近くて見えない隣の青


 ◇

 あれほど必死になって探した鍵は、予想通りロッカーの中に落ちていた。
 それを回収したのち、半日以上蒸された自分の部屋に戻って、すぐさま空気を入れ替える。同時に空調を動かし、ある程度熱い空気を逃がしたタイミングで窓を閉めた。

 部屋へと戻ってきたとき、深谷に鍵があったことを報告すべきか悩んだものの、結局そこまでの仲でもないしな、と思ってやめた。
 それに、わざわざ報告されても、深谷からしてみれば関係のない話だ。よかったね、と言われるだろうけれど、わざわざそれを言われるためだけに行くのも恥ずかしい。
 そうでなくてもこの部屋の壁は薄いのだ。無事に部屋に戻ってこれたことは物音で分かるだろう。

 そんな感じで深谷とは鍵をなくした日以来、不思議と顔を合わせることなく新学期になった。
 
(相変わらず、深谷の周りは人が多いな……)

 語学の授業が行われる講義室に入り、俺は教室の後ろに座る深谷に視線を向ける。
 深谷の人気は夏休みを明けても衰えないようで、男女問わず周りを囲まれていた。

(やっぱり、俺とは全然違う……)

 そんなことを思いつつ、深谷とは離れた位置に座る。もちろん、誰かに声をかけられることもなく、俺は教科書を机に並べた。

「成嶋!」

 ドンと強く肩を叩かれて、何事かと顔を上げる。声の主を見上げれば深谷で、なぜか隣の席に腰を掛けていた。

「あれからまた鍵、忘れてない?」
「忘れてないよ。……ていうか、こっちに来ていいの? お友だちは?」
「いーの。今日は成嶋の隣で講義聞いてたい気分」
「どんな気分だよ、それ」

 ぷっと吹き出して成嶋を見れば、彼を追ってやって来たらしい女子たちと目があった。

「深谷、成嶋くんと仲いいの?」
「いや……」
「そ。仲いいの、俺たち」

 反論の余地なく深谷に肩を抱かれて狼狽える。
 たった一夜過ごしただけの仲だろう、と言いたかったけれど、それも語弊がある気がして何も言えなかった。

「そうなんだ! 私、ずっと成嶋くんと話してみたかったんだよね」
「俺と……?」
「うん。成嶋くん、めっちゃかっこいいっていうか美人じゃん? それに落ち着いて見えるし、あまり輪に入りたがらないから、話しかけてほしくないのかな、って思って遠慮してたんだ」
「別にそんなことは……」

 ない。正直、ただの人見知りだ。
 そんな自分を少しでも変えたくて、髪を整え、服装も必死に雑誌を読んで勉強し、大学デビューに乗じて左耳にピアスまで開けてしまった。
 自分もどこにでもいる大学生と同じだと主張したくてイメチェンしたわけだが、それすらもから回ってしまって、結局大学でできた友人は同じサークルの人間だけだった。

「わっかる! 俺も成嶋と話したかったし」
「なにそれ、深谷は成嶋くんと仲がいいんじゃないの?」
「仲良くなったの最近だし。こいつさ、俺と同じ高校だったのに、ぜーんぜん俺と喋ってくんねぇの。だから、ずっと気になってたんだよね」
「えっ、二人とも同じ高校なの?」
「なんと、地元も同じ」

 女子が深谷の話を興味深そうに聞いている。自分から話題が移ったことにほっとしてしまい、そういうところから直さなければならないのだと痛感した。
 だけど、今の自分では深谷のように円滑なコミュニケーションを取れる気がしない。
 ひそかに気落ちしていると、再び話題を向けられた。

「てかさ、深谷と仲いいなら、これを機に成嶋くんと仲良くなりたい! ね、連絡先交換しようよ!」

 どうかな? と胸元で携帯をちらつかせながら尋ねてくる彼女に、一瞬どうしようかと思案する。
 どうせ、連絡先を交換したところで積極的に会話することもないだろうけれど、せっかく声をかけてくれたのだ。交換するだけなら負担でもないし……と悩んでいると、なぜか俺ではなく深谷が「ダメ!」と断った。

「なんで? っていうか、深谷じゃなくて成嶋くんに聞いてるんだけど」
「そうそう。深谷の連絡先は知ってるし」
「なんでもダメなものはダメ! まだ俺だって聞けてないのに!」

 そう高らかに叫んだ深谷にびっくりしたのか、俺も彼女たちも黙り込む。だけど、すぐに女子のうちひとりが、なにそれ! と笑った。

「成嶋くんと仲良いんじゃなかったの~?」
「深谷が必死なの面白すぎ!」
「うるさいなっ! とにかくまずは俺から!」
「はいはい、分かりましたー」

 俺の連絡先をめぐって盛り上がっている間に講義の時間が差し迫っていたのか、教授が講義室に入って来る。
 すると、彼女たちも戻らねばならないと察したようで、蜘蛛の子を散らしたように人だかりが消えた。

(ちょっと助かったかも……)

 ホッと胸をなでおろし、入学して初めて深谷の隣で語学の授業を受ける。

 語学のクラスは小単位に分かれており、英語に至っては高校レベルの人数でやっているため、九十分のうち何度も隣の人と英語で会話をしたり、テキストを読んだりする。
 いつもは適当に近くの人と会話をしているため、深谷と話すのは初めてだ。

 だけど、彼もさすがというべきか、同じ進学校出身かつ、大学もそこそこのレベルを選んで入っているため、お互いに会話で詰まったり、聞き取れなくて意思疎通に困ったりすることも少ない。

 見た目の軽薄な印象とは裏腹に、深谷は勉強もできればスポーツも万能だった。それは大学に入ってからも変わらず、今も健在なようだ。
 イケメンで明るくてなんでもできて人気者で。困っていることなんてなさそうな男が、どうして自分に執着するのか分からない。
 深谷にとっては執着でもなんでもなく、ただ目についた道端の猫を可愛がっている程度の気持ちなのかもしれないけれど、俺にはその気まぐれが少しだけ煩わしかった。

「That's it for today. See you next time. 」

 時間はあっという間に過ぎ、今日はここまで、という教授のひとことで、一気に講義室が騒がしくなる。
 講義が終わると、再び深谷のまわりに人が集まってきて、俺はそそくさと邪魔にならないよう教材を鞄にしまうと、自分に意識が向かないうちに席を立った。

 講義が終わる時間はどこも一律のため、廊下には講義室から出てきた生徒でいっぱいになる。なるべく人にぶつからないよう体を小さくして歩いていると、ふと後ろから忙しない足音が聞こえてきた。
 ぐいっと鞄ごと後ろに引かれて、びっくりしてたたらを踏む。

「成嶋! 置いてかなくてもいいじゃん!」
「深谷……?」
「俺、めっちゃ急いで追いかけてきたんだからな! マジで走らすなっての」

 走ってきたため息が上がっているのか、深谷がハァーーっと深い息を吸っては吐いている。
 別に悪いことなんてひとつもしていないのに、ごめんね、と形だけ謝っておいた。

「てかさ、マジで教えてよ」
「教えるってなにを?」
「だーかーら、成嶋の連絡先! 友だちなのに連絡先すら知らねぇって変じゃん! あっ、いまさら友だちじゃねーとか言うのなしね」

 俺たち、友だちだったっけ? という疑問に先手を打たれてしまい、俺は言葉を飲み込む。
 早く連絡先を教えろと急かすように目の前で携帯を出されて、連絡先ぐらいならまぁいいか……と深谷に促されるまま連絡先を交換した。

「やった、成嶋の連絡先ゲット~」
「そんなに喜ぶもの?」
「そりゃ嬉しいでしょ。だって俺、過去に成嶋からフラれてるし」
「は?」
「覚えてない? 一年のとき、連絡先交換しよーって言ったこと」

 そういえば、そんなこともあったような気がすると、高校一年の春を思い出す。

 確かそのとき、深谷はいろんな人と友だちになりたいから、と、ほぼクラス全員から連絡先を聞いて回っていた。だけど、俺はなんとなく素直に連絡先を交換する気になれなくて断ったのだ。
 連絡先が増えすぎると管理しきれないから、とかなんとか言って。

 だからなのかもしれないけれど、深谷は携帯を見ながらにやにやしていた。
 俺の連絡先なんてゲットしても、そこまで喜ぶほどのことではないのに。そうしたひねくれた考えもあって、つい照れ隠しに可愛くないことを口にした。

「……俺の連絡先、誰にも教えないでよ」
「個別には教えねーよ。でもさ、グループ組んじゃダメ? 語学クラスの連中がさ、もう少し涼しくなったらキャンプ行かね? とか言ってんだけど、どうかなーって」

 たぷたぷとスマホの画面を操作しながら深谷が言う。
 友だちとして追加されたばかりのトーク画面に、深谷が送ったらしいスタンプと『これからよろしく★』というテキストが表示されていた。

「うーん、まぁ、いいけど……」
「マジ!? じゃあ、成嶋もキャンプ来てくれる?」

 話が飛躍しすぎだ。深谷と連絡先を交換すること、そして語学クラスのグループに入ることに異論はないけれど――プライベートな連絡だけでなく、今後講義に関する連絡もするかもしれないからだ――キャンプに行くとまでは言っていない。
 だけど、深谷の期待に満ちた目を見ていると、どうにもほだされてしまいそうになる。
 キャンプには行かない、と言えばいいだけなのに、うまく口が動かなくて、代わりにこくこくと頷いていた。

「おっしゃ! じゃあ、キャンプの話、進めとくわ。もうちょっとしたらみんなに言おうかなって思ってたし」

 高校のときから変わらずクラスの中心で、イベントごとでも率先してまとめ役をやる深谷はさすがと言うべきか。本人は特に負荷に思っていないらしく、むしろキャンプを楽しみにしているらしい。
 相変わらず深谷はイベントごと好きだね、と呆れ混じりに言えば、深谷が目をぱちくりさせた。

「楽しいことは率先してやるべきじゃん?」
「そうかな。面倒だなーって思うけど」
「確かに面倒なことも多いけど、自分の思い通りにできるし、その方が参加したときもっと楽しいし。キャンプも超楽しみになってきた! 成嶋も来るならなおさら楽しみ」

 恥ずかしげもなく俺が来ることを楽しみだと言ってくれる深谷にむず痒い気持ちになる。心臓のあたりをひっかきまわしたいような、居ても立っても居られない気持ちになってきて、俺は深谷を置いて歩き出した。

「待てって。一緒に学食行こーよ」
「それは遠慮しておくよ。俺、次の講義の課題が終わってないし、図書館でやっていきたいから」
「そっか。じゃあ、またな! あっ、それとたまには俺んち来てよ。隣なんだし、また飯でも食おうぜ」

 ぶんぶんと手を振って学食がある別館へ行く深谷を見届け、俺は図書館のほうへ足をのばす。
 
 なんだか、深谷といると調子が狂う。今までずっとひとりだったし、友だちも自分と同じような静かなタイプだったから、感情がジェットコースターかつ、感情の発露も活発な深谷といると不思議な心地がした。
 自分まで気分が上がるような、心が軽くなるような。そんな気持ちにさせられてしまう。
 すぐに、自分の人見知りな性格や引っ込み思案な性格が変えられるとは思っていないけれど、深谷と会話をしていると、少しだけマシな人間になれている気がする。
 なにより深谷との会話はリズミカルで、長年苦手意識を抱いていたのが噓のように居心地がよかった。

(だからみんな、深谷のことが好きになっちゃうんだろうな)

 彼と深くかかわった人間はみんな深谷の良さを知り、彼に惹かれていく。
 もしかしたら自分もそのひとりなのかもしれないと思うと、小指の先っぽ分だけ悔しい思いもあった。簡単に手懐けられてしまうのは癪じゃない。
 さっきだって、実際は課題なんてとっくの昔に終わっていたし、図書館に行く用事もなかったのに、彼と一緒にいすぎると深谷のペースに呑まれる気がして距離を取ってしまった。本当はもうちょっと、深谷と会話をしたいと思っていたのに。

(俺のいくじなし……)

 心の中で自分のことをなじると、俺は無駄に時間をかけて図書館へ向かった。