朝の教室には、いつものざわめきが戻ってきていた。夏休みを終えて再開した学校生活には、涼しい風と共に、新しいランキング掲示が貼り出されている。
——青春偏差値ランキング。
廊下に並ぶその掲示板の前では、他クラスの生徒たちがざわついていた。名前を指差して笑う者、項垂れる者、スマホで写真を撮る者。誰もがその数値を、自分の立ち位置と照らし合わせるように見ている。
その中で、俺はひとり浮いていた。
身体が重い。頭も、胃も、どこか詰まっている感覚。足を運ぶたび、教室の床が波打って見えた。
椅子に座る。が、背もたれに寄りかかることもできず、机に突っ伏した。
「丈太郎、大丈夫?」
心配そうな声がした。振り向かなくても分かる、宏美の声だ。
だが俺は、うまく返事ができなかった。喉が詰まり、言葉が出てこない。何か言わなきゃと頭では分かっているのに、口は動かず、呼吸だけが浅く速くなっていく。
——このままじゃ、ダメだ。誰かに心配かけるのは嫌だ。早く、元気なフリを——。
そう思った瞬間、視界がふっと白くなった。
気づけば俺は、保健室のベッドに寝かされていた。
冷たい湿布が額に貼られ、静かな部屋には扇風機の音だけが響いていた。
「……起きた?」
カーテンの向こうから声がした。白衣姿の保健の先生、佐伯先生が姿を現した。
「貧血と過呼吸。無理しすぎだって、クラスメイトが連れてきてくれたのよ。……最近、ちゃんと食べてた?」
俺はかすかに首を横に振る。
「睡眠は?」
また、横に振る。
「……丈太郎、あのチェックシートの点数に、そんなに追い詰められてるの?」
その問いに、俺はようやく声を出せた。
「……分からないんです。……でも、点数が低いと、何かを失う気がして……」
佐伯先生はしばらく黙ってから、小さく息を吐いた。
「分かるわ。点数って、見える分だけ怖いのよね。安心材料にもなるけど、呪いにもなる。自分を評価する基準が、それしかなくなると——人は、自分を失っちゃう」
「俺……失ってるんでしょうか」
先生は、俺の手元にあるシートを指差した。
「このチェックシート、項目多すぎよね。笑顔の回数、グループ行動、SNSの投稿数、ポジティブ発言……。これ、あなた自身の内面なんて、どこにも映ってないじゃない」
「でも、それでみんな判断されてて……推薦とか、部活の練習時間とかも……」
「そうね。でもね、丈太郎。あなたは、点数が高いと安心して、低いと自分を責める。その時点で、もう点数依存症よ」
——依存症。聞き慣れた言葉が、まるでナイフのように刺さった。
「そんな自分、嫌なんです……」
「だったら、逃げなさい。点数から」
俺は驚いて、先生を見上げた。
「え……逃げていいんですか?」
「もちろん。大人だって逃げてるわよ。点数、評価、世間体。逃げることで守れるものもある。逃げた先で、新しい自分に出会えることだってある」
逃げる。
それは今まで、してはいけないことだと思っていた。逃げたら負け。逃げたら評価が下がる。逃げたら、誰かに嫌われる。
でも、今の自分は、逃げることすらできないでいた。点数にしがみついて、足元が崩れそうになっても、それを見て見ぬふりをしていた。
「……どうやって、逃げればいいんでしょう」
その問いに、佐伯先生は笑って答えた。
「“逃げ道”は、自分で作るのよ。誰かに許可を求めるもんじゃない」
カーテンの隙間から、風が吹き抜けた。
窓の外の空は、どこまでも高くて、どこまでも自由だった。
午後の授業には出ずに、俺は保健室で静かに過ごした。休み時間のチャイムが鳴るたびに、扉の向こうで生徒たちの声が遠ざかったり近づいたりする。それが逆に、心地よかった。
——逃げるって、こういうことか。
教室にいない自分を誰かがどう思うかなんて、考える余裕もなかった。けれど不思議と、「置いていかれる」感覚はなかった。ただ、自分の中の音が少しずつ静まっていくのを感じていた。
放課後。薄くオレンジがかった光が、保健室のブラインド越しに差し込む頃——
コンコン、と控えめなノックがあった。
「失礼します……丈太郎、まだいる?」
声の主は、優亜だった。扉の隙間から顔だけをのぞかせ、俺と目が合うと、少しバツが悪そうに入ってきた。
「……おまえ、保健室似合うな」
「どういう意味だよそれ」
「いや、白が似合うってこと。灰色じゃなくてさ」
優亜は俺のベッドの足元に腰を下ろし、勝手に保健室のゼリーを引き出しから取り出した。口を開けながら言う。
「涼平から聞いた。おまえ、倒れたって。しかも過呼吸って……マジで?」
「……たぶん、マジ」
「バカじゃないの?」
ズバッと断言されて、俺は苦笑いしかできなかった。だけど、それは責める口調ではなかった。優亜はゼリーを吸いながら、いつもより少しだけゆっくりと言葉を紡ぐ。
「さあ、次は何を捨てる?って、聞こうと思ってさ」
「は?」
「最初におまえ、俺がシート破ったとき止めたよな。あん時は、捨てることが怖かったんでしょ? でも、今の顔見てると、ちょっと何か手放した感あるし」
俺は思わず、自分の手を見下ろす。確かに、何かを落とした感覚はある。けど、それが何かは、まだうまく言語化できなかった。
「……点数、かもな」
「ほう、進歩じゃん」
優亜は立ち上がると、窓の方へ歩いて行き、カーテンをざっと開けた。夕暮れの光が保健室を満たす。
「おまえさ、ちょっと校舎裏来ない?」
「は?なんで」
「気晴らし。あと、ちょっと見せたいもんある」
まったくもって展開が読めない。でも、今このまま帰っても、家で一人、また点数のことを考えてしまう気がした。
俺は無言でベッドから起き上がり、優亜のあとをついて保健室を出た。
——校舎裏は、日陰で少し肌寒かった。
でも、そこには見慣れない何かが、並べられていた。長机。画板。紙。絵の具。
「なんだこれ」
「ほのかと由衣がさ、絵のワークショップやっててさ。『感情を描く』ってやつ。今朝のランキング掲示で落ち込んでた一年の子たちが、思いっきり絵の具ぶちまけてんの。見てて気持ちいいぞ?」
俺は無言で、机の端に近づいた。そこには、赤、青、黄、黒……様々な色が重なり、混ざり、時に泥のようになった紙が何枚も並んでいた。
「これ、みんな……自分で描いたのか?」
「描いたっていうか、ぶちまけてたな。怒りとか、悔しさとか。筆使ってるヤツほとんどいない。手とか足で直接」
俺はその中の一枚を見つめた。真っ黒の紙。その中に、ところどころ白い手形が残っている。
「これ、何の感情なんだろ」
「わかんね。でも、おまえのも混ぜてみたら?」
優亜がそう言って、俺の手に絵の具の入ったカップを差し出した。躊躇いながら、それを受け取る。
そして——気づけば俺は、白い紙の上に、深緑の絵の具をぶちまけていた。
心臓がドクンと跳ねた。何かが、ほんの少し軽くなった気がした。
「——丈太郎」
優亜が、すぐ隣で声をかけてきた。
「逃げるって、こういうことだろ?」
俺は、うなずいた。
「点数から逃げる」ことは、「自分に戻る」ってことなのかもしれない。そう思えた瞬間だった。
次の日、俺は少し早めに登校した。昨日の保健室でのこと、夕方の校舎裏のワークショップのこと、それを引きずったまま、でもどこかで少しだけ前を向けるような気がしていた。
昇降口に入った瞬間、掲示板前でざわつく声が耳に入る。
「え、何これ……!」
「昨日の点数一覧……全部、絵になってる?」
廊下の壁にあった“青春偏差値スコア表”が、夜のうちにまるごと塗り替えられていた。大きな模造紙に、昨日見たあの絵の具が塗られている。誰かの怒りの赤。誰かの沈黙の青。そして、混ざり合ってできた濁った緑や、真ん中に残った白のスペース。
下の端には、筆でこう書いてある。
「スコアは、感情を語れない」
誰が書いたのかは明かされていない。でも、心当たりはある。たぶん、優亜と、由衣と、ほのか——そして、俺。
「なにこれ、昨日の?」「点数どこいったの?」「校長また怒るんじゃね?」
廊下中がざわつく中で、俺はその絵の前に立ち止まり、しばらく眺めた。昨日、自分の感情を紙の上にぶつけた時の感覚が、指先に残っている気がした。
点数がないと不安になる、という自分が確かにいる。でも、点数しかなかったら、もっと不安になる——それもまた、確かな実感だった。
その日の帰り道、俺は図書室に寄った。いつもは静まり返っている図書室の一角に、泰輝が座っていた。自己評価のワークブックを作っているらしい。誰にも言われず、自分の価値を自分で測るためのノート。
「——俺も、それ欲しいかも」
思わず、声をかけていた。
泰輝は驚いたようにこちらを見たあと、少しだけ口角を上げた。
「お前が来るとは思わなかったよ。でも、嬉しい」
それだけ言うと、彼は静かに、自分のワークの一部をめくって、白紙のページを一枚、ちぎって俺に差し出した。
俺はその紙を、ゆっくりと受け取った。
その白紙に、何を記すかは、まだ決まっていない。
でも、そこに他人の赤ペンは入らない。
俺だけの言葉で、俺だけの軸で、書いていけばいい。
——「点数依存症」とは、たぶん、自分で自分を認めてやれない病気だ。
それに、ゆっくりでも向き合い始めた気がした。
部屋に帰って、制服を脱ぐと、いつものように机に置いたあの「キラメキチェックシート」が目に入った。
今日も提出していない。
けれどその右上の点数欄に、俺は赤ペンで、こう書いてみた。
「未採点(自由)」
なんだか、少しだけ笑えてきた。
——俺の点数なんて、誰にも測らせない。
そう思えた日は、初めてだったかもしれない。
(第16話・完)
——青春偏差値ランキング。
廊下に並ぶその掲示板の前では、他クラスの生徒たちがざわついていた。名前を指差して笑う者、項垂れる者、スマホで写真を撮る者。誰もがその数値を、自分の立ち位置と照らし合わせるように見ている。
その中で、俺はひとり浮いていた。
身体が重い。頭も、胃も、どこか詰まっている感覚。足を運ぶたび、教室の床が波打って見えた。
椅子に座る。が、背もたれに寄りかかることもできず、机に突っ伏した。
「丈太郎、大丈夫?」
心配そうな声がした。振り向かなくても分かる、宏美の声だ。
だが俺は、うまく返事ができなかった。喉が詰まり、言葉が出てこない。何か言わなきゃと頭では分かっているのに、口は動かず、呼吸だけが浅く速くなっていく。
——このままじゃ、ダメだ。誰かに心配かけるのは嫌だ。早く、元気なフリを——。
そう思った瞬間、視界がふっと白くなった。
気づけば俺は、保健室のベッドに寝かされていた。
冷たい湿布が額に貼られ、静かな部屋には扇風機の音だけが響いていた。
「……起きた?」
カーテンの向こうから声がした。白衣姿の保健の先生、佐伯先生が姿を現した。
「貧血と過呼吸。無理しすぎだって、クラスメイトが連れてきてくれたのよ。……最近、ちゃんと食べてた?」
俺はかすかに首を横に振る。
「睡眠は?」
また、横に振る。
「……丈太郎、あのチェックシートの点数に、そんなに追い詰められてるの?」
その問いに、俺はようやく声を出せた。
「……分からないんです。……でも、点数が低いと、何かを失う気がして……」
佐伯先生はしばらく黙ってから、小さく息を吐いた。
「分かるわ。点数って、見える分だけ怖いのよね。安心材料にもなるけど、呪いにもなる。自分を評価する基準が、それしかなくなると——人は、自分を失っちゃう」
「俺……失ってるんでしょうか」
先生は、俺の手元にあるシートを指差した。
「このチェックシート、項目多すぎよね。笑顔の回数、グループ行動、SNSの投稿数、ポジティブ発言……。これ、あなた自身の内面なんて、どこにも映ってないじゃない」
「でも、それでみんな判断されてて……推薦とか、部活の練習時間とかも……」
「そうね。でもね、丈太郎。あなたは、点数が高いと安心して、低いと自分を責める。その時点で、もう点数依存症よ」
——依存症。聞き慣れた言葉が、まるでナイフのように刺さった。
「そんな自分、嫌なんです……」
「だったら、逃げなさい。点数から」
俺は驚いて、先生を見上げた。
「え……逃げていいんですか?」
「もちろん。大人だって逃げてるわよ。点数、評価、世間体。逃げることで守れるものもある。逃げた先で、新しい自分に出会えることだってある」
逃げる。
それは今まで、してはいけないことだと思っていた。逃げたら負け。逃げたら評価が下がる。逃げたら、誰かに嫌われる。
でも、今の自分は、逃げることすらできないでいた。点数にしがみついて、足元が崩れそうになっても、それを見て見ぬふりをしていた。
「……どうやって、逃げればいいんでしょう」
その問いに、佐伯先生は笑って答えた。
「“逃げ道”は、自分で作るのよ。誰かに許可を求めるもんじゃない」
カーテンの隙間から、風が吹き抜けた。
窓の外の空は、どこまでも高くて、どこまでも自由だった。
午後の授業には出ずに、俺は保健室で静かに過ごした。休み時間のチャイムが鳴るたびに、扉の向こうで生徒たちの声が遠ざかったり近づいたりする。それが逆に、心地よかった。
——逃げるって、こういうことか。
教室にいない自分を誰かがどう思うかなんて、考える余裕もなかった。けれど不思議と、「置いていかれる」感覚はなかった。ただ、自分の中の音が少しずつ静まっていくのを感じていた。
放課後。薄くオレンジがかった光が、保健室のブラインド越しに差し込む頃——
コンコン、と控えめなノックがあった。
「失礼します……丈太郎、まだいる?」
声の主は、優亜だった。扉の隙間から顔だけをのぞかせ、俺と目が合うと、少しバツが悪そうに入ってきた。
「……おまえ、保健室似合うな」
「どういう意味だよそれ」
「いや、白が似合うってこと。灰色じゃなくてさ」
優亜は俺のベッドの足元に腰を下ろし、勝手に保健室のゼリーを引き出しから取り出した。口を開けながら言う。
「涼平から聞いた。おまえ、倒れたって。しかも過呼吸って……マジで?」
「……たぶん、マジ」
「バカじゃないの?」
ズバッと断言されて、俺は苦笑いしかできなかった。だけど、それは責める口調ではなかった。優亜はゼリーを吸いながら、いつもより少しだけゆっくりと言葉を紡ぐ。
「さあ、次は何を捨てる?って、聞こうと思ってさ」
「は?」
「最初におまえ、俺がシート破ったとき止めたよな。あん時は、捨てることが怖かったんでしょ? でも、今の顔見てると、ちょっと何か手放した感あるし」
俺は思わず、自分の手を見下ろす。確かに、何かを落とした感覚はある。けど、それが何かは、まだうまく言語化できなかった。
「……点数、かもな」
「ほう、進歩じゃん」
優亜は立ち上がると、窓の方へ歩いて行き、カーテンをざっと開けた。夕暮れの光が保健室を満たす。
「おまえさ、ちょっと校舎裏来ない?」
「は?なんで」
「気晴らし。あと、ちょっと見せたいもんある」
まったくもって展開が読めない。でも、今このまま帰っても、家で一人、また点数のことを考えてしまう気がした。
俺は無言でベッドから起き上がり、優亜のあとをついて保健室を出た。
——校舎裏は、日陰で少し肌寒かった。
でも、そこには見慣れない何かが、並べられていた。長机。画板。紙。絵の具。
「なんだこれ」
「ほのかと由衣がさ、絵のワークショップやっててさ。『感情を描く』ってやつ。今朝のランキング掲示で落ち込んでた一年の子たちが、思いっきり絵の具ぶちまけてんの。見てて気持ちいいぞ?」
俺は無言で、机の端に近づいた。そこには、赤、青、黄、黒……様々な色が重なり、混ざり、時に泥のようになった紙が何枚も並んでいた。
「これ、みんな……自分で描いたのか?」
「描いたっていうか、ぶちまけてたな。怒りとか、悔しさとか。筆使ってるヤツほとんどいない。手とか足で直接」
俺はその中の一枚を見つめた。真っ黒の紙。その中に、ところどころ白い手形が残っている。
「これ、何の感情なんだろ」
「わかんね。でも、おまえのも混ぜてみたら?」
優亜がそう言って、俺の手に絵の具の入ったカップを差し出した。躊躇いながら、それを受け取る。
そして——気づけば俺は、白い紙の上に、深緑の絵の具をぶちまけていた。
心臓がドクンと跳ねた。何かが、ほんの少し軽くなった気がした。
「——丈太郎」
優亜が、すぐ隣で声をかけてきた。
「逃げるって、こういうことだろ?」
俺は、うなずいた。
「点数から逃げる」ことは、「自分に戻る」ってことなのかもしれない。そう思えた瞬間だった。
次の日、俺は少し早めに登校した。昨日の保健室でのこと、夕方の校舎裏のワークショップのこと、それを引きずったまま、でもどこかで少しだけ前を向けるような気がしていた。
昇降口に入った瞬間、掲示板前でざわつく声が耳に入る。
「え、何これ……!」
「昨日の点数一覧……全部、絵になってる?」
廊下の壁にあった“青春偏差値スコア表”が、夜のうちにまるごと塗り替えられていた。大きな模造紙に、昨日見たあの絵の具が塗られている。誰かの怒りの赤。誰かの沈黙の青。そして、混ざり合ってできた濁った緑や、真ん中に残った白のスペース。
下の端には、筆でこう書いてある。
「スコアは、感情を語れない」
誰が書いたのかは明かされていない。でも、心当たりはある。たぶん、優亜と、由衣と、ほのか——そして、俺。
「なにこれ、昨日の?」「点数どこいったの?」「校長また怒るんじゃね?」
廊下中がざわつく中で、俺はその絵の前に立ち止まり、しばらく眺めた。昨日、自分の感情を紙の上にぶつけた時の感覚が、指先に残っている気がした。
点数がないと不安になる、という自分が確かにいる。でも、点数しかなかったら、もっと不安になる——それもまた、確かな実感だった。
その日の帰り道、俺は図書室に寄った。いつもは静まり返っている図書室の一角に、泰輝が座っていた。自己評価のワークブックを作っているらしい。誰にも言われず、自分の価値を自分で測るためのノート。
「——俺も、それ欲しいかも」
思わず、声をかけていた。
泰輝は驚いたようにこちらを見たあと、少しだけ口角を上げた。
「お前が来るとは思わなかったよ。でも、嬉しい」
それだけ言うと、彼は静かに、自分のワークの一部をめくって、白紙のページを一枚、ちぎって俺に差し出した。
俺はその紙を、ゆっくりと受け取った。
その白紙に、何を記すかは、まだ決まっていない。
でも、そこに他人の赤ペンは入らない。
俺だけの言葉で、俺だけの軸で、書いていけばいい。
——「点数依存症」とは、たぶん、自分で自分を認めてやれない病気だ。
それに、ゆっくりでも向き合い始めた気がした。
部屋に帰って、制服を脱ぐと、いつものように机に置いたあの「キラメキチェックシート」が目に入った。
今日も提出していない。
けれどその右上の点数欄に、俺は赤ペンで、こう書いてみた。
「未採点(自由)」
なんだか、少しだけ笑えてきた。
——俺の点数なんて、誰にも測らせない。
そう思えた日は、初めてだったかもしれない。
(第16話・完)



