あの日、バイトを終えた後もずっと、北門に連絡をとってみようとしたけど、既読になっても返信はなくそのまま無視された。
翌日からあいつが7組の教室に尋ねてくることはなくなった。土日、バイト先にも来ない。三日たってしびれを切らした俺は一年生の教室に行ったけど、あいつの姿はなくて、サッカー部に行ったらあれからずっと部活もさぼっていると聞いた。
これではこの間までの俺とあいつと逆転したみたいだ。
でも水曜なら、委員会で北門に会えると思っていたのに、北門は姿を現さなかった。俺はだんだんイライラしてきた。
あんな風に俺のファーストキスまで奪っておいて、あんな告白して、あんな風に甘く囁いてきて。なんなんだ。なんで避けるわけ? 好き避けってやつ?
「なあ、どうしたら北門掴まえられると思う?」
そして金曜日、しおしおになった俺が放課後窓辺で黄昏ていたら、クラスメイトがわらわらと集まってきた。
「逃した魚は大きいねえ、南澤」
「避けたりしたから駄目なんじゃん」
「あんなに好かれてたくせにねえ」
俺は窓柵についていた頬杖を外して、腕組みしながら俺を見下ろしてくる女子たちを力なく見上げた。いつの間にか、クラスの女子はみんな結託して、グループの垣根を越えて仲良くなっていた。
「好きならすぐに追いかけろ!」
腕組みしてふんすって感じに胸を張ったクラス委員の体格のいい女子の横から、前に俺に北門の昔の話をした女子が友達の後ろから、すまなそうにひょこっと顔を出した。
「噂だけで色々北門君の悪口言っちゃって、ごめん」
そう言って俺に頭を下げてきた。
「いや……、それはもう関係ないっていうか……」
「この子も反省してるからさあ、ごめんね。私の彼氏サッカー部なんだけど、真面目にやってた北門君が部活に出なくなって心配してるんだよね」
中学の時は怪我もあって部活が思うとおりに出来なかったから、今サッカーをするのが楽しかったはずだ。だけどなんだか一つうまく行かなくなると、とことんかみ合わなくなるみたいだ。俺と出会ったせいであいつが一生懸命やろうとしていたことができなくなるなんて、そんなの嫌だと思った。
「あいつさ、過去に色々あったかもしれないけど。高校では挽回して頑張ろうって思ってたみたいなんだ。だからさ、俺は今、頑張りたいあいつの気持ちを、大事にしてやりたいんだ」
うんうんと、女子達は頷いて、なんか涙ぐんでる子までいた。
「南澤君といるときの北門君、すごく楽しそうで、仲良くしてる二人を見てるの、私たちもすごく癒されてたよ」
「だから早く仲直りして欲しい」
「いつもトーマにはみんな世話になってるもんな。俺らが北門探してきてやるよ」
男子は教室を飛び出していったが、女子はもっと頭を使った。SNSで一年生の知り合いを辿って、北門目撃情報を探しているようだ。
「これこれ。ここにいる!」
一人が差しだしてきたスマートフォンの画面を、みんなで一緒に覗き込む。今日撮ったことは間違いないアプリの写真に、北門が女子と一緒に映っていた。
「一年のエンダンの女子が上げてる写真、これ絶対北門君でしょ!」
殆ど盗み撮りであげられてる北門の写真、店内の雰囲気で大手コーヒーチェーンの店内であることは間違いない。
「うわ……、まんま北門じゃん。写真加工しないで上げるとか何考えてんだ」
「えー。北門くんと知り合いだってマウントとりたいんじゃない?」
「あー。人気だもんねえ。誰かさんが独占ばかりしてたから、今ならつけ込むチャンスだろうからなあ」
みんな言いたい放題だが、なんだかそれも楽しそうで拍子抜けしてしまう。
「ここ駅前店かな、うーん、公園前店かな」
「わかった。それだけ分かればもう十分。どっちも回ってくる」
「頑張れ! トーマ!」
俺はクラスメイトの歓声を背に、もう廊下に飛び出していた。
足にはとにかく自信がある。先に学校の裏にある公園前店まで行って、外から窓越しに二往復ぐらいして中を伺ったけど北門の姿はなかった。そのまま駅前まで回り込んでいく。公園の植え込みにはもう紫陽花の青や紫の花が色づいてきていた。
息を弾ませて走りながら考える。あいつに会ったら何ていえばいい?
あの日の夜。キスの後。俺はあいつになんて言いたかったんだ。
生まれて初めて、俺の事を好きって言って告白してくれた相手に、俺はなんて言って返してあげればいい?
でももう、あいつは俺の事なんか、なんとも思ってないかもしれない。拒絶されるかもしれない。だけど怖れに構ってる暇なんて一秒たりともないんだ。
時間は有限で、人との絆は大事にしないと途端に消え失せてしまう。
駅前の駅前のカフェの前で、周囲を女子に囲まれてスマホをいじってる北門を見つけた時、結局俺が叫んだ言葉はこれだった。
「おい、北門! お前昨日委員会だったんだぞ!」
「……それが?」
「それがって、お前副委員長だろ! さぼんなよ!」
ぷいっと鬱陶しそうに横を向いた北門にぷちっと俺は切れた。
「何、こいつ誰?」 「なんとか先輩じゃん」って一年女子に凄まれたけど、俺も負けじと胸を張る。
「唯! 行くぞ!」
名前を呼んで、強引に腕を引っ張った。咎める声が後ろから上がったけど構わない。名前を呼ばれて目をまん丸くした北門に、してやったりって俺は心の中でガッツポーズをきめた。
どこに連れ去るかは決めてなかったから、とにかく闇雲に走る。学校とは反対側に向かったのは誰にも俺たちの事を邪魔されたくなかったからだ。
途中から小川沿いの遊歩道に出た。そこからは速度を落とした。女の子たちは追いかけてきていない。
川を挟み遊歩道の両側に紫陽花の花が咲き始めていて、曇りの日にしっとりぼんやり色が滲んで見えるのが綺麗だった。
季節が変わっていく、この次の季節も、こいつと一緒にいたい。
ここは車通りも少ないし、お年寄りぐらいしか歩いていない。俺はその小道を、北門の手を離さずに歩く。振り返る余裕はなくて、早足で、息を弾ませしゃべる。
「お前っ! 部活もでてないみたいだし、委員会もさぼって、何やってんだよ。陽だまりのオーナーも、綾子さんだってお前のこと心配してるんだぞ」
急に北門が立ち止まったから、まるで散歩中のワンコが抵抗するみたいな足止めを食らって、俺はなんとかこけずに踏みとどまる。
北門は俺を真っすぐに見ない。いつだって真っ直ぐに俺の事を見ようとして来てくれたのに。長い睫毛が頬に影を落としている。少し自棄を起こしたような口調で、北門が地面に向かって吐き捨てた。
「……ああ、あそこにはもう行かないっていったでしょ?」
「北門、俺の目ぇみて、ちゃんと話せ」
俺は北門の前に仁王立ちになった。北門は髪をかきあげ、ゆっくりと視線を上げる。何かを諦めたような傷ついた顔をして、ふっと冷たく笑う。
「もういいんです。今更自分のこと変えようとしたって、俺がしたことを知ってるやつなんて沢山いるし、そのせいであんたの大事な居場所がおかしくなるとか、そんなのダメだろ?」
俺の、ためなのか。
真意が分かったからといって、うんと大人しく頷けるはずがない。
「そんな……、そんなことないだろ。お前だった陽だまりが好きだって、あそこで俺と一緒に新しい料理とか、色々やってみたいって言っててだろ。あそこはもう、俺だけじゃない。お前にとっても、居場所だろ」
北門はぐっと眉根を寄せる。俺の言葉が届いたからこそ、動揺したんだ。
「先輩なら、沢山いるだろ? オトモダチ。別に俺じゃなくたって……」
「それで、お前はまた女子に逃げんのかよ。お前の事好きって言ってくれる相手に、本気で向き合えもしないくせに」
こんな言い方ったらない。これじゃまるで、俺が嫉妬してるみたいだ。
「一人になるよりましだろ?」
目を細めて、俺に苛立ちをぶつけてくる。だけど目の奥にあるのは、多分怒りじゃない。深い悲しみ、諦め。だって……。こいつがずっと求めていたのは……。
「一人じゃないだろ? 俺がいるだろ」
「はっはは……」
外では一層琥珀色に光る眼を見開く。そんな北門の乾いた笑いを俺は打ち消した。
「笑うなよ。真面目に話してんだよ」
俺は飛びかかるように、北門の両腕を外側からぐっと掴んで揺さぶった。
「じゃあ、あんた。俺だけの先輩になってくれんの? 折角見つけた居場所を捨てて、俺とだけ一緒にいてくれる?」
「えっ……」
「ほらね。出来ないだろ。出来ないのに」
「できるよ!」
俺は北門の背に腕を回して、一度、力いっぱいハグをした。
「っ!」
身を離してから、顔をこっちに向けようと必死に。両腕をぐっとひっぱった。不器用な俺だから、物理的にこいつを逃がさないって想いを、身体ごとぶつかって伝えたい。
「できる。お前だけの俺になってもいい。だからそんな顔すんなよ。笑えよ。笑った顔のお前、最強だぜ。俺が保証するから」
「……好きだ、好きだ。燈真」
あの雨でべしょべしょに濡れてた、小さかったサッカー部員。今では俺のこと潰しそうなでかさで、でもまだ甘えたで、勢いよく俺にがばっと抱きついてきた。
「唯……」
「あんたと離れんの、嫌だ。俺が周りの誰より、あんたの事大事にする。寂しいは絶対に差せない。だから、俺の恋人になって」
胸にぎゅぎゅっと抱き込まれたから、苦しくてどんどんと背中を叩く。
「苦しいって」
少しだけ腕が緩んだが、腕の中から逃がしてはもらえない。俺は目を細めて、今度は優しく、宥める様に背中を叩いた。
「離れる必要なんてない。お前のことあれこれ言うやつがいたって、俺は平気だ。だけどやった事実は消えない。逃げずに俺と一緒に、ちゃんと向き合おう? な?」
「先輩……」
「俺も、その。多分あのさ……」
ここにきて歯切れが悪くなった俺を北門は肩眉をあげながら覗き込んできた。
「多分? なんですか?」
薄曇りの空から黄色の光が差す。少しずつ晴れ間が見えた。北門の黄色い目が細められ、すっかり余裕が戻っている。なんだこいつ、立ち直り早すぎだろう。
でも北門の今まで見た中で一番明るい笑顔を見たら、そんなの全てどうでも良くなってしまった。
「俺もお前の事、その、こうして追いかけてくるくらいには……」
ここにきて、もごもご、格好よく決められない。ああ、やっぱり。俺ってそんなに器用な方じゃないなあって、こんな俺でごめんな。
「みんなの前で唯って呼んで、強引に連れ去るぐらいには、好きってことですか?」
本人に指摘されて、その時初めて、俺はこいつの名前を堂々とくそデカボイスで叫んでたんだって思い出した。顔を隠してしゃがみこんだら、北門もぐっとひざを折って隣に来た。
「まって、ちょい、俺多分、すげぇ、顔赤いから、みないで」
「可愛いですよ。見せてください」
「また、お前はそういう……」
隠していた顔を両手首を掴んで外された。紫陽花の小道は花が綺麗で、緑の葉が青々としげって、人目から俺たちの姿を隠す。
「ちゃんと言ってください」
急な敬語でお願いされた。逆光で影を落としても目鼻立ちが際立つ北門の顔。ああ、こんな風に見つめられたら余計に言えそうにない。ちらっと見上げたあと、俺は目をぎゅうっと瞑った。
「好き、かも」
「かもって、なんだよ」
くすくすって、低くてちょっと掠れた笑い声がカッコいいぞ。それを合図に鼻先にキスされた。
「え?」
場所が違うよって思って思わず目を開けたら、いたずらっぽい微笑み。あ、なんかこれからかいの予感。思わず尖らせた唇に、素早くキスされて、「こっちが良かった?」なんて笑われる。
「ああ、もうさあ。唯のそういうとこ……」
沼だ沼。まんまとはまってしまった。俺本当にこいつのこと手に負えんのかな。
「でた、先輩の唯呼び」
「唯って呼んじゃダメなのか? いい名前なのに。俺の「唯一」って感じがするぞ」
北門はぽかんっとした表情を一瞬して、綺麗な形の眉を下げる。そのあとしゃがんだ状態で頭を抱えて「ああーっ」って大声で唸った。びっくりしてぺたって後ろに尻もちをついた俺の上に、跨るようにして立ち上がる。
「ほんと。この人。沼だ……」
北門に先に言われたが、俺は沼じゃない。お前が沼なら、俺はアスファルトの上の水たまりぐらいだ。
北門に腕を引っ張って無理やり俺の事を立たせて、ダンスを踊るみたいにくるって俺たちは回った。紫陽花が風に揺れてる。北門がリュックごと俺を力いっぱい抱きしめてきた。
「先輩、やっぱ、最高だ!」
「痛いっ! さっきも思ったけど、水筒が当たってぎゅっとされると痛いんだって」
笑いながら北門は俺のリュックをとりさって、地面においてしまった。もういいわけができない。ぎゅう、ぎゅうのハグ。
紫陽花達がまる、ああなにやってんだ。恥ずかしい奴らだなあって、笑ってるみたいだ。
「ああ、もう。さあ。先輩ってなんでいつも、俺が欲しい言葉ばっかくれんの? なんなわけ、天使? 天使なのか? こんな可愛い人と、離れられるわけないだろ」
こっちだって思ってるよ。こんな可愛くて、大げさな後輩は、たった今から。俺の恋人だ。
「ところで……。お前なんで俺の写真をロック画にしてたの?」
翌日からあいつが7組の教室に尋ねてくることはなくなった。土日、バイト先にも来ない。三日たってしびれを切らした俺は一年生の教室に行ったけど、あいつの姿はなくて、サッカー部に行ったらあれからずっと部活もさぼっていると聞いた。
これではこの間までの俺とあいつと逆転したみたいだ。
でも水曜なら、委員会で北門に会えると思っていたのに、北門は姿を現さなかった。俺はだんだんイライラしてきた。
あんな風に俺のファーストキスまで奪っておいて、あんな告白して、あんな風に甘く囁いてきて。なんなんだ。なんで避けるわけ? 好き避けってやつ?
「なあ、どうしたら北門掴まえられると思う?」
そして金曜日、しおしおになった俺が放課後窓辺で黄昏ていたら、クラスメイトがわらわらと集まってきた。
「逃した魚は大きいねえ、南澤」
「避けたりしたから駄目なんじゃん」
「あんなに好かれてたくせにねえ」
俺は窓柵についていた頬杖を外して、腕組みしながら俺を見下ろしてくる女子たちを力なく見上げた。いつの間にか、クラスの女子はみんな結託して、グループの垣根を越えて仲良くなっていた。
「好きならすぐに追いかけろ!」
腕組みしてふんすって感じに胸を張ったクラス委員の体格のいい女子の横から、前に俺に北門の昔の話をした女子が友達の後ろから、すまなそうにひょこっと顔を出した。
「噂だけで色々北門君の悪口言っちゃって、ごめん」
そう言って俺に頭を下げてきた。
「いや……、それはもう関係ないっていうか……」
「この子も反省してるからさあ、ごめんね。私の彼氏サッカー部なんだけど、真面目にやってた北門君が部活に出なくなって心配してるんだよね」
中学の時は怪我もあって部活が思うとおりに出来なかったから、今サッカーをするのが楽しかったはずだ。だけどなんだか一つうまく行かなくなると、とことんかみ合わなくなるみたいだ。俺と出会ったせいであいつが一生懸命やろうとしていたことができなくなるなんて、そんなの嫌だと思った。
「あいつさ、過去に色々あったかもしれないけど。高校では挽回して頑張ろうって思ってたみたいなんだ。だからさ、俺は今、頑張りたいあいつの気持ちを、大事にしてやりたいんだ」
うんうんと、女子達は頷いて、なんか涙ぐんでる子までいた。
「南澤君といるときの北門君、すごく楽しそうで、仲良くしてる二人を見てるの、私たちもすごく癒されてたよ」
「だから早く仲直りして欲しい」
「いつもトーマにはみんな世話になってるもんな。俺らが北門探してきてやるよ」
男子は教室を飛び出していったが、女子はもっと頭を使った。SNSで一年生の知り合いを辿って、北門目撃情報を探しているようだ。
「これこれ。ここにいる!」
一人が差しだしてきたスマートフォンの画面を、みんなで一緒に覗き込む。今日撮ったことは間違いないアプリの写真に、北門が女子と一緒に映っていた。
「一年のエンダンの女子が上げてる写真、これ絶対北門君でしょ!」
殆ど盗み撮りであげられてる北門の写真、店内の雰囲気で大手コーヒーチェーンの店内であることは間違いない。
「うわ……、まんま北門じゃん。写真加工しないで上げるとか何考えてんだ」
「えー。北門くんと知り合いだってマウントとりたいんじゃない?」
「あー。人気だもんねえ。誰かさんが独占ばかりしてたから、今ならつけ込むチャンスだろうからなあ」
みんな言いたい放題だが、なんだかそれも楽しそうで拍子抜けしてしまう。
「ここ駅前店かな、うーん、公園前店かな」
「わかった。それだけ分かればもう十分。どっちも回ってくる」
「頑張れ! トーマ!」
俺はクラスメイトの歓声を背に、もう廊下に飛び出していた。
足にはとにかく自信がある。先に学校の裏にある公園前店まで行って、外から窓越しに二往復ぐらいして中を伺ったけど北門の姿はなかった。そのまま駅前まで回り込んでいく。公園の植え込みにはもう紫陽花の青や紫の花が色づいてきていた。
息を弾ませて走りながら考える。あいつに会ったら何ていえばいい?
あの日の夜。キスの後。俺はあいつになんて言いたかったんだ。
生まれて初めて、俺の事を好きって言って告白してくれた相手に、俺はなんて言って返してあげればいい?
でももう、あいつは俺の事なんか、なんとも思ってないかもしれない。拒絶されるかもしれない。だけど怖れに構ってる暇なんて一秒たりともないんだ。
時間は有限で、人との絆は大事にしないと途端に消え失せてしまう。
駅前の駅前のカフェの前で、周囲を女子に囲まれてスマホをいじってる北門を見つけた時、結局俺が叫んだ言葉はこれだった。
「おい、北門! お前昨日委員会だったんだぞ!」
「……それが?」
「それがって、お前副委員長だろ! さぼんなよ!」
ぷいっと鬱陶しそうに横を向いた北門にぷちっと俺は切れた。
「何、こいつ誰?」 「なんとか先輩じゃん」って一年女子に凄まれたけど、俺も負けじと胸を張る。
「唯! 行くぞ!」
名前を呼んで、強引に腕を引っ張った。咎める声が後ろから上がったけど構わない。名前を呼ばれて目をまん丸くした北門に、してやったりって俺は心の中でガッツポーズをきめた。
どこに連れ去るかは決めてなかったから、とにかく闇雲に走る。学校とは反対側に向かったのは誰にも俺たちの事を邪魔されたくなかったからだ。
途中から小川沿いの遊歩道に出た。そこからは速度を落とした。女の子たちは追いかけてきていない。
川を挟み遊歩道の両側に紫陽花の花が咲き始めていて、曇りの日にしっとりぼんやり色が滲んで見えるのが綺麗だった。
季節が変わっていく、この次の季節も、こいつと一緒にいたい。
ここは車通りも少ないし、お年寄りぐらいしか歩いていない。俺はその小道を、北門の手を離さずに歩く。振り返る余裕はなくて、早足で、息を弾ませしゃべる。
「お前っ! 部活もでてないみたいだし、委員会もさぼって、何やってんだよ。陽だまりのオーナーも、綾子さんだってお前のこと心配してるんだぞ」
急に北門が立ち止まったから、まるで散歩中のワンコが抵抗するみたいな足止めを食らって、俺はなんとかこけずに踏みとどまる。
北門は俺を真っすぐに見ない。いつだって真っ直ぐに俺の事を見ようとして来てくれたのに。長い睫毛が頬に影を落としている。少し自棄を起こしたような口調で、北門が地面に向かって吐き捨てた。
「……ああ、あそこにはもう行かないっていったでしょ?」
「北門、俺の目ぇみて、ちゃんと話せ」
俺は北門の前に仁王立ちになった。北門は髪をかきあげ、ゆっくりと視線を上げる。何かを諦めたような傷ついた顔をして、ふっと冷たく笑う。
「もういいんです。今更自分のこと変えようとしたって、俺がしたことを知ってるやつなんて沢山いるし、そのせいであんたの大事な居場所がおかしくなるとか、そんなのダメだろ?」
俺の、ためなのか。
真意が分かったからといって、うんと大人しく頷けるはずがない。
「そんな……、そんなことないだろ。お前だった陽だまりが好きだって、あそこで俺と一緒に新しい料理とか、色々やってみたいって言っててだろ。あそこはもう、俺だけじゃない。お前にとっても、居場所だろ」
北門はぐっと眉根を寄せる。俺の言葉が届いたからこそ、動揺したんだ。
「先輩なら、沢山いるだろ? オトモダチ。別に俺じゃなくたって……」
「それで、お前はまた女子に逃げんのかよ。お前の事好きって言ってくれる相手に、本気で向き合えもしないくせに」
こんな言い方ったらない。これじゃまるで、俺が嫉妬してるみたいだ。
「一人になるよりましだろ?」
目を細めて、俺に苛立ちをぶつけてくる。だけど目の奥にあるのは、多分怒りじゃない。深い悲しみ、諦め。だって……。こいつがずっと求めていたのは……。
「一人じゃないだろ? 俺がいるだろ」
「はっはは……」
外では一層琥珀色に光る眼を見開く。そんな北門の乾いた笑いを俺は打ち消した。
「笑うなよ。真面目に話してんだよ」
俺は飛びかかるように、北門の両腕を外側からぐっと掴んで揺さぶった。
「じゃあ、あんた。俺だけの先輩になってくれんの? 折角見つけた居場所を捨てて、俺とだけ一緒にいてくれる?」
「えっ……」
「ほらね。出来ないだろ。出来ないのに」
「できるよ!」
俺は北門の背に腕を回して、一度、力いっぱいハグをした。
「っ!」
身を離してから、顔をこっちに向けようと必死に。両腕をぐっとひっぱった。不器用な俺だから、物理的にこいつを逃がさないって想いを、身体ごとぶつかって伝えたい。
「できる。お前だけの俺になってもいい。だからそんな顔すんなよ。笑えよ。笑った顔のお前、最強だぜ。俺が保証するから」
「……好きだ、好きだ。燈真」
あの雨でべしょべしょに濡れてた、小さかったサッカー部員。今では俺のこと潰しそうなでかさで、でもまだ甘えたで、勢いよく俺にがばっと抱きついてきた。
「唯……」
「あんたと離れんの、嫌だ。俺が周りの誰より、あんたの事大事にする。寂しいは絶対に差せない。だから、俺の恋人になって」
胸にぎゅぎゅっと抱き込まれたから、苦しくてどんどんと背中を叩く。
「苦しいって」
少しだけ腕が緩んだが、腕の中から逃がしてはもらえない。俺は目を細めて、今度は優しく、宥める様に背中を叩いた。
「離れる必要なんてない。お前のことあれこれ言うやつがいたって、俺は平気だ。だけどやった事実は消えない。逃げずに俺と一緒に、ちゃんと向き合おう? な?」
「先輩……」
「俺も、その。多分あのさ……」
ここにきて歯切れが悪くなった俺を北門は肩眉をあげながら覗き込んできた。
「多分? なんですか?」
薄曇りの空から黄色の光が差す。少しずつ晴れ間が見えた。北門の黄色い目が細められ、すっかり余裕が戻っている。なんだこいつ、立ち直り早すぎだろう。
でも北門の今まで見た中で一番明るい笑顔を見たら、そんなの全てどうでも良くなってしまった。
「俺もお前の事、その、こうして追いかけてくるくらいには……」
ここにきて、もごもご、格好よく決められない。ああ、やっぱり。俺ってそんなに器用な方じゃないなあって、こんな俺でごめんな。
「みんなの前で唯って呼んで、強引に連れ去るぐらいには、好きってことですか?」
本人に指摘されて、その時初めて、俺はこいつの名前を堂々とくそデカボイスで叫んでたんだって思い出した。顔を隠してしゃがみこんだら、北門もぐっとひざを折って隣に来た。
「まって、ちょい、俺多分、すげぇ、顔赤いから、みないで」
「可愛いですよ。見せてください」
「また、お前はそういう……」
隠していた顔を両手首を掴んで外された。紫陽花の小道は花が綺麗で、緑の葉が青々としげって、人目から俺たちの姿を隠す。
「ちゃんと言ってください」
急な敬語でお願いされた。逆光で影を落としても目鼻立ちが際立つ北門の顔。ああ、こんな風に見つめられたら余計に言えそうにない。ちらっと見上げたあと、俺は目をぎゅうっと瞑った。
「好き、かも」
「かもって、なんだよ」
くすくすって、低くてちょっと掠れた笑い声がカッコいいぞ。それを合図に鼻先にキスされた。
「え?」
場所が違うよって思って思わず目を開けたら、いたずらっぽい微笑み。あ、なんかこれからかいの予感。思わず尖らせた唇に、素早くキスされて、「こっちが良かった?」なんて笑われる。
「ああ、もうさあ。唯のそういうとこ……」
沼だ沼。まんまとはまってしまった。俺本当にこいつのこと手に負えんのかな。
「でた、先輩の唯呼び」
「唯って呼んじゃダメなのか? いい名前なのに。俺の「唯一」って感じがするぞ」
北門はぽかんっとした表情を一瞬して、綺麗な形の眉を下げる。そのあとしゃがんだ状態で頭を抱えて「ああーっ」って大声で唸った。びっくりしてぺたって後ろに尻もちをついた俺の上に、跨るようにして立ち上がる。
「ほんと。この人。沼だ……」
北門に先に言われたが、俺は沼じゃない。お前が沼なら、俺はアスファルトの上の水たまりぐらいだ。
北門に腕を引っ張って無理やり俺の事を立たせて、ダンスを踊るみたいにくるって俺たちは回った。紫陽花が風に揺れてる。北門がリュックごと俺を力いっぱい抱きしめてきた。
「先輩、やっぱ、最高だ!」
「痛いっ! さっきも思ったけど、水筒が当たってぎゅっとされると痛いんだって」
笑いながら北門は俺のリュックをとりさって、地面においてしまった。もういいわけができない。ぎゅう、ぎゅうのハグ。
紫陽花達がまる、ああなにやってんだ。恥ずかしい奴らだなあって、笑ってるみたいだ。
「ああ、もう。さあ。先輩ってなんでいつも、俺が欲しい言葉ばっかくれんの? なんなわけ、天使? 天使なのか? こんな可愛い人と、離れられるわけないだろ」
こっちだって思ってるよ。こんな可愛くて、大げさな後輩は、たった今から。俺の恋人だ。
「ところで……。お前なんで俺の写真をロック画にしてたの?」



