午後五時、鏡張りのダンス室には誰もいない。放課後の校舎は熱を蓄えたまま、鏡の中の世界をゆらりと歪めていた。宏美は照明を半分だけ点け、室内の中央に立つ。ピタリと張りつく体操着を直しながら、視線を斜め上に向けた。鏡の中の自分が、さっきから睨み返してくる。
「……やっぱ、今日のリップ濃すぎたかな」
反射した姿は完璧に見えた。整えた眉、目尻のアイライン、ナチュラルに盛ったまつ毛。だけど――完璧に“やりすぎてる”ようにも見えた。
宏美は、ため息を一つ吐いた。鏡の中の自分が、急に他人に思えた。
軽く膝を曲げ、ターンを一つ回る。ダンス部で身につけた基礎ステップ。それだけで前髪がふわりと揺れ、香水が鼻先をかすめる。鏡に映る動きは流れるように美しかった。けれど、動き終わると同時に、その姿が――どこか、つくられすぎて見えた。
扉が突然開き、ガタンという音とともに誰かが入ってきた。
「おお、いた。やっぱりな」
声の主は、優亜だった。
ジャージの上着を脱いで肩にかけ、首からイヤホンをぶら下げたまま、スニーカーでずかずかと床を踏む。その無造作な登場が、部屋の空気を一変させる。
「……入るとき、ノックぐらいしてよ」
宏美は肩越しにそう呟いたが、優亜は一切気にした様子もなく返した。
「しようと思ったけど、聞こえる前に開けちゃった」
宏美は鏡をちらりと見やり、優亜の姿と自分を見比べる。ノーメイクに近い彼女は、体育祭のときと変わらぬ勢いで、そのまま突っ込んできた。
「で、何の用? ここはダンス部の練習室なんだけど」
「宏美、最近さ。メイク、変えた?」
唐突な質問に、宏美は瞬時に硬直する。
「……は? なによ、いきなり」
「いや、なんか、前よりガード固くなったっていうか。いや、鎧っていうか。……あんた、そういうの気にするほうだっけ?」
図星だった。だからこそ、宏美はすぐには否定できなかった。
「別に、気にしてるわけじゃないけど。……見た目で評価されること、あんたも知ってるでしょ? この学校の“偏差値”ってやつ、見た目も項目にあるのよ」
「そうか。私はさ、そういうの、ぜんぶ割って壊したいんだけど」
優亜はそう言うと、床に座り込んだ。勝手に自分のジャージをクッションにして、足を投げ出す。
「今日、灰色同盟のグループで話しててさ。宏美だけ、やっぱり浮いてるっていうか」
「……は?」
「いや、いい意味でよ。ちゃんとしてるし、見た目も仕上げてるし。でも……それってさ、誰かの期待に合わせすぎてない?」
宏美は再び鏡を見る。そこには、頑張って「仕上げた」自分が映っていた。
「――合わせなきゃ、評価されない。そういう世界で生きてるの、私は。たとえばね、シートの“外見力”項目、見たことあるでしょ? それが、毎週点数出るの。服装、髪型、肌の調子。これ、素顔で勝負できると思う?」
静かに怒りが混ざる言葉に、優亜は反論しなかった。代わりに、立ち上がると、鏡の前まで来て――拳を握った。
「じゃあ、試してみなよ。自分の素顔で。鎧、脱いで。今、ここで」
「えっ……なに言って……っ」
次の瞬間、優亜の手が鏡の端を叩いた。ピシリと、縦に一本、細いひびが走る。
「おいっ!」
「……あんたが守ってるの、これだろ? 鏡に映った、加工済みの自分だ。そういうの、壊れたとき、何が残る?」
宏美は思わず後退り、唇を震わせた。
でも、それでも――目が離せなかった。割れた鏡の向こうで、少しゆがんだ自分の顔。だけど、その顔はどこか、いつもより「自分」に近かった。
沈黙の中、宏美は鏡に手を伸ばした。ヒビが走ったその一点に指を添え、そっとなぞる。ガラスの表面は冷たく、けれど震えた自分の指先の熱がじわじわと染み込むようだった。
「――壊すとか、簡単に言わないで」
小さく、けれど絞るような声だった。
「こっちはさ、壊さないように、必死でやってきたの。ずっと。小学校のとき、いじられてさ。“太眉”って言われて、写真のたびに修正されて、笑われて。中学ではメイクしないと無視されて。……そんなとこで生きてたら、鏡の中の自分くらい、ちゃんと作ってやらなきゃって思うでしょ?」
言葉に滲んだ怒りと悔しさは、誰に向けたものでもなかった。宏美は、ただ、誰にも気づかれずに耐えてきた。
優亜は目を伏せ、眉をしかめる。
「……ごめん。そこまで考えてなかった。私は、“壊す”ことでしか動けないから。自分を守ってる方法、否定したみたいになったね」
それは謝罪というより、敗北のような口調だった。豪快で、直感的で、何もかも跳ね飛ばしてきた優亜が、珍しく言葉を選びながら話していた。
宏美は唇を噛み、そしてぽつりと呟く。
「……私、鎧がないと、ただの中身スカスカだって、思ってる。でも……」
そう言って、ジャージのポケットから、ひとつの小さな化粧ポーチを取り出した。中には、いつも使っているミラーと数本のリップ。
「……全部脱いで、ゼロになって。それで、私が“私です”って言えたら、少しは自由になれるのかなって、最近は思うようになってた」
そして、おそるおそる鏡の前に立つと、ミラーのフタを開けた。自分で引いたラインを、指でそっと拭う。眉をぼかし、リップをティッシュで押さえ、まつ毛のマスカラを落とし――徐々に、素顔に近づいていく。
その姿を、優亜はじっと見守っていた。
部屋の空気が、静かに、変わっていく。
宏美は、頬を赤らめながら優亜に振り向いた。
「……どう? 似合ってる?」
その問いに、優亜はほんの一瞬だけ口元をひきつらせたあと、いつもの豪快さで叫んだ。
「……微妙!」
「ちょっ、ちょっと!」
「いやでも、いい意味で! あんた、思ったより、ぜんぜん可愛いじゃん!」
宏美は一瞬むっとして、それからふっと笑った。
自然に笑った自分を、また鏡で見てしまい――なんとも言えない気持ちになった。
「……やっぱ、素顔って、慣れてないだけかも」
優亜は肩をすくめると、持ってきたスマホをスピーカーに繋ぎ、ダンスミュージックを流し始めた。
「せっかくだから、踊ろうよ。メイクなしで、自分でいる練習。鏡見ないで」
宏美は一瞬ためらったが、すぐに頷いた。
「……じゃあ、1曲だけね」
二人は音に合わせて身体を動かし始める。鏡はあるが、見ない。合わせない。振りを正確にすることよりも、自由に動くことを優先して。
だんだんと、宏美の表情がやわらぎ、呼吸がリズムに溶けていく。
“素顔で踊る”という、これまでとは真逆の練習。けれどそれは、奇妙なほど気持ちよかった。
やがて、曲が終わり、静寂が戻る。
汗ばむ頬を手の甲で拭いながら、宏美は照れくさそうに笑った。
「……意外と、気持ちよかった」
「だろ? 鏡ってさ、便利だけど、あれに支配されると身動き取れなくなる」
そう言って、優亜は割れた鏡を指さす。
「でも、あのヒビ……どうするのよ、ほんとに」
「先生に怒られたら、“壁ドンの練習中にやった”って言えば?」
「……馬鹿じゃないの?」
二人は、しばらく笑い続けた。
――外見の評価なんて、壊してしまえ。
でも、壊すのは“自分”じゃなくて、“決めつけてくる側”だ。
そのシンプルな真理を、宏美は、今、ほんの少し手にした気がした。
翌日の昼休み、中庭のベンチに腰掛けた宏美は、鏡張りダンス室での出来事を反芻していた。
風が髪を揺らすたびに、昨日の感覚――メイクを落とし、素顔で踊ったあの時間が胸に蘇る。怖かった。でも、楽しかった。
「あれ、今日はマスクしてないの?」
声をかけてきたのは由衣だった。宏美は少し肩を竦めて答える。
「うん。今日はね、ちょっとだけ、見られてもいいかなって思って」
「……すごい」
由衣はぽつりと呟き、ベンチにそっと座る。
「この前の制服リメイク、あれね、先生に褒められたんだ。“華美じゃないけど個性がある”って」
「へぇ、あの先生が?」
「うん。だからね、宏美さんも、あのときの素顔のまま、次の企画に出てみたらどうかなって。点数じゃなくて、自分で決めたスタイルで」
宏美は数秒黙ってから、目を細めて笑った。
「……出るよ。もちろん。でも――」
言葉を切り、そっと手鏡を取り出す。
「たぶん私は、またメイクすると思う。好きだから。メイクした自分も、私だから」
「……うん、いいと思う。誰にも合わせなくていいって、自分で思えたなら」
その言葉に宏美は頷き、ポーチをそっと閉じた。
――“壊す”ことがすべてじゃない。
“見せたい自分”と“守りたい自分”のバランスを、自分で決めること。
それが“素顔”なのかもしれない。
そしてその日の放課後。
同盟メンバーが集まる秘密拠点――旧体育倉庫にて、宏美はその日のことを報告した。
「鏡割ったのは、私と優亜。でも責任は二人で持つから、怒るなら後で怒って」
丈太郎は苦笑いしながら頷き、涼平が「あの部屋、もともと誰も使ってなかったからね」と呟いた。
「で、でも、わざとじゃないんだよね?」と由衣が心配そうに聞くと、優亜が「“勢い”だな」と笑ってごまかした。
「……まあ、そろそろ“外見偏差値”とか、“第一印象点”とか、そういう項目も撤廃していこうぜってことだな」
雅也が腕を組みながら言い、泰輝が静かに付け加える。
「見た目は評価軸にはなりえない。それはもう、数値化できない領域の話だと思う」
全員の視線が宏美に集まる。彼女は一呼吸おき、真面目な表情で言った。
「私は、“見せたい”気持ちは残す。でも、“点を取るために着飾る”のは、やめる。自分のために選ぶって決めたから」
その言葉に、誰も反論しなかった。
静かに、それぞれの胸に何かが響いた。
丈太郎がそっと呟く。
「……それでこそ、“フリーカラー”だよな」
彼の視線の先、壁には“自由選色”のラフ案が貼られていた。
そこには、制服、外見、点数、色――すべてに縛られず、“自分の色”を語る場の構想が、少しずつ形になり始めていた。
優亜が腕を大きく振って立ち上がる。
「よし! じゃあ“見栄”じゃなく“素顔”で勝負する覚悟ができたやつ、次のミーティングに持ってこい! 全力の“自分”!」
宏美もそれに続き、笑顔で手を挙げた。
「ちゃんと、メイクして行くから」
その瞬間、笑い声が倉庫に弾けた。
“素顔”とは、“飾らないこと”じゃない。
“自分のままを選ぶ強さ”だ。
宏美はその日の帰り道、駅のガラスに映った自分をちらりと見た。
メイクは薄めだったけれど、顔はいつもより晴れやかだった。
鏡の中の自分に、小さく微笑んでみる。
――これが、今の“私”だ。
(第15話 完)
「……やっぱ、今日のリップ濃すぎたかな」
反射した姿は完璧に見えた。整えた眉、目尻のアイライン、ナチュラルに盛ったまつ毛。だけど――完璧に“やりすぎてる”ようにも見えた。
宏美は、ため息を一つ吐いた。鏡の中の自分が、急に他人に思えた。
軽く膝を曲げ、ターンを一つ回る。ダンス部で身につけた基礎ステップ。それだけで前髪がふわりと揺れ、香水が鼻先をかすめる。鏡に映る動きは流れるように美しかった。けれど、動き終わると同時に、その姿が――どこか、つくられすぎて見えた。
扉が突然開き、ガタンという音とともに誰かが入ってきた。
「おお、いた。やっぱりな」
声の主は、優亜だった。
ジャージの上着を脱いで肩にかけ、首からイヤホンをぶら下げたまま、スニーカーでずかずかと床を踏む。その無造作な登場が、部屋の空気を一変させる。
「……入るとき、ノックぐらいしてよ」
宏美は肩越しにそう呟いたが、優亜は一切気にした様子もなく返した。
「しようと思ったけど、聞こえる前に開けちゃった」
宏美は鏡をちらりと見やり、優亜の姿と自分を見比べる。ノーメイクに近い彼女は、体育祭のときと変わらぬ勢いで、そのまま突っ込んできた。
「で、何の用? ここはダンス部の練習室なんだけど」
「宏美、最近さ。メイク、変えた?」
唐突な質問に、宏美は瞬時に硬直する。
「……は? なによ、いきなり」
「いや、なんか、前よりガード固くなったっていうか。いや、鎧っていうか。……あんた、そういうの気にするほうだっけ?」
図星だった。だからこそ、宏美はすぐには否定できなかった。
「別に、気にしてるわけじゃないけど。……見た目で評価されること、あんたも知ってるでしょ? この学校の“偏差値”ってやつ、見た目も項目にあるのよ」
「そうか。私はさ、そういうの、ぜんぶ割って壊したいんだけど」
優亜はそう言うと、床に座り込んだ。勝手に自分のジャージをクッションにして、足を投げ出す。
「今日、灰色同盟のグループで話しててさ。宏美だけ、やっぱり浮いてるっていうか」
「……は?」
「いや、いい意味でよ。ちゃんとしてるし、見た目も仕上げてるし。でも……それってさ、誰かの期待に合わせすぎてない?」
宏美は再び鏡を見る。そこには、頑張って「仕上げた」自分が映っていた。
「――合わせなきゃ、評価されない。そういう世界で生きてるの、私は。たとえばね、シートの“外見力”項目、見たことあるでしょ? それが、毎週点数出るの。服装、髪型、肌の調子。これ、素顔で勝負できると思う?」
静かに怒りが混ざる言葉に、優亜は反論しなかった。代わりに、立ち上がると、鏡の前まで来て――拳を握った。
「じゃあ、試してみなよ。自分の素顔で。鎧、脱いで。今、ここで」
「えっ……なに言って……っ」
次の瞬間、優亜の手が鏡の端を叩いた。ピシリと、縦に一本、細いひびが走る。
「おいっ!」
「……あんたが守ってるの、これだろ? 鏡に映った、加工済みの自分だ。そういうの、壊れたとき、何が残る?」
宏美は思わず後退り、唇を震わせた。
でも、それでも――目が離せなかった。割れた鏡の向こうで、少しゆがんだ自分の顔。だけど、その顔はどこか、いつもより「自分」に近かった。
沈黙の中、宏美は鏡に手を伸ばした。ヒビが走ったその一点に指を添え、そっとなぞる。ガラスの表面は冷たく、けれど震えた自分の指先の熱がじわじわと染み込むようだった。
「――壊すとか、簡単に言わないで」
小さく、けれど絞るような声だった。
「こっちはさ、壊さないように、必死でやってきたの。ずっと。小学校のとき、いじられてさ。“太眉”って言われて、写真のたびに修正されて、笑われて。中学ではメイクしないと無視されて。……そんなとこで生きてたら、鏡の中の自分くらい、ちゃんと作ってやらなきゃって思うでしょ?」
言葉に滲んだ怒りと悔しさは、誰に向けたものでもなかった。宏美は、ただ、誰にも気づかれずに耐えてきた。
優亜は目を伏せ、眉をしかめる。
「……ごめん。そこまで考えてなかった。私は、“壊す”ことでしか動けないから。自分を守ってる方法、否定したみたいになったね」
それは謝罪というより、敗北のような口調だった。豪快で、直感的で、何もかも跳ね飛ばしてきた優亜が、珍しく言葉を選びながら話していた。
宏美は唇を噛み、そしてぽつりと呟く。
「……私、鎧がないと、ただの中身スカスカだって、思ってる。でも……」
そう言って、ジャージのポケットから、ひとつの小さな化粧ポーチを取り出した。中には、いつも使っているミラーと数本のリップ。
「……全部脱いで、ゼロになって。それで、私が“私です”って言えたら、少しは自由になれるのかなって、最近は思うようになってた」
そして、おそるおそる鏡の前に立つと、ミラーのフタを開けた。自分で引いたラインを、指でそっと拭う。眉をぼかし、リップをティッシュで押さえ、まつ毛のマスカラを落とし――徐々に、素顔に近づいていく。
その姿を、優亜はじっと見守っていた。
部屋の空気が、静かに、変わっていく。
宏美は、頬を赤らめながら優亜に振り向いた。
「……どう? 似合ってる?」
その問いに、優亜はほんの一瞬だけ口元をひきつらせたあと、いつもの豪快さで叫んだ。
「……微妙!」
「ちょっ、ちょっと!」
「いやでも、いい意味で! あんた、思ったより、ぜんぜん可愛いじゃん!」
宏美は一瞬むっとして、それからふっと笑った。
自然に笑った自分を、また鏡で見てしまい――なんとも言えない気持ちになった。
「……やっぱ、素顔って、慣れてないだけかも」
優亜は肩をすくめると、持ってきたスマホをスピーカーに繋ぎ、ダンスミュージックを流し始めた。
「せっかくだから、踊ろうよ。メイクなしで、自分でいる練習。鏡見ないで」
宏美は一瞬ためらったが、すぐに頷いた。
「……じゃあ、1曲だけね」
二人は音に合わせて身体を動かし始める。鏡はあるが、見ない。合わせない。振りを正確にすることよりも、自由に動くことを優先して。
だんだんと、宏美の表情がやわらぎ、呼吸がリズムに溶けていく。
“素顔で踊る”という、これまでとは真逆の練習。けれどそれは、奇妙なほど気持ちよかった。
やがて、曲が終わり、静寂が戻る。
汗ばむ頬を手の甲で拭いながら、宏美は照れくさそうに笑った。
「……意外と、気持ちよかった」
「だろ? 鏡ってさ、便利だけど、あれに支配されると身動き取れなくなる」
そう言って、優亜は割れた鏡を指さす。
「でも、あのヒビ……どうするのよ、ほんとに」
「先生に怒られたら、“壁ドンの練習中にやった”って言えば?」
「……馬鹿じゃないの?」
二人は、しばらく笑い続けた。
――外見の評価なんて、壊してしまえ。
でも、壊すのは“自分”じゃなくて、“決めつけてくる側”だ。
そのシンプルな真理を、宏美は、今、ほんの少し手にした気がした。
翌日の昼休み、中庭のベンチに腰掛けた宏美は、鏡張りダンス室での出来事を反芻していた。
風が髪を揺らすたびに、昨日の感覚――メイクを落とし、素顔で踊ったあの時間が胸に蘇る。怖かった。でも、楽しかった。
「あれ、今日はマスクしてないの?」
声をかけてきたのは由衣だった。宏美は少し肩を竦めて答える。
「うん。今日はね、ちょっとだけ、見られてもいいかなって思って」
「……すごい」
由衣はぽつりと呟き、ベンチにそっと座る。
「この前の制服リメイク、あれね、先生に褒められたんだ。“華美じゃないけど個性がある”って」
「へぇ、あの先生が?」
「うん。だからね、宏美さんも、あのときの素顔のまま、次の企画に出てみたらどうかなって。点数じゃなくて、自分で決めたスタイルで」
宏美は数秒黙ってから、目を細めて笑った。
「……出るよ。もちろん。でも――」
言葉を切り、そっと手鏡を取り出す。
「たぶん私は、またメイクすると思う。好きだから。メイクした自分も、私だから」
「……うん、いいと思う。誰にも合わせなくていいって、自分で思えたなら」
その言葉に宏美は頷き、ポーチをそっと閉じた。
――“壊す”ことがすべてじゃない。
“見せたい自分”と“守りたい自分”のバランスを、自分で決めること。
それが“素顔”なのかもしれない。
そしてその日の放課後。
同盟メンバーが集まる秘密拠点――旧体育倉庫にて、宏美はその日のことを報告した。
「鏡割ったのは、私と優亜。でも責任は二人で持つから、怒るなら後で怒って」
丈太郎は苦笑いしながら頷き、涼平が「あの部屋、もともと誰も使ってなかったからね」と呟いた。
「で、でも、わざとじゃないんだよね?」と由衣が心配そうに聞くと、優亜が「“勢い”だな」と笑ってごまかした。
「……まあ、そろそろ“外見偏差値”とか、“第一印象点”とか、そういう項目も撤廃していこうぜってことだな」
雅也が腕を組みながら言い、泰輝が静かに付け加える。
「見た目は評価軸にはなりえない。それはもう、数値化できない領域の話だと思う」
全員の視線が宏美に集まる。彼女は一呼吸おき、真面目な表情で言った。
「私は、“見せたい”気持ちは残す。でも、“点を取るために着飾る”のは、やめる。自分のために選ぶって決めたから」
その言葉に、誰も反論しなかった。
静かに、それぞれの胸に何かが響いた。
丈太郎がそっと呟く。
「……それでこそ、“フリーカラー”だよな」
彼の視線の先、壁には“自由選色”のラフ案が貼られていた。
そこには、制服、外見、点数、色――すべてに縛られず、“自分の色”を語る場の構想が、少しずつ形になり始めていた。
優亜が腕を大きく振って立ち上がる。
「よし! じゃあ“見栄”じゃなく“素顔”で勝負する覚悟ができたやつ、次のミーティングに持ってこい! 全力の“自分”!」
宏美もそれに続き、笑顔で手を挙げた。
「ちゃんと、メイクして行くから」
その瞬間、笑い声が倉庫に弾けた。
“素顔”とは、“飾らないこと”じゃない。
“自分のままを選ぶ強さ”だ。
宏美はその日の帰り道、駅のガラスに映った自分をちらりと見た。
メイクは薄めだったけれど、顔はいつもより晴れやかだった。
鏡の中の自分に、小さく微笑んでみる。
――これが、今の“私”だ。
(第15話 完)



