9月26日、金曜日。午前8時57分。
桜丘高校の文化祭が、三年ぶりの一般公開を伴って幕を開けようとしていた。
開場3分前。すでに昇降口には、家族連れ、近隣中学生、そしてSNSで情報を得た外部の来場者が列を成していた。
その様子を、3年C組の教室では別の角度から見ていた。
「よし、来場者カウント開始……ドアセンサー稼働!」
ノエルの低く落ち着いた声が、教室内に響く。
「照明チェック、ドーム投影クリア、映像開始5秒前――」
莉音の手元にあるタブレットには、光学反射と音響反射のリアルタイムモニター。
「開始、いけるよ」
彼女の静かな指示に、朔太郎が息を吸い込んだ。
「いらっしゃいませー! 本日は『教室プラネタリウム C-Constella』へようこそ!」
朔太郎の声がスピーカーを通して響いた瞬間、観客の顔に一斉に期待の色が灯る。
ドアが静かに閉まり、室内が暗転。スクリーンに浮かぶのは、桜丘高校の屋上から撮影した天の川。
ドローンによる360度回転映像と組み合わせた、リアルタイム星空シミュレーション。
そして、天井に広がる光の粒――それは、教室という空間を一瞬で宇宙へ変えてしまうほどの輝きを放っていた。
「さあ、まずは“秋の大三角”から見てみようか」
朔太郎は即興で話しはじめる。
もともと台本はなかった。彼にとって、競技トラックがステージだったのと同じように、今この場が“走る場”だった。
「ベガ、アルタイル、デネブ。この三つの星は、僕らにとってはちょっと特別で――」
そのとき、一人の小学生が、ぽそりと漏らした。
「デネブって、いちばん遠くにある星だよね……」
莉音は即座に反応した。
朔太郎の言葉を受けて、背後のモニターに「地球からの距離」グラフを表示。
「そうです。デネブはおよそ1400光年離れています。つまり、今見ている光は、1400年前に発せられたものですね」
「1400年前!? ってことは、その星もう無いかもなの?」
「……そういう仮説も、あります」
莉音の声が、ほんの少しだけ感情を含んでいた。
「でも、私たちが“そこにある”と思う限り、それは今も空に輝いています」
教室内に、静かな感嘆の波が広がった。
「だから、今日この星を見上げることにも、意味があるんです」
観客の中の誰かが、小さく拍手をした。
その波が広がっていく。
気づけば、来場者のほとんどが、星を見上げたまま息を止めていた。
そして――終了時間になっても、誰も立ち上がらなかった。
「……ご清聴、ありがとうございました」
朔太郎が一礼し、ノエルが照明を戻す。
まるで、宇宙から地球に帰ってきたような拍手の渦。
「一回の来場者、……52名」
莉音が囁くように告げる。
「想定超えたな……次の回、整理券いるな」
裕美子が客席通路を整えながら頷いた。
その手には、真紀が描いた“星空スタンプラリー”カード。どの角にも工夫が詰まっていた。
「休憩? 次の回、いく?」
「いく。今日は“打ち上げ”の日だろ?」
朔太郎が笑う。
「これから夕方までに、あと……十回まわせる?」
莉音の問いに、真紀がすかさず答える。
「無理だけど、無茶ならいける」
笑いが、静かに教室にこぼれた。
こうして、3年C組のプラネタリウムは、午後の回も満席を維持し続けた。
合計来場者は、最終的に527名。
その夜、審査員からの講評にはこう記されていた。
「星の距離よりも、教室の距離を縮めた展示。見た人の目線に立ち、驚きと静けさのバランスが見事だった」
莉音は、その講評文を何度も読み返していた。
そしてふと、朔太郎の姿を探した。
彼は――掃除用具ロッカーにこっそり座り込んで、足を投げ出していた。
「……星空って、いいな」
その言葉を聞いた莉音は、ほんの少し口元を緩めた。
「ええ。負けてもいいくらいには、ね」
「いや、それはない」
二人の目が合い、そして、同じタイミングで笑った。
(第17章「開幕、教室プラネタリウム」完)
桜丘高校の文化祭が、三年ぶりの一般公開を伴って幕を開けようとしていた。
開場3分前。すでに昇降口には、家族連れ、近隣中学生、そしてSNSで情報を得た外部の来場者が列を成していた。
その様子を、3年C組の教室では別の角度から見ていた。
「よし、来場者カウント開始……ドアセンサー稼働!」
ノエルの低く落ち着いた声が、教室内に響く。
「照明チェック、ドーム投影クリア、映像開始5秒前――」
莉音の手元にあるタブレットには、光学反射と音響反射のリアルタイムモニター。
「開始、いけるよ」
彼女の静かな指示に、朔太郎が息を吸い込んだ。
「いらっしゃいませー! 本日は『教室プラネタリウム C-Constella』へようこそ!」
朔太郎の声がスピーカーを通して響いた瞬間、観客の顔に一斉に期待の色が灯る。
ドアが静かに閉まり、室内が暗転。スクリーンに浮かぶのは、桜丘高校の屋上から撮影した天の川。
ドローンによる360度回転映像と組み合わせた、リアルタイム星空シミュレーション。
そして、天井に広がる光の粒――それは、教室という空間を一瞬で宇宙へ変えてしまうほどの輝きを放っていた。
「さあ、まずは“秋の大三角”から見てみようか」
朔太郎は即興で話しはじめる。
もともと台本はなかった。彼にとって、競技トラックがステージだったのと同じように、今この場が“走る場”だった。
「ベガ、アルタイル、デネブ。この三つの星は、僕らにとってはちょっと特別で――」
そのとき、一人の小学生が、ぽそりと漏らした。
「デネブって、いちばん遠くにある星だよね……」
莉音は即座に反応した。
朔太郎の言葉を受けて、背後のモニターに「地球からの距離」グラフを表示。
「そうです。デネブはおよそ1400光年離れています。つまり、今見ている光は、1400年前に発せられたものですね」
「1400年前!? ってことは、その星もう無いかもなの?」
「……そういう仮説も、あります」
莉音の声が、ほんの少しだけ感情を含んでいた。
「でも、私たちが“そこにある”と思う限り、それは今も空に輝いています」
教室内に、静かな感嘆の波が広がった。
「だから、今日この星を見上げることにも、意味があるんです」
観客の中の誰かが、小さく拍手をした。
その波が広がっていく。
気づけば、来場者のほとんどが、星を見上げたまま息を止めていた。
そして――終了時間になっても、誰も立ち上がらなかった。
「……ご清聴、ありがとうございました」
朔太郎が一礼し、ノエルが照明を戻す。
まるで、宇宙から地球に帰ってきたような拍手の渦。
「一回の来場者、……52名」
莉音が囁くように告げる。
「想定超えたな……次の回、整理券いるな」
裕美子が客席通路を整えながら頷いた。
その手には、真紀が描いた“星空スタンプラリー”カード。どの角にも工夫が詰まっていた。
「休憩? 次の回、いく?」
「いく。今日は“打ち上げ”の日だろ?」
朔太郎が笑う。
「これから夕方までに、あと……十回まわせる?」
莉音の問いに、真紀がすかさず答える。
「無理だけど、無茶ならいける」
笑いが、静かに教室にこぼれた。
こうして、3年C組のプラネタリウムは、午後の回も満席を維持し続けた。
合計来場者は、最終的に527名。
その夜、審査員からの講評にはこう記されていた。
「星の距離よりも、教室の距離を縮めた展示。見た人の目線に立ち、驚きと静けさのバランスが見事だった」
莉音は、その講評文を何度も読み返していた。
そしてふと、朔太郎の姿を探した。
彼は――掃除用具ロッカーにこっそり座り込んで、足を投げ出していた。
「……星空って、いいな」
その言葉を聞いた莉音は、ほんの少し口元を緩めた。
「ええ。負けてもいいくらいには、ね」
「いや、それはない」
二人の目が合い、そして、同じタイミングで笑った。
(第17章「開幕、教室プラネタリウム」完)



