◯雀の部屋に行くまでに、桜の花が散った中庭を鷹次郎とつぐみが歩いている。
◯鷹次郎はその間、つぐみの横顔を盗み見ていた。
◯それに気がついたつぐみが、怪訝そうに鷹次郎を見上げる。
つぐみ「また、私の顔に腫れものでも見えますか?」
鷹次郎「いや。」
つぐみ「では、見ないで下さい。」
鷹次郎「良いではないか、減るものではなし。」
つぐみ「減ります。」
鷹次郎「何がだ?」
つぐみ「私の神経が、です。」
◯つぐみの可愛い反応を楽しみながら、鷹次郎はそっとつぐみの手を繋いだ。
つぐみ「あ…。」
鷹次郎「頼むから、手が擦り減るなどと言うなよ。」
◯つぐみはサッと顔を伏せたが手は離さなかった。
鷹次郎(我ながら、大胆なことをしたものだ。)
◯鷹次郎は歩きながら、つぐみに出会う前のことを思い出していた。
♢
◯阪本家の母屋の裏の山には竹に囲まれた数寄屋がある。
◯質素だが自然との調和を重んじて竹や杉の皮を建材に取り入れた茶室。
◯鷹次郎は早朝から茶を嗜むでもなく、ここで座禅を組んで瞑想に耽っていた。
◯考えているのは昨晩に訪れた妓楼での遊女のことだ。
鷹次郎(不思議だ。ひばり大夫のあの様子だと、手紙の内容を知らないどころか文字さえ書けるか怪しい。
では、あの私を惑わせ、魂を揺さぶる手紙の主はいったい誰なんだ?)
◯不意に障子の向こうから声がした。
塩見「鷹次郎さま、失礼します。」
鷹次郎「うん。」
◯執事の塩見が茶室の障子を開けた。その手には一通の手紙を捧げ持っている。
執事「お待ちかねの本日の手紙です。」
◯塩見が茶室の畳の縁を乗り越えるよりも先に、鷹次郎の手が伸びていた。
鷹次郎「ひばり大夫からか?」
執事「旦那さまからです。」
鷹次郎「なんだ…父上か。」
◯受け取ろうとした手が一瞬、戸惑いで揺れたことに塩見が気がついた。
塩見「早く婚約者を娶れ、との言伝も頂いております。」
鷹次郎「それなら読む必要はないな。廃棄してくれ。」
塩見「坊ちゃま!」
◯焦るように短く叱責する塩見に背を向けて、鷹次郎は耳をふさいだ。
◯その背に向かって塩見が唾を飛ばす。
塩見「お気持ちも分かりますが、由緒ある阪本家の存続のためには必要なことですぞ。」
鷹次郎「必要か必要でないかは自分が決める。」
塩見「最近は遊郭なんぞに出入りをしているそうですな。」
◯鷹次郎の耳がピクリと動く。
塩見「ご自身の立場を考えてほどほどになさいませ。
どんなに熱を上げたところで、当主の本妻にはなれない女でございましょうに。」
◯塩見に背を向けたままの鷹次郎の目が碧く光った。
鷹次郎「それは…私の母のことか?」
◯塩見が青ざめて頭を下げる。
塩見「も、申し訳ございません…つい、口が滑りました。」
鷹次郎「なぁ、塩見。」
塩見「は、はい、坊ちゃま。」
◯振り向いた鷹次郎から光は消え、その目に何も映してはいない。
鷹次郎「真実の愛とは何だ?」
塩見「…『ひとりの女性を生涯愛し抜くこと』でしょうか。」
◯塩見の顔色が青から紫に変わり、脂汗が止まらない。
鷹次郎「それが、物の怪でも?」
塩見「…それは私には答えられません。それでは言いつけ通りに手紙を破棄しますので、これで失礼します。」
◯塩見は頭を低く下げたまま足早に退出した。
鷹次郎「ふん、狸め。」
♢(鷹次郎・モノローグ)
私の母親が半妖の白狐であり、当主で父である鷹之助の妾であったことは、塩見のような古参の使用人しか知らない。
鷹之介と本妻との間には子ができなく、私が五歳の時に阪本家に迎え入れられた。
幼い頃に母と切り離された私は母を捨てた父を憎んでいたが、父が物の怪アレルギィになったことは自業自得だと思っていた。
そして阪本家の跡取りとして医学と陰陽道を学んだ私は、ずっと考えていることがあった。
それは『真実の愛』と『自分の存在意義』についてだ。
♢(鷹次郎・モノローグ終わり)
◯鷹次郎は文箱に入れていた恋文を大事そうに取り出し、ゆっくりと開いた。
◯荒い素材の紙に包まれたひと房の黒髪を指で摘む。
鷹次郎(艶がなく手触りの悪いこの毛髪は、毎日油を伸ばして髷を結っているあのひばり大夫のものとは到底思えない。
きっと、中鈴屋の内部に代筆をしている人間がいるはずだ。)
◯鷹次郎は便せんに丁寧に書かれた文章を、口に出して読み上げた。
『阪本 鷹次郎さま
こうして毎日のように手紙をしたためる度に、あなたの少年のようなはにかんだ笑顔を思い起こして、わっちは幸せを感じています。
そういえば、昨夜は急な豪雨で目が醒めました。
店の前の桜の花が落ちてしまったかと気になり、すぐに起きて外に出たのですが、雨に打たれ散ってもなお、桜の花は地面を彩っていたのです。
まるでわっちの鷹次郎さまを想う恋心のようだとは感じませんか?
それでは、またお手紙をいたします。
かしこ
ひばり大夫』
◯恋文の内容を読んでいる内に、自然と頬が緩む。
鷹次郎「不思議だ。恋文だというのに、相変わらず『店に来てほしい』とか『お慕いしています』とは書かないのだな…。」
◯だが、気になる手紙。
◯気づけば鷹次郎は毎日のように投函されるこの奇妙な手紙の主に愛情を感じていた。
鷹次郎「おまへさんは一体、どこのどなたさんなんだい?」
◯茶室の丸窓の縁に片足を上げて外を見上げた鷹次郎の目に、桜の花が映った。
◯鷹次郎はその間、つぐみの横顔を盗み見ていた。
◯それに気がついたつぐみが、怪訝そうに鷹次郎を見上げる。
つぐみ「また、私の顔に腫れものでも見えますか?」
鷹次郎「いや。」
つぐみ「では、見ないで下さい。」
鷹次郎「良いではないか、減るものではなし。」
つぐみ「減ります。」
鷹次郎「何がだ?」
つぐみ「私の神経が、です。」
◯つぐみの可愛い反応を楽しみながら、鷹次郎はそっとつぐみの手を繋いだ。
つぐみ「あ…。」
鷹次郎「頼むから、手が擦り減るなどと言うなよ。」
◯つぐみはサッと顔を伏せたが手は離さなかった。
鷹次郎(我ながら、大胆なことをしたものだ。)
◯鷹次郎は歩きながら、つぐみに出会う前のことを思い出していた。
♢
◯阪本家の母屋の裏の山には竹に囲まれた数寄屋がある。
◯質素だが自然との調和を重んじて竹や杉の皮を建材に取り入れた茶室。
◯鷹次郎は早朝から茶を嗜むでもなく、ここで座禅を組んで瞑想に耽っていた。
◯考えているのは昨晩に訪れた妓楼での遊女のことだ。
鷹次郎(不思議だ。ひばり大夫のあの様子だと、手紙の内容を知らないどころか文字さえ書けるか怪しい。
では、あの私を惑わせ、魂を揺さぶる手紙の主はいったい誰なんだ?)
◯不意に障子の向こうから声がした。
塩見「鷹次郎さま、失礼します。」
鷹次郎「うん。」
◯執事の塩見が茶室の障子を開けた。その手には一通の手紙を捧げ持っている。
執事「お待ちかねの本日の手紙です。」
◯塩見が茶室の畳の縁を乗り越えるよりも先に、鷹次郎の手が伸びていた。
鷹次郎「ひばり大夫からか?」
執事「旦那さまからです。」
鷹次郎「なんだ…父上か。」
◯受け取ろうとした手が一瞬、戸惑いで揺れたことに塩見が気がついた。
塩見「早く婚約者を娶れ、との言伝も頂いております。」
鷹次郎「それなら読む必要はないな。廃棄してくれ。」
塩見「坊ちゃま!」
◯焦るように短く叱責する塩見に背を向けて、鷹次郎は耳をふさいだ。
◯その背に向かって塩見が唾を飛ばす。
塩見「お気持ちも分かりますが、由緒ある阪本家の存続のためには必要なことですぞ。」
鷹次郎「必要か必要でないかは自分が決める。」
塩見「最近は遊郭なんぞに出入りをしているそうですな。」
◯鷹次郎の耳がピクリと動く。
塩見「ご自身の立場を考えてほどほどになさいませ。
どんなに熱を上げたところで、当主の本妻にはなれない女でございましょうに。」
◯塩見に背を向けたままの鷹次郎の目が碧く光った。
鷹次郎「それは…私の母のことか?」
◯塩見が青ざめて頭を下げる。
塩見「も、申し訳ございません…つい、口が滑りました。」
鷹次郎「なぁ、塩見。」
塩見「は、はい、坊ちゃま。」
◯振り向いた鷹次郎から光は消え、その目に何も映してはいない。
鷹次郎「真実の愛とは何だ?」
塩見「…『ひとりの女性を生涯愛し抜くこと』でしょうか。」
◯塩見の顔色が青から紫に変わり、脂汗が止まらない。
鷹次郎「それが、物の怪でも?」
塩見「…それは私には答えられません。それでは言いつけ通りに手紙を破棄しますので、これで失礼します。」
◯塩見は頭を低く下げたまま足早に退出した。
鷹次郎「ふん、狸め。」
♢(鷹次郎・モノローグ)
私の母親が半妖の白狐であり、当主で父である鷹之助の妾であったことは、塩見のような古参の使用人しか知らない。
鷹之介と本妻との間には子ができなく、私が五歳の時に阪本家に迎え入れられた。
幼い頃に母と切り離された私は母を捨てた父を憎んでいたが、父が物の怪アレルギィになったことは自業自得だと思っていた。
そして阪本家の跡取りとして医学と陰陽道を学んだ私は、ずっと考えていることがあった。
それは『真実の愛』と『自分の存在意義』についてだ。
♢(鷹次郎・モノローグ終わり)
◯鷹次郎は文箱に入れていた恋文を大事そうに取り出し、ゆっくりと開いた。
◯荒い素材の紙に包まれたひと房の黒髪を指で摘む。
鷹次郎(艶がなく手触りの悪いこの毛髪は、毎日油を伸ばして髷を結っているあのひばり大夫のものとは到底思えない。
きっと、中鈴屋の内部に代筆をしている人間がいるはずだ。)
◯鷹次郎は便せんに丁寧に書かれた文章を、口に出して読み上げた。
『阪本 鷹次郎さま
こうして毎日のように手紙をしたためる度に、あなたの少年のようなはにかんだ笑顔を思い起こして、わっちは幸せを感じています。
そういえば、昨夜は急な豪雨で目が醒めました。
店の前の桜の花が落ちてしまったかと気になり、すぐに起きて外に出たのですが、雨に打たれ散ってもなお、桜の花は地面を彩っていたのです。
まるでわっちの鷹次郎さまを想う恋心のようだとは感じませんか?
それでは、またお手紙をいたします。
かしこ
ひばり大夫』
◯恋文の内容を読んでいる内に、自然と頬が緩む。
鷹次郎「不思議だ。恋文だというのに、相変わらず『店に来てほしい』とか『お慕いしています』とは書かないのだな…。」
◯だが、気になる手紙。
◯気づけば鷹次郎は毎日のように投函されるこの奇妙な手紙の主に愛情を感じていた。
鷹次郎「おまへさんは一体、どこのどなたさんなんだい?」
◯茶室の丸窓の縁に片足を上げて外を見上げた鷹次郎の目に、桜の花が映った。



