◯時は明治。
◯帝都でも指折りの老舗妓楼である中鈴屋の大広間。
◯遊女の代筆の奉公をする下女の「つぐみ」が太夫「ひばり」の代筆で書いた恋文が文机の上に置かれている。
♢♢♢
拝啓
阪元鷹次郎さま
恋は罪悪と申しますが、毒にもなるのでござんすね
旦那さまにはじめてお逢いしたあの桜のはなびらが舞う夜から、わっちは恋の病に罹っているのです
♢♢♢
つぐみ「ああ、しんどい。」
◯文机から顏を上げて吐息をついたつぐみは、竹製の硯箱に穂先の小さくなった筆を収めてから黄ばんだ畳に素足を崩す。
◯代筆の恋文を書く前に点けた線香が灰になっている。
◯つぐみは窓から漏れる陽の明るさに目を細めた。
つぐみ「いけない。今、いつ時分かしら?」
◯今日は花魁道中が五十年ぶりに復活する日。
いつもは客待ちの遊女でごった返している二十畳の待機部屋が空っぽになっている。
(モノローグ)
江戸幕府へのクーデターに近い形での誕生となった明治新政府は、来るべき欧米からの攻撃に備えて国家の近代化を目指していた。
近年における遊郭の制圧もその一環で、治安維持と人権問題の解消を促す政策は画期的な手法だった。
しかし、新政府の言いなりになることで日常が混乱することを嫌った遊郭の経営者たちや馴染み客は、これに反発する。
帝都では老舗妓楼連中が決起して【花魁道中】という一夜限りの春の夢を演出し、遊郭存続の意思と新政府への抵抗を示すことにした。
(モノローグ終わり)
人々の歓声「ワー!」
◯外の通りから歓声が聞こえた。
◯つぐみは重い腰を上げて朱色の木枠が打ちつけられた内窓を開ける。
◯線香で煙っていた部屋の空気が一気に外に拡散され、代わりに人々のざわめきが飛び込んでくる。
子ども「来た来た!」
女性「花魁道中が来たよ‼」
◯妓楼が立ち並ぶ大通――通称・ぼんぼり通りが色めき立つ。
◯普段通りを歩く人間は男性の比率が多いが、今日だけは老若男女、大勢の人々であふれかえっている。
◯つぐみが窓の木枠に顔を押し付けて通りに目を向けていると、やがて三味線の音色が近づいて来た。
◯それに呼応するように、鼓と鈴を持つ編み笠の男たちや白塗りの下位の遊女たちが姿を現す。
つぐみ「わぁ…姐さんたち、粋ね!」
◯やがて上位の派手な着物の遊女たちが傘をさしかける男衆の肩を借りながら登場すると、周囲の歓声と拍手は更に大きくなった。
◯そしてその後ろ、大通りの赤い橋の向こうには、髪に煌びやかな花飾りをつけたうりざね顔の花魁が垣間見える。
◯高級素地を何枚も重ねた着物は他の遊女とは明らかに別格。
◯三枚歯の塗り下駄で優雅に外八文字を描き、観客の反応を愉しみながら悠然と練り歩いている。
観客「花魁! 花魁!」
◯この華やかな儀式に沿道の観衆はみな笑顔になり、子供たちは我先にと花魁の後を追いかけた。
つぐみ「私も行ってみたい…。」
◯つぐみも群衆の後に続いて花魁を追いかけたい気持ちに駆られ、衝動的に赤い窓枠の外に身を乗り出した。
そかしその時、群衆の後列に居た幼い幼児と目が合った。
つぐみ「あっ…。」
◯一瞬、キョトンとした幼児は見る見るうちに頬を硬く強張らせた。
幼児「おかあちゃん、オバケ!」
母親「え?」
◯子供の母親が怪訝そうにこちらを向く前に、つぐみは急いで窓に背を向けた。
◯シュンとして項垂れる。
つぐみ「馬鹿ね。」
◯ちょうど部屋の立ち見鏡に、つぐみの姿が映り込む。
◯全身を白い包帯で覆い、ボロ雑巾のような着物を纏ったみすぼらしい少女。
つぐみ「バケモノが花魁に憧れるなんて…おこがましい。」
♢
◯つぐみの回想~
(モノローグ・つぐみの一人称)
(私が生まれ育った田舎の農村地帯で冷害と大飢饉が起きたのは六年前。
どの家の人間も貧しさと飢えに苛まされて、犯罪や争いが絶えない日々だった。
明治新政府は人身売買を禁止したけど、借金のカタに娘や妻を帝都の遊郭に売り飛ばすなんて、田舎ではどこにでもある日常。
だから家に女衒が来たときに私はまだ幼かったけど、ついに自分の番が来たかと覚悟した。
夜が開けない前、百圓前後で異父姉のひばりお姉さまと共に父親に売られた私は、身売り鉄道に乗せられた。
ここに来て早や五年。
義母さんに似て器量好しで天真爛漫なひばりお姉さまは、遊女としての才能を開花させたのに対し、私は中鈴屋で朝から晩まで馬車馬のように下働きの奉公をしている。
私の体には遊女としての欠陥があったからだ。)
(つぐみの一人称のモノローグ終了)
♢(幼い頃のつぐみの回想シーン)
◯幼いつぐみとひばりが楼主である雀の前に立たされている。
◯幼いつぐみの肌は赤黒く、かゆみで引っ搔いた痕は黄色いツユがあふれ出てカサブタになっていた。
包帯の上にもツユが沁みている様子は見るも痛々しい有様。
雀「ああ、損した、騙された!
ひばりは上玉だけど、つぐみは下の下の下玉だよ!!」
◯雀はつぐみを蹴って追い出そうとする。
◯幼いつぐみはその雀の足にすがって泣きついた。
つぐみ「追い出さないで! どうか、ひばり姉さまと一緒にここに置いてください‼」
雀「この妓楼で客を取らない女は人間として認めないよ。」
つぐみ「人間として見てもらえなくても構いません! どうか、お願いします…!」
◯つぐみとひばりを交互に見た雀は、舌打ちしてからつぐみを蹴り飛ばす。
雀「いいだろう。アンタは年季が明けるまで…二十八の歳になるまでは、男並みに働いてもらうよ。この中鈴屋の家畜としてね!」
つぐみ「ありがとうございます、ありがとうございます!」
つぐみ(そうして中鈴屋で下働きを始めた私に与えられた仕事のひとつが、遊女の恋文を馴染み客に配達する【文渡し】と【代筆】だった。
幼いうちに売り飛ばされた遊女たちの中には、文字が読めない・読めたとしても書くことができない者がざらに居て、私の代筆は一部の遊女たちに重宝されていた。
(幼い頃のつぐみの回想シーン終わり)
♢(現在の中鈴屋のつぐみ)
◯目の前の文机には三十通ほどの手紙の束。
つぐみ「これを今週中に常連さんたちに配達しなきゃ!」
◯ふと思いついて、つぐみは先ほど書いた太夫である姉のひばりの恋文を抜き出し、読み返す。
そして宛先の主である阪本鷹次郎の姿を脳裏に浮かべて呟いた。
つぐみ「恋は罪悪でござんすね。」
♢
(モノローグ)
【阪本鷹次郎】は、帝都大学附属病院の院長の次男坊で医学生だという。
蘭学の御雇外国人の同伴で桜が満開の夜に初めて中鈴屋に来たのだが、お座敷で隣に付いた太夫のひばりには目もくれず、酒を浴びるほどあおってすぐに中座したとの噂だった。
本来なら太夫のような格の高い遊女には三度通って馴染み客になるのが妓楼の習わしだが、再来した時もひばりと話だけをして帰り、後は全く音沙汰がない。
同じお座敷でその様子を目にした遊女たちは『ひばり太夫は一見さんに二度も袖にされた』と意地悪く触れ回った。
中鈴屋の中でちやほやされて生きてきたひばりにとって、その出来事は初めての屈辱であり汚点だった。
◯回想のひばり。鬼の形相。
ひばり「おのれ阪本鷹次郎…絶対にわっちの馴染み客に落としてやるわ…。」
◯結果、ひばりの方が鷹次郎に執着する。
◯どうにか再来店してもらえぬかと毎日つぐみに手紙を書かせているが、今のところは返事すら返ってこない。
◯そのことに、つぐみは複雑な心境を抱いていた。
♢
(つぐみの回想始まり~)
◯中鈴の玄関先で昨夜の風で舞い散った桜の花弁の拭き掃除をさせられていたつぐみ。
◯肩を落として中鈴屋を出てきた鷹次郎と出くわす。
鷹次郎は中肉中背、ポマードで撫でつけられた髪はきっちりと頭の正中で左右に分けられていて、格段美男子ということもなく容姿はいたって普通。
◯つぐみは鷹次郎に気づくと気配を消してすぐに立ち去ろうとする。
◯鷹次郎が桜の木を見上げながらポツリと呟いた言葉が偶然耳に届いて、つぐみは不意に足を止めた。
鷹次郎「めずるは花の盛りのみか。」
つぐみ「散るもめでたし桜花」
◯思わず反応してしまったつぐみの声が、やはり鷹次郎の耳にも届いた。
◯鷹次郎が驚いた様子でつぐみを振り返った。
鷹次郎「佐久間象山をご存知か?」
つぐみ「お許しを!」
◯つぐみはオロオロと箒を盾にして後ずさりした。
つぐみ「私はすぐに消えます!」
◯そんなつぐみの言葉が耳に入ってないように、鷹次郎は一方的に話を続けた。
鷹次郎「桜は変わらぬ。
だからこちらも毎年変わらぬ想いで愛でることができる。
これぞ真実の恋だ。
おまへさんはどう思う?」
つぐみ(桜に恋をするなんて…変人だわ。)
◯つぐみは箒で顔を隠しながらか細い声で答えた。
つぐみ「それは…真実の恋…ではないと思います。」
鷹次郎「どうして?」
◯思いがけない答えに鷹次郎は顔を曇らせた。
つぐみは自分の発言を後悔して青ざめた。
つぐみ(いけない。またやってしまったわ。
ひばり姉さまさまにも、こういうところが小賢しいと叱られるのに。)
つぐみ「ごめんなさい。」
鷹次郎「謝らなくていいから、おまへさんの答えを教えて下さい。」
◯鷹次郎は怒った風でもなく、まるで生徒が教師に教えを乞うように聞いてくる。
つぐみは声を震わせて続けた。
つぐみ「この世に変わらぬものなどないでしょう。
小さな赤子も大人になり、老いてやがて死に絶えます。
真に愛でているというならば、例え桜が枯れてしまっても愛でることができるはずです。」
◯鷹次郎は大股でつぐみに近づいて来た。
つぐみは箒を持つ手に力を入れた。
◯鷹次郎はその箒の先に張り付いていた桜の花弁を一枚手に取り、自分の口に優しく押し当てる。
鷹次郎「なるほど。真実の恋は罪悪な味だな。」
◯つぐみの胸がキュンとする。
鷹次郎は少年のように白い歯を見せて朗らかに笑う。
鷹次郎「今夜は探していた人に出会えなくて残念な日だと思っていたが、おまへさんのおかげで心が豊かになったよ。
ありがとう。」
◯鷹次郎はそう言い残すと踵を返して夜の闇に姿を消した。
つぐみ「ふふ…。『心が豊かになりました』だって…。」
◯つぐみは空気の抜けた紙風船のようにヘナヘナと座り込むと、桜の花びらが舞う夜空を見上げた。
(つぐみの回想終わり)
♢
◯現在のつぐみ。大広間。
◯恋文の推敲作業をしながら鷹次郎への想いを募らせていたつぐみは、ふと鏡の自分を見て、お花畑になっていた自分の思考に歯止めをかけた。
つぐみ(どんなに恋心を募らせても、私には何もできない。)
◯つぐみは引き出しから鋏を持ち出した。
それから結っている自分の毛先を細くつまんで「ジャキン」と一房切ると、封筒の中に忍ばせる。
◯それは遊女が恋しい客に対して使う技のひとつだった。
つぐみ(果たしてこの髪を鷹次郎さまが愛おしいと思ってくださるかしら?)
◯自嘲ぎみに窓をもう一度見上げると、茜色の空はすっかりと消えて薄墨色の雲が広がっていた。
♢
ひばり「つぐみ!」
◯急に襖の奥から甲高い声がして、つぐみは崩していた足を素早く揃えた。
◯つぐみは行燈の蝋燭にマッチで灯をともすと、襟を正し、襖の向こうに大きな声で返事した。
つぐみ「お姉さま、つぐみはここです!」
◯タン、と勢いよく襖を横に開いて現れたのは、つぐみの異父姉であり中鈴屋の太夫・ひばりだった。
◯島田髷に結われた神にはべっ甲の櫛を三枚挿し、水色の着物には蝶をあしらった錦紗織の長じゅばんを羽織り、花菱模様の前帯をダラリと下げている。
〇遊女特有の艶めかしさがある美しい女子だが大通りを練り歩いていた花魁ほどの気品はなく、口元には長い煙管の先から立ち昇る薄紫の煙をくゆらせている。
〇その吊り上がって血走った目にはいら立ちが見えた。
ひばり「鷹次郎さまへの恋文は⁉」
つぐみ「はい!」
◯つぐみは震える手で文机の上をかき回し、手紙の束の一番上にあった手紙をひばりの前に差し出して見せた。
ひばり「お姉さまが純粋に鷹次郎さまを恋い慕う気持ちを文に表現したつもりだけど、どうかしら?」
◯ひばりは口の端をピクリと引きつらせた。
ひばり「フン、それは字が読めないわっちへのイヤミなんざんす?」
つぐみ「あ、いえ、そんなつもりじゃ…。」
ひばり「じゃあ何だってんだい!」
◯ひばりは勢いよく手の甲を翻した。
つぐみ「ウッ!」
◯ピシャリとつぐみの頬に鋭いひばりの平手が飛び、つぐみはその場に倒れ伏した。
〇ひばりがお歯黒の口を大きく開けてつぐみを叱責する。
ひばり「わっちは太夫だよ!
遊女にもなれない、醜い三下のアンタに見下される覚えはないなし‼
それとも何かい⁉
今回の道中で花魁に昇格できなかったからって、馬鹿にしてんのかい⁉」
つぐみ「そんな…! アッ!!」
◯ひばりは倒れたつぐみを何回も白い足袋を履いた足裏で力強く足蹴にした。
その形相は地獄の鬼のようだった。
つぐみ「ゆ、許してください、お姉さま。」
◯目を伏せたつぐみはひばりに踏まれながら土下座をした。
ひばり「許してほしかったら、今すぐ鷹次郎さまに手紙を届けてきな。
色よい返事がもらえるまで帰って来てはいけねぇよ。」
つぐみ「今から…?」
◯つぐみは窓の外を見てサッと青ざめた。
つぐみ「もう夜七つよ。この辺は夜の闇が深いわ。
それに夜九つで遊郭の大門が閉められたら、こちらに帰ってこれないじゃないの。」
ひばり「だから何さ?」
◯つぐみは床に這いつくばったまま、ひばりの足にすがりついた。
つぐみ「お願い、堪忍して。」
ひばり「堪忍できるか、われ‼」
つぐみ「ッ!」
◯思い切りよく頭を蹴られて座敷に転がったつぐみは、赤ら顔のこめかみに薄っすら血を滲ませて呻いた。
つぐみ「…堪忍して。」
ひばり「客を取ることもできないアンタがここを追い出されずに、誰のおかげで生きていけると思ってるんだい?
え!? 」
つぐみ「お姉…ひばり太夫のおかげです。」
ひばり「フン、アンタの父親が母上を拐かさなければ、わっちが身売りされることはなかったんだ。
父娘そろって他人様に害をなすごく潰しだよ‼」
◯これはつぐみを折檻する時に必ず言う台詞。
〇ひばりはつぐみを奴隷扱いすることで自分の辛い境遇に耐えている。
つぐみ「仰るとおりです。」
ひばり「なら、どうするんだい?」
つぐみ「行きます。」
ひばり「行かせて下さいだろぉ⁉」
つぐみ「行かせ…アアッ!」
◯繰り返される鈍い打撃音と共に、つぐみの悲痛な叫びが細い格子から外に漏れる。
◯中鈴屋の外の大通りには花魁道中の名残りで人通りが多かったが、厚い壁で覆われた廓の中のことなど気にかける様子は誰一人居なかった。
◯帝都でも指折りの老舗妓楼である中鈴屋の大広間。
◯遊女の代筆の奉公をする下女の「つぐみ」が太夫「ひばり」の代筆で書いた恋文が文机の上に置かれている。
♢♢♢
拝啓
阪元鷹次郎さま
恋は罪悪と申しますが、毒にもなるのでござんすね
旦那さまにはじめてお逢いしたあの桜のはなびらが舞う夜から、わっちは恋の病に罹っているのです
♢♢♢
つぐみ「ああ、しんどい。」
◯文机から顏を上げて吐息をついたつぐみは、竹製の硯箱に穂先の小さくなった筆を収めてから黄ばんだ畳に素足を崩す。
◯代筆の恋文を書く前に点けた線香が灰になっている。
◯つぐみは窓から漏れる陽の明るさに目を細めた。
つぐみ「いけない。今、いつ時分かしら?」
◯今日は花魁道中が五十年ぶりに復活する日。
いつもは客待ちの遊女でごった返している二十畳の待機部屋が空っぽになっている。
(モノローグ)
江戸幕府へのクーデターに近い形での誕生となった明治新政府は、来るべき欧米からの攻撃に備えて国家の近代化を目指していた。
近年における遊郭の制圧もその一環で、治安維持と人権問題の解消を促す政策は画期的な手法だった。
しかし、新政府の言いなりになることで日常が混乱することを嫌った遊郭の経営者たちや馴染み客は、これに反発する。
帝都では老舗妓楼連中が決起して【花魁道中】という一夜限りの春の夢を演出し、遊郭存続の意思と新政府への抵抗を示すことにした。
(モノローグ終わり)
人々の歓声「ワー!」
◯外の通りから歓声が聞こえた。
◯つぐみは重い腰を上げて朱色の木枠が打ちつけられた内窓を開ける。
◯線香で煙っていた部屋の空気が一気に外に拡散され、代わりに人々のざわめきが飛び込んでくる。
子ども「来た来た!」
女性「花魁道中が来たよ‼」
◯妓楼が立ち並ぶ大通――通称・ぼんぼり通りが色めき立つ。
◯普段通りを歩く人間は男性の比率が多いが、今日だけは老若男女、大勢の人々であふれかえっている。
◯つぐみが窓の木枠に顔を押し付けて通りに目を向けていると、やがて三味線の音色が近づいて来た。
◯それに呼応するように、鼓と鈴を持つ編み笠の男たちや白塗りの下位の遊女たちが姿を現す。
つぐみ「わぁ…姐さんたち、粋ね!」
◯やがて上位の派手な着物の遊女たちが傘をさしかける男衆の肩を借りながら登場すると、周囲の歓声と拍手は更に大きくなった。
◯そしてその後ろ、大通りの赤い橋の向こうには、髪に煌びやかな花飾りをつけたうりざね顔の花魁が垣間見える。
◯高級素地を何枚も重ねた着物は他の遊女とは明らかに別格。
◯三枚歯の塗り下駄で優雅に外八文字を描き、観客の反応を愉しみながら悠然と練り歩いている。
観客「花魁! 花魁!」
◯この華やかな儀式に沿道の観衆はみな笑顔になり、子供たちは我先にと花魁の後を追いかけた。
つぐみ「私も行ってみたい…。」
◯つぐみも群衆の後に続いて花魁を追いかけたい気持ちに駆られ、衝動的に赤い窓枠の外に身を乗り出した。
そかしその時、群衆の後列に居た幼い幼児と目が合った。
つぐみ「あっ…。」
◯一瞬、キョトンとした幼児は見る見るうちに頬を硬く強張らせた。
幼児「おかあちゃん、オバケ!」
母親「え?」
◯子供の母親が怪訝そうにこちらを向く前に、つぐみは急いで窓に背を向けた。
◯シュンとして項垂れる。
つぐみ「馬鹿ね。」
◯ちょうど部屋の立ち見鏡に、つぐみの姿が映り込む。
◯全身を白い包帯で覆い、ボロ雑巾のような着物を纏ったみすぼらしい少女。
つぐみ「バケモノが花魁に憧れるなんて…おこがましい。」
♢
◯つぐみの回想~
(モノローグ・つぐみの一人称)
(私が生まれ育った田舎の農村地帯で冷害と大飢饉が起きたのは六年前。
どの家の人間も貧しさと飢えに苛まされて、犯罪や争いが絶えない日々だった。
明治新政府は人身売買を禁止したけど、借金のカタに娘や妻を帝都の遊郭に売り飛ばすなんて、田舎ではどこにでもある日常。
だから家に女衒が来たときに私はまだ幼かったけど、ついに自分の番が来たかと覚悟した。
夜が開けない前、百圓前後で異父姉のひばりお姉さまと共に父親に売られた私は、身売り鉄道に乗せられた。
ここに来て早や五年。
義母さんに似て器量好しで天真爛漫なひばりお姉さまは、遊女としての才能を開花させたのに対し、私は中鈴屋で朝から晩まで馬車馬のように下働きの奉公をしている。
私の体には遊女としての欠陥があったからだ。)
(つぐみの一人称のモノローグ終了)
♢(幼い頃のつぐみの回想シーン)
◯幼いつぐみとひばりが楼主である雀の前に立たされている。
◯幼いつぐみの肌は赤黒く、かゆみで引っ搔いた痕は黄色いツユがあふれ出てカサブタになっていた。
包帯の上にもツユが沁みている様子は見るも痛々しい有様。
雀「ああ、損した、騙された!
ひばりは上玉だけど、つぐみは下の下の下玉だよ!!」
◯雀はつぐみを蹴って追い出そうとする。
◯幼いつぐみはその雀の足にすがって泣きついた。
つぐみ「追い出さないで! どうか、ひばり姉さまと一緒にここに置いてください‼」
雀「この妓楼で客を取らない女は人間として認めないよ。」
つぐみ「人間として見てもらえなくても構いません! どうか、お願いします…!」
◯つぐみとひばりを交互に見た雀は、舌打ちしてからつぐみを蹴り飛ばす。
雀「いいだろう。アンタは年季が明けるまで…二十八の歳になるまでは、男並みに働いてもらうよ。この中鈴屋の家畜としてね!」
つぐみ「ありがとうございます、ありがとうございます!」
つぐみ(そうして中鈴屋で下働きを始めた私に与えられた仕事のひとつが、遊女の恋文を馴染み客に配達する【文渡し】と【代筆】だった。
幼いうちに売り飛ばされた遊女たちの中には、文字が読めない・読めたとしても書くことができない者がざらに居て、私の代筆は一部の遊女たちに重宝されていた。
(幼い頃のつぐみの回想シーン終わり)
♢(現在の中鈴屋のつぐみ)
◯目の前の文机には三十通ほどの手紙の束。
つぐみ「これを今週中に常連さんたちに配達しなきゃ!」
◯ふと思いついて、つぐみは先ほど書いた太夫である姉のひばりの恋文を抜き出し、読み返す。
そして宛先の主である阪本鷹次郎の姿を脳裏に浮かべて呟いた。
つぐみ「恋は罪悪でござんすね。」
♢
(モノローグ)
【阪本鷹次郎】は、帝都大学附属病院の院長の次男坊で医学生だという。
蘭学の御雇外国人の同伴で桜が満開の夜に初めて中鈴屋に来たのだが、お座敷で隣に付いた太夫のひばりには目もくれず、酒を浴びるほどあおってすぐに中座したとの噂だった。
本来なら太夫のような格の高い遊女には三度通って馴染み客になるのが妓楼の習わしだが、再来した時もひばりと話だけをして帰り、後は全く音沙汰がない。
同じお座敷でその様子を目にした遊女たちは『ひばり太夫は一見さんに二度も袖にされた』と意地悪く触れ回った。
中鈴屋の中でちやほやされて生きてきたひばりにとって、その出来事は初めての屈辱であり汚点だった。
◯回想のひばり。鬼の形相。
ひばり「おのれ阪本鷹次郎…絶対にわっちの馴染み客に落としてやるわ…。」
◯結果、ひばりの方が鷹次郎に執着する。
◯どうにか再来店してもらえぬかと毎日つぐみに手紙を書かせているが、今のところは返事すら返ってこない。
◯そのことに、つぐみは複雑な心境を抱いていた。
♢
(つぐみの回想始まり~)
◯中鈴の玄関先で昨夜の風で舞い散った桜の花弁の拭き掃除をさせられていたつぐみ。
◯肩を落として中鈴屋を出てきた鷹次郎と出くわす。
鷹次郎は中肉中背、ポマードで撫でつけられた髪はきっちりと頭の正中で左右に分けられていて、格段美男子ということもなく容姿はいたって普通。
◯つぐみは鷹次郎に気づくと気配を消してすぐに立ち去ろうとする。
◯鷹次郎が桜の木を見上げながらポツリと呟いた言葉が偶然耳に届いて、つぐみは不意に足を止めた。
鷹次郎「めずるは花の盛りのみか。」
つぐみ「散るもめでたし桜花」
◯思わず反応してしまったつぐみの声が、やはり鷹次郎の耳にも届いた。
◯鷹次郎が驚いた様子でつぐみを振り返った。
鷹次郎「佐久間象山をご存知か?」
つぐみ「お許しを!」
◯つぐみはオロオロと箒を盾にして後ずさりした。
つぐみ「私はすぐに消えます!」
◯そんなつぐみの言葉が耳に入ってないように、鷹次郎は一方的に話を続けた。
鷹次郎「桜は変わらぬ。
だからこちらも毎年変わらぬ想いで愛でることができる。
これぞ真実の恋だ。
おまへさんはどう思う?」
つぐみ(桜に恋をするなんて…変人だわ。)
◯つぐみは箒で顔を隠しながらか細い声で答えた。
つぐみ「それは…真実の恋…ではないと思います。」
鷹次郎「どうして?」
◯思いがけない答えに鷹次郎は顔を曇らせた。
つぐみは自分の発言を後悔して青ざめた。
つぐみ(いけない。またやってしまったわ。
ひばり姉さまさまにも、こういうところが小賢しいと叱られるのに。)
つぐみ「ごめんなさい。」
鷹次郎「謝らなくていいから、おまへさんの答えを教えて下さい。」
◯鷹次郎は怒った風でもなく、まるで生徒が教師に教えを乞うように聞いてくる。
つぐみは声を震わせて続けた。
つぐみ「この世に変わらぬものなどないでしょう。
小さな赤子も大人になり、老いてやがて死に絶えます。
真に愛でているというならば、例え桜が枯れてしまっても愛でることができるはずです。」
◯鷹次郎は大股でつぐみに近づいて来た。
つぐみは箒を持つ手に力を入れた。
◯鷹次郎はその箒の先に張り付いていた桜の花弁を一枚手に取り、自分の口に優しく押し当てる。
鷹次郎「なるほど。真実の恋は罪悪な味だな。」
◯つぐみの胸がキュンとする。
鷹次郎は少年のように白い歯を見せて朗らかに笑う。
鷹次郎「今夜は探していた人に出会えなくて残念な日だと思っていたが、おまへさんのおかげで心が豊かになったよ。
ありがとう。」
◯鷹次郎はそう言い残すと踵を返して夜の闇に姿を消した。
つぐみ「ふふ…。『心が豊かになりました』だって…。」
◯つぐみは空気の抜けた紙風船のようにヘナヘナと座り込むと、桜の花びらが舞う夜空を見上げた。
(つぐみの回想終わり)
♢
◯現在のつぐみ。大広間。
◯恋文の推敲作業をしながら鷹次郎への想いを募らせていたつぐみは、ふと鏡の自分を見て、お花畑になっていた自分の思考に歯止めをかけた。
つぐみ(どんなに恋心を募らせても、私には何もできない。)
◯つぐみは引き出しから鋏を持ち出した。
それから結っている自分の毛先を細くつまんで「ジャキン」と一房切ると、封筒の中に忍ばせる。
◯それは遊女が恋しい客に対して使う技のひとつだった。
つぐみ(果たしてこの髪を鷹次郎さまが愛おしいと思ってくださるかしら?)
◯自嘲ぎみに窓をもう一度見上げると、茜色の空はすっかりと消えて薄墨色の雲が広がっていた。
♢
ひばり「つぐみ!」
◯急に襖の奥から甲高い声がして、つぐみは崩していた足を素早く揃えた。
◯つぐみは行燈の蝋燭にマッチで灯をともすと、襟を正し、襖の向こうに大きな声で返事した。
つぐみ「お姉さま、つぐみはここです!」
◯タン、と勢いよく襖を横に開いて現れたのは、つぐみの異父姉であり中鈴屋の太夫・ひばりだった。
◯島田髷に結われた神にはべっ甲の櫛を三枚挿し、水色の着物には蝶をあしらった錦紗織の長じゅばんを羽織り、花菱模様の前帯をダラリと下げている。
〇遊女特有の艶めかしさがある美しい女子だが大通りを練り歩いていた花魁ほどの気品はなく、口元には長い煙管の先から立ち昇る薄紫の煙をくゆらせている。
〇その吊り上がって血走った目にはいら立ちが見えた。
ひばり「鷹次郎さまへの恋文は⁉」
つぐみ「はい!」
◯つぐみは震える手で文机の上をかき回し、手紙の束の一番上にあった手紙をひばりの前に差し出して見せた。
ひばり「お姉さまが純粋に鷹次郎さまを恋い慕う気持ちを文に表現したつもりだけど、どうかしら?」
◯ひばりは口の端をピクリと引きつらせた。
ひばり「フン、それは字が読めないわっちへのイヤミなんざんす?」
つぐみ「あ、いえ、そんなつもりじゃ…。」
ひばり「じゃあ何だってんだい!」
◯ひばりは勢いよく手の甲を翻した。
つぐみ「ウッ!」
◯ピシャリとつぐみの頬に鋭いひばりの平手が飛び、つぐみはその場に倒れ伏した。
〇ひばりがお歯黒の口を大きく開けてつぐみを叱責する。
ひばり「わっちは太夫だよ!
遊女にもなれない、醜い三下のアンタに見下される覚えはないなし‼
それとも何かい⁉
今回の道中で花魁に昇格できなかったからって、馬鹿にしてんのかい⁉」
つぐみ「そんな…! アッ!!」
◯ひばりは倒れたつぐみを何回も白い足袋を履いた足裏で力強く足蹴にした。
その形相は地獄の鬼のようだった。
つぐみ「ゆ、許してください、お姉さま。」
◯目を伏せたつぐみはひばりに踏まれながら土下座をした。
ひばり「許してほしかったら、今すぐ鷹次郎さまに手紙を届けてきな。
色よい返事がもらえるまで帰って来てはいけねぇよ。」
つぐみ「今から…?」
◯つぐみは窓の外を見てサッと青ざめた。
つぐみ「もう夜七つよ。この辺は夜の闇が深いわ。
それに夜九つで遊郭の大門が閉められたら、こちらに帰ってこれないじゃないの。」
ひばり「だから何さ?」
◯つぐみは床に這いつくばったまま、ひばりの足にすがりついた。
つぐみ「お願い、堪忍して。」
ひばり「堪忍できるか、われ‼」
つぐみ「ッ!」
◯思い切りよく頭を蹴られて座敷に転がったつぐみは、赤ら顔のこめかみに薄っすら血を滲ませて呻いた。
つぐみ「…堪忍して。」
ひばり「客を取ることもできないアンタがここを追い出されずに、誰のおかげで生きていけると思ってるんだい?
え!? 」
つぐみ「お姉…ひばり太夫のおかげです。」
ひばり「フン、アンタの父親が母上を拐かさなければ、わっちが身売りされることはなかったんだ。
父娘そろって他人様に害をなすごく潰しだよ‼」
◯これはつぐみを折檻する時に必ず言う台詞。
〇ひばりはつぐみを奴隷扱いすることで自分の辛い境遇に耐えている。
つぐみ「仰るとおりです。」
ひばり「なら、どうするんだい?」
つぐみ「行きます。」
ひばり「行かせて下さいだろぉ⁉」
つぐみ「行かせ…アアッ!」
◯繰り返される鈍い打撃音と共に、つぐみの悲痛な叫びが細い格子から外に漏れる。
◯中鈴屋の外の大通りには花魁道中の名残りで人通りが多かったが、厚い壁で覆われた廓の中のことなど気にかける様子は誰一人居なかった。



