四月、春のにおいは校舎の中にも残っていた。新しい学年、新しいクラス、慣れない席の並び。黒板の前に立った担任・神谷先生が笑顔で言った。
「はい、これが今学期から導入される『キラメキチェックシート』。みんなの“青春偏差値”を見える化する取り組みだ」
神谷先生の背後、ホワイトボードに貼られたのはA3用紙の一覧表。そこには【積極性】【友情】【自己実現】【笑顔】【共感】などの項目がずらりと並び、それぞれ10点満点の自己評価を記入するようになっている。しかも、その結果は担任と学年主任のチェックによって、さらに修正・加点・減点される仕組みらしい。
「ちなみに点数の高い生徒は図書室の予約枠や、推薦制度にも優遇されるからね。ちゃんと毎週出すように!」
教室がざわつくなか、俺――霧山高校二年・花咲丈太郎はその紙を見つめながら、心臓の奥がヒュッとすぼまる音を聞いた。
どう書けばいい? 本当のことを書いて点が低かったら? 誰かと比べられて「青春できてない」って思われたら?
いや、そもそも「青春って何だよ」。
周囲では「これ、なんのゲーム?」「あたし友情ゼロ点だわ〜」と笑う声が聞こえる。でも、笑ってるやつが勝ちなのか?
俺はペンを持ったまま、手が止まった。
そのときだった。
教室の後ろで「何これ、くだらなっ」と笑った声がした。
見れば、窓際の一番後ろの席――転校生の女子、生田優亜が、配られたシートを丸めて机に叩きつけていた。
「点数で青春を評価? そんなの、自分で決めるに決まってんじゃん」
教室中が静まり返った。女子の何人かが顔を見合わせる。男子たちは「あいつヤバくね?」とささやく。
だが、優亜は動じなかった。立ち上がると、シートをビリビリに破り、ゴミ箱に放り込む。
「私は出さない。こんな紙に、私の何がわかるってのよ」
神谷先生の表情がピクリと引きつった。
「生田さん、それは……いくらなんでも」
「いくらなんでも、何? 自分で自分を点数で縛るなんて、バカみたい。てか先生、自分で自分に“共感10点”とか書けんの?」
どよめき。俺は心のなかで叫んだ。
やめろよ……そんなこと言ったら、先生も困るじゃん……!
思わず立ち上がっていた。俺の体が勝手に動いた。
「ちょっと待って! その紙、ちゃんと出さないと……推薦とか、授業の評価にも関わるし……」
優亜は目を細めて、俺を見た。
「なにそれ。あんた、そんな紙のために自分の感情削って生きてんの?」
「そ、そんな言い方しなくても……ルールは守った方が……」
「ふうん。じゃああんたは、毎週『笑顔が足りませんね』って減点されても、黙ってニコニコして生きんの? 私は、そんなのまっぴらごめんだね」
正論? 暴論? それすらよく分からない。
けれど、彼女の声はすとんと胸に落ちた。
俺がずっと感じていた「何か」を、こいつはためらいなく言葉にした。
でも、俺は納得できなかった。
自分が間違ってるのか、それとも彼女が極端なのか。
どちらにしても、俺たちの間に一本の線が引かれた。
それが“敵対”か“共感”か、まだこのときの俺には分からなかった。
その日、ホームルームが終わったあと、教室の空気はどこか湿っていた。
俺の席の斜め前、空になった優亜の席を見つめながら、誰もが同じことを思っていたはずだ。
「触れない方がいいやつ」「巻き込まれると面倒」
でも、俺は違った。
さっきの言葉――『自分で自分に点数つけて生きるの?』――あれが頭の奥にひっかかって離れない。
俺はいつから、自分の行動を他人に評価されるために選ぶようになったんだろう。
誰かに「いいね」って言われるように、毎朝挨拶して、ちゃんと笑って、誰とも揉めずに振る舞って――。
もしかしてそれ、ただの「正解コスプレ」なんじゃないのか?
昼休み。廊下の自販機前。
俺は缶コーヒーを買って、一口だけ飲んだ。苦い。心臓がきゅっとなる。
そのとき、背後から声がした。
「さっきのあんた、正義感バカって感じだったね」
振り返ると、優亜がいた。
ポケットに手を突っ込んで、どこか冷めた目をしている。
俺は言い返すつもりで口を開いた。
「バカって……ルールは守った方がいいだろ。学校だし」
「へえ? じゃあそのルールが間違ってたら?」
「それでも……みんなが守ってるし……」
「それ、誰のため? “みんなが守ってるから自分も”って、まるごと思考停止じゃん」
ドクン、と胸が痛んだ。
優亜は続ける。
「……あんた、目が泳いでたよ。配られた紙見ながら、何を書いたら正解なのか探してる目だった。あたし、そういうの嫌いじゃないけど、息苦しくなんない?」
思わず、缶コーヒーをもう一口飲んだ。今度はさっきより苦くなかった。
「息苦しい……かもな。でも、みんなと違うことするのって、怖くないか?」
「怖いよ。でもさ、それを怖がるあまりに、誰かが作った“青春”って名前の型にハマって笑ってる方が、あたしはもっと怖い」
優亜は俺の肩をポンと叩いた。
「“青春偏差値”とか、“キラメキチェック”とか、勝手に光らせとけばいいんだよ。あたしは灰色でもいいって思ってる。……あんたは?」
その言葉に、俺は答えられなかった。
***
放課後。自転車置き場で荷物を整えていたとき、俺は自分のシートを見つめていた。
【笑顔】7点、【友情】8点、【自己実現】5点……
「誰かにウケるために点をつけてるな」と、気づいてしまった。
そして、思わず口にしていた。
「なんだよこれ……俺、誰の青春を生きてんだよ……」
そのときだった。自転車にまたがろうとした俺の前に、優亜がふらりと現れた。
その手には、ぐしゃぐしゃの紙が握られている。
「ねえ、もしあんたが、本当にこの制度おかしいって思ってるならさ」
優亜は紙を開いて、俺に突きつけた。
そこには、大きくマジックで書かれた文字があった。
――“灰色でも生きていい”
「賛同者、募集ってことで」
「……それ、何?」
「“灰色同盟”ってやつ。まあ、趣味でやってる抗議活動」
あまりにさらっと言うから笑ってしまいそうになる。
「バカだな、お前……」
「バカじゃなきゃこんなことやらないでしょ」
俺はその紙を見つめて、ほんの少しだけ笑った。
優亜が目を細めて笑い返す。
そして、マジックペンが渡された。
「名前、書いとけ。後悔すんなよ」
俺は迷いながら、でも最後には、**『花咲丈太郎』**と書いた。
はじまりの証。
それが、後に学内を巻き込む大騒動の、最初のひと筆だった。
(第1話「点数で笑うな」End)
「はい、これが今学期から導入される『キラメキチェックシート』。みんなの“青春偏差値”を見える化する取り組みだ」
神谷先生の背後、ホワイトボードに貼られたのはA3用紙の一覧表。そこには【積極性】【友情】【自己実現】【笑顔】【共感】などの項目がずらりと並び、それぞれ10点満点の自己評価を記入するようになっている。しかも、その結果は担任と学年主任のチェックによって、さらに修正・加点・減点される仕組みらしい。
「ちなみに点数の高い生徒は図書室の予約枠や、推薦制度にも優遇されるからね。ちゃんと毎週出すように!」
教室がざわつくなか、俺――霧山高校二年・花咲丈太郎はその紙を見つめながら、心臓の奥がヒュッとすぼまる音を聞いた。
どう書けばいい? 本当のことを書いて点が低かったら? 誰かと比べられて「青春できてない」って思われたら?
いや、そもそも「青春って何だよ」。
周囲では「これ、なんのゲーム?」「あたし友情ゼロ点だわ〜」と笑う声が聞こえる。でも、笑ってるやつが勝ちなのか?
俺はペンを持ったまま、手が止まった。
そのときだった。
教室の後ろで「何これ、くだらなっ」と笑った声がした。
見れば、窓際の一番後ろの席――転校生の女子、生田優亜が、配られたシートを丸めて机に叩きつけていた。
「点数で青春を評価? そんなの、自分で決めるに決まってんじゃん」
教室中が静まり返った。女子の何人かが顔を見合わせる。男子たちは「あいつヤバくね?」とささやく。
だが、優亜は動じなかった。立ち上がると、シートをビリビリに破り、ゴミ箱に放り込む。
「私は出さない。こんな紙に、私の何がわかるってのよ」
神谷先生の表情がピクリと引きつった。
「生田さん、それは……いくらなんでも」
「いくらなんでも、何? 自分で自分を点数で縛るなんて、バカみたい。てか先生、自分で自分に“共感10点”とか書けんの?」
どよめき。俺は心のなかで叫んだ。
やめろよ……そんなこと言ったら、先生も困るじゃん……!
思わず立ち上がっていた。俺の体が勝手に動いた。
「ちょっと待って! その紙、ちゃんと出さないと……推薦とか、授業の評価にも関わるし……」
優亜は目を細めて、俺を見た。
「なにそれ。あんた、そんな紙のために自分の感情削って生きてんの?」
「そ、そんな言い方しなくても……ルールは守った方が……」
「ふうん。じゃああんたは、毎週『笑顔が足りませんね』って減点されても、黙ってニコニコして生きんの? 私は、そんなのまっぴらごめんだね」
正論? 暴論? それすらよく分からない。
けれど、彼女の声はすとんと胸に落ちた。
俺がずっと感じていた「何か」を、こいつはためらいなく言葉にした。
でも、俺は納得できなかった。
自分が間違ってるのか、それとも彼女が極端なのか。
どちらにしても、俺たちの間に一本の線が引かれた。
それが“敵対”か“共感”か、まだこのときの俺には分からなかった。
その日、ホームルームが終わったあと、教室の空気はどこか湿っていた。
俺の席の斜め前、空になった優亜の席を見つめながら、誰もが同じことを思っていたはずだ。
「触れない方がいいやつ」「巻き込まれると面倒」
でも、俺は違った。
さっきの言葉――『自分で自分に点数つけて生きるの?』――あれが頭の奥にひっかかって離れない。
俺はいつから、自分の行動を他人に評価されるために選ぶようになったんだろう。
誰かに「いいね」って言われるように、毎朝挨拶して、ちゃんと笑って、誰とも揉めずに振る舞って――。
もしかしてそれ、ただの「正解コスプレ」なんじゃないのか?
昼休み。廊下の自販機前。
俺は缶コーヒーを買って、一口だけ飲んだ。苦い。心臓がきゅっとなる。
そのとき、背後から声がした。
「さっきのあんた、正義感バカって感じだったね」
振り返ると、優亜がいた。
ポケットに手を突っ込んで、どこか冷めた目をしている。
俺は言い返すつもりで口を開いた。
「バカって……ルールは守った方がいいだろ。学校だし」
「へえ? じゃあそのルールが間違ってたら?」
「それでも……みんなが守ってるし……」
「それ、誰のため? “みんなが守ってるから自分も”って、まるごと思考停止じゃん」
ドクン、と胸が痛んだ。
優亜は続ける。
「……あんた、目が泳いでたよ。配られた紙見ながら、何を書いたら正解なのか探してる目だった。あたし、そういうの嫌いじゃないけど、息苦しくなんない?」
思わず、缶コーヒーをもう一口飲んだ。今度はさっきより苦くなかった。
「息苦しい……かもな。でも、みんなと違うことするのって、怖くないか?」
「怖いよ。でもさ、それを怖がるあまりに、誰かが作った“青春”って名前の型にハマって笑ってる方が、あたしはもっと怖い」
優亜は俺の肩をポンと叩いた。
「“青春偏差値”とか、“キラメキチェック”とか、勝手に光らせとけばいいんだよ。あたしは灰色でもいいって思ってる。……あんたは?」
その言葉に、俺は答えられなかった。
***
放課後。自転車置き場で荷物を整えていたとき、俺は自分のシートを見つめていた。
【笑顔】7点、【友情】8点、【自己実現】5点……
「誰かにウケるために点をつけてるな」と、気づいてしまった。
そして、思わず口にしていた。
「なんだよこれ……俺、誰の青春を生きてんだよ……」
そのときだった。自転車にまたがろうとした俺の前に、優亜がふらりと現れた。
その手には、ぐしゃぐしゃの紙が握られている。
「ねえ、もしあんたが、本当にこの制度おかしいって思ってるならさ」
優亜は紙を開いて、俺に突きつけた。
そこには、大きくマジックで書かれた文字があった。
――“灰色でも生きていい”
「賛同者、募集ってことで」
「……それ、何?」
「“灰色同盟”ってやつ。まあ、趣味でやってる抗議活動」
あまりにさらっと言うから笑ってしまいそうになる。
「バカだな、お前……」
「バカじゃなきゃこんなことやらないでしょ」
俺はその紙を見つめて、ほんの少しだけ笑った。
優亜が目を細めて笑い返す。
そして、マジックペンが渡された。
「名前、書いとけ。後悔すんなよ」
俺は迷いながら、でも最後には、**『花咲丈太郎』**と書いた。
はじまりの証。
それが、後に学内を巻き込む大騒動の、最初のひと筆だった。
(第1話「点数で笑うな」End)



