あの鍛冶屋から出てきて、街の喧騒の中に放り出されても、私の頭の中はユーイのことでいっぱいだった。
 胸の奥でドクドクと鳴り響く音は、まるで心臓が異常をきたしたかのようだ。あれが何なのか、まだ分からない。分からなくても、この感情が私を突き動かしているのは確かだった。

 私の愛剣はユーイの元にあり、戻ってくるのは三日後だ。ユーイが貸してくれた予備の剣を腰に差し、私は冒険者ギルドへと向かった。
 翌日だというのに、もう、あんなに小さな男に会いたくて仕方がなかった。
 たった一日、いや、あの鍛冶屋を出て数時間しか経っていないというのに、この胸のもどかしさはなんだ。

(三日……三日も待てるわけがないだろうが!)

 私の心は、そう叫んでいた。
 Sランク冒険者「紅蓮の竜殺し」として、私は常に迅速な判断と行動を求められてきた。
 待つことなど、私にはできない。
 特に、三日もの間、あのちっぽけな鍛冶屋にいるユーイを見ることができないなど、想像もできなかった。
 そもそも、私はユーイを常に見たいのか?
 訳が分からなくなったが行動に移すべきだ。

 冒険者ギルドに戻るなり、私の翡翠色の瞳は獲物を探すように、他の冒険者たちの武器を物色した。

「おい、そこのお前。その剣、柄が少し緩んでいるぞ。私が直してやる」
「はぁ!? ロレッタさん、これは別に……」
「貴様は、あの斧でよく平気でいられるな。刃こぼれがひどい。私が預かる」
「い、いや、これはまだ使えるんですけど……!」

 冒険者たちの戸惑いや抗議の声など、私には関係ない。半ば無理矢理、欠けた剣や鈍った斧を分捕っていく。
 中には新品同様の武器もあったが、そんなものは知ったことか。
 とにかく、ユーイに会う口実が欲しい。他の冒険者たちに店を紹介してしまえば、私がユーイと話せる時間が減る。
 それは、どうしても避けたい。

 そうして手に入れた「依頼品」を山ほど抱え、私は再びユーイの店へと向かった。
 重いはずの武器が、なぜか軽い。
 この「わけのわからない気持ち」が、私の足取りを軽やかにしているのかもしれない。

 店に入ると、ユーイは相変わらず、作業台に向かって真剣な顔で金属と向き合っていた。
 私の姿を認めると、彼はやはりびくりと肩を震わせる。

「あ、ロレッタさん……いらっしゃいませ……」

 その怯え混じりの声を聞くと、私の胸がキュンと締め付けられる。
 やっぱり、可愛い。この男は、どうしてこうも私の感情を揺さぶるのだろうか。

「おう、また来たぞ。貴様の店に客が来ないのは、腕が未熟だからじゃない。宣伝が足りないからだ。私が客じゃなくて、仕事を持ってきてやったぞ」

 私はわざと威勢良く言って、抱えていた武器をガシャン、と音を立てて床に置いた。
 ユーイは、散乱した武器の山を見て、さらに目を丸くする。

「こ、これは……こんなにたくさん……!」
「ああ。これ全部、修理か、調整だ。さっさと片付けろ。私の仕事に支障が出る」

 本当は、少しでもユーイの仕事を手伝ってあげたい気持ちもあった。
 疲れていないか、顔色はどうか、そんなことばかりが気になる。
 だが、そんな優しい言葉など、私の口からは出てこない。
 出てきたところで、きっとユーイは怖がってしまうだろう。
 ユーイは、私が差し出した武器を一つずつ手に取っていく。
 その顔は、困惑しつつも、武器を検分する瞳は真剣そのものだ。

「この剣は……打痕がひどいですね。でも、まだ使えます。ちゃんと直しますから……」
「この斧は……刃先が鈍っていますけど、研ぎ直せば、切れ味は戻るはずです」

 彼の言葉一つ一つに、私が無理矢理持ち込んだ武器への誠実さが滲んでいる。
 私が適当に選んだ武器でも、彼は一切手抜きをしない。そんな彼の姿を見ていると、私の胸の奥が温かくなる。

「……ふん。見立ては悪くないようだな」

 思わず口から出た言葉は、これまた素っ気ないものだった。だが、ユーイは私の言葉を真に受けたのか、少しだけ顔を上げて、はにかむように言った。

「あ、ありがとうございます……ロレッタさんにそう言っていただけると、嬉しいです……」

 その少しだけ嬉しそうな顔を見て、私の心臓がまたドクンと跳ねた。
 
 何だ、この感覚は。

 普段なら男に褒められても何も感じないのに、なぜユーイの言葉一つでこんなにも高揚するのか。

 ユーイはすぐにまた武器に視線を戻し、真剣な表情で修理の段取りを考え始めた。
 その集中ぶりは、周りの空気を完全に遮断しているかのようだ。私は店の隅に置かれた椅子に腰掛け、ただ彼を見つめる。
 彼は溶鉱炉の火を調整し、金槌を手に取り、真っ赤に熱した鋼を叩き始める。
 その動きは迷いがなく、一つ一つの作業が精確だ。火花が飛び散るたび、彼の横顔が光に照らされ、汗が輝く。

 私が普段相手にするのは、もっと大きく、荒々しい男たちばかりだ。
 こんなにも細身の男が、これほど熱い火を前に、精巧な作業を黙々とこなす姿は、私の目にはひどく新鮮に映った。

「なあ、ユーイ」
 作業の手を休めないユーイに、私は声をかけた。彼がちらりと私に視線を向けたので、私は続けた。

「その剣、随分古そうだが、直るのか?」

 私が指さしたのは、錆びついて刃も潰れた、見るからに年代物の短剣だった。

「はい。これは……かなり難しいですけど、時間をかければ。素材自体は、悪くないんです。昔の鍛冶師の技術が、きっと素晴らしいものだったんでしょう」

 ユーイは、短剣の柄を指でなぞりながら、少し嬉しそうに答えた。彼の声は、剣の話になると少しだけ自信が混じる。

「ふん。そうか。貴様、その若さで、よくそんなことまで分かるな」

 私が半ば呆れ気味に言うと、ユーイはまたしてもびくりと肩を震わせた。

「いえ、その、アッシュさんの本を読み込んだだけで……まだまだ、僕は……」
「謙遜するな。腕は確かだろう」

 私がそう言うと、ユーイは恐縮したように俯いてしまった。
 私が彼の鍛冶の腕を称賛する言葉も、彼にとっては「一流の冒険者からの、僕のような若輩者への気遣い」にしか聞こえていないようだった。
 その威圧的な態度や男勝りな口調が、この私が感じている、何かを彼に伝えることを阻んでいる。

 時間はあっという間に過ぎていく。

 ユーイが作業に没頭する間、私はひたすら彼を観察していた。
 時折、彼が道具を探して視線を彷徨わせるたび、私は無意識に彼の動きを追ってしまう。

 普段の私なら、こんな無駄な時間は過ごさない。
 常に効率を求め、最短で任務を遂行する。
 だが、ここでは、彼がただ作業をしているのを眺めるだけで、不思議と心が満たされるような、妙な充足感があった。

 昼を過ぎ、夕刻が近づくと、ユーイの顔にうっすらと疲労の色が浮かび始める。
 私の視線が、彼の眉間に寄る皺や、わずかに肩を落とす仕草を捉える。

(ちっ、またこの感情か……)

 私は内心で舌打ちした。

 私がわざわざここにいるというのに、この男は剣の修理にしか意識を向けていない。だが、それ以上に、こんなにも集中して、本当に倒れてしまわないかという、妙な焦りが胸をよぎる。

 彼は私を、ただの『高名なSランク冒険者で、仕事の依頼主』くらいにしか思っていないに違いない。

「おい、ユーイ。お前、たまには休んだ方がいいんじゃないか? そんなに根詰めて、倒れたら元も子もないだろう」

 私がつい口にした言葉は、自分でも驚くほど、わずかに優しさが混じっていたように思う。だが、ユーイは慌てた様子で、首を振りながら言った。

「い、いえ、ロレッタさん。大丈夫です。これは、僕がお客様から預かった大事な仕事ですから。Sランクのロレッタさんに、ご迷惑をおかけするわけにはいきませんし……ご期待に沿えるよう、精一杯やらせていただきます」

 私の言葉は、彼には「早く仕上げろ」というプレッシャーにしか聞こえなかったらしい。
 この胸にざわめく「何か」が、彼の臆病な瞳には全く映っていない。
 その事実が、たまらなく苛立たしい。

 その瞬間、私の胸に、またしても不快な熱が湧き上がる。
 私はこんなにも彼を気にしているのに、彼はまるで気づいていない。
 私のささやかな気遣いや、彼を見つめる視線の意味が、なぜこんなにも伝わらないのだ。
 こんなことでは、私がわざわざ会いに来たことなど、微塵も気づいていないだろう。
 
 いや、待て。そもそも、私はユーイに「会いに来た」のか?
 単に修理の依頼を持ち込んだだけではなかったのか?

 自問自答するが、明確な答えは出ない。ただ、目の前の彼を前に、この不可解な感情の波に身を任せるしかなかった。


 ユーイに目を向けて「で、これ全部、いつまでに直るんだ?」私が尋ねると、ユーイは困ったように眉を下げた。

「えっと……ロレッタさんの剣も合わせると、かなりの数になりますので……最低でも、一週間ほど、かかってしまうかと……」

 ユーイの言葉に、私の顔に、驚きと安堵が入り混じった表情が浮かんだ。
 一週間。私の愛剣は修理中なので、すぐに持ち帰ることはできない。だが、一週間後に彼に会う口実ができたということだ。

「ふん。分かった。あまりのんびりするなよ」

 そう言い残し、私は店を後にした。内心では、また一週間後に堂々とここへ来られる、という口実ができたことに、ひっそりと胸を躍らせていた。

 だが、店を出て数歩歩いたところで、はっと気づいた。

 一週間。つまり、ユーイに一週間も会えないということではないか。どうしよう。そんなに待てるはずがない。

 このもどかしさはなんだ。この胸の熱が、一体何なのか、私にはまるでわからなかった。

 鍛冶屋の扉を振り返る。
 中ではユーイが、きっとまだ黙々と作業を続けているのだろう。
 不器用な「紅蓮の竜殺し」である私は、この感情が何なのか、まるでわからなかった。