雀「阪本さまが、つぐみを身請けしたいだって⁉」

 〇妓楼の最奥にある雀の部屋。
 〇老眼鏡をかけて祝儀袋に入った身請け金を帳簿につけていた雀は、つぐみを伴って現れた鷹次郎に驚く。

鷹次郎「いますぐ連れて帰りたい。」 

雀「つぐみ、松崎さまはどうしたんだい…?」
つぐみ「それは…。」

 ◯言いよどんだつぐみの言葉を遮って、鷹次郎が前に進み出る。

鷹次郎「つぐみを身請け目的で松崎に突き出しをする予定だったと聞いたが、まことか?」
雀「はぁ、左様でございます。」
鷹次郎「ならば、私は松崎の二倍は出す。」

 〇仏頂面だった雀の顏に生気が戻った。

雀「二倍だって⁉ この娘の身請け金は四万だよ⁉ 」
鷹次郎「本人を前に金のやり取りをするのは心苦しいが、緊急なので致し方ない。
 十万でどうだ?」
雀「それなら話は早い…!」

 〇頬を紅潮させた雀が歓喜の色を浮かべた瞬間、白目を剥いて後方に倒れた。

雀「グェッ!」
つぐみ「雀さん⁉」

 〇つぐみが失神した雀に駆け寄ろうとするのを鷹次郎が左手で制する。

つぐみ「どうして? 早く雀さんを助けなくては!」
鷹次郎「待ってくれ。今、楼主の体の周囲に何かが光ったのが見えた。」

 〇鷹次郎が袖から白い半紙を出して宙に放った。
 ◯半紙は小さな複数の紙片になり、真直ぐに雀に向かって飛来する。 
 ◯紙片は雀の体に触れる寸前に、鋭利な刃物で切られたように二つに裂けた。

鷹次郎「やはりな。見えない刃物のようなものが楼主を取り囲んでいる。」
つぐみ「いったい、誰がこんなこと…!」
鷹次郎「この妓楼に巣食う物の怪が、いよいよ本性を現したようだ。」

 〇鷹次郎が指さした先に居たのは、邪悪な笑みを浮かべるひばりだった。



ひばり「こんな美人を捕まえて物の怪だなんて、人聞きが悪いね。」

 〇つぐみにはよく聞きなれた高い声が、鷹次郎との間に割って入ってきた。
 〇豪華絢爛な前帯を突き出すように立つひばりは、月の光を浴びて異様なほど光り輝いている。 
 〇ひばりの横には異様に白い顔色の瑠璃も居て、冷たくつぐみを見下ろしていた。

ひばり「鷹次郎さん、そのべっ甲の簪は盗まれたものなんだよ。ねぇ、瑠璃。」
瑠璃「あい、ひばり姐さん。わっちも確かにつぐみが花魁の部屋に忍び込むのをこの目で見ました。」 

 ◯瑠璃の虚ろな目には生気がなく、口調も辿々しい。
 〇つぐみは体の震えが止まらず、二人の名を呼ぶのが精いっぱいだった。

つぐみ「お姉さま、瑠璃…。」
ひばり「それにねぇ、わっちが心を込めて書いた恋文を、さも自分が書いたかのように吹聴したとか…?
 ああ愛しの鷹次郎さん、騙されちゃあイヤよ。」

 〇ひばりは大げさに両手を額に当てて上目遣いに鷹次郎を見た。

ひばり「息をするように嘘を吐く盗っ人の戯言を鵜呑みにして求婚するなんて、世間知らずもいいところさ。
 しかも、物の怪の卵を宿している女なんて…気持ち悪くて反吐が出る。」
つぐみ「お姉さまどうしてそんなことを…和解できたと思っていたのに…。」

 〇瑠璃とひばりが組んで自分を貶めようとしているのは分かっている。
 〇つぐみは下唇をキュッと結んだ。

鷹次郎「それはおかしいな。」

 〇鷹次郎が腕を組んで呟いた。
 
鷹次郎「ひばり太夫、どうしてつぐみが物の怪の卵を宿していると言えるんですか?」

 〇鷹次郎が静かに口を開いた。

ひばり「え?」
鷹次郎「べっ甲の簪の件は知りませんが、物の怪の卵のことは中庭に居た者しか知らないはずなんですよ。
 しかしひばり太夫は今しがたここにいらしたのでしょう?
 まさかおまへさん、さっきの大蛇がつぐみに卵を産み付けることを事前に知っていたのでは?」
ひばり「ッ…!」

 〇つぐみが鷹次郎の側から後ずさりをして離れる。

つぐみ「お、お姉さまの言うとおりです。」
鷹次郎「つぐみ、どうしたんですか?」

 ◯つぐみを引き留めようと手を伸ばす鷹次郎。
 ◯ひばりの裏切りに自信を喪失し、パニックになっているつぐみは鷹次郎から遠ざかる。

つぐみ「私は物の怪の卵を宿しているのですから、阪本さまに身請けされるような女ではありません。
 ごめんなさい、さよなら…。」

 〇つぐみ身を翻して走り出す。

鷹次郎「待ちなさい!」

 〇鷹次郎の声を振り切るように走って中庭を抜け、裏門から出ようとしたつぐみ。
 〇花魁のおつると三人の遊女たちが裏門の両端に待ち構えていることに気がついた。

つぐみ「そこを退いてください!」

 〇瑠璃と遊女たちの脇を走り抜けようとするつぐみの足に、素早く遊女たちが飛びかかってくる。
 〇たまらず転倒したつぐみに、遊女たちが圧し掛かってきた。

遊女たち「逃がさないよ」
つぐみ「な、何をするの⁉」
遊女たち「そっちこそ、よくも私たちの松崎さまを殺してくれたわね!」

つぐみ(私たちの?)

おつる「つぐみ。」

 〇百合の花が刺繍された打掛を羽織った花魁のおつるが嫣然と微笑んでいる。

おつる「松崎さまを殺したってのは本当かい?」

 〇遊女たちの下敷きになったつぐみが必死に声を上げても、おつるは嫣然と微笑むだけだった。

つぐみ「おつる姐さん、お願い信じて! 松崎さまは物の怪だったの‼
 だから陰陽師の阪元さまに滅されたけど、それは…!」
おつる「そんなことは百も承知よ。」

 〇おつるの白粉を塗った顏に彩られた目元の目弾から紅が一筋流れた。
 〇よく見るとそれは、血のような色をしていた。

おつる「だって、その物の怪を呼び寄せたのは、わっちだからね。」

  ♢

鷹次郎「おまへさんが…というか、『おまへさんたち』が黒幕か。」

 〇つぐみの後を追いかけて来た鷹次郎がおつると遊女たちを見て納得したようだった。
 〇鷹次郎の後ろに居るひばりと瑠璃も赤い目を光らせている。

おつる「あい、左様でありんす。昔から言うでしょう? 女は魔物だって。」

 〇華奢な身体から異様な邪鬼を放つおつるは、黒く艷やかだった髪が真っ白になって白目が紅に染まっていた。

おつる「わっちにも煙草をおくれよ。」

 〇おつるは長い煙管を手に持つと、ひばりがそれに火を点けた。
 〇よく見ると二人の目は人形のように生気が無く、他の遊女たちも同様に顏には一切の感情も読み取れない。

鷹次郎「最初から物の怪だったのか、それとも呪詛を繰り返す内に物の怪を身に宿すようになったのか?
 ――後者の方が強い力を持つと聞く。」

〇鷹次郎の声音が緊張の糸を張り巡らせる。
〇おつるは隣に居た遊女の大きな髷から簪を乱暴に抜き取ると、自分の髷に突き刺した。

おつる「さぁ、そう言われたら…どっちがどっちだったのかねぇ。
 たしか、松崎さまはもとから化け物で遊女たちを食いものにしていたけど、そんなことはどうでもいいじゃないか。
 他の遊女たちとは違うのは、わっちが卵を宿されても頭がおかしくならないでその能力を吸収できたことさ。
 おかげでほら、こんなこともできるんだよ。」

 〇おつるが指をパチンと鳴らす。
 〇ひばりが手から糸を繰り出し、遊女たちは盆踊りを始めた。

鷹次郎「物の怪に魂を売ったなら、もはや人間ではないな。」

 〇苦虫をかみつぶしたように苦渋の表情を見せた鷹次郎は霊剣を手の中から出してスラリと鞘を抜いた。
 〇ひばりが楽しそうにキャッキャと嗤う。

ひばり「鷹次郎さまはおっかない顏も素敵だねぇ…。
 わっちとおつる姐さん以外はまだ人間だと言ったらどんな顔になる?」
鷹次郎「なに?」

 〇おつるは残酷に微笑んだ。
 〇その紅を塗った口元は耳まで裂け、中のお歯黒が歯茎まではみ出している。

おつる「私に手を出したらこいつらを一人ずつ自害させるけど、それでもその剣でわっちを殺すつもり?」
鷹次郎「物の怪のくせに、交渉をする気か…。」

 〇鷹次郎が苦しそうに吐き出すと、ひばりがケタケタと高笑いをした。

ひばり「まぁ、指を咥えて黙って見てな。花魁道中よりも面白いショーが始まるよ。」
鷹次郎「なに?」
ひばり「遊女たちが物の怪の卵のふ化を早めている。夜明けを待たずにつぐみの胃の中を食い破って松崎さまの可愛い子供たちが顏を出すはずよ。」

 〇鷹次郎は青ざめた。

鷹次郎「そんなことはさせるものか。」
おつる「人間のくせに口だけは達者だね。つぐみが物の怪の栄養になって喰われてしまうのが嫌なら、お前が新たな宿主として身体を提供しな。
 陰陽師に寄生する物の怪は最強の力を得るらしいから、どんな邪悪な物の怪になるのか、楽しみだねぇ!」

 〇つぐみが突然、腹を抱えて呻いた。

つぐみ「ウッ…!」
 
 〇勝ち誇った顏のおつるがつぐみに近づく。

おつる「どれ、何百匹の子どもたちがふ化したのか、確かめてやる。口を開けてみな。」

 〇おつるが乱暴につぐみの顎に手をかけて口を開ける。
 ◯おつるがニヤニヤと笑いながらその口腔の中を覗き込むと、一瞬にして無数の白い紙がつぐみの口の中から放出された。

おつる「ヒッ⁉」 

 〇瞬く間におつるの体に隙間なく貼り付いて動きを封じた白い紙は、銀毛に輝く大狐の姿となって宙を舞う。
 〇銀の大狐はつぐみを捉えていた遊女たちをその鉤爪で蹴散らすと、鷹次郎の背後に着地した。

ひばり「な、なんだい、これは――⁉」

 〇ひばりが金切り声で叫ぶ。
 〇解放されてよろめいたつぐみを、鷹次郎がしっかりと抱き留めた。

鷹次郎「ありがとう、つぐみ。私とつぐみの子供を成長させてくれて。」
つぐみ「私と阪本さまの子ども…?」

 〇鷹次郎は人差し指と中指に挟んだ白い半紙をつぐみに見せた。 

鷹次郎「私がつぐみの口の中にいれておいた式神だよ。」
つぐみ「いつの間にそんなことを…!」

◯半紙を唇に当てて微笑む鷹次郎。

つぐみ「あっ…!」

◯鷹次郎とのキスを思い出して赤面するつぐみ。

鷹次郎「松崎の卵を全て喰らった式神が、つぐみの能力で成長して出て来たのさ。」
おつる「お前、人間か? それとも眷属か?」
鷹次郎「いつもそれは考えてるが、自分でもよく分からないいんだ。
 だから、死ぬまで戦うしかない。」
おつる「なら、死ね!」

 〇おつるがべっ甲の櫛を振りかざして宙を舞う。
 〇鷹次郎は着物の袖を振りかぶって印を結んだ。

鷹次郎「つぐみ、その式神を操ることができるのは、生み出したおまへさんだけだ。
 私の印のマネをして、その式神の名を呼んで『喰え』と命令しなさい。」
つぐみ「名前?」
鷹次郎「早く!」

 ◯鷹次郎の目の前に襲いかかるおつる。
 ◯つぐみは銀の大狐を振り返り、咄嗟に思いついた名前を叫んだ。

つぐみ「銀丸、喰え!」

 〇つぐみが叫ぶと同時に、おつるの頭を銀丸の尾が跳ね飛ばした。
 ◯頭を切り離されておつるの胴体は倒れる。
 ◯目を丸くして驚くつぐみ。

つぐみ「すごい…。」
 
 ◯褒めて欲しくて猫のように喉を鳴らして擦り寄る銀丸。
 ◯その大きな頭をつぐみがこわごわと撫でる。
 ◯気持ち良さそうに目をつぶり、つぐみの頬を舐める銀丸。

鷹次郎「おまへさんから採取した皮膚の細胞を更に詳しく調べたら、興味深いことが分かったんだ。」
つぐみ「興味深いこと?」
鷹次郎「おまへさんの能力は物の怪の容れ物ではない。その真骨頂は取り入れた物の力を増幅させることなんだ。」
つぐみ「私にそんな能力が…。」
鷹次郎「本来のおまへさんは強かで尊く、美しい。」

 ◯自分の両手の手のひらを見つめるつぐみを優しい眼差しで見守る鷹次郎。

鷹次郎「醜いからとか遊女だからなどと、人が決めた価値観なんかに惑わされて自分を卑下する必要はないのです。
 真に私はおまへさんが愛しい。
 どうかどうか、私と一緒に廓から出てください。」
つぐみ「私なんか…良いんですか?」 
鷹次郎「おまへさんが良いのです。」 

 ◯鷹次郎の胸に飛び込むつぐみ。
 ◯鷹次郎が優しく抱きとめて包み込む。

おつる「ヒィッ…こいつら強すぎる!」

 〇おつるの胴体が逃げようと切り離された頭と反対方向を向いて走り出す。
 ◯鷹次郎が持つ白い半紙から躍り出た班丸が道を塞いで食い止める。

ひばり「チィッ、花魁のくせに役に立たないね。何やってんのさ!」

 〇こめかみに青筋を立てたひばりが遊女たちを操ろうと手の平から糸を繰り出すと、その体は急に後ろから羽交い絞めにされた。

つぐみ「鷲男さん⁉」

 〇ひばりの体を羽交い絞めにしたのは鷲男だった。

鷲男「ひ、ひばりちゃん…。」
ひばり「鷲男、丁度良いじゃないか! お前はわっちと夫婦(めおと)になりたいんだったねぇ?」
鷲男「あ、ああ。そうだよ…。」

 〇ひばりは甘えた声で嘆願した。

ひばり「こいつらがわっちを虐めるの! こいつらからわっちを守ってよ!」
鷲男「ああ…。」
つぐみ「鷲男さん、だまされないで!」

 〇叫ぶつぐみにひばりを羽交い絞めにしたままの鷲男が申し訳なさそうに答える。

鷲男「ごめんね、つぐみちゃん。オイラ、つぐみちゃんの義理兄さんにはなれない。」
つぐみ「そんな…。」

 〇羽交い絞めにした腕の力を少し緩めると、ひばりが邪悪に嗤う。

ひばり「いい子だね、鷲男。
 いますぐにアンタに物の怪の力を分けてやるからね…口を開けな。」

 〇ひばりが虚ろな顏の鷲男に向き合って口を開けると、ひばりの口腔内に物の怪の卵が膨れ上がって顏を出した。

鷲男「ひ、ひばりちゃん、オイラはひばりちゃんがどんなに変わっても変わらずに愛し続けるよ。」

 〇そう呟くと、鷲男は隠し持っていた鎌の刃をひばりの首に叩きつけた。