日がすっかり沈んでも、屋台の列は絶えなかった。
河川敷に流れる音楽と、焼きそばの香ばしい匂い。浴衣の裾が風に揺れ、子どもたちのはしゃぐ声が遠くから響く。
その喧騒の少し奥、本部テントの裏手には、仕事を終えた生徒たちがぽつりぽつりと腰を下ろしていた。
その中に、莉音の姿もあった。脚を軽く折りたたんで、河川敷に敷いたシートの上。膝にはタブレット、手元にはまだ未入力の収支表が浮かんでいる。
「……まだやってんの?」
声をかけてきたのは朔太郎だった。髪にはうっすら汗が残り、手にしたペットボトルが半分空いている。
「うん。最後に、粗利率の確認だけ」
「まじめだなあ」
朔太郎は言いながら、すとんと彼女の隣に座り込んだ。莉音は一瞬だけ視線を横にずらし、それからまた画面に戻った。
「祭りってさ、終わってからの方が静かで、なんか……現実って感じするよな」
「非日常が終わったあとの“現実”って意味なら、たしかに」
「でも嫌いじゃない。走り終えたあとみたいでさ。あとちょっとだけ余韻に浸って、それから帰る。そんな時間」
その言葉を聞いて、莉音はタブレットの電源を落とした。
「じゃあ、その余韻に……付き合ってあげる」
「えっ、マジ?」
朔太郎が振り返る。莉音は無表情でうなずいたが、わずかに口元の筋肉が緩んでいた。
二人は言葉もなく、空を見上げた。
数秒後、ドン、と重低音が空気を震わせる。大きな光の花が、夜空にひとつ咲いた。
金色のしだれ柳が空いっぱいに広がり、ぱらぱらと星のように落ちていく。
「……きれいだね」
莉音の声は、花火の残響にかき消されそうだったが、朔太郎にはちゃんと届いた。
「うん。めっちゃきれい」
それから数発、花火は間をあけて夜空に咲いては散った。
朔太郎がふと手を伸ばし、草むらに落ちた一本の線香花火を拾い上げた。
「花火って、勝ち負けないよな」
ぽつりと呟いたその声に、莉音は眉を動かす。
「どういう意味?」
「速さも記録も、数字じゃないっていうか。ただ、“いいな”って思った方が勝ちっていう、あいまいさ」
「それ、勝ち負けって言わないと思うけど」
「そう。でも、そういうのも、悪くないなって思って」
莉音は、少しだけ朔太郎の方を見た。その横顔にはいつものような闘志はなく、どこか穏やかな光があった。
「じゃあさ」
「ん?」
「今日のこの時間、“いいな”って思ったら……勝ちなんだよね?」
「お、どうした莉音。急にポエマー?」
「別に。今の仮定に乗っただけ」
「そっか……俺、負けたわ」
「え?」
「いや、莉音の“いいな”が、俺より大きそうだったからさ」
莉音は少し言葉を失い、それからそっと視線を逸らした。
次の花火が空に咲いても、二人はもう、上を見なかった。
河川敷に流れる音楽と、焼きそばの香ばしい匂い。浴衣の裾が風に揺れ、子どもたちのはしゃぐ声が遠くから響く。
その喧騒の少し奥、本部テントの裏手には、仕事を終えた生徒たちがぽつりぽつりと腰を下ろしていた。
その中に、莉音の姿もあった。脚を軽く折りたたんで、河川敷に敷いたシートの上。膝にはタブレット、手元にはまだ未入力の収支表が浮かんでいる。
「……まだやってんの?」
声をかけてきたのは朔太郎だった。髪にはうっすら汗が残り、手にしたペットボトルが半分空いている。
「うん。最後に、粗利率の確認だけ」
「まじめだなあ」
朔太郎は言いながら、すとんと彼女の隣に座り込んだ。莉音は一瞬だけ視線を横にずらし、それからまた画面に戻った。
「祭りってさ、終わってからの方が静かで、なんか……現実って感じするよな」
「非日常が終わったあとの“現実”って意味なら、たしかに」
「でも嫌いじゃない。走り終えたあとみたいでさ。あとちょっとだけ余韻に浸って、それから帰る。そんな時間」
その言葉を聞いて、莉音はタブレットの電源を落とした。
「じゃあ、その余韻に……付き合ってあげる」
「えっ、マジ?」
朔太郎が振り返る。莉音は無表情でうなずいたが、わずかに口元の筋肉が緩んでいた。
二人は言葉もなく、空を見上げた。
数秒後、ドン、と重低音が空気を震わせる。大きな光の花が、夜空にひとつ咲いた。
金色のしだれ柳が空いっぱいに広がり、ぱらぱらと星のように落ちていく。
「……きれいだね」
莉音の声は、花火の残響にかき消されそうだったが、朔太郎にはちゃんと届いた。
「うん。めっちゃきれい」
それから数発、花火は間をあけて夜空に咲いては散った。
朔太郎がふと手を伸ばし、草むらに落ちた一本の線香花火を拾い上げた。
「花火って、勝ち負けないよな」
ぽつりと呟いたその声に、莉音は眉を動かす。
「どういう意味?」
「速さも記録も、数字じゃないっていうか。ただ、“いいな”って思った方が勝ちっていう、あいまいさ」
「それ、勝ち負けって言わないと思うけど」
「そう。でも、そういうのも、悪くないなって思って」
莉音は、少しだけ朔太郎の方を見た。その横顔にはいつものような闘志はなく、どこか穏やかな光があった。
「じゃあさ」
「ん?」
「今日のこの時間、“いいな”って思ったら……勝ちなんだよね?」
「お、どうした莉音。急にポエマー?」
「別に。今の仮定に乗っただけ」
「そっか……俺、負けたわ」
「え?」
「いや、莉音の“いいな”が、俺より大きそうだったからさ」
莉音は少し言葉を失い、それからそっと視線を逸らした。
次の花火が空に咲いても、二人はもう、上を見なかった。



