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「深谷蒼です。今日からよろしくお願いいたします」
深谷にバイト先を紹介してから一週間。深谷は見事バイトの面接に合格し、採用となった。
俺が思っていた通り、店長は深谷の人懐っこさを気に入ったそうで、また料理もできることからキッチンをメインに任されることになった。
深夜帯になってくると、カロリーの高いものはあまり出ない。さらに、サンドイッチやケーキといったあらかじめ準備しておけるような軽食しか出さないため、キッチンが落ち着く時間にはホールのほうも手伝うことになるらしい。
白シャツに黒いスラックス、腰から下のみの黒いエプロンは深谷によく似合っていた。おまけに髪も青の色素が抜けきったのか、金髪になっている。
さすがに青は派手すぎると思ったのか、新たに染めはしなかったようだ。
「早速、深谷くんにはキッチンに入ってもらうから、キッチン担当はいろいろ教えてあげて」
教育係として白羽の矢が立った人が、元気よく返事をして深谷に声をかけている。
ひとまず、俺は教えることがなさそうで、ホールに戻った。
「あれが、成嶋の言ってた深谷くんって子?」
食べ終わった皿を下げているとき、こそっと俺に耳打ちしてきたのは、俺より二つ上の先輩、早川先輩だった。
別の大学に通う先輩で、芸術系の学校に通っているらしく、いつもお金がないからと鬼のようにバイトを入れている。講義に出なくていいのか謎だが、カリキュラムのうち半分ぐらいが制作期間らしく、時間の融通がきくらしい。
そんな早川先輩は俺が入る前から働いていて、このカフェのことをよく知っている。シフトが被ることも多く、なおかつ深夜帯は人も少ないため必然的によく話すようになった。
「そうです。同じ大学で」
「へぇ。明るそうで仕事できそうな子だね」
「そうなんですよ。料理もうまくて」
「なにそれ。食べたことがあるってこと?」
「実は同じ学生マンションに住んでて、隣同士なんですよ。それきっかけで仲良くなって」
「へぇ……面白い縁もあるもんだね」
会話をしながらも皿を奥まで運び、代わりにできた料理をカウンターで受けとる。お互いに仕事をしながらも、タイミングよくカウンターに戻ってきたその一瞬の時間で会話をしていた。
「彼、ホールに立ったらめちゃくちゃ声かけられそうね」
「そう思いますか?」
「あのルックスだったら、みんな目を引くでしょ」
モデルにしてみたいという先輩の感想はあくまでも表現者目線での評価だ。
でも、俺も深谷がホールに立ったらモテるだろうなと思う。
その予想はすぐに的中して、キッチンが落ち着いたからホールの仕事を覚えるようにと言われてできた深谷は、すぐに女性客の目をくぎ付けにしていた。
(やっぱりどこ行ってもモテてる……)
うらやましいという気持ちはない。だけど、なぜか胸がモヤモヤする。
まだ深谷がバイト先に来てから一日も経っていないのに、女性客の目をくぎ付けにしてしまう深谷のことが気になった。
そうして深谷のバイト初日が終わり、二人で着替えを終えてスタッフルームを後にする。店の裏手から外に出た瞬間、深谷がぐうっと伸びをした。
「よっしゃ、バイト終わりー! やっぱ、この時間まで動いてると疲れるわ」
そう言いつつも、深谷の足取りは軽やかだ。深谷は機嫌よく数歩先を歩きながら、このあとどうする? と振り返ることなく俺に尋ねてきた。
「俺、帰ったら飯作ろうかなって思うけど、薫も食ってく?」
「今から料理すんの?」
「だって腹減ってるし。さすがに初日にまかないもらうのも気が引けるし。ていうか、忙しくてそんな暇すらなかったわ」
店は日によって忙しさが違う。金曜日や土曜日の夜は忙しく、逆にそれ以外の日は夜になると比較的落ち着いていた。
今日はちょうど金曜日だ。初バイトにして忙しい曜日だったこともあり、俺も深谷もまかないを食べていない。本来なら喜んで飛びつくところだけれど、深谷が女性客に絡まれているところが脳裏にちらついてしまい、食欲が湧かなかった。
「……今日は大丈夫。早く寝たいし」
「そっか。じゃあ、また今度食いにきてよ」
「うん」
二人でだらだらと歩きながら、バイト中には言えなかった注意事項やアドバイスなどをしつつ、学生マンションへ向かっていく。
いつもはひとりで歩いていくから長く感じる道のりも、深谷と一緒だとすぐだった。
「じゃ、今日はお疲れ。おやすみー」
「……おやすみ」
部屋の前で挨拶をし、真っ暗な部屋に身を滑らせる。
俺は乱暴に靴を脱ぎ捨てると、着替えもせずにベッドに寝転がった。ぎゅうっと枕を抱き締めて、顔をうずめる。
思い出すのは、バイト先での深谷の姿だった。
「バイト、紹介しないほうがよかったかも……」
無意識にそんな言葉が口をついて、自分でもびっくりする。
どうしてそんなふうに思うのかわからないけれど、とにかく嫌なものは嫌なのだ。大学だけでなく、バイト先でも誰かに囲まれている深谷を見るのが辛い。大事な友だちを取られたような気分だ。
そう思うこと自体、おかしいのに。
「……疲れてんのかな、俺」
ぽつりとつぶやくと、俺は無理やり目を閉じて、現実から思考を切り離した。

