九月、秋の気配が校舎に混じり始める頃。視聴覚室の白いカーテンがゆっくりと閉じられ、部屋の中は冷たい蛍光灯の光に満たされていた。
 「じゃあ、定刻ですので始めます」
 澄ました声で進行を務める教務主任の古川が、目元をぴくりとも動かさずに開会を宣言する。長机を横一列に並べた壇上には、校内の点数制度を統括する三人の教師が並び、その前に丈太郎と涼平が座っていた。
 「まずは〈灰色同盟〉代表の皆さんから、制度見直しの意見をお願いします」
 古川がそう言い、形式的に頭を下げた。まるで「さあ言ってみろ」と言わんばかりの、余裕を含んだ態度だった。
 丈太郎は、一瞬だけ躊躇するように資料を見たが、すぐに視線を涼平に送る。
 涼平は小さくうなずき、無言でノートパソコンのディスプレイを教師陣に向けた。
 「結論から申し上げます。我々は“青春偏差値”と称される点数制度が、教育的根拠に乏しく、曖昧な評価基準に依存していると考えています」
 淡々と、だが凛とした口調で涼平は言った。その目に迷いはない。
 「このグラフをご覧ください。これは昨年度の『キラメキチェックシート』における各項目別の得点分布です」
 教師たちは画面に映る円グラフとヒストグラムに視線を移した。数値は明らかに偏っていた。たとえば「協調性」や「主体性」の評価項目が異常に平均点に集中しており、個人差が反映されにくい構造になっていることが示されていた。
 「これ、どこから入手したの?」
 古川が眉をひそめる。
 「生徒の自主提出分を許可の上で回収・集計しました。匿名性は保持しています」
 涼平の言葉に、古川が何かを言いかけたが、すぐ隣に座る学年主任の佐伯が手を上げて制した。
 「いいじゃないか。せっかくの資料だ、続きを見せてもらおう」
 「ありがとうございます。次に、こちらのデータ。チェックシートの“フリー記述欄”と“点数変動”の相関を取ったものです」
 表示された散布図は、フリーコメントの質や分量に対して点数がほとんど変化していないことを示していた。つまり、生徒が丁寧に書こうが雑に書こうが、点数にはあまり影響がなかったということだ。
 「つまりこういうことです。評価は“しているようでしていない”。数値化して安心しているだけなんです」
 静まり返る視聴覚室。丈太郎はそんな空気の中で、ずっと手に汗を握っていた。
 自分ではなく、涼平が前に出て話している。だが、それは丈太郎にとって「背中を預けている」感覚に近かった。
 (涼平、すごい……)
 だがそれと同時に、自分が隣にいてもただ頷くだけなのが、どこかくすぶるような後ろめたさを呼び起こす。
 「……質問です」
 教師側の三人のうち、唯一口元を動かしていなかった女性教師が手を挙げる。国語科の藤沢だ。
 「データとして“問題がある”ことは分かりました。ただ、それを“廃止の根拠”にするには不十分では? 制度は理想を体現するためにあり、完全じゃなくても維持すべきだと考えます」
 「その通りです」
 丈太郎が、ついに口を開いた。自分でも驚くほどはっきりした声だった。
 「制度に理想があるなら、その理想が“誰のものか”を明確にしないといけないと思います。僕たちは、生徒一人ひとりが“自分で選ぶ青春”を望んでいる。制度がそれを奪っているのなら、形を変える必要があると考えています」
 藤沢は黙って、丈太郎を見た。教師たちの視線が、初めて正面から彼を向いていた。
 (怖い。けど、逃げちゃいけない)
 丈太郎はそう思い、まっすぐに顔を上げ続けた。

 「一つ、補足してもいいですか?」
 涼平が丈太郎に目配せしながら、再び前に出た。ディスプレイに、新たなスライドが表示される。そこには点数制度導入後、三年間の生徒アンケート結果がグラフ化されていた。
 「制度導入初年度は“やる気が出た”と答えた生徒が四割を超えていました。しかし、翌年には三割を切り、今年度は……一割台です」
 教師陣の目が、明らかに動揺する。
 「加えて、“他人の目を気にして苦しくなることが増えた”という回答が六割近くに達しています。つまり、制度は“目に見えるやる気”を期待していたはずが、結果的には“他人の期待に合わせるための道具”になってしまっている」
 丈太郎は、小さく息を呑んだ。涼平の語り口は落ち着いているが、その熱は明らかだった。
 教師たちの表情が一様に曇る。古川が腕を組み、唇を噛んだ。
 「……では君たちは、制度を全面的に否定するのか?」
 問いかけというより、試すような声だった。
 「いいえ」
 丈太郎がきっぱりと答えた。
 「点数で励まされた人もいるはずです。ゼロから目標をもらった人もいる。そのことを否定する気はありません」
 「では、どうしたい?」
 藤沢が静かに尋ねた。
 丈太郎は一瞬目を閉じて、答えた。
 「選べるようにしたいんです。“このシートを使ってもいい”し、“使わなくてもいい”。“点数で管理される青春”と、“自分で色を選ぶ青春”。どちらを選んでも否定されない学校に」
 涼平が画面を切り替える。そこには仮題として〈フリーカラー・フェア構想〉の第一案が表示されていた。
 教師陣が目を見張る。
 「既存制度を壊すだけでなく、並列で“自由な枠”を設ける。それが僕たち〈灰色同盟〉の次の提案です」
 丈太郎の声は、途中少し震えていた。でも、それは“怖さ”のせいではなかった。ようやく、自分が自分の言葉で伝えられたという、初めての“自信”だった。
 しばらく沈黙が続いたあと、佐伯がふっと息をついて笑った。
 「君ら、すごいな」
 古川がちらりと横目を向ける。佐伯は椅子の背もたれにぐっと体を預けながら、言葉を継いだ。
 「俺たちが三年かけて作った制度の穴を、たった半年で見抜いて、しかも“新しい道”まで考えるとは」
 丈太郎は思わず、息を止めた。
 「……ただし、制度を変えるには、校長の許可が必要だ」
 古川の言葉に、緊張が一気に戻る。
 「それは分かっています」
 涼平が頷いた。
 「だからこそ、今日は第一歩です。この公開見直し会議で、事実と意志を示すことができれば、校長への提出書類に“公的記録”として添付できます」
 「……うまいな」
 藤沢が小さく笑った。丈太郎は、その笑みが初めて“敵意”ではないと感じた。
 「今日の内容は、記録として保存しておく。制度については校内検討会議でもう一度扱う。少なくとも“見直しは妥当”というところまでは、私も賛成する」
 古川が、ようやく折れたように頷いた。
 丈太郎は、涼平と視線を交わす。何も言わなくても、わかる。これはただの“反抗”じゃない。“対話”が成立した瞬間だった。
 外に出たとき、空が高かった。
 校舎の壁に西陽が映り、オレンジ色の光が二人の影を長く伸ばしていた。
 「……丈太郎。よく言ったな」
 「ううん。涼平が全部出してくれたからだよ。俺はまだ、言葉足りないとこあるし」
 「でも、“言う”って決めて、言ったろ。それがでかい」
 丈太郎は、少し照れくさそうに笑った。そして、涼平の背中をぽんと軽く叩いた。
 「さて。次は……校長、か」
 「うん。ラスボスだな」
 「その言い方、ちょっとワクワクするな」
 そう言って笑い合ったとき、校庭の方から風が吹き抜けた。
 視聴覚室のカーテンが、ぱたん、と外側に揺れた。