放課後のチャイムが鳴った瞬間、校舎の空気は一変した。
 何十人もの生徒が一斉に廊下へなだれ込み、目指す先はただひとつ——生徒会前の掲示板。
 「貼り出されたってよ! 総合杯、第一学期分の得点表!」
 叫ぶ声、走る音、ざわつく空気。
 朔太郎も教室の窓際からそれを聞くと、椅子を蹴るように立ち上がった。
 「よし、見に行くぞ!」
 竜輝がうなずきながらついてくる。
 「ま、ダメだったら俺が慰めてやるよ」
 「慰めは必要ねーよ、勝つ気しかしてねーんだから!」
 階段を一段飛ばしで駆け下り、廊下のカーブを滑るように曲がると、すでに掲示板前には人垣ができていた。
 朔太郎は息を弾ませながら、前へ前へと割り込み、紙面に視線を走らせた。
 ——総合得点上位者(第1学期)
 1位 柊朔太郎 73点
 2位 春日莉音 72点
 3位 藤谷竜輝 66点
 4位 牧野裕美子 65点
 5位 片瀬真紀 64点
 6位 坂本雄貴 61点
 「……勝った!」
 その瞬間、朔太郎の口元が、火がついたように緩んだ。
 「よっしゃああああああああ!!!」
 拳を高く突き上げると、周囲がどっと沸いた。
 陸上部の後輩たちが拍手し、ノエルが遠くから親指を立てた。
 「どーだ見たか、春日ーー!」
 叫びながら振り返ると、莉音は掲示板の前に立ったまま、静かに数字を見つめていた。
 目を細め、ほんのわずかに口角を上げたまま、何も言わない。
 喜びも、悔しさも、外に出さない。ただ、数式のように一点の誤差を受け止めている。
 朔太郎は、自分の興奮が宙に浮いたことに気づき、少しだけ照れたように頭をかいた。
 「……惜しかったな、マジで」
 声をかけると、莉音はようやくこちらを見た。
 「誤差は1点。でも、根拠は明確」
 「へ?」
 「あなたがリレーの得点、+4点。私はボランティアと研究で+3点。基礎学力はほぼ同率。だから——妥当な結果」
 その分析に、竜輝が「お前ら……なんか理系すぎ」と呆れる。
 けれど朔太郎は、そのクールな言いぶりの中に、
 どこか次への情熱を感じた。
 (……負けず嫌いだな。お前も)

 朔太郎は、自分の名が一位にあることを何度も見返した。
 けれど、胸の奥でじわりと広がっていくのは、ただの勝利の快感じゃなかった。
 ——気持ちよさの裏に、妙な“焦燥”があった。
 (たった1点。……たったの)
 心のどこかが言う。
 (次は……どうなる?)
 振り返ると、莉音が人波から少し外れた場所に移動し、スマホを開いて何かをメモしていた。
 いつもの、落ち着いた横顔。けれど、その瞳の奥は、どこか鋭くなっているように見えた。
 「春日、なん書いてんだ?」
 「次学期の配点予測」
 「えっ、もう?」
 「次の試験範囲、社会が難化予想。それに、文化祭の加点要素が創造部門に偏る可能性がある。得点配分を前倒しで検討しておく必要があるから」
 口調は淡々としているが、言葉の切れ味は研がれた刃物のようだった。
 「負け惜しみとか、ないのか?」
 そう聞いた朔太郎に、莉音はふっと微笑んだ。
 「あるよ。だから、分析してるの」
 それだけ言って、彼女は踵を返した。
 掲示板に群がる生徒たちのあいだを、するりと縫うように去っていく。
 朔太郎は、その背中を目で追いながら、自分の足元に意識が戻るのを感じた。
 勝ったのに、落ち着かない。
 ゴールを切ったはずなのに、また次のスタート音が聞こえてくる。
 「……チクショウ、気を抜かせねーな、ほんと」
 苦笑しながらも、朔太郎は内心に火が灯るのを感じていた。
 莉音は、絶対に次で取り返しにくる。だから——
 (こっちも倍速で走るしかねぇ)
 と、そのとき。
 「なあなあ! これ見てくれよ!」
 雄貴がスマホを持って走ってきた。
 「え、何だよ?」
 「今の掲示板の前、配信してたら視聴者数バズってる! “ライバル男女の0.03%差の勝負”ってタイトルがさ、燃えるらしくて!」
 「お前……まさか、盗撮じゃないよな?」
 「いやいや、遠巻き遠巻き! 全景と音だけ! 顔バレしてないって!」
 朔太郎と竜輝が頭を抱える。
 だがその横で、莉音の動画アイコンがちらりと映る画面を見た瞬間、
 朔太郎の心がまた跳ねた。
 勝ち続けなきゃ、彼女の隣には並べない。
 そう確信した午後だった。