ユーイとリリアが会話を楽しむ鍛冶屋を後にしたあの日から、私の頭の中はさらに混乱していた。

 「一週間も会えない」という事実への焦りに加え、リリアという女がユーイに見せる、私にはできない自然な優しさ。
 胸を締め付ける、あのドロリとした重い感情。

 あれが「嫉妬」だという自己の認識は、私に大きな衝撃を与えた。
 そして、嫉妬するということは、私がユーイに対して抱いているこの「わけのわからない気持ち」が、まさか「恋」とかいうものと同じものだというのか?

 恋という言葉は聞いたことがあるが、それが、どういうものなのか全く理解できない。なんなのだ。
 この「わけのわからない気持ち」は……。

 そもそも、この「紅蓮の竜殺し」ロレッタが、男一人にここまで心を乱されるなど、あってはならないことだ。だが、胸の熱は、そう簡単に冷めてはくれなかった。

 翌日、私は薬草採取の護衛依頼を無理やり終わらせると、まっすぐに冒険者ギルドに戻った。
 本来なら、冒険者ギルドの地下にある訓練場で剣の素振りをしたり、情報収集をしたりする時間だが、そんなものはどうでもよかった。私の頭には、ユーイとリリアの姿が焼き付いて離れない。

 私は、冒険者ギルドの受付カウンターの端に立ち、受付嬢たちが談笑している様子をそれとなく観察した。
 彼女たちは、街の噂話や、恋人の話、美味しい店の話などで盛り上がっている。私には理解できない、しかし、リリアがユーイと話していたような、ああいった穏やかな会話の雰囲気だ。

「……ねえ、マリー。この前、あの人気のパン屋で新作が出たらしいわよ。今度、休憩時間に行ってみない?」
「あら、良いわね! あそこのパンは本当に美味しいもの。前にね、私の彼氏にお土産で買って帰ったら、すごく喜んでくれたのよ!」

 受付嬢の一人が、頬を染めて話している。その言葉に、私の耳がピクリと反応した。

「お土産」
「喜んでくれた」

 これが、あのリリアがユーイにしていたことと同じなのではないか?

 私は、普段の威圧的な態度を抑え、最も物腰の柔らかそうな受付嬢の隣にそっと歩み寄った。
 彼女たちは私の接近に気づくと、一瞬で顔色を青くし、会話を中断して直立不動になる。

「ひ、ひぃっ! ロレッタ様! 何か、ご用でしょうか!?」
「……別に。ただの世間話だ」

 私は努めて低い声で言ったつもりだが、彼女たちの震えは止まらない。
 ああ、これではダメだ。私はどうすればいい。

「お、お土産……とは、何だ?」

 絞り出すように問うと、受付嬢たちは互いに顔を見合わせ、さらに戸惑いの表情を浮かべた。

「お、お土産、でございますか? え、えっと、旅先で買った物とか、相手が喜びそうな物を、贈るもの、かと……」
「相手が喜ぶもの、だと? そんなもの、どうすれば分かる」
「そ、それは……相手の好みとか、普段の様子とかを、見ていれば……」

 受付嬢の言葉に、私は眉間に皺を寄せた。

 ユーイの好み?
 普段の様子?

 私は彼の真剣な作業姿しか知らない。彼はいつも怯えているか、鍛冶に没頭しているかだ。
 私が差し入れをすれば、彼は迷惑がるのではないか。この私が、彼に何かを贈る、など……想像もできない。

◇◇◇◇

 その日以来、私は冒険者ギルドの休憩時間や街を歩いている時も、他の男女がどのように接しているのか、注意深く観察するようになった。
 冒険者同士が、酒場で冗談を言い合って笑っている。商人が、妻に花束を贈っている。子供が、親に甘えている。
 どれもこれも、私には縁遠い光景だ。

 そして、私がユーイに対して試せるようなことではない。私が花束を贈れば、ユーイは卒倒するだろうし、冗談を言っても、おそらくそれは脅迫に聞こえるだろう。

 そして、最も心を乱したのは、ユーイの店に張り付いてリリアの動向を伺っている時だった。

 私は、店の向かい側の物陰に隠れ、ユーイの店の様子を観察していた。
 リリアは毎日、決まった時間に食事の差し入れを持ってくる。

「ユーイくん、今日はキノコのスープだよ! 冷めないうちに食べてね」
「わぁ、ありがとうございます、リリアさん。いつもすみません……」

 ユーイは、リリアが差し出したスープを両手で受け取り、本当に嬉しそうに、少しだけはにかんで笑う。
 その笑顔は、私に向けられるものとはまるで違う。
 私には、決して見せることのない、心から安らいだような笑顔だ。

 リリアはスープを渡すだけでなく、店の掃除を手伝ったり、ユーイが忙しそうにしていると「何か手伝おうか?」と声をかけたりする。
 彼女は自然にユーイの隣に立ち、彼の作業をそっと見守る。
 その姿は、まるでそこにいるのが当たり前のように、店に溶け込んでいた。

(ちっ……何だ、あの女は。なぜあんなにも自然に……)

 私は内心で舌打ちをした。
 私だって、ユーイの疲労を気遣ってやりたい。彼の仕事を手伝ってやりたい。
 だが、私がそれを口にすれば、彼は「Sランクのロレッタさんに、ご迷惑をおかけするわけにはいきません」と、ますます恐縮してしまう。

◇◇◇◇

 翌日も、私はユーイの店の様子を観察する。リリアがユーイの髪に付いた煤を払ってやった時、ユーイが少しだけ照れたように笑った。

 その光景は、私の胸の奥に、形容しがたい熱と痛みを同時に引き起こした。
 私がユーイに触れることなど、想像すらできない。彼の小さな肩に手を置くだけで、きっと彼は硬直してしまうだろう。
 私の不器用さが、これほどまでに恨めしいと思ったことはない。
 剣を振るうこと、魔物を討伐すること、それは私にとって何よりも簡単なことだった。
 だが、たった一人の男に、私のこの「わけのわからない気持ち」を伝えること、そして彼と自然に接すること。それが、なぜこれほどまでに難しいのか。
 私が彼に贈る言葉は、いつも威圧的に響き、私の行動は彼に余計なプレッシャーを与えている。リリアのように、彼の労をねぎらう優しい言葉も、彼の健康を気遣う温かい差し入れも、私にはできない。
 しようとすればするほど、私の男勝りな口調が邪魔をし、私の行動は裏目に出るばかりだ。

 この「嫉妬」という感情が、私の胸を焦がし始めた。
 リリアがユーイの隣にいることが、どうしようもなく気に入らない。

 だが、どうすればあの女をユーイから遠ざけることができるのか、私には分からない。
 力ずくで追い払うことなど、ユーイが悲しむだけだろう。
 そして、私自身、そこまで感情を制御できないわけではない。

 私はただ、遠くから彼を見つめることしかできなかった。なぜか無性に悔しくなった。

◇◇◇◇

 ようやくリリアが去った後の店で、ユーイが再び一人で黙々と作業を始めた。
 それを見て、居ても立ってもいられなくなくなった私は、その場を離れユーイの店に入る。

「ユーイ! 会いに来たぞ!」
「ロ、ロレッタさん! 今日はどうしたのですか!」

 ま、まずい。私がユーイに会いに来た事を思わず言ってしまった。
 なんとか誤魔化さないと……。

「ほら、アレだ、アレ。そう、武器の修理だ。進捗状況を確認しにきてやったぞ」

 私が誤魔化しながら尋ねると、ユーイは困ったように眉を下げた。

「えっと……当初の一週間という納期でしたし、ご依頼の武器の数量も多いため、頑張ってやっていますので、今しばらく少しお時間をいただければ……。お約束の日は必ず守ります。えっと、あれから三日立っていますので残りあと四日後にはお渡しできると思います」
「ふん。分かった。無理はするなよ」

 そう言い残し、私は店を後にした。
 内心では、またユーイに会いに来るための、新しい口実ができたことに、密かに笑みを浮かべていた。

 が、店を出て数歩歩いたところで、はっと気づいた。

 次の訪問まで、4日間。

 つまり、ユーイに4日間も会えないということではないか。

 胸の奥に、得体の知れない寂しさが広がる。

 ここ最近、こんな風に彼のことを考えてばかりいる。
 これではまるで、私らしくない。最強の『紅蓮の竜殺し』である私が、たかが一人の鍛冶師のことで、こんなにも心を乱されるとは。
 一体どうしたというのだ、ロレッタ。


 鍛冶屋の扉を振り返る。中ではユーイが、きっとまだ黙々と作業を続けているのだろう。
 私を突き動かす、この新たな衝動。私はまだその正体を知らない。
 だが、ただ、あのちっぽけな鍛冶屋へ、また引き返したいと、抗いがたく感じていた。