八月の空は気まぐれだ。
晴れていたかと思えば、唐突に黒雲が押し寄せ、夕立を連れてくる。
県立霧山高校の校門前。
そこにひとり、ずぶ濡れになりながらもポストの前に立ち尽くしている男がいた。
泰輝だった。
白いシャツが肌に貼りついている。髪からはぽたぽたと滴が落ちていた。だが彼は、濡れていることにも気づかないほど無言で、ただ、ポストを見つめていた。
あれは三日前のことだった。
灰色同盟の秘密拠点――資料室にて、涼平が封筒を持ってきた。職員室の机に無造作に置かれていたものだという。
「これ……見たほうがいい」
皆の前で、丈太郎が封を開けた。
中には一枚の手紙。
『灰色同盟へ。
あなたたちのやってることは、ただの目立ちたがりのパフォーマンス。
キラメキチェックをバカにすることで、自分が“賢い”とでも思ってるの?
“点数”のない社会なんて、存在しない。
おままごとはそろそろやめたら?』
差出人不明。だが、字は高校生のもの。文体も、感情も、切り捨てるには生々しすぎた。
「これ、誰かの“本音”だよな……」
丈太郎が言ったとき、泰輝だけが黙っていた。
彼はそれから、ポスト前に立ち続けている。
あの日以降、毎朝登校時間に一度、そして夕方――雨の日も、風の日も、誰がその手紙を出したのかを突き止めるために。
ただ、怒っているのではない。
泰輝は、その投書を書いた誰かが“まだ言葉にできない苦しさ”を抱えていると感じていた。
――それを暴きたいんじゃない。
――ただ、見失いたくない。
そんな気持ちだった。
その日も、午後五時を過ぎていた。
部活を終えた生徒たちが三々五々、昇降口から出てくる。
ポストに目をやる者は少ない。誰もが通り過ぎていく。
だが、ひとりだけ、挙動不審な足取りでこちらを見ながら近づいてくる女子生徒がいた。
傘を差してはいるが、足取りは落ち着かず、手にはくしゃくしゃになった封筒。
泰輝は呼吸を整え、彼女が投函する瞬間にだけ、声をかけた。
「……その手紙、俺が預かってもいい?」
女子生徒はびくりと体を硬直させた。
「な、なんであんたが……!」
「俺は“責めるため”に聞いてるんじゃない」
泰輝の声は濡れた空気の中でも、穏やかに響いていた。
「手紙って、ただの“否定”だけじゃ書けない。
伝えたくて、言えなくて、それでも吐き出したかったから書くんだよな」
女子生徒の手が、震えた。
封筒を持つ女子生徒は、目元を伏せながら、泰輝の前で言葉を探していた。
「……あんた、灰色同盟の……」
「そう。坂元泰輝。二年A組」
「じゃあ、やっぱり……あんたたちのやってること、ちょっと……怖いよ」
それは、まるで“告白”のような声だった。
「怖い?」
泰輝は問い返すが、責める色はなかった。
「うん……だって、点数って、ちゃんと頑張ってきた証だと思うんだ。
それを“いらない”って言われると、私みたいに“数字”でしか自分を守れなかった人間は、どうすればいいのかわかんないよ……」
そう言って、彼女は小さく笑った。
「私、クラスじゃ浮いてるの。友達いないし、話すと変な空気になるし……。でも、キラメキチェックだけは、先生が“良い”って言ってくれるから、それが救いだったの」
言葉は雨粒のようにぽつりぽつりと落ちていった。
泰輝は何も遮らず、ただ傘を差し出してやった。自分は濡れたまま、無言で聞き続ける。
「それがさ、“灰色同盟”って名前見たとき、なんか私のことバカにされてる気がして……悔しくて……投書、したんだと思う。名前出せなくてごめん」
その最後の言葉に、泰輝は微かに頷いた。
「名前、いらないよ。気持ちの方が、伝わったから」
彼女の手が、震えたまま泰輝の傘を受け取る。そしてポストへ向けていた手をゆっくりと引っ込める。
「……じゃあ、これは渡すね。読んで、どう思うかは自由だから」
手渡された封筒は湿っていたが、中の文字はにじんでいなかった。
「ありがとう」
泰輝がそう返すと、彼女は走り去っていった。
見送る彼の背中に、ようやく小雨が静かに落ちていった。
*
その夜、資料室に集まった灰色同盟のメンバーは、泰輝が持ち帰った“二通目”の手紙に静かに目を通した。
今度の文面は、前回よりも丁寧で、そして正直だった。
『点数があるから、自分が自分でいられた。
それを全否定されるのが怖かった。
でも、点数だけでいいはずがない、ってことも、どこかで気づいていた。』
読み終えた萌美が、ぽつりと言った。
「これは……反対意見じゃなくて、ほんとうの“対話”だね」
「手紙って、すごいね。声じゃ言えないことが、文字にはできる」
由衣が目を細める。
丈太郎は深く頷いた後、泰輝に言った。
「ありがとう。……見失わないって、こういうことなんだな」
泰輝はそれに返事をせず、黙ってポストを見つめるかのように窓の外を眺めていた。
夜の雨はすでに止み、濡れた校舎のガラスには街灯の灯りが、ゆらゆらと映っていた。
その週末、泰輝は再び一人でポスト前に立っていた。もう夕立は降らない。蒸し暑い午後、汗ばんだ制服の襟元を緩めながら、彼はあの日の彼女の言葉を思い返していた。
「点数だけが、自分を証明する手段だったんだよ」
静かに、だが深く響いたその声は、今も泰輝の中で残響していた。
泰輝自身は、点数に執着したことがない。
誰かと競った記憶もなかった。ただ、いつも「静かであろう」と思っていた。
感情を波立たせず、声を荒げず、他人の主張を否定せずにいること。それが彼にとっての“誠実さ”であり、“信頼の形”だった。
だが今、ようやくわかった気がする。
黙っていることが、誰かの不安を増幅させていたかもしれないということを。
“無言”は“否定”に見える瞬間があるのだと。
「俺は……ちゃんと、向き合えてたかな」
ひとりごとのように呟いたとき、誰かが背後から声をかけてきた。
「向き合ってたと思うよ」
振り返ると、そこには涼平が立っていた。
「おまえ、見張ってるって聞いてさ。まさか毎日とは思わなかったけど」
「……バレてたか」
泰輝が苦笑する。涼平は肩をすくめて続けた。
「やり方は違っても、おまえは“点数”を信じてるやつとも、ちゃんと関係を作ろうとしてる。
それって俺たちが今、いちばん必要としてることじゃない?」
「でも、俺は話せなかった。初めての手紙のときだって、ただ傍観してただけだった」
「それでいいんだよ。おまえは“場”を守るやつだろ。言葉を投げ合うやつだけが正義じゃない」
泰輝は少しだけ顔を上げた。
「場を、守る……」
涼平はポケットから何かを取り出した。それは、彼自身が書いた短いメモだった。
「次回、同盟の中間発表で、このエピソード話してもいいか?」
「え?」
「“反対意見に耳を傾けた”って、ちゃんと数字にしないと、あいつらは納得しないだろ? 校長も、教師も、点数以外の価値を認めないなら、俺たちがその“評価外の価値”を記録に残してやる」
泰輝は、そこでようやく小さく笑った。
「なるほど、涼平だな……。じゃあ、手紙の子にも聞いてみるよ。話していいか」
「うん。そこも筋通すのが、おまえらしい」
そんな会話をしている間にも、夕方のチャイムが遠くで鳴っていた。
二人はポストを背に、校舎へ戻っていく。静かに、だが確かな足取りで。
月曜の放課後、図書室の隅の席で、泰輝は再び彼女と向かい合っていた。
彼女は制服の袖をぎゅっと握っていて、まるで面接でも受けているかのように緊張していた。
「……この前のこと、ちゃんと、ありがとうって言いたかったの。受け取ってくれて」
泰輝はゆっくり首を振る。
「俺の方こそ、読ませてくれてありがとう。あの手紙、灰色同盟のメンバーにも共有した。みんな、読んで考えた」
彼女の目が少し見開かれる。だが、驚きというより、“覚悟”に近いものがその表情にはあった。
「……やっぱり、そういうのって大事なんだね。“反対”の声を、怖がらずに渡せるって」
「うん。意見って、誰かの信念が入ってるから、重い。でも重いからこそ、ちゃんと扱いたい」
泰輝は胸ポケットから、コピーされた手紙を一枚取り出して彼女に差し出した。
その一番下には、灰色同盟の十人の名前と、それぞれの短いコメントが添えられていた。
「あなたの言葉に、“点数”の意味を教わりました」
「勇気のある手紙だと思います」
「この視点があってこそ、私たちは“色”を語れる」
読み進めるうちに、彼女の肩から緊張がふっと抜けていった。
「なんか、あったかいね……」
「俺たちは“正義”になりたいわけじゃない。ただ、灰色を好きでいたい。それだけなんだ」
静かな図書室に、ページをめくる音が重なっていく。彼女はうなずきながら、ゆっくりと言った。
「じゃあ……名前、出してもいいよ。私、“評価派”の立場として、意見発表してもいい。
……“正しい”かは分かんないけど、向き合いたいから」
泰輝はその言葉を、慎重に、しかし嬉しそうに受け止める。
「ありがとう。じゃあ、俺が責任もって、涼平に伝える。発表のとき、ちゃんと“場”を守るよ」
「場、かあ……。あなたの“守る”って、すごく、やさしいんだね」
照れくさそうに笑う彼女に、泰輝はほんの少しだけ顔を赤くしながらうなずいた。
*
その週の金曜、校内の掲示板には、一枚の新しい張り紙が登場した。
【〈灰色同盟〉中間報告】
~対話から始まる“評価の多様性”~
◆匿名手紙への回答と感謝
◆評価派生徒の参加承認
◆“点数は希望にもなる”という新しい視点
文章の最後には、こう添えられていた。
「灰色に混ざる色があるなら、それは“恐れずに話す勇気”の色だと思います。」
このメッセージの筆者は、もちろん坂元泰輝だった。
*
週明けの月曜、泰輝は久しぶりに傘を持たずに登校した。
校門前のポストには、濡れた形跡のない、新しい封筒が差し込まれていた。
宛名には、こう書かれていた。
「灰色同盟様へ——私は、評価から逃げたくない。けど、押しつけられたくもない。
だから、フェアの“自由な色”を、楽しみにしています」
泰輝はその手紙を大切に胸に抱え、誰にも見せずに歩き出した。
いつもの廊下、いつもの教室。だが彼の世界は、ほんの少しだけ色づいていた。
(第12話完)
晴れていたかと思えば、唐突に黒雲が押し寄せ、夕立を連れてくる。
県立霧山高校の校門前。
そこにひとり、ずぶ濡れになりながらもポストの前に立ち尽くしている男がいた。
泰輝だった。
白いシャツが肌に貼りついている。髪からはぽたぽたと滴が落ちていた。だが彼は、濡れていることにも気づかないほど無言で、ただ、ポストを見つめていた。
あれは三日前のことだった。
灰色同盟の秘密拠点――資料室にて、涼平が封筒を持ってきた。職員室の机に無造作に置かれていたものだという。
「これ……見たほうがいい」
皆の前で、丈太郎が封を開けた。
中には一枚の手紙。
『灰色同盟へ。
あなたたちのやってることは、ただの目立ちたがりのパフォーマンス。
キラメキチェックをバカにすることで、自分が“賢い”とでも思ってるの?
“点数”のない社会なんて、存在しない。
おままごとはそろそろやめたら?』
差出人不明。だが、字は高校生のもの。文体も、感情も、切り捨てるには生々しすぎた。
「これ、誰かの“本音”だよな……」
丈太郎が言ったとき、泰輝だけが黙っていた。
彼はそれから、ポスト前に立ち続けている。
あの日以降、毎朝登校時間に一度、そして夕方――雨の日も、風の日も、誰がその手紙を出したのかを突き止めるために。
ただ、怒っているのではない。
泰輝は、その投書を書いた誰かが“まだ言葉にできない苦しさ”を抱えていると感じていた。
――それを暴きたいんじゃない。
――ただ、見失いたくない。
そんな気持ちだった。
その日も、午後五時を過ぎていた。
部活を終えた生徒たちが三々五々、昇降口から出てくる。
ポストに目をやる者は少ない。誰もが通り過ぎていく。
だが、ひとりだけ、挙動不審な足取りでこちらを見ながら近づいてくる女子生徒がいた。
傘を差してはいるが、足取りは落ち着かず、手にはくしゃくしゃになった封筒。
泰輝は呼吸を整え、彼女が投函する瞬間にだけ、声をかけた。
「……その手紙、俺が預かってもいい?」
女子生徒はびくりと体を硬直させた。
「な、なんであんたが……!」
「俺は“責めるため”に聞いてるんじゃない」
泰輝の声は濡れた空気の中でも、穏やかに響いていた。
「手紙って、ただの“否定”だけじゃ書けない。
伝えたくて、言えなくて、それでも吐き出したかったから書くんだよな」
女子生徒の手が、震えた。
封筒を持つ女子生徒は、目元を伏せながら、泰輝の前で言葉を探していた。
「……あんた、灰色同盟の……」
「そう。坂元泰輝。二年A組」
「じゃあ、やっぱり……あんたたちのやってること、ちょっと……怖いよ」
それは、まるで“告白”のような声だった。
「怖い?」
泰輝は問い返すが、責める色はなかった。
「うん……だって、点数って、ちゃんと頑張ってきた証だと思うんだ。
それを“いらない”って言われると、私みたいに“数字”でしか自分を守れなかった人間は、どうすればいいのかわかんないよ……」
そう言って、彼女は小さく笑った。
「私、クラスじゃ浮いてるの。友達いないし、話すと変な空気になるし……。でも、キラメキチェックだけは、先生が“良い”って言ってくれるから、それが救いだったの」
言葉は雨粒のようにぽつりぽつりと落ちていった。
泰輝は何も遮らず、ただ傘を差し出してやった。自分は濡れたまま、無言で聞き続ける。
「それがさ、“灰色同盟”って名前見たとき、なんか私のことバカにされてる気がして……悔しくて……投書、したんだと思う。名前出せなくてごめん」
その最後の言葉に、泰輝は微かに頷いた。
「名前、いらないよ。気持ちの方が、伝わったから」
彼女の手が、震えたまま泰輝の傘を受け取る。そしてポストへ向けていた手をゆっくりと引っ込める。
「……じゃあ、これは渡すね。読んで、どう思うかは自由だから」
手渡された封筒は湿っていたが、中の文字はにじんでいなかった。
「ありがとう」
泰輝がそう返すと、彼女は走り去っていった。
見送る彼の背中に、ようやく小雨が静かに落ちていった。
*
その夜、資料室に集まった灰色同盟のメンバーは、泰輝が持ち帰った“二通目”の手紙に静かに目を通した。
今度の文面は、前回よりも丁寧で、そして正直だった。
『点数があるから、自分が自分でいられた。
それを全否定されるのが怖かった。
でも、点数だけでいいはずがない、ってことも、どこかで気づいていた。』
読み終えた萌美が、ぽつりと言った。
「これは……反対意見じゃなくて、ほんとうの“対話”だね」
「手紙って、すごいね。声じゃ言えないことが、文字にはできる」
由衣が目を細める。
丈太郎は深く頷いた後、泰輝に言った。
「ありがとう。……見失わないって、こういうことなんだな」
泰輝はそれに返事をせず、黙ってポストを見つめるかのように窓の外を眺めていた。
夜の雨はすでに止み、濡れた校舎のガラスには街灯の灯りが、ゆらゆらと映っていた。
その週末、泰輝は再び一人でポスト前に立っていた。もう夕立は降らない。蒸し暑い午後、汗ばんだ制服の襟元を緩めながら、彼はあの日の彼女の言葉を思い返していた。
「点数だけが、自分を証明する手段だったんだよ」
静かに、だが深く響いたその声は、今も泰輝の中で残響していた。
泰輝自身は、点数に執着したことがない。
誰かと競った記憶もなかった。ただ、いつも「静かであろう」と思っていた。
感情を波立たせず、声を荒げず、他人の主張を否定せずにいること。それが彼にとっての“誠実さ”であり、“信頼の形”だった。
だが今、ようやくわかった気がする。
黙っていることが、誰かの不安を増幅させていたかもしれないということを。
“無言”は“否定”に見える瞬間があるのだと。
「俺は……ちゃんと、向き合えてたかな」
ひとりごとのように呟いたとき、誰かが背後から声をかけてきた。
「向き合ってたと思うよ」
振り返ると、そこには涼平が立っていた。
「おまえ、見張ってるって聞いてさ。まさか毎日とは思わなかったけど」
「……バレてたか」
泰輝が苦笑する。涼平は肩をすくめて続けた。
「やり方は違っても、おまえは“点数”を信じてるやつとも、ちゃんと関係を作ろうとしてる。
それって俺たちが今、いちばん必要としてることじゃない?」
「でも、俺は話せなかった。初めての手紙のときだって、ただ傍観してただけだった」
「それでいいんだよ。おまえは“場”を守るやつだろ。言葉を投げ合うやつだけが正義じゃない」
泰輝は少しだけ顔を上げた。
「場を、守る……」
涼平はポケットから何かを取り出した。それは、彼自身が書いた短いメモだった。
「次回、同盟の中間発表で、このエピソード話してもいいか?」
「え?」
「“反対意見に耳を傾けた”って、ちゃんと数字にしないと、あいつらは納得しないだろ? 校長も、教師も、点数以外の価値を認めないなら、俺たちがその“評価外の価値”を記録に残してやる」
泰輝は、そこでようやく小さく笑った。
「なるほど、涼平だな……。じゃあ、手紙の子にも聞いてみるよ。話していいか」
「うん。そこも筋通すのが、おまえらしい」
そんな会話をしている間にも、夕方のチャイムが遠くで鳴っていた。
二人はポストを背に、校舎へ戻っていく。静かに、だが確かな足取りで。
月曜の放課後、図書室の隅の席で、泰輝は再び彼女と向かい合っていた。
彼女は制服の袖をぎゅっと握っていて、まるで面接でも受けているかのように緊張していた。
「……この前のこと、ちゃんと、ありがとうって言いたかったの。受け取ってくれて」
泰輝はゆっくり首を振る。
「俺の方こそ、読ませてくれてありがとう。あの手紙、灰色同盟のメンバーにも共有した。みんな、読んで考えた」
彼女の目が少し見開かれる。だが、驚きというより、“覚悟”に近いものがその表情にはあった。
「……やっぱり、そういうのって大事なんだね。“反対”の声を、怖がらずに渡せるって」
「うん。意見って、誰かの信念が入ってるから、重い。でも重いからこそ、ちゃんと扱いたい」
泰輝は胸ポケットから、コピーされた手紙を一枚取り出して彼女に差し出した。
その一番下には、灰色同盟の十人の名前と、それぞれの短いコメントが添えられていた。
「あなたの言葉に、“点数”の意味を教わりました」
「勇気のある手紙だと思います」
「この視点があってこそ、私たちは“色”を語れる」
読み進めるうちに、彼女の肩から緊張がふっと抜けていった。
「なんか、あったかいね……」
「俺たちは“正義”になりたいわけじゃない。ただ、灰色を好きでいたい。それだけなんだ」
静かな図書室に、ページをめくる音が重なっていく。彼女はうなずきながら、ゆっくりと言った。
「じゃあ……名前、出してもいいよ。私、“評価派”の立場として、意見発表してもいい。
……“正しい”かは分かんないけど、向き合いたいから」
泰輝はその言葉を、慎重に、しかし嬉しそうに受け止める。
「ありがとう。じゃあ、俺が責任もって、涼平に伝える。発表のとき、ちゃんと“場”を守るよ」
「場、かあ……。あなたの“守る”って、すごく、やさしいんだね」
照れくさそうに笑う彼女に、泰輝はほんの少しだけ顔を赤くしながらうなずいた。
*
その週の金曜、校内の掲示板には、一枚の新しい張り紙が登場した。
【〈灰色同盟〉中間報告】
~対話から始まる“評価の多様性”~
◆匿名手紙への回答と感謝
◆評価派生徒の参加承認
◆“点数は希望にもなる”という新しい視点
文章の最後には、こう添えられていた。
「灰色に混ざる色があるなら、それは“恐れずに話す勇気”の色だと思います。」
このメッセージの筆者は、もちろん坂元泰輝だった。
*
週明けの月曜、泰輝は久しぶりに傘を持たずに登校した。
校門前のポストには、濡れた形跡のない、新しい封筒が差し込まれていた。
宛名には、こう書かれていた。
「灰色同盟様へ——私は、評価から逃げたくない。けど、押しつけられたくもない。
だから、フェアの“自由な色”を、楽しみにしています」
泰輝はその手紙を大切に胸に抱え、誰にも見せずに歩き出した。
いつもの廊下、いつもの教室。だが彼の世界は、ほんの少しだけ色づいていた。
(第12話完)



