新年最初の全校朝礼は、桜丘高校の体育館で行われる。1月8日、午前10時。体育館の大時計がちょうどその時刻を指した瞬間、生徒たちは整然と並んだ列の中で、真冬の冷気とともに硬くなる背筋を感じていた。
体育館の天井近くに設置されたストーブからは暖かい風が吹き出しているが、そこに立つ者たちの緊張は、温風程度では融けない。
その最前列の中央に、朔太郎が立っていた。
無言だった。周囲も沈黙していた。
普段なら朝礼前にどこからともなく冗談や咳払いが飛び交うはずの会場は、妙な空気に包まれていた。
それはこの日、冬学期の速報成績が掲示板に先行して発表されるからだ。しかも今回は、上位者の点数と名前が壇上で読み上げられる。
「桜丘高校、複合探究ゼミ・冬学期成績——」
マイク越しの声が、校長ではなく、生徒会長の真紀から発せられた。
「第3位、ノエル・フェルナンデス、総得点・一七六点」
前方右の列で、ノエルが小さく礼をして一歩引く。ドローン動画や研究補助の貢献度が高評価されたのだ。
「第2位——九条莉音、総得点・一八四点」
一拍遅れて、莉音の周囲にざわめきが走る。
その名と数字が持つ重みが、隣に立つ朔太郎へ自然と視線を集めさせた。
そして。
「第1位。——佐倉朔太郎、総得点・一八五点」
静まり返った空間に、その言葉だけが吸い込まれていく。
大きな歓声も、拍手も、最初の数秒はなかった。
朔太郎本人ですら、何かを飲み込むようにゆっくりと瞬きをしただけだった。
その隣にいる莉音は、表情一つ変えず、しかしその目だけがほんのわずかに細くなっていた。
「一点差か……」
それを小さくつぶやいたのは竜輝だった。後方に立つ彼の拳が、気づかぬうちにわずかに震えていた。
朔太郎を応援してきた者として、うれしさと同時に、ある種の怖さを感じていた。
このまま、この勝負は、どこまで続くのだろうと。
壇上で校長が総括の言葉を述べている間も、朔太郎と莉音の間には、一言も言葉が交わされることはなかった。
それが、誰よりも雄弁だった。
——互いが、互いを本気で見ている。
勝負の場に立つ者が、言葉ではなく結果で語るということを、全校生徒が体感していた。
始業式が終わり、クラスに戻る途中。校舎の廊下ですれ違う生徒たちが、何人も朔太郎に「おめでとう」と声をかけてきた。
けれど彼は、そのたびに「ありがとう」と返しつつも、どこか考え込むような素振りをしていた。
やがて、階段の踊り場で莉音とばったり鉢合わせる。
ふたりは、互いに少しだけ立ち止まった。
「……次も、抜かせてもらう」
朔太郎の言葉は、淡々としたものだった。
莉音は一拍おいて、小さく頷いた。
「私は、抜き返すつもりよ」
そう言って、二人はまた歩き出した。すぐに別の角を曲がり、見えなくなる。
その背を、階段上から眺めていたのは真紀だった。
彼女はそっと呟いた。
「この二人……競争しながら、同じゴールを目指してる。すごいわね」
その声は、誰に届くわけでもなく、ただ静かに校内の冬の空気に溶けていった。
(第25章「始業式の沈黙」完)
体育館の天井近くに設置されたストーブからは暖かい風が吹き出しているが、そこに立つ者たちの緊張は、温風程度では融けない。
その最前列の中央に、朔太郎が立っていた。
無言だった。周囲も沈黙していた。
普段なら朝礼前にどこからともなく冗談や咳払いが飛び交うはずの会場は、妙な空気に包まれていた。
それはこの日、冬学期の速報成績が掲示板に先行して発表されるからだ。しかも今回は、上位者の点数と名前が壇上で読み上げられる。
「桜丘高校、複合探究ゼミ・冬学期成績——」
マイク越しの声が、校長ではなく、生徒会長の真紀から発せられた。
「第3位、ノエル・フェルナンデス、総得点・一七六点」
前方右の列で、ノエルが小さく礼をして一歩引く。ドローン動画や研究補助の貢献度が高評価されたのだ。
「第2位——九条莉音、総得点・一八四点」
一拍遅れて、莉音の周囲にざわめきが走る。
その名と数字が持つ重みが、隣に立つ朔太郎へ自然と視線を集めさせた。
そして。
「第1位。——佐倉朔太郎、総得点・一八五点」
静まり返った空間に、その言葉だけが吸い込まれていく。
大きな歓声も、拍手も、最初の数秒はなかった。
朔太郎本人ですら、何かを飲み込むようにゆっくりと瞬きをしただけだった。
その隣にいる莉音は、表情一つ変えず、しかしその目だけがほんのわずかに細くなっていた。
「一点差か……」
それを小さくつぶやいたのは竜輝だった。後方に立つ彼の拳が、気づかぬうちにわずかに震えていた。
朔太郎を応援してきた者として、うれしさと同時に、ある種の怖さを感じていた。
このまま、この勝負は、どこまで続くのだろうと。
壇上で校長が総括の言葉を述べている間も、朔太郎と莉音の間には、一言も言葉が交わされることはなかった。
それが、誰よりも雄弁だった。
——互いが、互いを本気で見ている。
勝負の場に立つ者が、言葉ではなく結果で語るということを、全校生徒が体感していた。
始業式が終わり、クラスに戻る途中。校舎の廊下ですれ違う生徒たちが、何人も朔太郎に「おめでとう」と声をかけてきた。
けれど彼は、そのたびに「ありがとう」と返しつつも、どこか考え込むような素振りをしていた。
やがて、階段の踊り場で莉音とばったり鉢合わせる。
ふたりは、互いに少しだけ立ち止まった。
「……次も、抜かせてもらう」
朔太郎の言葉は、淡々としたものだった。
莉音は一拍おいて、小さく頷いた。
「私は、抜き返すつもりよ」
そう言って、二人はまた歩き出した。すぐに別の角を曲がり、見えなくなる。
その背を、階段上から眺めていたのは真紀だった。
彼女はそっと呟いた。
「この二人……競争しながら、同じゴールを目指してる。すごいわね」
その声は、誰に届くわけでもなく、ただ静かに校内の冬の空気に溶けていった。
(第25章「始業式の沈黙」完)



