで突っ走っても、壁にぶつかるよ。証拠と論拠が必要だ。例えば――」
「はいはい、お堅いのきたー。涼平は裏方で理屈こねといて。私と丈太郎で前線行くからさ」
ふざけたように言うけど、優亜の目は真剣だった。
俺は、ふと資料室の机を見た。
あの落書きが、日に日に増えていく仲間の名前で埋まっていく。
ここにはまだ“未来”はないけど、“可能性”はある。
それだけで、今の俺には十分だった。
(第2話「灰色同盟前夜」End)
机とイスはところどころガタついて、棚に積まれた古い資料がカビ臭い。
だけど今、ここに三人の人影がある。
俺――花咲丈太郎。
転校生で言いたい放題の生田優亜。
そして、俺の中学時代からの知り合いであり、今は進路担当でもある生徒会副会長の瀬野涼平。
蛍光灯のつく音がパチパチと響いた。
黄ばんだ天井がぼんやり照らされる。
俺は重い口を開いた。
「……ほんとにやるのかよ、これ」
優亜が机の中央に、ノートを一冊置いた。表紙にはペンで大きく殴り書き。
“灰色同盟 設立ノート”
「やるに決まってんじゃん。もう言っちゃったし」
「いや、お前は言ったけど……俺はまだ……」
「じゃあ今、撤回する? “やっぱ青春偏差値、アリだと思います”って言う?」
それはできなかった。
あの日、俺は“花咲丈太郎”という名前を、あのノートの端っこに書いてしまった。
勢いだった。でも、ペン先は正直だった。
涼平が言う。
「制度批判って、つまり校長や生徒会にケンカ売るってことだぞ。下手すりゃ停学。お前が本気かどうか、俺は見極めたかった」
彼はそう言いながらも、その口調には棘がなかった。
中学の頃、無口で目立たなかった俺を、唯一引っ張ってくれたのが涼平だった。
だからこそ、今こうして第三者として立ってくれているのが、少しだけ救いだった。
「本気……なのかもな。少なくとも、“青春が何点”とか、あれに振り回されるのはもう……いやなんだ」
俺がそう言うと、優亜が満足そうに笑った。
「よし。じゃあ今日が、記念日ね。灰色同盟、始動っと」
「勝手に始めるなよ……」
俺がツッコむと、優亜はポケットから一本の極太マジックを取り出した。
「この机、もうボロいしさ。ちょっと借りるよ」
そう言って、ノートではなく、机そのものに**「灰色同盟、ここに誓う」**と書き始めた。
「おいおい……バレたら怒られるだろ、これ」
「じゃあバレる前に、伝説にしちゃえばいーじゃん」
この人、どこまで本気なのか分からない。でも、怖いくらいにまっすぐだ。
涼平がその落書きを見て、眉をしかめたかと思うと、ふいに笑って言った。
「じゃあ俺も書くか。これ以上、制度の数字で人間が決められるのはごめんだ」
そう言って、彼は机の端に**『瀬野涼平』**と書いた。
その文字が、なぜか力強く見えた。
俺も、おそるおそるマジックを取り、名前を書き足した。
『花咲丈太郎』
俺たちは、あの日。
古ぼけた資料室で、たった三人の“反抗”を始めた。
机に刻まれた三人の名前の上に、蛍光灯の光がにぶく反射する。
それがなぜか、バッジみたいに見えた。
「で? この“同盟”って何すんの?」
俺が口にすると、優亜はあっさり言った。
「とりあえず、**“チェックシート反対”**を学校側に提出する」
「早っ! もう?」
「今やらなきゃ意味ないでしょ。人が本気になるのって、だいたいムカついた直後なんだから」
言いながら、優亜はノートを開き、活動方針みたいなものを書きはじめた。
《灰色同盟:初期方針(案)》
・キラメキチェックシート制度の廃止要求
・点数による生徒間評価の反対
・“青春”という言葉の一元的な定義にNOを突きつける
・「好きにしても生きてていい」を可視化する
見てるこっちが赤面するくらい真っ直ぐな字で、堂々と書かれていた。
「……お前って、なんつーか、真剣だな」
「うん。バカが真剣なのが一番おもしろいんだよ」
優亜はそう言って笑った。
その笑いは、周囲を挑発するようでいて、どこか孤独を隠すみたいな色をしていた。
「人、集めないとダメだな」
涼平が言った。彼の目はすでに“動かす”側のそれになっていた。
「三人じゃ、意見として弱すぎる。せめて十人。具体的なエピソードと数字も必要だ。チェックシートの弊害を可視化できれば……」
「それ、あんたの得意分野じゃん。涼平、やってよ」
優亜の言葉に、涼平は一瞬だけ苦笑した。
「俺は生徒会に籍を置いてる。これ以上表立って動けば、処分対象になりかねない」
「じゃあ裏で動けばいい。データ屋さんってことで」
「……ま、協力するだけなら。俺なりの責任でな」
資料室の空気が、じわじわと熱を帯びていく。
俺もまた、ここから降りられなくなっていた。
「十人、か……」
「あんた、誰か心当たりある?」
優亜にそう聞かれて、頭に浮かんだ顔がいくつかあった。
見た目を気にしてるやつ。評価に縛られてるやつ。自分を殺して空気を読んでるやつ。
「……何人か、声はかけてみる。うまくいくかは分からないけど」
「いいじゃん、そっからで。誰かひとりの背中、押せれば十分」
優亜は机の上にしゃがみ込み、マジックで**「同盟署名欄」**と書いた。
そして、番号を1から10まで振っていく。
「まずは、このリストを埋めよっか。埋まったらさ、何かが動き出す気がする」
彼女の目が真っ直ぐだった。
こっちはまだ半信半疑なのに、なんでこんなに信じていられるんだろう。
「……優亜はさ、怖くないの? 自分の言ったことで、敵をつくるの」
「怖いよ。でも、何も言わないで、後から『やっぱあれおかしかったよね〜』とか言うほうが、ダサいじゃん」
彼女はケタケタと笑った。
けれど、笑いの奥にある孤独だけは、なぜか俺にも見えてしまった。
「じゃ、行動開始な。明日から一人ずつ集めようぜ、同志」
俺と涼平は、無言でうなずいた。
誰もいない資料室の埃っぽい空気の中に、
“何かが始まってしまった音”が、確かに鳴った気がした。
翌日から、俺たちは「署名欄」を埋めるために動き出した。
と言っても、大々的に声をかけるようなことはできない。学校側に目をつけられれば、同盟はそれで終わりだ。
だから俺たちは、各自が心当たりのある生徒に、こっそり接触することにした。
最初に声をかけたのは、萌美だった。
同じクラスの女子で、いつも冷静で論理的。教室でもグループから一歩引いた距離を保ってる子だ。
「……キラメキチェックのこと?」
俺が放課後、廊下で声をかけると、萌美は即座に言った。
しかも、こちらの出方を見るでもなく、まっすぐ目を見てきた。
「前から思ってた。“青春”ってそんなに画一的に評価されるものなのかなって。何が10点で、何が0点なんだろうって」
「だったら……」
「ただ、文句だけじゃ意味ない。どう変えたいのか、そこまで考えてる?」
俺は黙った。
正直に言えば、そこまでの青写真はない。けれど、俺たちは“始めた”んだ。
「……まだ未完成。でも、まずは“変だよね”って声を集めたい。そっから一歩ずつ、考えていこうって思ってる」
「それ、誠実なやり方ね」
萌美はしばらく考え込み、それからゆっくりと頷いた。
「じゃあ、参加する。私、こういうことこそ冷静に語り合うべきだと思ってる」
四人目、確保。
次に優亜が連れてきたのは、雅也という男子だった。
何を考えているのかよく分からない、感情の振れ幅が大きいタイプらしい。
けれど、いざ話してみると、妙に物事の本質を見抜いている。
「点数? ああ、あの紙っぺら? 俺、先週『共感』の欄で2点もらったんだけど、なんでって聞いたら“目つきが鋭いから”だってよ。アホかって思ったね」
「じゃあ……署名、してくれる?」
「ま、面白そうだしな。とりあえず名前貸すわ。でも、これ長期戦になるぜ?」
「それ、分かってる。だから仲間が必要なんだよ」
五人目、ゲット。
机の「灰色同盟」署名欄は、半分が埋まりつつあった。
その夜、資料室にまた三人で集まった。
俺、優亜、涼平。
優亜は興奮気味に言う。
「五人。あと五人だよ。そしたらこの署名、校長に突きつけてやろう」
「突きつけんのはもうちょい後でいいだろ……。準備が甘すぎる」
涼平がため息まじりに口を挟む。
「行動力だけで突っ走っても、壁にぶつかるよ。証拠と論拠が必要だ。例えば――」
「はいはい、お堅いのきたー。涼平は裏方で理屈こねといて。私と丈太郎で前線行くからさ」
ふざけたように言うけど、優亜の目は真剣だった。
俺は、ふと資料室の机を見た。
あの落書きが、日に日に増えていく仲間の名前で埋まっていく。
ここにはまだ“未来”はないけど、“可能性”はある。
それだけで、今の俺には十分だった。
(第2話「灰色同盟前夜」End)



