日曜午後、桜丘高校・物理実験室。
晴天の昼下がりとは裏腹に、部屋の中は真剣そのものだった。
「ここね、天井ボード1枚あたりの最大耐荷重が約5.5キロ。でも実際の支持点は、ボードじゃなくて梁。だから——」
天井を見上げながら測量器を手に説明するのは真紀。
口調は冷静ながら、どこか圧のある語り口で、他のメンバーが口を挟む隙がない。
「梁の間隔が90センチで、支点を3つ使うなら片側にかかる力は——」
「ちょっと待って。支点の重みだけじゃなく、コードの引っかかりによるトルクも計算に入れて」
そう割って入ったのは莉音だった。
真紀は一瞬、むっとしたように目を細めた。
「計算はした。……けど、まあ確認して」
「ありがとう」
莉音はあえて言葉少なに、図面のコピーを彼女へと差し出す。
その間に、静かに手を動かしていたのがノエルだった。
彼の目の前には、広げられた配線図と、タブレットに映された立体構造シミュレーション。
「配線、干渉してる。投影機とLEDラインの間、ループが重なってる」
「それってどうなるの?」
裕美子が身を乗り出す。
「フリッカーが出る可能性。星が“チカチカ”する。……現実には、そんな星ない」
「うーん、やだそれ。ロマン台無しじゃん!」
「だから、ルートを1列後ろに回す。投影角も2度ずらす」
「光路がズレるけど、そこは私が補正する」
莉音がそう言って、PCを操作。レーザー計測値と光源配置のデータを再計算していく。
「フレネル反射式にする? それとも拡散板に統一する?」
「反射。観客の目線を考えると、直接照射より効果が高い」
「了解」
短い会話が次々に交わされる。
女子二人の間にあるのは衝突ではなく、論理による譲り合いと戦略的な対話だった。
そんな中、朔太郎が静かにドアを開けた。
「よぉ……すげぇことになってんな」
「手伝いに来たの? それとも差し入れ?」
「差し入れ。あと見学。お前ら、戦ってんのか協力してんのか、わかんねぇ空気出してるからな」
そう言って差し出したのは、購買のコーヒー牛乳とドーナツ。
真紀が一瞥し、ぼそっとつぶやく。
「……コーヒー牛乳って、わたしの気を鎮めたい時に差し出される飲み物なんだけど」
「だろうと思って」
「……わかってるならいい」
小さく笑って、真紀は天井を再び見上げた。
作業は、日が傾くにつれてさらに加速した。
空気の熱は冷めても、議論の熱は冷めない。
「……照明器具が届くの、連休明けでしょ? ってことは、今の設計で光の通り道も仮決めしといた方がいいんじゃない?」
裕美子がホワイトボードを前に、マーカーペンを振る。
「うん、だから投影の中心を固定せず、観客の位置で補正を掛ける。レンズごとに入射角を変えれば、均一な視野が保てるはず」
莉音がそう返しながら、サイドテーブルの上で小型のLED投光器をテストしていた。
部屋の明かりを落とすと、天井に仮の光点が浮かび上がる。
「わ……なんか、ちょっとだけ“星”って感じする」
裕美子が素直な声をあげる。
「これで完成じゃないけどね。ただ……未来の輪郭、って感じはする」
その言葉に、ふと真紀がペンを止めて言った。
「ねえ、そういう“詩的な感想”って、誰の担当?」
「え? えっと……感性班?」
「今その班、1名なのよね。つまり、私」
「じゃあ、そのままリーダー継続で!」
「勝手に決めないの」
言いながらも、真紀は笑っていた。
——ぶつかり合いながらも、進んでいる。
立場や得意分野が違うからこそ、歯車のようにかみ合い、時に引っかかりながらも全体が前へと回る。
その中心に、誰よりも冷静な莉音の姿があった。
(“伝わるもの”を、作ってるんだな)
朔太郎はガラス越しに、教室をぼんやりと見ていた。
走ることがすべてだった自分の世界に、「創って伝える」という価値観が加わっていく。
それは最初、違和感だった。でも今は、少しだけ悔しいとすら思う。
(俺も、点取りにいかねぇとな)
彼は残っていたドーナツのひとつを口に放り込み、立ち上がった。
「なぁ。お前ら、俺にもひとつ課題くれ」
「課題?」
「役割。俺、まだこの星空の中で“立ってるだけ”じゃん。なんか動きたい」
莉音が、少しだけ驚いた顔をした。
だがすぐに、スマートに返した。
「じゃあ、補強材のカット係。素材班と連携して、設計通りの長さに揃えてもらう」
「……物理苦手な俺に、それ振る?」
「数字を扱うのが苦手でも、“正確に測る”のは感覚でもできるでしょ?」
「……やるよ。感覚だけは得意だからな」
チームはまたひとつ、歯車が噛み合った音を立てた。
【第8章 完】
晴天の昼下がりとは裏腹に、部屋の中は真剣そのものだった。
「ここね、天井ボード1枚あたりの最大耐荷重が約5.5キロ。でも実際の支持点は、ボードじゃなくて梁。だから——」
天井を見上げながら測量器を手に説明するのは真紀。
口調は冷静ながら、どこか圧のある語り口で、他のメンバーが口を挟む隙がない。
「梁の間隔が90センチで、支点を3つ使うなら片側にかかる力は——」
「ちょっと待って。支点の重みだけじゃなく、コードの引っかかりによるトルクも計算に入れて」
そう割って入ったのは莉音だった。
真紀は一瞬、むっとしたように目を細めた。
「計算はした。……けど、まあ確認して」
「ありがとう」
莉音はあえて言葉少なに、図面のコピーを彼女へと差し出す。
その間に、静かに手を動かしていたのがノエルだった。
彼の目の前には、広げられた配線図と、タブレットに映された立体構造シミュレーション。
「配線、干渉してる。投影機とLEDラインの間、ループが重なってる」
「それってどうなるの?」
裕美子が身を乗り出す。
「フリッカーが出る可能性。星が“チカチカ”する。……現実には、そんな星ない」
「うーん、やだそれ。ロマン台無しじゃん!」
「だから、ルートを1列後ろに回す。投影角も2度ずらす」
「光路がズレるけど、そこは私が補正する」
莉音がそう言って、PCを操作。レーザー計測値と光源配置のデータを再計算していく。
「フレネル反射式にする? それとも拡散板に統一する?」
「反射。観客の目線を考えると、直接照射より効果が高い」
「了解」
短い会話が次々に交わされる。
女子二人の間にあるのは衝突ではなく、論理による譲り合いと戦略的な対話だった。
そんな中、朔太郎が静かにドアを開けた。
「よぉ……すげぇことになってんな」
「手伝いに来たの? それとも差し入れ?」
「差し入れ。あと見学。お前ら、戦ってんのか協力してんのか、わかんねぇ空気出してるからな」
そう言って差し出したのは、購買のコーヒー牛乳とドーナツ。
真紀が一瞥し、ぼそっとつぶやく。
「……コーヒー牛乳って、わたしの気を鎮めたい時に差し出される飲み物なんだけど」
「だろうと思って」
「……わかってるならいい」
小さく笑って、真紀は天井を再び見上げた。
作業は、日が傾くにつれてさらに加速した。
空気の熱は冷めても、議論の熱は冷めない。
「……照明器具が届くの、連休明けでしょ? ってことは、今の設計で光の通り道も仮決めしといた方がいいんじゃない?」
裕美子がホワイトボードを前に、マーカーペンを振る。
「うん、だから投影の中心を固定せず、観客の位置で補正を掛ける。レンズごとに入射角を変えれば、均一な視野が保てるはず」
莉音がそう返しながら、サイドテーブルの上で小型のLED投光器をテストしていた。
部屋の明かりを落とすと、天井に仮の光点が浮かび上がる。
「わ……なんか、ちょっとだけ“星”って感じする」
裕美子が素直な声をあげる。
「これで完成じゃないけどね。ただ……未来の輪郭、って感じはする」
その言葉に、ふと真紀がペンを止めて言った。
「ねえ、そういう“詩的な感想”って、誰の担当?」
「え? えっと……感性班?」
「今その班、1名なのよね。つまり、私」
「じゃあ、そのままリーダー継続で!」
「勝手に決めないの」
言いながらも、真紀は笑っていた。
——ぶつかり合いながらも、進んでいる。
立場や得意分野が違うからこそ、歯車のようにかみ合い、時に引っかかりながらも全体が前へと回る。
その中心に、誰よりも冷静な莉音の姿があった。
(“伝わるもの”を、作ってるんだな)
朔太郎はガラス越しに、教室をぼんやりと見ていた。
走ることがすべてだった自分の世界に、「創って伝える」という価値観が加わっていく。
それは最初、違和感だった。でも今は、少しだけ悔しいとすら思う。
(俺も、点取りにいかねぇとな)
彼は残っていたドーナツのひとつを口に放り込み、立ち上がった。
「なぁ。お前ら、俺にもひとつ課題くれ」
「課題?」
「役割。俺、まだこの星空の中で“立ってるだけ”じゃん。なんか動きたい」
莉音が、少しだけ驚いた顔をした。
だがすぐに、スマートに返した。
「じゃあ、補強材のカット係。素材班と連携して、設計通りの長さに揃えてもらう」
「……物理苦手な俺に、それ振る?」
「数字を扱うのが苦手でも、“正確に測る”のは感覚でもできるでしょ?」
「……やるよ。感覚だけは得意だからな」
チームはまたひとつ、歯車が噛み合った音を立てた。
【第8章 完】



