数週間が経ち、私たちはいくつかの町を巡り、小さな依頼をこなすようになった。ギルド職員は、新米の私が一人で依頼をこなしていることに驚いていたが、ヴェストールが隣にいることで、なぜか、誰も何も言わなかった。
 私は、ヴェストールの背中に守られていることを感じていた。彼がいるだけで、どんな困難にも立ち向かえる気がした。
 ヴェストールの不思議な力にも、少しずつ慣れていった。彼は魔物を一瞬で葬り去り、危険な罠を簡単に見破った。それは人間の冒険者ではありえない力だったけれど、私はそれを疑うことはなかった。彼がいてくれることが、ただただ嬉しかった。
 やがて、ギルドに依頼を報告に行くたび、ギルド職員はちらちらとヴェストールに視線を送った。彼の異様なまでの気配や、感情を読み取れない無表情は、確かに目を引く。一度、ギルド職員が彼に冒険者登録を勧めようとしたことがあった。

「そちらの方も、ぜひギルドに登録されませんか? 尋常ではない力量をお持ちだと思います。きっとSランクも夢ではないでしょう!」

 しかし、ヴェストールは表情一つ変えずに答えた。

「必要ない。私は自由を束縛されるのが嫌いだ」

 彼の言葉に、職員は押し黙ってしまった。彼の力は、ギルドの仕組みでは測りきれないほど途方もないものなのだろうと、私は漠然と感じた。
 そして、私には彼の言葉の真意は全て理解できなかったけれど、彼の「自由を束縛されるのが嫌い」という言葉に、どこか孤独を感じた。彼は、いつも一人で全てを背負ってきたのだろうか。そんなことを考えていると、私の胸が締め付けられた。

ある日、私たちが休憩のために立ち寄った湖のほとりで、ヴェストールがぼんやりと空を眺めていた。その横顔は、どこか遠い場所を見ているようだった。

「ヴェストールは、どうして冒険者をしているの?」

私の問いに、彼は少しだけ目を見開いた。

「暇つぶし、だ」

素っ気ない返事だったが、私はその答えに少しだけ寂しさを感じた。彼にとって、冒険はただの暇つぶし。でも、私にとっては、彼との冒険が、生きる意味になりつつあった。

◇◇◇◇

 とある依頼から帰る途中、突然の嵐に見舞われた。あたりはあっという間に真っ暗になり、激しい雨が容赦なく降り注ぐ。雷鳴が轟き、稲妻が森の木々を照らし出すたびに、私の身体はびくりと跳ね上がった。
 私たちは急いで近くの洞窟に身を寄せた。ひゅうひゅうと吹き込む風が、焚き火の火を心細く揺らす。私は冷えきった身体を抱きしめ、不安に震えていた。幼馴染たちと初めて森に入ったあの日、オーガに襲われた恐怖が、嵐の音と共に蘇ってくるようだった。


「寒いのか?」

 ヴェストールの声が聞こえ、彼が私の隣に静かに座った。私はぎゅっと目を閉じていたけれど、彼がすぐそばにいる気配を感じる。

「……うん、少し」

 震える声で答えると、彼は何の躊躇もなく、自分の分厚い外套を私の肩に掛けてくれた。ゴワゴワとした布地の感触と、彼自身の温かい体温が、じんわりと私に伝わってくる。ほんの少しだけ、雨の冷たさが和らいだ気がした。

「ありがとう……」

 私は小さく呟き、恐る恐る彼の顔を見上げた。暗闇の中で、彼の青い瞳だけが、静かに、そして不思議なほど穏やかに光っていた。洞窟の外で荒れ狂う嵐とは裏腹に、彼の瞳はまるで湖面のように静かで、その中に吸い込まれてしまいそうになる。

「こんな場所で風邪でもひかれたら、後が面倒だ。君が倒れたら、私の暇つぶしが妨げられる」

 ぶっきらぼうな口調だったけれど、その言葉の裏に、かすかな優しさを感じて、私の胸は温かくなった。彼はいつも、自分の行動に理由をつけて、私を助けてくれる。それが彼の優しさなのだと、少しずつ理解できるようになっていた。私はそっと、彼の外套の裾を握りしめた。彼の隣にいると、どんなに嵐が吹き荒れても、不思議と心が落ち着く。彼の存在は、私にとって嵐の中の灯台のようだった。
 しばらくの沈黙の後、洞窟の外の雨音が、なぜだか遠く聞こえる気がした。もしかしたら、もうすぐ雨が弱まるのかもしれない。私は、彼の肩に頭を預けてもいいだろうか、そんな思いが頭をよぎった。
 ヴェストールは、私のそんな葛藤に気づいているのかいないのか、ただ静かに焚き火を見つめていた。その横顔は、やはりどこか遠い場所を見ているようにも見えたけれど、今はもう、孤独を感じることはなかった。彼の存在が、私を包み込んでくれる。この小さな洞窟の中だけは、嵐の喧騒から隔絶された、私たちだけの世界のように感じられた。

◇◇◇◇

 私たちはある依頼で、魔力が複雑に絡み合い、常に霧が立ち込めるという「迷いの森」の奥深くへと足を踏み入れていた。この森は、入り込んだ者を惑わせ、道を見失わせるという厄介な場所で、熟練の冒険者でさえ迷い込むと生きては帰れないと言われていたのだ。私は何度か方向を見失いかけ、足元が定まらない浮遊感に襲われたが、そのたびにヴェストールが迷いなく正しい道を示してくれた。彼はまるで、この霧を透過して、森の本当の姿を見ているかのように思えた。

「すごいね、ヴェストール。どうしてわかるの? 私には、どこも同じように見えるのに……」

私が尋ねると、彼は少し考えるように黙り込んだ後、その青い瞳をわずかに細めて言った。

「……この森の木々は、私にはそう見えない。それぞれの木が、異なる光を放っている」

 彼の言葉は、私の理解をはるかに超えていた。私にはただの木々にしか見えないものが、彼には特別な光として映るのだと。ヴェストールには私には見えない何かが見えているのだと、改めて感じた。
 その不思議な力は、彼が普通ではない存在だと示唆していたが、私はそれを恐れるよりも、むしろ彼への好奇心と、彼に寄り添いたいという気持ちを強くしたのだ。

 その時、足元に小さな光が点々と輝いているのを見つけた。霧のベールに包まれた地面に、まるで星屑が散りばめられたように、青白い光が瞬いている。それは、森の中にひっそりと咲く、名も知らぬ小さな花だった。

「綺麗……」

 私が思わず声を上げ、しゃがみ込んで青い花を眺めていると、ヴェストールも静かに私の隣にしゃがんだ。彼はそっと花に触れた。彼の指先が触れた瞬間、花はこれまで以上に強く輝き、まるで呼吸をするように、光の粒子を放ったのだ。そして、彼の指先からも、微かな青い光がこぼれ落ち、花と一体になるように溶け込んでいった。

「これは、夜にしか咲かない花だ。星の光を集めて、こうして輝く……あるいは、夜の魔力を吸い上げて、その力を一時的に貯め込んでいる」

 彼の声は、いつもよりも少しだけ柔らかく、その横顔は、どこか遠い過去を懐かしんでいるようにも見えた。彼はこの花について、まるで昔から知っているかのように語る。私が知らない彼の世界、彼の過去が、ほんの少しだけ垣間見えた気がして、私の胸はキュンとした。

「ヴェストールは、どうしてそんなに詳しいの? まるで、ずっと前からこの森にいたみたい……」

 私の問いに、彼は一瞬、表情を凍りつかせたように見えた。だが、すぐにいつもの無表情に戻り、どこか他人事のように、あるいは秘密を隠すかのように、静かに呟いた。

「……ただの暇つぶしだ」

 その言葉に、私は少しだけ寂しさを感じた。彼にとって、この森の知識も、私との冒険も、単なる「暇つぶし」なのだろうか。彼の言葉の裏に、もっと深い意味が隠されているような気がして、胸の奥がざわつく。
 彼は私の前で、どれだけのことを隠しているのだろう。その秘密を、もし聞けば、彼は私から離れていってしまうのだろうか。そんな恐れが頭をよぎり、言葉を飲み込んだ。

 でも、その不思議さも、彼をより魅力的にしていた。彼の指先からこぼれる光の残像を、私はじっと見つめた。まるで、その光の中に、彼の秘密が隠されているかのように。そして、その秘密を、いつか私も共有できるようになりたいと、強く、強く願った。
 彼がただの人間ではないと薄々感じていても、彼の隣にいることが、私にとっての何よりも大切なことだった。いつか、彼が私に、その全てを話してくれる日が来ることを、私は夢見ていた。