夕方の校庭に、空き豆袋がばらまかれていた。風がそれをくすぐり、ころころと人工芝の上を転がす。
 二月三日、節分当日。校庭外周では、前代未聞の“節分豆まき100mレース”が始まろうとしていた。
 「はい! 今回の実況を担当しますのは、雄貴先輩こと“ユウキング”でーす!」
 拡声器片手に叫ぶ雄貴は、いつも以上に気合が入っていた。ドローンはすでに二台体勢。ノエルが並走カメラを操作している。
 「で、こちらが今回の“豆まき鬼”担当、真紀先輩! どうぞー!」
 「あいよ〜、豆は無限にあるからね〜。遠慮なくぶつけちゃうよ〜!」
 真紀が笑顔で豆袋を振ると、中から軽やかな音が鳴った。
 その後ろで、朔太郎と莉音が並んでウォームアップをしていた。
 「……まさか、豆を拾いながら走るレースがあるとはね」
 莉音が小声でぼやいた。手には使い捨て手袋、そして腰には紙袋が提げられている。
 「ルールはこうだ。スタート地点から100mの間に、5つ以上豆を拾いながら走り切れ。最終ゴールタイム+1個足りないごとにペナルティ1秒。勝者は視聴者投票によって“フォーム評価”も加味される」
 朔太郎は息を深く吸って、笑った。
 「なんか、最近この学校、どんどんスポーツがバラエティ寄りになってる気がする」
 「そういうの、けっこう嫌いじゃないんでしょ?」
 「まあ、競争できるなら、なんでも燃える方だし」
 莉音が紙袋の口を整えたとき、雄貴の声が響いた。
 「よーい、ドン!」
 二人は同時にスタートを切った。
 直線コースには、20mごとに小袋入りの豆が撒かれており、拾いながら進むにはスピードと瞬発的な判断力が求められる。
 「おっと、先に拾いにかかったのは莉音先輩! 手際がいい! 朔太郎先輩は——あっと、袋が風で飛んで豆が転がっていくー!」
 観客席から笑いが起こった。
 朔太郎は一瞬だけ足を止め、逃げた豆袋を回収。だがその間に莉音が二つ目を確保し、差が開いていく。
 「くっそ……!」
 だが、そこからが彼の真骨頂だった。
 疾走しながら右足をステップ内側に入れ込み、手を伸ばして豆をすくい取る。再加速のタイミングも無駄がない。
 「これは美しい! 豆回収フォームに加速の流れを完全に同調させている!」
 雄貴の実況に、コメント欄が賑わった。
 《朔太郎の走り、美しすぎ》《莉音の拾い精度が鬼》《真紀ちゃんの投げ、まじで当たりそう》
 その間、真紀は全力で二人に豆を投げ続けていた。命中率はさほど高くないが、当たった豆が粉々に砕ける音が風に混じる。
 「いけー!」
 朔太郎が7つ目を拾い終え、ラスト20mを加速。
 「莉音も同数、並んだ! 残り10m! 豆袋は……風で宙に浮いて——おっと、莉音、キャッチした!」
 ラスト1秒、莉音は空中の小袋を右手で掴み、ゴール地点へ跳び込んだ。
 フィニッシュ。
 ゴールテープが揺れ、ドローンがその瞬間を正面からとらえた。
 「……ゴール!」
 直後、ノエルがタブレットを持って走ってくる。
 「計測完了。朔太郎、走行タイム11秒92、豆回収7個。莉音、12秒08、豆回収8個」
 雄貴が会場を見渡す。
 「ということで……タイムでは朔太郎、豆数では莉音。最終勝者は、視聴者の投票で決定します!」
 その瞬間、掲示板にリアルタイムで投票フォームが表示され、生徒たちが次々と端末をタップした。
 10秒後——。
 《フォーム評価:朔太郎 52%、莉音 48%》
 「僅差で、朔太郎勝利ーっ!」
 観客から拍手と笑いが起こった。
 莉音は肩をすくめた。
 「あと0.03秒か。なんだか、また差し戻された気分」
 朔太郎は紙袋を掲げながら、莉音に目を向けた。
 「でもさ、競ってる限り、こういうのってずっと続くよな」
 「続けられるなら、悪くない」
 彼女の声は、どこか嬉しそうだった。
 そして、ふと二人の間にひとつ、豆がこぼれて転がった。
 朔太郎と莉音は、同時にそれを拾おうと手を伸ばし——指先が、かすかに触れ合った。
 その一瞬、互いの鼓動が、風の音に紛れて高鳴った。
 春が、もうすぐそこまで来ていた。

(第29章「節分ラン・豆まきレース」完)