近くて見えない隣の青


 ◇

 深谷がバイトを始めて二週間、彼はすっかりバイト先のカフェに馴染んでいた。
 店長からは、いい子を紹介してくれた! と言われるほどに深谷はよく働いてくれて、細かいところにも気を配ってくれる。
 加えて、イケメン店員が新しく入ったという噂が広がり、女性の客足が伸びた。それもあり、深谷の人気っぷりは加熱する一方だ。
 そんな深谷を見て俺は溜め息をつくと、外の空気を吸おうと店の裏手口へ向かった。

「お、成嶋じゃん」

 先客がいたのか、ドアを開けると早川先輩がにこっと笑いかけてくれる。
 俺はドアを閉めると、早川先輩の隣に立った。

「タバコ休憩ですか?」
「うん。この体はニコチンでできているからね」

 笑えない冗談を言う早川先輩は、電子タバコをこよなく愛している。
 過去に一度、まだ先輩が俺の年齢を知らなかったときに、一本どうかと誘われた。
 そのとき丁重に断ったのがきっかけで、距離が縮まった経緯がある。その日も外の空気が吸いたいと思って、たまたま外へ出たのだった。

「最近、浮かない顔してるよね」
「そうですか?」
「自覚ない? 深谷くんのことを見ては顔曇らせてるでしょう。もしかして、喧嘩でもした?」
「……いえ、そんなことはないです」

 首をぶんぶんと振り、今でも深谷とは仲がいいと先輩に伝える。
 そしたら、どうして落ち込んでいるのかと聞かれて、俺は言葉を詰まらせた。

「何か言いにくいこと?」
「いえ……その、なんていうか、アイツってどこ行っても人気者で……」
「あぁ、人気に嫉妬しちゃう的なことかな? でも、成嶋も深谷くんに負けてないような気もするけど」
「えっと、人気を争いたいとかではなく……そもそも俺は人気でもなんでもないし……」

 深谷のように明るくて面倒見がよくて、しっかり者なのに愛嬌もあって、人懐っこいところがあるわけでもない。だから、深谷の人気そのものに嫉妬してるわけではなかった。

「その、なんていうか、すぐにどこでも人気者になるから、俺の友だちが取られた……みたいな気になってしまうというか……」
「あぁ。そういうことね」

 早川先輩にも似たような経験があるのか、うんうんと頷いて聞いてくれる。
 人気者の傍にいると、すぐに人が寄って来るから、気付くとつま弾きにされてしまうよね、と早川先輩が諦念混じりに笑った。

「だからといって、どうすることもできないし」
「そうなんですよね……。ただ、俺のはもっと……」

 つま弾きにされてしまう寂しさや遣る瀬無さ以上に、自分の深谷が誰かの特別になってしまうことが嫌だった。できることなら、その瞳に他の人を映してほしくないし、自分にもっと時間を割いてほしい。
 そんなほの暗い感情を抱いているとは言えなくて、言葉を濁しながらも深谷への想いを口にしたら、先輩が目を丸くした。

「それって…………。いや、なんでもないよ。ま、頑張れよ」
「ちょ、ちょっと! 早川先輩!」

 ぐいっと肩を抱かれ、乱暴に頭を撫で回されて、髪の毛が明後日の方向に飛び跳ねる。しばらく頭を撫でくり回されていると、裏口の扉が開いた。

「あ、いたいた。薫……って、なにしてんの?」

 扉から姿を見せたのは深谷で、俺たちを見た瞬間、険しい顔になった。

「ホールの人が足りてないから、悪いけど休憩早めに切り上げてほしいってさ」
「うん、わかった」

 早川先輩の手を払い、相談に乗ってくれて助かった旨を伝える。その間、深谷は終始不機嫌な顔でこちらを見つめていたようで、横顔に鋭い視線が突き刺さった。

「ほら、早く」
「ま、待って!」

 急かす深谷のあとを追って、ホールの中へ戻っていく。
 深谷はなぜか怒ったままで、むすっとした表情で俺の腕にトレイを載せた。

「なんか怒ってる?」
「別に。怒ってねーから。早く行かないと、お客さん待ってる」

 そういわれると、早くいかざるを得ない。それに、深谷のいう通り、ホール内は慌ただしかった。さほど時間をかけずに戻ってきた早川先輩もすぐに食器を片付けたり、食べ物を運んだりしている。
 俺もホールに戻ってからは、必死になって目の前の仕事を片付けた。
 そうして忙しい間は深谷の態度を気にせずにいられたけれど、帰るときになって、また問題がぶり返した。

「……」
「……」

 いつもなら疲れた、お腹空いた、早く寝たい、と文句を言いながらも、バイトから解放された喜びを隠すことなく全身で表現しながら上機嫌で歩いていくのに、今日の深谷は不気味なほど静かだった。
 基本的に、会話の主導権は深谷が握っていることが多く、俺は彼の話に対して相槌を打つことが多い。だから、深谷から話しかけられない限り、無言の時間が続いてしまう。
 おまけに、向こうは会話する気がないのか、俺から今日は忙しかったね、と話題を振っても「そーね」の一言しか返ってこなかった。

「……あのさ、俺なにかした……?」

 こうなったらストレートに聞いてみるしかない。もっと人付き合いが上手であれば、相手の気持ちを推し量ったり、察したりできるのかもしれないけれど、対人スキルが低い俺に、そんな器用なことはできなかった。
 それに、もしかしたら無意識のうちに深谷を傷つける言動をしていたかもしれない。そうであるならば、一秒でも早く深谷に謝りたかった。

「別になんもされてねーよ」
「じゃあ、なんで怒ってるの?」
「怒ってねーってば」
「でも何か言いたいことがあるんじゃないの?」

 そう尋ねれば、深谷が珍しく押し黙る。立ち止まった深谷は言葉を選んでいるのか、じっと足元を見つめると、やがて顔を上げた。

「じゃあ聞くけどさ。あの早川って同僚と仲良いの?」
「早川先輩……?」
「今日、休憩時間のときに話してただろ」

 そういえば、裏口で早川先輩と休憩しているところを深谷に見られた。もしかしたら相談内容を聞かれていたのかもしれない。

(面倒な友だちだと思われてたらどうしよう)

 面倒で、重たい友だちと思われるのは本意ではない。深谷が誰かに取られるのは寂しいけれど、それを制限する権利はないのだ。
 だから、もし話を聞いて勘違いしているのだとしたら、それは誤解なのだと言いかけたときだった。深谷が小さく舌を打った。

「俺と一緒のときより笑ってたじゃん」
「へ?」
「だから! 俺と一緒にいるときより楽しそうにしてたじゃん!」

 深谷の叫び声が静かな路上に響き渡る。すぐにハッとして口を押さえていたけれど、近くの家で飼われていた犬が深谷の声に驚いたのか、ワン、と鳴いた。

「なに、それ……」

 声が、震える。

 早川先輩と一緒にいるときのほうが楽しそうだって……? そんなことを言ったら、蒼だって。

「蒼だって、お客さんにデレデレしてるでしょ!」
「は……?」
「今日も連絡先聞かれてたし」
「んなの、いつものことじゃん。興味ないから断ってるっつーの」
「でも、大学でもバイト先でも女子に囲まれて、デレデレして……」

 きっと俺が見ていないときでも女子に囲まれているのだろう。女子を前にして鼻の下を伸ばしたり、悦に浸るタイプではないけれど、それでも丁寧に対応している深谷を想像すると、面白くない。

「蒼だって人のこと言えないよ」
「あはっ、なにそれ。もしかして、嫉妬してんの?」
「へ……?」
「それって、俺が女子に囲まれてるの見て嫉妬してるってことでしょ?」

 深谷が口元を手で覆っている。ニヤニヤしているところを隠そうとしているのだろうが、声が喜色ばんでいる。
 残念ながら、すべてこちらに筒抜けだった。

「違う! 俺は蒼の人気に嫉妬してるわけじゃない! 別にモテたいと思ってるわけじゃないし、羨ましいと思ってるわけでもないよ!」
「は? 嫉妬ってそういう意味じゃ……てか、俺と同じ嫉妬の仕方ではないってこと?」
「知らないよ! とにかく俺は深谷のことを羨ましく思ってるわけじゃない!」

 カッと頭に血がのぼって、言うつもりのなかった感情が口をついて出てくる。本来、感情が表に溢れすぎないように蛇口の役割をしてくれているはずの口が、今は壊れてしまったのか、どんどん言葉が出てきた。

「だいたい、深谷はいろんな人にいい格好しすぎ! 優しいのはいいけど、だからみんな寄ってくるんじゃん!」
「それ、褒められてる……?」
「褒めてない!」

 むしろ怒ってる、と喚き立てる俺の鼻先にぽつりと冷たいものが落ちてくる。それが雨だと気付いて空を見上げたときには、またぽつりと雨粒が頬を叩いていた。
 小雨で収まるかと思いきや、次第に雨脚が強くなっていく。
 深谷はハァとため息を吐き出すと、降参とばかりに両手を上げた。

「一回、ちゅーだん。俺、折りたたみ傘あるから、一緒に帰ろ? な?」

 呑気に鞄の中から傘を取り出そうとする深谷にまたしても苛立ちが募る。喧嘩に中断もなにもないのだ。
 開いた傘に俺を入れようとする深谷の腕を振り払うと、彼をきつく睨みつけた。

「いい、入らない」
「意地張んなって。風邪引いちゃうから」
「いいって言ってる!」

 深谷の制止も聞かず、俺は土砂降りの中を走り抜ける。
 運動が得意なわけでもないのに、こんなときばかり足が速く動いた。怒りも速さの原動力になっているのかもしれない。

「蒼の馬鹿!」

 逃げ込むように部屋の玄関に転がり、濡れた靴を脱ぎ捨てる。
 ぽたぽたと雫が床に落ちる速度がゆっくりになるまで、俺は玄関にしゃがみ込み、震える体をぎゅっと抱えた。