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バイト先では一日休んだことを詫びて、すぐにいつも通りの仕事量をこなした。むしろ、休んだ罪悪感から、いつも以上に働いたほどだ。
そうして仕事を終えた頃には疲労感でいっぱいで、通い慣れた家までの距離が果てしなく思えた。
「あー、疲れた。今日も客きすぎ!」
「だね。冬になって、提供メニューも変わったから、それ目当てで来るお客さんも多かったのかも」
「あのケーキ、めっちゃウケいいもんね」
あのケーキというのは、クリスマスシーズン用に作られたブッシュドノエルのことだ。切り分けたブッシュドノエルに飾り付けをし、目の前でチョコレートソースをかけるのだが、そのソースの量は客の自由となっており、それ目当てでくる客が後を絶たない。
いわゆる映えと、美味しさと、お得につられてやってくる女性客が多いのだ。
必然的にキッチンは忙しく、またホールに出たら出たでソースをかけねばならず、忙しさが通常メニュー提供時の倍になる。特にキッチン担当の深谷は忙しいらしく、疲れ切った顔をしていた。
「でも今日は、家に楽しみがあんだよね」
「楽しみ?」
「そ。家を出る前に準備したんだぁ。だから、薫も俺んち来て」
「いいけど……。一体、何を準備したの?」
「ひみつー!」
疲れた顔が一変して、深谷の表情に笑顔が戻る。足取りが軽くなった深谷のあとを追ってマンションの前までたどり着くと、自分の部屋へは帰らず、そのまま深谷の家にお邪魔した。
「なんか、いい匂いがするね」
「でしょ? 薫からもらった野菜で夜食仕込んでおいたから」
そう言って、じゃーんとテーブルの上に鍋ごと持ってきたのは、じっくりと煮込まれた玉ねぎのスープだった。
「たまねぎ丸ごとスープにしたの!?」
「うん。そのまま使うのがうまいんだって。あとは、炊飯器にご飯と玉ねぎと調味料ぶち込んで炊いたやつもある」
どうやら持て余しそうだった玉ねぎをたっぷり使って料理を作ってくれたらしい。それ以外にも栄養が偏るからといろいろ用意してくれていて、夜食というよりはもはやパーティーになっていた。
「食べきれない分は持って帰ってもいーから」
「それはさすがに悪いよ」
深谷が手間暇かけて作ったものなんだし、と言いつつ、柔らかく煮込まれた玉ねぎにスプーンを通す。抵抗なく玉ねぎがほろほろと崩れて、口に入れた瞬間、甘みが広がった。
「おいしい……!」
「でしょ? 炊き込みご飯もうまくできてるから食ってみな」
今度は玉ねぎの炊き込みご飯を口にして、そのおいしさに舌鼓を打つ。
持って帰らないつもりだったけれど、ここまで美味しいと、明日の朝も食べたいなと思ってしまう。それほど深谷が出してくれた料理はおいしく、夢中になって食べた。
「あー、うまかった」
「本当に! 今日もおいしかったよ。ありがとう」
「どーいたしまして。これからもまた呼ぶから」
「ありがとう。でも、そしたらご馳走になってばかりになっちゃうよ」
材料費は半分持つから、と言うも、一人も二人も変わらないと深谷に言われてしまう。
料理をしないからよくわからないけれど、一人分も二人も手間は変わらないらしい。そういうものなのかと、食後のデザートとして出てきたリンゴを齧っていると、横からトンと胃の辺りを指で突かれた。
「それに先行投資みたいなものだし」
「先行投資……?」
「胃袋掴んでおこうかなって」
するりと腹を撫でられて、ゲホゲホと噎せる。そんなことを考えていたとは思わず、俺は涙目で深谷を睨んだ。
「そう簡単には掴まれないよ」
「そう? じゃあ、スープのあまり、持って帰らない?」
「それは……欲しいかも」
「ほら、もう掴まれかかってんじゃん!」
深谷の言う通り、胃袋は掴まれかかっているかもしれない。だって、本当に深谷が出すご飯はどれもおいしいのだ。毎日食べても飽きなさそうだけれど、それを伝えたら調子に乗られる気がして言わないでおく。
深谷は余ったスープやご飯をタッパ――に詰めると、帰り際、俺に待たせてくれた。
「今日はありがとう。ご馳走様」
「うん。また来て。っていうか、来なかったら引っ張り出すか、俺が行くわ」
「物騒だなぁ。でも、深谷に呼ばれたら飛んででも行くよ」
「それって飯目当てだろー」
頭を鷲掴みにされ、ぐうっとこめかみのあたりを押される。痛いよ、と言えば、すぐに手を離してくれた。
「まぁ、今はそれでもいいけど。でも忘れんなよ、俺は薫のことが好きってこと」
「……う、ん」
「じゃあ、おやすみー」
「……おやすみ」
たった五秒の距離を歩き、満腹感と夢心地な浮遊感をおぼえながら自分の部屋に戻っていく。
(そうだ、蒼は俺のことが……)
深谷がいつも通りなため、つい忘れてしまうけれど、彼は明確に俺に対して好意を抱いている。
それにいつまでも答えないまま、深谷の好意に甘えるのはずるい気がした。
「ちゃんと考えないと……」
深谷への好きは、どういう意味の好きなのか。同じだけの好きを深谷にも与えることができるのか。
考えることが尽きない。
俺はぺたりと壁に頬をくっつけると、隣にいるであろう深谷のことを想った。

