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委員会終わりの教室には、俺以外もう誰もいない。窓から吹き込む風にカーテンが波打つ。俺は窓辺へ近寄り、机に手をついて窓を閉めようとした。こつん、指先に硬いものが触れる。
うわ、スマホだ。スマホが置き去りになってる。ここに座っていた奴の輪郭がシャープで綺麗な横顔がすっと頭に浮かんできた。
あー。これはやっぱ、俺が届けるべきだよな
高校では人の面倒ばかり見るのはやめようと誓って誓っただろうって、すぐに自分で自分に突っ込みを入れる。このスマホもあまりのプリントと一緒に教員室まで届ければ事が済む。
でもあいつこの後部活にすぐ出るよな。練習前にスマホが無いことに気がついたら、気になってサッカーに集中できなくなるかも。それで怪我でもしたら……。
俺は二年で美化委員会のなりたて委員長、相手は一年生だっていうのも重なって、お節介心がむくむくと沸き上がる。
うーん。どうしよう。俺はがしがしっと頭をかいて、誰も見てないから「はあっ」とデカめのため息をついた。
てか、こんなことを考えてる時間が勿体ない。委員会後の教室の最終確認まで担任から引き受けたのは俺だし、今、教室を飛び出せば、あいつが校庭に出る手前に追いつけるだろう。
俺は中学まではバスケ部員で、足の速さには自信がある方だ。追いつけば即終わる用事だし、渡してさよなら。5分もかからないだろう。
「行くか」
そうと決まれば行動は早い。気持ちが急いて、カリカリと爪を立てひったくるように机の受けからスマホをもちあげた。そしたらその拍子に暗かった画面にピカッとロック画が映し出される。
チラ見した画面を見て、驚きのあまり「うへっ?!」って変な声が出た。手元もくるって、人のスマホを吹っ飛ばしそうになり、慌てて空中で掴みなおす。目がしぱしぱと瞬いて、心臓が早鐘を打ち始めた。
ど、どういうことだ? 見間違い? そんなわけ、ないよな?
もう一度よく見ようと恐る恐る顔の前に持ってきた画面いっぱいに、馴染みのある赤いユニフォームを着た人物が映る。この色、このデザイン、これは間違いない。
「な、なんであいつのロック画、俺の写真になってんだあ?!」
※※※
時間は1時間だけさかのぼる。
4月、高校二年の新学期。俺は去年に続き今年も美化委員になってくれと担当でもある担任教師に懇願された。中学まではバスケ部に所属して毎日忙しい生活を送っていた俺だけど、今はバイトがない日はだいたい暇だ。
時間を持て余すぐらいだ。だから去年の美化委員の活動も毎度きっちり参加して、皆勤賞だったのは俺だけだったらしい。それをやる気ありと見なされたわけだ。
まあそれぐらいならいいかな、と軽く引き受けたわけだけど「じゃあ、初回は連絡事項下ろすだけだから、南澤に任せる。よろしくな!」とか調子のいいことを言って、担任は出張が入ったとかいい、議事進行全てを俺に丸投げしていった。
なに出張とかぶせてんだよ! あのニヤケ眼鏡め、ふざけんな! と心の中では人並みに毒づきながらも、『去年の担任もお前なら何任せても大丈夫って太鼓判押されてるんだ。頼りにしてる!』とか言われた。
むう、俺は頼りにされると、嫌とは言えない性格なんだ。
放課後に始まった第一回美化委員会。初回だというのに集まりがものすごく悪い。大体俺の相方になった奴もバレー部を優先してバックレた。教室を見渡すと、去年のクラスメイトが辛うじてこっちを見て笑ってくれている。ほっとして議事を進めることにした。
「じゃあ、早速、委員長を決めたいんだけど」
さっと、みな俺から視線を反らした。むむっ。皆頬杖をついて、スマホを弄っていてやる気はゼロ。そりゃそうだよな。美化委員会に喜び勇んでくる奴なんて聞いたことがない。 早く帰りたいよな。窓の外は青空、ぽかぽかいい天気だし、俺だってこの後用事があるから、さっさと終わらせたい。だから協力してくれよ。
だが誰からも手が上がらないまま、時間だけが過ぎていく。仕方がない、俺はぐっとこめかみを拳で押してから呟いた。
「じゃあ、俺がやる」
こういうしらっとした空気が嫌で、結局立候補する羽目になった。こういう時、結局自分を犠牲にしてしまう俺なのさ……。
「改めまして。委員長になった2年7組の南澤燈真です。早速だけど、一か月後、5月の二週目の土曜日に駅前商店街主催の清掃活動があります。なるべく大勢参加して欲しいって深谷先生から伝言受けてきてます」
声がしっかり教室の後ろまで届いたようだ。校外活動まであるって知らなかったのだろう。そうツンツンした空気感出すなよと思いつつ、俺は気にせぬ素振りで説明をつらつら続けた。
「例年、商店街の春と秋の二回の祭りに、うちの高校の部活が、舞台発表やブース出店で参加してます。そのお礼も込めて駅前商店街ぴかぴか大作戦に奇数月に年6回、部員たちと一緒に美化委員会も清掃活動に参加してます」
「そんなん、その部活の人だけ、やればいいんじゃないっすか?」
手も挙げずに不遜な顔で文句タラタラな下級生に、俺はめんどくせぇなと思いつつも一応笑顔は崩さない。上級生がいちいち下級生にオラついても意味ないし。だせぇから。
「美化委員会の受け持ちは年6回中の二回だけ、残りは祭りに参加している部が受け持ってくれてます。美化委員は基本的に、校内行事の後の清掃をそれぞれの実行委員と一緒に手伝ってやるぐらいで、体育祭や文化祭、球技大会の実行委員会に比べたら活動内容自体緩いと思うけど。準備期間とかないから、その日に行けばその場で終わるし」
人の前に出て喋るのは部長経験のお陰で割と得意な方だ。わりと淀みなく説明をしたら、発言してきたやつがすぐにばつが悪そうな顔をして黙った。
それを見届け、俺は先生に渡された年間日程のプリントを前列の人に手早く配って歩く。手元にプリントが結構余っていた。この感じ、来なかった奴も大分多そうだ。まあ、うちのクラスもだけどな。
「商店街の清掃活動、5月に参加できない人は9月か、部の受け持ち日とか二回以上は必ず参加してください」
するとまた最初に発言したやつが、なんかぶつぶつ言っている。
「こんなんわざわざ集まんないでプリントくれるだけでいいのに。今日も部活いったやつとか出てないし、どうせ清掃活動もこないんじゃね? 不公平だろ」
そんなことも分かんねぇの? みたいなことを呟いて隣の友人と思わしきやつと、聞こえよがしに嘲笑してくる。
一応さぼりもしないで委員会にでてくるだけ、ましなのかもしれないが、足を広げて腕を組んだ座り方も行儀が悪い。こういういちいち自分の不平不満ばかりでかい声でわめく奴ってどこにでもいるんだな。俺には到底理解が出来ん。
うるせぇ、黙れよって気持ちを込めて俺が眉間に力を込めたら、それを呼び水にしたみたいに相手が俺を睨み返してきた。もう不機嫌を隠そうともしない。
相手は一年にしては見た目が派手だ。あいつらから見たら俺みたいな背も170センチそこそこ、伸びきった前髪がもっさりの見た目大人しそうな二年生なんて、別に怖くもなんともないんだろう。
その一方で考える。二年三年も部活のあるやつはそれを理由に出て来ないのは確かだし。まあ、この意見ももっともだ。
「そうだな……。別に連絡だけなら今年はもう委員会を開かなくても」と言い掛けたら、それを不機嫌そうなイケボにぴしゃっと遮られた。
「俺も部活があるけど出てる。他にもそういう人いるだろ。一緒にするな」
特段大きいわけじゃないのによく通る。有無を言わせぬ引力のある声だ。皆、後ろを振り返る。
文化部である俺の元クラスメイトもうんうん頷いてる。ぐちゃぐちゃ文句を言っていた奴らも、すんっと押し黙った。
あれ、これって助けてくれたってことか? 俺もつられて声がした窓側を見て、すぐその佇まいと存在感に惹き付けられた。
教室に入ってきた時から妙に目立つ奴がやついるなって思ってたけど、こいつだったか。そいつは真新しいサッカー部の青ジャージに身を包み、長い脚を持て余し気味に一番後ろの席に座っていた。
入学式直後に部活動勧誘のチラシを配りに行ったクラスの女子が、顔面国宝級イケメンがいるって大騒ぎしてたっけ。たしかサッカー部とか言ってたような? なるほど女子がはしゃぐわけだと納得してしまった。
そいつと視線がかちっと合った。じっとこちらを値踏みするような、探るような目つきで見据えられる。俺もじいっとそいつに目を凝らした。
スポーツやってますよっていういかにもな爽やかさだけじゃない。とにかく強つよの顔面に、醸し出す雰囲気がどことなく憂いを帯びて気だるげで、それがこいつの大人びた雰囲気に一役買っている。ああ、これモテるでしょ、って確信できる。このルックスじゃなきゃメンズウルフなんて主張のある髪型できないだろ。
背は俺よりずっと高そうだけど、どんどんごつごつしてきた二、三年に比べたら、まだ頬のラインとかに僅かに幼さが残っている。そりゃそうか。こないだまで中学生だったんだものな。
時間にしたらほんの数秒だった。そいつはすぐに興味を失ったように俺から視線を外すと、机に肘をついて顎を載せて、グランドを眺めた。部活が気になるんだろうか。
明らかにカースト上位って感じのオーラがでているとはいえ、一年か……。一年生に助けられちゃったか。いつもは降りかかった火の粉は自分で叩いて消しまくるけど、たまには助けてもらうっていうのも、そんなに悪くない気分だ。
いつの間にかみんながスマホから顔をあげてこちらを見ていた。皆の意識が自然とこちらに向いたのを感じる。ありがとな、イケメン君のお陰だ。
俺は鬱陶しい前髪をかき上げてニコッと笑った。目が合った相手もなんとなく笑顔になってくれる。
「俺は去年も美化委員だったんだけど、商店街の清掃活動はわりと楽しいよ。終わった後、これでもかってぐらいに商店街のお店の人達がジュースとか菓子とか、労って差し入れだしてくれる。肉屋さんがコロッケ配ってくれた時もあったなあ。肉がごろごろ、ほくほくのやつ」
「トーマ、食い物目当てか!」
去年のクラスメイトが合いの手を打ってくれて、和やかな笑い声が起った。
「だって本当にすげぇ旨かったんだよ。他にも商店街の美味しいものを教えて貰えたよ。俺はね、普段生活してたら出会えないような色んな人と話が出来て、大勢でわいわいするの、嫌いじゃないんだ。だから楽しかった。だから来月の活動も、もしも興味が湧いたら、来てくれると嬉しい」
話している最中も、何人もうんうんと頷いてくれていたから、手ごたえを感じた。ちらっと一瞬だけイケメンくんの方を見た。彼もこれまた真剣な顔つきでこちらを見てくれている。派手な見た目と違ってあの言動といい、根は真面目な奴なのかもしれない。
「じゃあ、これで解散」
連絡することもこれ以上特にないから、委員会は開始30分で終了した。確かにこれからはメール連絡網でも使えば楽かもしれない。だが実際に集まらないと所属意識が低くなって活動自体への参加率はどんどん落ちていきそうだ。
どうしようかな、などと考えながら黒板の文字を消していたらさっきの友達が声をかけてくれた。
「トーマ! 清掃活動、春の方が涼しそうだから、俺ら二人で参加すると思う」
隣にいる大人しそうな彼女と並んで、二人ともニコニコしていて感じがいい。
「ありがとう」
「礼とか言って、真面目かっ! 委員長立候補もお疲れさん。さっき絡まれたのに助けられなくてごめんな。俺弱いから。でも半分その髪の毛のせいだと思うぞ」
そう言ってぴらっと俺の前髪を暖簾みたいに引き上げた。
「イケメン台無しじゃん、何この髪型。お前1年の時もっと格好良かったぞ」
「あー、これ。バイト先の先輩が美容師の専門学校行ってるんだけど、その実験台になるために伸ばしてたんだよ。今週末切るから」
「そうなんだ。そういや、あの一年すごかったな。あんなはっきり発言して、かっこよかった。すげぇイケメンだし。なんか独特の迫力あったなあ」
「ああ、あいつ……」
俺たち以外、例の噛みついて来た一年生も含めみんな退室していた。一言で場の空気を変えてくれたあいつにお礼を言おうと思ってたけど、もういなかった。残念。
「ほんと、勘弁してくれって感じだよな。でも文句言ったやつも、二回はきちんと活動に参加させてやる」
「流石、トーマ」
「それもこれも、全部担任に丸投げされたせいだからな」
「でもまあ、トーマに頼めばなんとかなりそうな気がするもんな。俺でも頼むわ。大人しそうに見えてお前気ぃ強いもん。去年の文化祭の時だって、うちのクラスのお化け屋敷に順番横入りしてきた怖い先輩達ともめた時、トーマが真正面から立ち向かって収めてたもんな。お前がいたから去年のクラス、派手系も俺みたいな大人しい系も交流できたって言うか、雰囲気良かった。今年のクラスはいまいちなんだよなあ。トーマロスだよ俺」
そんな風に労われたらなんかむずむず照れる。
彼女の方も小さくぱちぱち手を叩いてくれた。ありがとう。みんながこんなだったらもっとやりやすいのに。
部活に行く二人と別れ、誰もいなくなった部屋を見渡す。遠くから吹奏楽部の演奏する音や外部活の人の声なんかが聞こえてくる。
カーテンが暖かい風でぶわっと舞う。部屋の最終確認を任されていたので、俺が窓を閉めないといけない。机に手を突いたら、指に硬い何かが当たった。手元を見たら、そこには置き去りのスマホがあった。
すぐに、ぴんときた。ここに座ってたのはあの顔面つよつよ君だ。俺は急いでスマホを取り上げると、その拍子に画面が明るくなってロック画が目に飛び込んできた。
「え……、ま、何で?」
どういうこと? あいつの待ち受け画面の写真、俺、なんだけど?
心臓が走った後でもこんなにならない程バクバクしてきた。しかもこの写真、俺って一目で分かるのはきっと俺だからだ。
中学の時のバスケ部のユニフォームを着た背中と、ぎり映ってる横顔が、俺。
見間違いかとも思ったけど、ユニフォームのデザインといい、腰を落としてボールをキープしているプレイ中と思しき動作といい、そしてこの背中に23番の背番号の文字ついてることといい、これ絶対、俺だあ!
気持ちが溢れてデカイ声を出しそうになってしまい、慌てて口元を手で覆う。
はあ? 意味わかんねぇ。誰からもらった写真? まさか本人が撮ったなんてことないよな? ロック画って普通好きなアーティストとかなんか旨そうなもんとかエモい写真とか、百歩譲っても彼女の写真とかじゃないのか?
あいつ、俺の中学の後輩? いや、覚えていない。あんなやついたら目立ってしょうがないだろ。バスケ部には絶対にいない。俺部長だったから、断言できる。
ただし、母校がかなりのマンモス校ってこともあり、同じ学年にも顔を見てもピンとこないやつも多い。下の学年だったらもう、接点がないと覚えてなくてもおかしくない。
もう一回写真を見ようと思ったけど、人のスマホ弄りまわしているところを他人に見られて後から何か言われても嫌だ。
ここはもう、とりあえず早く本人に返すことにしよう。うん。返すタイミングで聞けたらロック画のことを聞いてみるか。いや、面と向かってあいつ聞けるかあ?
あのクール顔面国宝に『これ、俺の写真じゃね? なんで?』って聞いて『人のスマホ、勝手に見たんですか?』とか『気のせいですよ』とかしらを切られてみろよ。そっから何て言っていいか分かんないし、大体なんで俺の写真なの? とかさ。聞くこと自体、ものすごい恥ずかしい。
聞かない方がいいかも。……うーん。でもものすごく気になる。そんなことより、とりあえず、スマホを返しに行こう。そうしよう。
俺は残りのプリントを掴むと、あいつのスマホを制服のポケットに突っ込んで階段を二段飛ばしで駆け降りた。
あいつはジャージを着てたからこのまま部活に出るためにグランドに向かってるはずだ。途中誰ともすれ違わなかったけど、昇降口まで来たら何人かの女子の話し声が聞こえてきた。
女子グループに囲まれた輪の中心に、このスマホの持ち主がいた。俺は走りながらポケットからスマホを取り出して、声をかけようと腕を振り上げた。
だが餌に群がる鯉の群れみたいに、あいつは女子生徒に取り囲まれててものすごく声をかけにくい。
これから運動をするところなのか、皆Tシャツにジャージ、もしくはスカートの下にジャージの短パン姿だ。それにしてはばっちりのメイクで、その上ばらばらに喋るものだから騒々しくて声をかけるタイミングが掴みづらい。しゃあなしと、俺はちょっと離れたところから、じっと彼らの様子をうかがうことにした。
「ねえ、キタカドにもエンダン入って欲しいんだけど、どうしても駄目?」
キタカド、ふーん。あいつキタカドっていう名前なんだな。キタカド……、北に角? どんな字書くんだろ。
エンダンの単語に、彼女達の派手な見た目に合点がいった。エンダンとは体育祭に向けて結成される応援団の事で、学校中の陽キャが集まってくるようなところだ。
五月の終わりにある体育祭で各ブロックごとに立候補した面々で応援団が形成される。趣向を凝らした派手な衣装とダンスで彩りを添える応援団による、ブロック対抗戦の集団演舞はリレーに次いで体育祭一番の盛り上がりどころだ。
たしか俺のクラスは今年は赤ブロックだった。今年は大人しい人が多いらしくて、集まりが悪いとかなんとか。だから俺まで誘われた。中学の時の応援団と違って高校では男女ペアになる激しめダンスを踊る。俺は体育の授業のダンスですら人前で踊るのがすごく恥ずかしかったから、絶対に無理と、即断った。
それに団長がダンスガチ勢だと、結構本格的な振り付けもするらしい。
去年、女子との出会いを求めて入った奴がいたけど、そいつは振り付け出来なくて相当苦労してたっけ。
俺もそれでも頼むよ、入ってって、ごり押しされそうだったけど、美化委員の活動が忙しくなるかもとか適当な理由をつけてなんとか断った。それがつい昨日の話だ。
あいつが俺以上に女子に取り囲まれて、ゴリゴリに押されている場面に出くわしたようだ。しかもうちのクラスの優しめな女子と違って、強引さが半端ない。逃がさんとばかりに両側からジャージの袖を引っ掴まれているのが見えた。
結構可愛い女子達に縋りつかれているというのに、キタカドはクール極まりない涼しげな顔で「エンダン無理、バスケもあるし」とむげに断っている。だが女子達もどうしても逃したくないのだろう。必死で食い下がっている。確かにエンダンで活動しているうちに仲良くなって付き合い始めたカップルがいたし、こいつはそういった意味でもロックオンされているんだろうなあと思った。
「部活やっている人も何人か入ってるって! ダンス踊れなくてもキタカドはビジュが圧倒的にいいから! 簡単な振付にするし、嫌なら真ん中に立っていてくれるだけでもいいよ」
真ん中に立ってるって。飾り物、応援団のビジュ担当とはあからさまな誘いだなっと流石に呆れてしまった。だけどこれだけエネルギッシュにおされたら俺なら勢いに負けて頷いてしまうかも。だが顔面強つよ君改めキタカドは顔色一つ変えない。
「無理」
一言でざっくり。心底興味なさそうってクールって感じがまた格好よくて卑怯だ。現に断れられたのに女子の顔がみんな余計に恋する乙女って感じになってる。
こういうつれないとこが余計にモテそう。四六時中彼女作りてぇって顔に書いてある男子より、ずっと上等に見えてしまう。
俺は余計に火がついたように見える肉食獣みたいに輝きを増した彼女らの目つきにおののきながらも、この攻防戦の行く末をじっと見守ることにした。
「えー。キタカド、中学の時より女子に冷たくなった! 昔は遊びに誘ったら来てくれたりしたじゃん」
「……」
おおっと。なんだかこじれそうな予感。キタカド、お前中学の時はチャラ系だったのか?うーん。これは時間がかかりそうだ。一旦プリントおきに教員室行ってくるか? いやでも、スマホを預かったままはまずいか。声かけるか、どうしようか。
一瞬踵を返そうと迷い脚を動かした時、俺の靴底が廊下と擦れてキュッと大きな音を立てた。
するとその音に気が付き、目線を上げたキタカドの視界に俺が入り、また目が合った。
すぐ反らされるかと思ったのに、今回は違った。俺を見て口元を綻ばせたように見えて、表情の変化におおっと思った。なんだろう。美化委員の先輩だあって思ってくれちゃった? なんか懐かれてる?
「あーもう。じゃあエンダンはもういいよ」
だが即、女子に手綱でも握られたようにグイッと腕を引っ張られ、キタカドはまた強引に会話に引き戻されていった。お気の毒に……。
「その代わり、今日エンダン終わったら、クラスのみんなとカラオケいって、ご飯食べに行くからキタカドも来て。キタカド連れてくるって、皆に言っちゃったんだから。部活が終わった後でも間に合うよね?」
そっちが本命の誘いだったのだとしたら、これは中々の策士だ。一枚上手の女子にクールキタカドはどうでるか? 俺はなんか面白くなってきてスマホをもったまま、腕をぷらぷらさせていた。
「トーマ先輩!」
突然キタカドが俺を呼んだ。へっ、なんで? 急展開すぎん? 女子がみな一斉にアイメイクががっつりの目で俺を凝視してきた。恐ろしいぞ。そんな怖い顔で見ないでくれ。てか、一体どういうこと? なんでキタカドが俺の名前知ってんだ? って思ったけどさ。
俺さっき委員長ですって、名乗った。
目を白黒させてたら、あろうことか渦中のキタカドがこっちに向かって真っすぐに歩いて来た。俺は逃げるわけにもいかずに、ぐっと背中を後ろに反らせながらキタカドを見つめ返す。突然漫画のモブが主要人物に祀り上げられた気分だ。
「待たせてごめん」
本当に申し訳なさそうな顔をしてきた、こういう顔も中々格好いい。
じゃなくて! 待たせてごめん。だと? 急な小芝居が始まり、俺はこっからどうするんだろって目を泳がせながらキタカドを見上げた。すると奴は俺のすぐ傍に立ち親し気に笑いかけてきた。
ま、眩しい。何その笑顔。近くで見ると一段と顔面の圧が強い。なんなん、これ。俺と同じ人間? 主張のある髪型に目元近くまである長めの前髪、その下に覗く、くっきり二重の大きな目、さっき教室でも思ったけど、目の色素だけ薄くて教室の窓辺だとまるでべっ甲飴みたいで綺麗だった。すっきりと高い鼻梁に形のいい唇。はっきりした顔立ちだけど、くどさはない。ちょうどいい感じ。笑ったらクールさよりも、甘さが引き立つ表情になる。さっきまでツンツンしていた男が女子には目もくれず、俺の事だけ見て微笑んでる。
なにこれ、男なのにガチ恋されてる気分になるじゃん。どういうシチュエーションなんだこれは……。するとキタカドは俺の手首を掴んでぐっと腕を引きあげた。
急にやめてくれ、つま先立ちになりそう。身長差けっこうあるんだから!
「ひゃっ」
「先輩、これ」
おいおいおい、顔の位置が近い! ちょっと動いたら口がどっかにくっつきそう! 女子達もキャッとか声を上げてる。くそう、俺も変な声が出た。悔しいなあ。
キタカドはそんな俺を面白そうに見下ろしてくる。なんなわけ?
お互いの顔の真ん中に、スマホ。ロック画はぱちっと俺に向かって映る。反射的にびくっと肩を震えさせてしまった。だから何で俺の写真なんだあああ!
おい、この写真、明らかにキタカドに気がある子らに見られたらどんな反応されんだよ。いや、流石にこんな遠目じゃ、俺ってわかんないよな。
ちらりとキタカドをねめつけたけど、顔色は変わらない。涼しい表情で、むしろさっきよりなんだか楽しそうだ。なんか俺だけ挙動不審になってわたわたしてて恥ずかしくて悔しい。
「俺のスマホ、持ってきてくれたんだ」
敬語だけじゃないこういうため語も交えてくる感じが自然で、なんか親しさを演出してくるのがまたずるいじゃんか。
「お……、おう。教室に置き去りだったぞ」
「ありがとうございます」
スマホを口元に当て、喜色が滲むイケボで礼を言ってくる。そんな仕草もきまってる。俺もびっくりしたが、ギャルたちも当然ざわついた。俺らを交互に見比べて信じられないって顔つきだ。いや、そんな顔で見ないで……。こんなもっさりした髪の先輩と、なんで爆イケ一年が知り合いなのって感じなんだろ? 俺も知りたい。
おい、キタカド。お前知り合いでもねぇのになんで急にこんな親し気ムーブを起こしてるんだ。キタカドの指の長い筋張った手が俺の手首から離された。ほっとしたのもつかの間、スマホごと俺の手を握る。びっくりした俺は反射的にスマホから手を離すと、スマホはそのままキタカドの手に収まっていった。
「持ってきてくれて、ありがとうございます。お礼に、今日この後なんか奢ります」
琥珀色の印象的な色の瞳が半月みたいに細められた。その目を見たらそれが嘘だかほんとだか判るかと思ったんだけど、無理だった。ただひたすらにこいつ、顔がいいって思った。
「え、あ、いや、いいって」
「先輩ちょっと待ってて」
そのままこちらの話に大注目といった感じの女子たちに、キタカドはさっぱりした口調で声をかけた。
「聞いてた? 俺、今日先輩と約束あるから、そっち行くの、無理」
「えーっ!」
女子がずるい、なんで!とかぎゃいぎゃい騒ぎ出して耳がキーンと痛いほどだ。
「この人が最優先なの、俺」
どああああああ! 何言ってんだお前!!! お前と俺はどういう関係なんだああ!
また女子達がぎゃーぎゃーと騒ぎ出したし、俺も一瞬硬直してしまったじゃないか。だがなんだか混乱の波が俺まで押し寄せて来そうで、恐れた俺は教員室に向けてさっと踵を返した。
「じゃ、俺はスマホ渡せたし、もう行くから」
このままさっきまで面白がっていた攻防戦に、俺まで巻き込まれたらたまらない。逃げるが勝ちだ。だが今度はさらにこなれた感じで肩に大きな手を掛けられて、力強くがしっと引き止められた。
「そうですね、行きましょう」
「え? あっ? 行くってどこに」
自分で行くっていったのに言葉尻を取られてくすりと笑われる。
「決まってるでしょ? サッカー部の顧問のとこ」
いや、全然、決まってないぞ。今知ったんだが。意味わからん。
俺は肩を掴まれたまま逃げを打つため、前に進もうとじたばたともがくが、一歳年下とは思えない逞しい腕は外れやしない。見た目は美形の優男に見えるけど、こいつやっぱ運動部だし、部活やめた俺よりずっと体格がいい。
「ほら、暴れないで。行きますよ」
なんか俺の方がたしなめられた。くそう。これではどちらが先輩かわかったもんじゃないな。そのまま校庭に向かって、回れ右をされる。うちの学校は一足制で上履きはないから、そのまま強引に土埃立つ校庭までぐいぐいと連れ出された。
「おい、お前。ふざけんなって。止まれって」
肩に置かれた手をぱしっと手荒く振りほどいて意地で足を止めたら、キタカドが自分の形が良い唇に人差し指を押し当てて「しーっ」ってちょっと怖い真顔になった。
角度的に、女子達からはこいつの顔は見えない。急にきた真剣な表情に、ただ事でない雰囲気を感じる。俺はゾクッとくる美貌に見据えられ、まるで蛇に睨まれた蛙みたいに固まった。
少しだけ細めた大きな目の形も綺麗で、こんな仕草、相当なイケメンにしか許されないだろう。
「あいつら、まだ後ろで見てるから。話を合わせてください」
口の動きだけで『おねがい』と言った。思わず息を飲んで黙ってしまった俺、お願いに弱すぎる。でも隣に下がった俺が盗み見たキタカドの横顔からは笑顔が消えていた。
むむ、気になるぞ。これは何か事情があるに違いない。俺が大人しくなったことをいいことに、キタカドは俺の腰を攫うようにして校庭へ向けて再び歩き出した。
「一緒に顧問のところまで来てください。今日は美化委員会の年間活動の相談をするってことにして、俺、部活休んできますから」
「さぼるのか? 駄目だろ、部活はちゃんと出ないと」
部活をさぼるのはいただけない。俺の中の元バスケ部主将の血が騒ぐというものだ。
すると長い睫毛を伏せて、キタカドがふと愁いを帯びた表情を見せる。そんな表情の変化からいちいち目が離せない。立ち止まると俺は鬱陶しい前髪をかき上げつつ、キタカドを下からじいっと見上げて思わず率直に聞いてしまった。
「どした、なんか困ってんのか?」
この台詞を言うのは久々だ。中学の頃は部長として何度となく口にしたセリフだった。
キタカドは目を僅かに見開いて、ぐっと一度唇を引き結んだあと、観念したように吐息を零す。
「……部活終わった後、あんな風にまた集団で待ち伏せされんの、地味にきついんで」
「待ち伏せ?」
「そうです」
想像よりも苛立ちや嫌悪が滲む声色だ。俺は一気にこいつのことが心配になってしまった。
「毎回、あんな感じで?」
「……あれだけじゃないんです。体育祭実行委員とか文化祭実行委員とか色々勧誘されてて。どれも明日が第一回目の活動日だから、今ならまだ入れるって。今日は休み時間ごとにあんな感じで、相手にするの、いい加減疲れてきたんです」
と言いながらもう少しジャージの袖を上にあげたら、そこには掴まれてついたと思しき指の痕がついていた。
「おまえ、それ!」
「しぃ」
ぞっとした。女子の集団に囲まれてあの勢いで矢継ぎ早に誘われんの、きつい。ましてや体格差があるから振り払えないのに、こんな風に腕を掴まれて、痕までつくなんて。
痛かっただろうな。怖かっただろうな。俺がされたら、きつい。きっとこいつもきついに違いにない。
「……じゃあ今日クラスの集まりに行ったら確実に捕獲されるな」
「ですね」
よし、分かった。この顔面国宝、俺が護ろう。
余裕ありげなクールイケメンに見えたけど、あれは本人なりの防御壁として打ち立てた態度だったのかもしれない。弱り切った姿を見せるのは学年が上で同性の俺だからだと思ったら、放っておけなくなってしまった。
グランドに向かって歩いていき、女子達から離れるにつれてお互い饒舌になっていった。
「入学したてはみんな友達作りたくて必死な時期なんだろうし、お前かっこいいし、目立つから、仲良くなりたい奴、多いんだろうな」
「……あんな風に見た目だけ目当てってあからさまに言われて、近寄ってこられても、ね」
あー、そういう系の悩みね。羨ましいような同情するような。いや、やっぱ羨ましくはないよな。さっきの様子だときっとクラス中の女子が、是が非でもこいつを自分達の活動に巻き込みたいと思ってるんだろうな。それで分かった。なるほど。納得がいく。
「ああ、そっか。だからお前、微妙な美化委員会に入ったんだろ?」
俺が笑いながら聞いたからか、キタカドも笑顔を取り戻して、にこっと肯定してくる。
こういう表情はまだ少し幼い。でも爽やかなだけじゃない、なんだろこの放っておけない感じの儚さがある笑顔だ。自分より背も手もでかい男に儚さもなにもないかもだが、これ一回でも見たらガチ恋に沼る女子は多そうだ。男の俺でもなんか絆されてきた。
それにしても、なんだろ。ロック画の事を抜きにしても、何かこいつの事が気になる。目尻が少しだけ上がった、大きくて印象的なこの目、どっかで見たことあるような? どこだったか、どっかの雑誌のモデルとかアイドルに似てる? 俺はNBAの選手以外は大して詳しくないけど。
「先輩?」
あまりにジーッと見つめすぎて不審がられたかも。俺は気を取り直してしっかり胸を張ると、青いユニフォーム姿の部員が大勢いる方に歩き始めた。キタカドもすぐ横をついてくる。
「でもさ。美化委員会なんて地味めの活動じゃなくて、学校内でももっと華々しく活躍できそうな活動の方がお前に似合ってるような気がするけど、だけどお前はそれじゃ不本意なんだろ?」
こくっと頷かれる。
「それなら先輩だって、もっと表立って人を引っ張っていく方が似合うんじゃないですか?」
何をそう買いかぶられたのかしらないが、俺は大きくかぶりをふる。
「……んなことない。割と好きなんだ。地道な活動。地味な活動だからって、大事じゃないとも限らんだろ?」
「……俺も好きです。地味目な活動。美化委員会、良かったら俺が副委員長になりますよ」
「え、ああ?」
「先輩と一緒なら、やりたいです」
そんなん、急に言われたら照れるしかない。
「べ、別に副委員長は絶対に必要だとは言われてなんだが……」
さっき、一応黒板に書いてみたものの、参加者が少ない中で副委員長まで決めるのは公平じゃないと敢えて決を採らなかったのだ。
「そこは委員長権限で。俺にしてください。ね?」
くーっ。なにが「ね?」だ。甘い声で強請りやがって。
だが俺は、人から助けを求められるとやっぱり嫌とは言えない。あーあ、悪い癖がまた出てしまった。ちらりと顔色を見てから仕方なく俺は頷いた。
「分かったよ」
「ありがとうございます」
なんだかすっかりキタカドのペースに持っていかれてしまった。いや、委員会中から終始、こいつが場を支配していたのかもしれない。
でも委員長は俺、歳上なのも、俺! ここはしっかり主導権を握り返そう。
「おい、いいか。やるからにはちゃんと仕事してもらうからな。毎回活動に参加しろよ」
「分かってます。今回だって、ちゃんと参加してたでしょ?」
「うぐ……、そうだったな」
さっき一年に絡まれた時に結果的に助けてもらったような形になってたわけだから、これで借りは返したとか心の中で自分で辻褄を合わせていく。それにしたって、こいつが毎回清掃に参加したら、急に参加者増えそうだな……。主に女子が。
「じゃあ、ここでちょっと待っててください。顧問に話してすぐ戻ります。俺と一緒に帰りましょう。色々お礼込みで、なんでも奢りますから。駅前のカフェ、新作のフレーバーでてますよ。そういうの好き?」
「好きだ」
と即答したらキタカドは満足げに頷いた。だが、すぐに今日の予定を思い出す。
「あー。でも今日は無理だな。駅まで一緒に帰んのはまあいいんだけどさ。そのあと俺、用事あるから」
「……彼女と、会うとか?」
探るような目つきの妖しい光に、なんだかしどろもどろになってしまいそうだ。いちいち心臓に悪い、顔面の圧力を感じる。
「彼女なんていないよ。今日バイト先寄んないといけないから、駄目なんだ」
「そっか。よかった。バイトですか。先輩、何のバイトしてるんですか? 終わるまで待ちます」
なにが良かったんだかいまいちわからなかったが、キタカドは一瞬影った表情が元に戻って微笑んでる。俺より大きくても笑うとちょい、幼くて。この笑顔見ると、やっぱりなんか面倒を見てやりたくなるんだなあ。
「知り合いのカフェで。今日はシフトは入ってない。用事があって寄るんだ」
「じゃあ、俺も一緒に行きます。駄目ですか?」
「だ、ダメじゃないけど……」
ぐいぐいくるなあ。なんだかおかしなことになってしまった。キタカドは顧問、俺は担任に委員会の報告をした。
俺が担任から週末にある駅前清掃活動についてあれこれ話をされている間に、先に話がついたキタカドが職員室までやってきた。そこで副委員長になったとキタカドを担任に紹介することになって、なんだかんだやっているうちに本当に夕方近くになってしまった。
「嘘から出た真ってこういうこというんだな」
「そうですね」
二人で連れだって駅まで歩く。清掃活動の時に集合する場所はここ、とかキタカドに教えながら商店街を通り抜ける。駅前まで来きたら、キタカドが懸念した通り、さっきとは別の女子グループが本当に待ち伏せしていた。
俺はキタカドを護るように腕をとってそのグループとキタカドの間に入るようにして歩いた。まあ、こいつ、でかくて隠せないけども。
「キタカド、ちょっといい?」
俺たちの前に二人、女子が飛び出してきた。
「ごめんな。キタカド、これから俺と用事あるから」って俺は先輩風を吹かせてみた。さながら、イケメン王子様を守る騎士にでもなった気分だ。
女子はみんな悔しそうな表情を見せたけど構わない。そのまま歩みを止めずにいたら、後ろから「なんであいつが応えてるわけ?」「どこのクラス?」とか文句を言われてるのが聞こえてきた。女子の集団こわっ。てか、俺のが先輩だからな! それに好意から出た想いだって、こいつの事を傷つけていいわけじゃないんだ。
「こんなんで良かったのか?」
「ありがとうございます」
キタカドも余裕が出たのか、俺の肩に腕を回して前回の笑顔を向けてきた。
とはいえ。ほぼ初対面の男同士、急に会話が弾むわけではない。
殆ど葉桜になった八重桜からほろほろと花びらが散る。俺は花びら越しにちらちらとキタカドの顔を見ながら落ち着いたら再燃してきた「なんで俺の写真がロック画なんだ?」という質問をぶつけられないでいた。
もやもやっていうか、そわそわする。どんなタイミングで聞けばいいんだろ。
そしてそのまま、電車に乗り込んだ。電車でもちらちらと他校の女子がキタカドの事をみては何か言いあっている。わかるよ、わかる。イケメンいたあ、とかこの顔、話題作りに最適だ。
そして俺たちが乗った電車は最寄り駅の隣にある、近隣で一番便利なターミナル駅に着いた。
「店はここから徒歩十五分ぐらいあるよ。俺の最寄り駅の方に歩いていくから帰りは家の方までそのまま歩いて帰る。お前は、最寄り駅どこ?」
「隣の駅です」
「え、じゃあ俺と同じ?」
「そこからバスですけどね」
「そうか」
「もしかして、中学は東中?」
「……はい」
「俺も東中だったんだ!」
やっぱり、同中だったってことか。写真、写真は誰からもらった? じいっと見上げて顔色を伺うけど、キタカドは特段焦った素振りを見せない。それ以上何も言わないから俺が「っていってもうちの学校、生徒数多いから同じ学年でも知らん奴多いよな」とフォローするみたいに続けた。
「そうですね」
キタカドは尻尾を掴ませない。手ごわいな。写真の事までこれ以上突っ込めなかった。歩いている間にゆっくりと日が落ちて行く。アルバイト先のカフェ「陽だまり」に行き当たった。
「ここ、民家みたいですね」
「そうそう。ここ元々オーナーの実家をカフェに改築したんだって。裏に小さい庭があって、テラス席があるんだけど、今の季節は気持ちよくてお勧めだぞ。俺も手伝って、寒い時期に一生懸命球根植えまくったから、今沢山花が咲いてる」
「球根?」
「チューリップとか水仙とかムスカリがにょきにょき生えて咲きまくってて、それがパンジーとかと一緒に咲いてる。中々いい感じなんだ」
「花の名前とか、俺全然わかりません。チューリップは分かるけど」
「俺も最初そうだったんだけど、今はオーナーに教えられたから色々覚えたぞ。あー。庭を見せたいけどもう暗くて見えないかもな。こんばんは」
「あー! トーマだあ」
素っ頓狂な声を上げたのは近隣に住む保育園に通う女の子とそのお姉さんだ。俺の隣にいたキタカドを遠慮なく指差してきゃあきゃあと大騒ぎしてる。
「王子様がいる」
キタカドいきなり女児に大人気だな。
「ここって、カフェ、なんですか?」
戸惑い気味なキタカドと俺の周りに、小さな子供や小学生がどんどんと押し寄せてくる。俺は顔見知りの子たちといつも通り痛いぐらいに元気なハイタッチで挨拶する。
「ここ、第一第三水曜日は子ども食堂をやってるんだ。だから俺も今日はバイトはお休みで、ここのボランティアスタッフをしてる」
奥の席では子ども食堂の日だけ運営を手伝っている元教員のおばさんと、その旦那さんが俺に向かって手をあげてニコニコしていた。
「ねー。遊んで」
小さな手が滑り込むように俺の掌にはいってくる。子ども食堂といっても子供だけが使う訳じゃなくて、地域のママさんや一人暮らしの大学生、お年寄りから赤ちゃんまでいろんな人がここに集ってくる。
「あれ、トーマ。あんたえらくイケメンの友達連れてきたね」
ちょっとハスキーだけどやたら元気な声がして、オーナーがカレーが乗ったおぼんを持ったオーナーが歩いて来た。漂うスパイスの良い香りにお腹がぐーっとなってしまう。
「この人が進藤さん。ここのオーナー」
「よろしくね」
大口を開けてがははっと豪快に笑ってる。俺にとっては口うるさいが頼りになる、もう一人の母さんみたいな存在だ。
「お兄ちゃん、お名前は?」
「なんだよ、さっちゃん。俺の時と全然態度が違うじゃん」
小さくても女の子は正直だな。キタカドを見上げる目のキラキラ具合で分かる。小学生のおねえちゃんの方もモジモジしてはにかんでいる。
「トーマがいけてないのは、そのもっさりした髪の毛のせいだ。今週日曜日、忘れてないよな?」
ご飯を食べ終わった子供たちはイベント用に作ったパズルマットのキッズスペースで遊んでいる。その面倒を見ていたのは俺のバイトの先輩だ。美容師を目指して学校に通っているから、最近は忙しくてシフトに入ってない。でも子ども食堂の日は手伝いに来てくれる。
「先輩が沢山失敗してもいいように、こんなに長く伸ばしたんだからな。いい加減に鬱陶しいから早く切ってくれよ」
「俺の腕を疑うとは、失礼しちゃうな」
立ち上がってこちらに歩いて来た先輩は、俺のもさっとした前髪をかき上げて額を出させた。
キタカドは俺の隣に立ってその様子をじっと見つめている。
「お前、顔立ちは整っているんだから髪型さえ弄ればなあ。すげぇイケメンにしてやるから期待してろよ」
「そういうの期待してないんで大丈夫です」
「そっちのイケメンも雰囲気あるなあ。いつか俺に髪の毛切らせてくれな」
キタカドは俺や小さい子たちに見せる顔とはちょっと違って、明らかに警戒した感じに頬を強ばらせ、僅かに会釈した。
「ごめんな、この人、誰にでも馴れ馴れしいんだ」
「社交的って言ってくれ。美容師向きだろ?」
先輩はそのまま俺の髪の毛を触って、あーでもないこーでもないと言っている。
ダラダラとした時間にしびれを切らしたのか、キタカドが「あっちで、女の子が呼んでます」と俺の腕を引っ張って先輩から引きはがした。みれば確かに小学生の女の子が俺たちを手招きしていた。
「ねー、お兄ちゃん、名前何ていうの?」
「北門唯だよ」
「おなまえ、書いてえ」
別の女の子も反対側から自由画帳と鉛筆をキタカドに差しだしてきた。
長身のキタカドは膝を深く折ってしゃがむと、ノートを受け取る。そして隣にあった机の端に押し付けながら、すらすらと名前を書いた。
神経質そうな右肩上がりの、だけど読みやすく綺麗な字だった。早く書きたい気持ちばかりが先行して線が続いてしまう、癖のある俺の字とは大違いだ。
「へー。キタカドって北の門って書くんだ」
「トーマ。あんた友達の名前の漢字も知らなかったの? そんなんだから子どもたちに『トンマ』って言われちゃうのよ。天然なとこあるんだから」
「オーナー、そのあだ名、小っちゃい子たちの前で言わないでよ。マネするから」
「とんまー。とんまー。公園いってボールで遊ぼうよお」
「こら、お兄ちゃんのことそんな呼び方しちゃ駄目でしょ。それに公園はもう暗いからやめときなさい」
呆れた声を上げたのはオーナーの娘さんだ。
「綾子さんはオーナーの娘さん。輸入雑貨店で働いているから、ここのカフェのお洒落な内装とか雑貨は全部綾子さんチョイスだって」
「私っていうか、そもそもおばあちゃんの趣味だけどね。ここおばあちゃんち改装して作ったから。古民家カフェって言ったら格好いいけどあたらしらにしたら「ザ・実家カフェ」ってことよ」
オーナーとよく似た大きな声で笑う二人は太陽とか向日葵とかが似合いそうな明るい人だ。北門は店の中にゆっくりと視線を巡らせて、カウンターの上で目を止めた。きっと俺と同じことを考えていそうだ。アンティークっぽいブロンズの枠の写真立ての中で、二人とよく似た白髪のおばあちゃんがみんなを見守るように微笑んでいる。
そう、その人がこの家の元の主だ。
「まあ、あんたたちもカレー食べていきなさい」
「え、俺も?」
「大丈夫。お代はトーマにつけとくから」
「え……」
「うそうそ。平日に来てるカフェのお客さんたちが今日のカレーやおにぎりの分までお代を置いて行ってくれるから、子どもや学生ボランティアの分ぐらいは出せるから。食べてきなさい。そのあとは宿題教えてあげたり、子どもたちとゲームで遊んであげたりして働いてもらうからね」
「もちろん。北門、ここ座ってて」
俺はカウンター席の重たい木の椅子を引いて北門を座らせる。そのまま奥のキッチンに入ると、そこで綾子さんがてんこ盛りによそったカレーとフルーツポンチを受け取って戻ってきた。
「食べよう」
ホカホカの湯気が上がるカレーを見て、北門はしばし固まっている。その間も俺の背中にはぺたぺたと子供たちがくっついてきてる。
「給食みたいだね」
「給食嫌いなのか?」
「いや。好きだけど」
「ここのカレーは小学校の給食に近いかもな。中学まで給食あったからお前的にはついこないだかもしれないけど、俺は無性に給食のカレーが食べたくなる。ここのカレーも負けないぐらいに旨いよ。いただきます」
「いただきます」
俺は熱いものでも結構ガツガツ行ってしまうタイプなので、皿はあっという間に空になっていく。見た目通りなのかそうじゃないのか分からないが、北門は熱いものは得意ではないみたいだ。えらくゆっくり冷ましている。
一口めを食べた反応が見たくて、じいっと見つめていたら、照れた表情を見せたのがちょっとかわいいと思った。
「あんまりじっと見られると、食べにくい」
「そうか? ごめん。うちの母さんなんて感想言うまで、いっつもこんな感じでジーって見てくるぞ」
「……うち母さん、いないから」
「あ……、ごめん」
いきなりデリケートなところをぶっさしてしまった。焦った俺はまた余計なことをどんどん口走る。
「じゃあ、飯いつもどうしてんの?」
「適当に……。父さんもあんまりご飯作るのが得意じゃないから。大体買ったり外で食べたりかな。手作りっぽいこういうカレー食べるのは久しぶり」
「……そうなんだ」
ばかばか。俺のバカ。こういうところが本当にトンマなんだよ。頭では家庭によって色んな事情があるってわかってるのに、瞬時にパパっと機転が利かせられなかった。一瞬の自分との勝負に負けて、こうして墓穴に墓穴を重ねて掘ってしまう。これが兄貴だったらもっとずっとスマートに人と接するんだろうけど、俺はなんというか、間が抜けてる。
無言でカレーを口に運び始めた俺に、カウンターの向こうから見ていたオーナーが助け舟を出してくれた。
「じゃあ、今度カレーの作り方教えてあげるから。あんたがお父さんに作れるようになってあげたらいいんじゃない」
「俺が?」
意外な申し出に顔を上げた北門に、俺も同じようにぽかんとした顔でオーナーを見上げた。
「来月は豚汁の予定だから、月二回ここに味見しながら習いに来たら、一年経ったら24種類作れるようになるわよ。二年経ったら48種類。それだけつくれたらあんた、一か月の夕飯、大体違うもの食べられるわよ」
ああ、こういうところが俺の第二の母ちゃんなんだ。俺が憧れた、さりげない優しさと暖かい人柄をオーナーは持っている。
中学生の時、よくここを通りがかって看板は見ていたけど、民家っぽい見た目で入ることを躊躇してた俺に、声をかけてくれたのもオーナーだ。ちょっとお節介で、でも暖かい。
こういう大人になりたい。当たらず触らずだってできるこの世の中で、俺も一歩踏み込む勇気が持てる大人になりたい。俺はぎゅっと拳をにぎると、勇気を出して北門に声をかけた。
「なあ。俺とくればいいよ。月に二回ぐらい部活休んでもいいだろ」
「……あんたさっき部活は休むなって言ってたくせに」
呆れた声じゃなく、からかうような調子で北門が返ってきた。
「いいだろ。一緒に来よう」
一歩踏み込んでみた。北門は退かなかった。
北門は俺の隣で素直にこくんと頷いてカレーの乗ったスプーンを口に運んだ。返事を貰い俺はほっとしてカレーを沢山すくったスプーンを口に運んでモリモリ食べた。
おかわりまで食べ終わった後は俺たちはそれぞれ子供たちに請われるまま、宿題を教えてたり、ゲーム機を借りて対戦してあげたりした。
進学して俺たちの中学の後輩になった子たちもやってきた。去年までは小学生でここに来ていて、近所に住んでいる。真新しい制服姿を見せてくれて、オーナーが感動していた。俺はまたここでの繋がりが嬉しくなった。
本当なら店から最寄り駅までの間に家があるんだけど、それはあえて言わない。
こいつと歩く帰り道の空気感が悪くないなって思った。
あえて自宅のある道を選ばず、通り越して北門に乗る予定の駅前のバスターミナルに向かって歩いていく。
俺は結構歩くのが早い方だけど、今日は何となくちょっとのんびりそぞろ歩くっていう気分になってる。北門もそんな俺の歩幅に合わせてくれているみたいだ。
春の空気は温くて心地よく、歩いていると腹もちょうどいい感じにこなれてきた。
ほとんど初対面の男と並んで一緒に歩きながら、ほわあって思う。本当に不思議な日だ。今朝、こんなことが起こるなんて思いもよらなかった。人生ってたまにこういう急な別ルートみたいなところに入っていくから面白いと思う。
たまにどこからか桜の花びらが飛んでくる。空気にまで花の香りが溶け込んでる感じの、甘い夜だ。
北門が使うバス停についた。待っている客も夕方程はいない。ベンチに並んで座った。別にここですぐさよならでもいいのに、なんだろうか。俺はまだ今日のこの奇妙な感覚をまだまとったままでいたいのかもしれない。
隣に座っている友達とも後輩ともまだ名前がしっかりつかない人との距離感がなんだか心地よい。俺はうーんと大きな伸びを一つした。
「カレー旨かったな」
「……はい。今度、これ返さないと」
北門がカレーが入った容器をレジ袋ごと持ち上げた。これを返しに来るようにと念を押してる。次回も遠慮なく北門を「陽だまり」にこさせようとしている、オーナーの老練な作戦だ。俺はそういうのを、いい感じの大人たちから学んでいけたらいいなって思うんだ。
「……トーマ先輩、あそこにはよく人を連れて行くんですか」
俺はちょっとだけ考えてから、さりげなく聞こえるように明るいトーンで応えた。
「あー、そういや。誰も連れてったことないな。あそこは俺にとって隠れ家みたいなもんだから」
「隠れ家?」
「そうだ。今までの自分とはちょっと違う自分になるための魔法の家、なんてな」
意味が分かんないって顔をされたり、茶化されるかと思ったら、されなかった。じっと綺麗な目がこっちを見てきて、無性に照れる。
「こんな話、誰にもしたことなかったのにな」
照れ隠しも手伝って、独り言を呟いてしまった。車道に目をやったら、ちょうどバスがついた。
「どうしてそんな大切なところに俺のこと連れて行ってくれたんですか?」
「それは……」
お前がついてくるっていうからって言いかけて、それは違うと思って黙った。
あの場所には、今まで中学の部活の仲間も、高校からできた友人も連れていったことはなかったし、あえて連れて行こうとも思わなかった。
父も兄もバスケ部、小中とバスケ一筋で来た俺にとって、あそこはそれ以外の俺が生まれた大切な場所だ。
まだ全てが俺の日常に溶け込み切れていない、新鮮な空気感があって、それを俺はまだ、俺だけのものにしていたかった気がするんだ。
あそこにいる俺は今までのどの俺とも違う。本来の俺自身があの場所にはあるような。そんな気がして……。だから、どうしてだろう。どうして北門をあそこに連れてきたんだろう。
俺は北門にとって、どんな俺を見せたいと思ったんだろう。
「じゃあ、あの場所は俺たちだけの秘密の場所ですね」
北門はそう囁きながら、考えたまま立ちすくむ俺を残してバスに乗り込んだ。
「どうしてだろうな」
独り言を呟いていたら、何故か北門がタラップを逆戻りに一段降りた。
「先輩……。高校はなんでバスケ部に入らなかったんですか?」
「え……」
プシューっと音がしてバスの扉が閉まる。扉の向こうは薄暗く、もう北門の表情は探れなかった。動き出すバスから距離を取ろうと、俺はよろけるように数歩後ろに下がった。
不意打ちに食らった、ジャブのような台詞だ。
「あいつ……、やっぱ俺がバスケ部だって知ってたんだ」
じゃあなぜ、北門は俺の写真をロック画にしたんだろう。なんで……。
マイリンクのXにて最新の活動を色々発信しております。応援&ご覧いただけますととっても嬉しいです✨
委員会終わりの教室には、俺以外もう誰もいない。窓から吹き込む風にカーテンが波打つ。俺は窓辺へ近寄り、机に手をついて窓を閉めようとした。こつん、指先に硬いものが触れる。
うわ、スマホだ。スマホが置き去りになってる。ここに座っていた奴の輪郭がシャープで綺麗な横顔がすっと頭に浮かんできた。
あー。これはやっぱ、俺が届けるべきだよな
高校では人の面倒ばかり見るのはやめようと誓って誓っただろうって、すぐに自分で自分に突っ込みを入れる。このスマホもあまりのプリントと一緒に教員室まで届ければ事が済む。
でもあいつこの後部活にすぐ出るよな。練習前にスマホが無いことに気がついたら、気になってサッカーに集中できなくなるかも。それで怪我でもしたら……。
俺は二年で美化委員会のなりたて委員長、相手は一年生だっていうのも重なって、お節介心がむくむくと沸き上がる。
うーん。どうしよう。俺はがしがしっと頭をかいて、誰も見てないから「はあっ」とデカめのため息をついた。
てか、こんなことを考えてる時間が勿体ない。委員会後の教室の最終確認まで担任から引き受けたのは俺だし、今、教室を飛び出せば、あいつが校庭に出る手前に追いつけるだろう。
俺は中学まではバスケ部員で、足の速さには自信がある方だ。追いつけば即終わる用事だし、渡してさよなら。5分もかからないだろう。
「行くか」
そうと決まれば行動は早い。気持ちが急いて、カリカリと爪を立てひったくるように机の受けからスマホをもちあげた。そしたらその拍子に暗かった画面にピカッとロック画が映し出される。
チラ見した画面を見て、驚きのあまり「うへっ?!」って変な声が出た。手元もくるって、人のスマホを吹っ飛ばしそうになり、慌てて空中で掴みなおす。目がしぱしぱと瞬いて、心臓が早鐘を打ち始めた。
ど、どういうことだ? 見間違い? そんなわけ、ないよな?
もう一度よく見ようと恐る恐る顔の前に持ってきた画面いっぱいに、馴染みのある赤いユニフォームを着た人物が映る。この色、このデザイン、これは間違いない。
「な、なんであいつのロック画、俺の写真になってんだあ?!」
※※※
時間は1時間だけさかのぼる。
4月、高校二年の新学期。俺は去年に続き今年も美化委員になってくれと担当でもある担任教師に懇願された。中学まではバスケ部に所属して毎日忙しい生活を送っていた俺だけど、今はバイトがない日はだいたい暇だ。
時間を持て余すぐらいだ。だから去年の美化委員の活動も毎度きっちり参加して、皆勤賞だったのは俺だけだったらしい。それをやる気ありと見なされたわけだ。
まあそれぐらいならいいかな、と軽く引き受けたわけだけど「じゃあ、初回は連絡事項下ろすだけだから、南澤に任せる。よろしくな!」とか調子のいいことを言って、担任は出張が入ったとかいい、議事進行全てを俺に丸投げしていった。
なに出張とかぶせてんだよ! あのニヤケ眼鏡め、ふざけんな! と心の中では人並みに毒づきながらも、『去年の担任もお前なら何任せても大丈夫って太鼓判押されてるんだ。頼りにしてる!』とか言われた。
むう、俺は頼りにされると、嫌とは言えない性格なんだ。
放課後に始まった第一回美化委員会。初回だというのに集まりがものすごく悪い。大体俺の相方になった奴もバレー部を優先してバックレた。教室を見渡すと、去年のクラスメイトが辛うじてこっちを見て笑ってくれている。ほっとして議事を進めることにした。
「じゃあ、早速、委員長を決めたいんだけど」
さっと、みな俺から視線を反らした。むむっ。皆頬杖をついて、スマホを弄っていてやる気はゼロ。そりゃそうだよな。美化委員会に喜び勇んでくる奴なんて聞いたことがない。 早く帰りたいよな。窓の外は青空、ぽかぽかいい天気だし、俺だってこの後用事があるから、さっさと終わらせたい。だから協力してくれよ。
だが誰からも手が上がらないまま、時間だけが過ぎていく。仕方がない、俺はぐっとこめかみを拳で押してから呟いた。
「じゃあ、俺がやる」
こういうしらっとした空気が嫌で、結局立候補する羽目になった。こういう時、結局自分を犠牲にしてしまう俺なのさ……。
「改めまして。委員長になった2年7組の南澤燈真です。早速だけど、一か月後、5月の二週目の土曜日に駅前商店街主催の清掃活動があります。なるべく大勢参加して欲しいって深谷先生から伝言受けてきてます」
声がしっかり教室の後ろまで届いたようだ。校外活動まであるって知らなかったのだろう。そうツンツンした空気感出すなよと思いつつ、俺は気にせぬ素振りで説明をつらつら続けた。
「例年、商店街の春と秋の二回の祭りに、うちの高校の部活が、舞台発表やブース出店で参加してます。そのお礼も込めて駅前商店街ぴかぴか大作戦に奇数月に年6回、部員たちと一緒に美化委員会も清掃活動に参加してます」
「そんなん、その部活の人だけ、やればいいんじゃないっすか?」
手も挙げずに不遜な顔で文句タラタラな下級生に、俺はめんどくせぇなと思いつつも一応笑顔は崩さない。上級生がいちいち下級生にオラついても意味ないし。だせぇから。
「美化委員会の受け持ちは年6回中の二回だけ、残りは祭りに参加している部が受け持ってくれてます。美化委員は基本的に、校内行事の後の清掃をそれぞれの実行委員と一緒に手伝ってやるぐらいで、体育祭や文化祭、球技大会の実行委員会に比べたら活動内容自体緩いと思うけど。準備期間とかないから、その日に行けばその場で終わるし」
人の前に出て喋るのは部長経験のお陰で割と得意な方だ。わりと淀みなく説明をしたら、発言してきたやつがすぐにばつが悪そうな顔をして黙った。
それを見届け、俺は先生に渡された年間日程のプリントを前列の人に手早く配って歩く。手元にプリントが結構余っていた。この感じ、来なかった奴も大分多そうだ。まあ、うちのクラスもだけどな。
「商店街の清掃活動、5月に参加できない人は9月か、部の受け持ち日とか二回以上は必ず参加してください」
するとまた最初に発言したやつが、なんかぶつぶつ言っている。
「こんなんわざわざ集まんないでプリントくれるだけでいいのに。今日も部活いったやつとか出てないし、どうせ清掃活動もこないんじゃね? 不公平だろ」
そんなことも分かんねぇの? みたいなことを呟いて隣の友人と思わしきやつと、聞こえよがしに嘲笑してくる。
一応さぼりもしないで委員会にでてくるだけ、ましなのかもしれないが、足を広げて腕を組んだ座り方も行儀が悪い。こういういちいち自分の不平不満ばかりでかい声でわめく奴ってどこにでもいるんだな。俺には到底理解が出来ん。
うるせぇ、黙れよって気持ちを込めて俺が眉間に力を込めたら、それを呼び水にしたみたいに相手が俺を睨み返してきた。もう不機嫌を隠そうともしない。
相手は一年にしては見た目が派手だ。あいつらから見たら俺みたいな背も170センチそこそこ、伸びきった前髪がもっさりの見た目大人しそうな二年生なんて、別に怖くもなんともないんだろう。
その一方で考える。二年三年も部活のあるやつはそれを理由に出て来ないのは確かだし。まあ、この意見ももっともだ。
「そうだな……。別に連絡だけなら今年はもう委員会を開かなくても」と言い掛けたら、それを不機嫌そうなイケボにぴしゃっと遮られた。
「俺も部活があるけど出てる。他にもそういう人いるだろ。一緒にするな」
特段大きいわけじゃないのによく通る。有無を言わせぬ引力のある声だ。皆、後ろを振り返る。
文化部である俺の元クラスメイトもうんうん頷いてる。ぐちゃぐちゃ文句を言っていた奴らも、すんっと押し黙った。
あれ、これって助けてくれたってことか? 俺もつられて声がした窓側を見て、すぐその佇まいと存在感に惹き付けられた。
教室に入ってきた時から妙に目立つ奴がやついるなって思ってたけど、こいつだったか。そいつは真新しいサッカー部の青ジャージに身を包み、長い脚を持て余し気味に一番後ろの席に座っていた。
入学式直後に部活動勧誘のチラシを配りに行ったクラスの女子が、顔面国宝級イケメンがいるって大騒ぎしてたっけ。たしかサッカー部とか言ってたような? なるほど女子がはしゃぐわけだと納得してしまった。
そいつと視線がかちっと合った。じっとこちらを値踏みするような、探るような目つきで見据えられる。俺もじいっとそいつに目を凝らした。
スポーツやってますよっていういかにもな爽やかさだけじゃない。とにかく強つよの顔面に、醸し出す雰囲気がどことなく憂いを帯びて気だるげで、それがこいつの大人びた雰囲気に一役買っている。ああ、これモテるでしょ、って確信できる。このルックスじゃなきゃメンズウルフなんて主張のある髪型できないだろ。
背は俺よりずっと高そうだけど、どんどんごつごつしてきた二、三年に比べたら、まだ頬のラインとかに僅かに幼さが残っている。そりゃそうか。こないだまで中学生だったんだものな。
時間にしたらほんの数秒だった。そいつはすぐに興味を失ったように俺から視線を外すと、机に肘をついて顎を載せて、グランドを眺めた。部活が気になるんだろうか。
明らかにカースト上位って感じのオーラがでているとはいえ、一年か……。一年生に助けられちゃったか。いつもは降りかかった火の粉は自分で叩いて消しまくるけど、たまには助けてもらうっていうのも、そんなに悪くない気分だ。
いつの間にかみんながスマホから顔をあげてこちらを見ていた。皆の意識が自然とこちらに向いたのを感じる。ありがとな、イケメン君のお陰だ。
俺は鬱陶しい前髪をかき上げてニコッと笑った。目が合った相手もなんとなく笑顔になってくれる。
「俺は去年も美化委員だったんだけど、商店街の清掃活動はわりと楽しいよ。終わった後、これでもかってぐらいに商店街のお店の人達がジュースとか菓子とか、労って差し入れだしてくれる。肉屋さんがコロッケ配ってくれた時もあったなあ。肉がごろごろ、ほくほくのやつ」
「トーマ、食い物目当てか!」
去年のクラスメイトが合いの手を打ってくれて、和やかな笑い声が起った。
「だって本当にすげぇ旨かったんだよ。他にも商店街の美味しいものを教えて貰えたよ。俺はね、普段生活してたら出会えないような色んな人と話が出来て、大勢でわいわいするの、嫌いじゃないんだ。だから楽しかった。だから来月の活動も、もしも興味が湧いたら、来てくれると嬉しい」
話している最中も、何人もうんうんと頷いてくれていたから、手ごたえを感じた。ちらっと一瞬だけイケメンくんの方を見た。彼もこれまた真剣な顔つきでこちらを見てくれている。派手な見た目と違ってあの言動といい、根は真面目な奴なのかもしれない。
「じゃあ、これで解散」
連絡することもこれ以上特にないから、委員会は開始30分で終了した。確かにこれからはメール連絡網でも使えば楽かもしれない。だが実際に集まらないと所属意識が低くなって活動自体への参加率はどんどん落ちていきそうだ。
どうしようかな、などと考えながら黒板の文字を消していたらさっきの友達が声をかけてくれた。
「トーマ! 清掃活動、春の方が涼しそうだから、俺ら二人で参加すると思う」
隣にいる大人しそうな彼女と並んで、二人ともニコニコしていて感じがいい。
「ありがとう」
「礼とか言って、真面目かっ! 委員長立候補もお疲れさん。さっき絡まれたのに助けられなくてごめんな。俺弱いから。でも半分その髪の毛のせいだと思うぞ」
そう言ってぴらっと俺の前髪を暖簾みたいに引き上げた。
「イケメン台無しじゃん、何この髪型。お前1年の時もっと格好良かったぞ」
「あー、これ。バイト先の先輩が美容師の専門学校行ってるんだけど、その実験台になるために伸ばしてたんだよ。今週末切るから」
「そうなんだ。そういや、あの一年すごかったな。あんなはっきり発言して、かっこよかった。すげぇイケメンだし。なんか独特の迫力あったなあ」
「ああ、あいつ……」
俺たち以外、例の噛みついて来た一年生も含めみんな退室していた。一言で場の空気を変えてくれたあいつにお礼を言おうと思ってたけど、もういなかった。残念。
「ほんと、勘弁してくれって感じだよな。でも文句言ったやつも、二回はきちんと活動に参加させてやる」
「流石、トーマ」
「それもこれも、全部担任に丸投げされたせいだからな」
「でもまあ、トーマに頼めばなんとかなりそうな気がするもんな。俺でも頼むわ。大人しそうに見えてお前気ぃ強いもん。去年の文化祭の時だって、うちのクラスのお化け屋敷に順番横入りしてきた怖い先輩達ともめた時、トーマが真正面から立ち向かって収めてたもんな。お前がいたから去年のクラス、派手系も俺みたいな大人しい系も交流できたって言うか、雰囲気良かった。今年のクラスはいまいちなんだよなあ。トーマロスだよ俺」
そんな風に労われたらなんかむずむず照れる。
彼女の方も小さくぱちぱち手を叩いてくれた。ありがとう。みんながこんなだったらもっとやりやすいのに。
部活に行く二人と別れ、誰もいなくなった部屋を見渡す。遠くから吹奏楽部の演奏する音や外部活の人の声なんかが聞こえてくる。
カーテンが暖かい風でぶわっと舞う。部屋の最終確認を任されていたので、俺が窓を閉めないといけない。机に手を突いたら、指に硬い何かが当たった。手元を見たら、そこには置き去りのスマホがあった。
すぐに、ぴんときた。ここに座ってたのはあの顔面つよつよ君だ。俺は急いでスマホを取り上げると、その拍子に画面が明るくなってロック画が目に飛び込んできた。
「え……、ま、何で?」
どういうこと? あいつの待ち受け画面の写真、俺、なんだけど?
心臓が走った後でもこんなにならない程バクバクしてきた。しかもこの写真、俺って一目で分かるのはきっと俺だからだ。
中学の時のバスケ部のユニフォームを着た背中と、ぎり映ってる横顔が、俺。
見間違いかとも思ったけど、ユニフォームのデザインといい、腰を落としてボールをキープしているプレイ中と思しき動作といい、そしてこの背中に23番の背番号の文字ついてることといい、これ絶対、俺だあ!
気持ちが溢れてデカイ声を出しそうになってしまい、慌てて口元を手で覆う。
はあ? 意味わかんねぇ。誰からもらった写真? まさか本人が撮ったなんてことないよな? ロック画って普通好きなアーティストとかなんか旨そうなもんとかエモい写真とか、百歩譲っても彼女の写真とかじゃないのか?
あいつ、俺の中学の後輩? いや、覚えていない。あんなやついたら目立ってしょうがないだろ。バスケ部には絶対にいない。俺部長だったから、断言できる。
ただし、母校がかなりのマンモス校ってこともあり、同じ学年にも顔を見てもピンとこないやつも多い。下の学年だったらもう、接点がないと覚えてなくてもおかしくない。
もう一回写真を見ようと思ったけど、人のスマホ弄りまわしているところを他人に見られて後から何か言われても嫌だ。
ここはもう、とりあえず早く本人に返すことにしよう。うん。返すタイミングで聞けたらロック画のことを聞いてみるか。いや、面と向かってあいつ聞けるかあ?
あのクール顔面国宝に『これ、俺の写真じゃね? なんで?』って聞いて『人のスマホ、勝手に見たんですか?』とか『気のせいですよ』とかしらを切られてみろよ。そっから何て言っていいか分かんないし、大体なんで俺の写真なの? とかさ。聞くこと自体、ものすごい恥ずかしい。
聞かない方がいいかも。……うーん。でもものすごく気になる。そんなことより、とりあえず、スマホを返しに行こう。そうしよう。
俺は残りのプリントを掴むと、あいつのスマホを制服のポケットに突っ込んで階段を二段飛ばしで駆け降りた。
あいつはジャージを着てたからこのまま部活に出るためにグランドに向かってるはずだ。途中誰ともすれ違わなかったけど、昇降口まで来たら何人かの女子の話し声が聞こえてきた。
女子グループに囲まれた輪の中心に、このスマホの持ち主がいた。俺は走りながらポケットからスマホを取り出して、声をかけようと腕を振り上げた。
だが餌に群がる鯉の群れみたいに、あいつは女子生徒に取り囲まれててものすごく声をかけにくい。
これから運動をするところなのか、皆Tシャツにジャージ、もしくはスカートの下にジャージの短パン姿だ。それにしてはばっちりのメイクで、その上ばらばらに喋るものだから騒々しくて声をかけるタイミングが掴みづらい。しゃあなしと、俺はちょっと離れたところから、じっと彼らの様子をうかがうことにした。
「ねえ、キタカドにもエンダン入って欲しいんだけど、どうしても駄目?」
キタカド、ふーん。あいつキタカドっていう名前なんだな。キタカド……、北に角? どんな字書くんだろ。
エンダンの単語に、彼女達の派手な見た目に合点がいった。エンダンとは体育祭に向けて結成される応援団の事で、学校中の陽キャが集まってくるようなところだ。
五月の終わりにある体育祭で各ブロックごとに立候補した面々で応援団が形成される。趣向を凝らした派手な衣装とダンスで彩りを添える応援団による、ブロック対抗戦の集団演舞はリレーに次いで体育祭一番の盛り上がりどころだ。
たしか俺のクラスは今年は赤ブロックだった。今年は大人しい人が多いらしくて、集まりが悪いとかなんとか。だから俺まで誘われた。中学の時の応援団と違って高校では男女ペアになる激しめダンスを踊る。俺は体育の授業のダンスですら人前で踊るのがすごく恥ずかしかったから、絶対に無理と、即断った。
それに団長がダンスガチ勢だと、結構本格的な振り付けもするらしい。
去年、女子との出会いを求めて入った奴がいたけど、そいつは振り付け出来なくて相当苦労してたっけ。
俺もそれでも頼むよ、入ってって、ごり押しされそうだったけど、美化委員の活動が忙しくなるかもとか適当な理由をつけてなんとか断った。それがつい昨日の話だ。
あいつが俺以上に女子に取り囲まれて、ゴリゴリに押されている場面に出くわしたようだ。しかもうちのクラスの優しめな女子と違って、強引さが半端ない。逃がさんとばかりに両側からジャージの袖を引っ掴まれているのが見えた。
結構可愛い女子達に縋りつかれているというのに、キタカドはクール極まりない涼しげな顔で「エンダン無理、バスケもあるし」とむげに断っている。だが女子達もどうしても逃したくないのだろう。必死で食い下がっている。確かにエンダンで活動しているうちに仲良くなって付き合い始めたカップルがいたし、こいつはそういった意味でもロックオンされているんだろうなあと思った。
「部活やっている人も何人か入ってるって! ダンス踊れなくてもキタカドはビジュが圧倒的にいいから! 簡単な振付にするし、嫌なら真ん中に立っていてくれるだけでもいいよ」
真ん中に立ってるって。飾り物、応援団のビジュ担当とはあからさまな誘いだなっと流石に呆れてしまった。だけどこれだけエネルギッシュにおされたら俺なら勢いに負けて頷いてしまうかも。だが顔面強つよ君改めキタカドは顔色一つ変えない。
「無理」
一言でざっくり。心底興味なさそうってクールって感じがまた格好よくて卑怯だ。現に断れられたのに女子の顔がみんな余計に恋する乙女って感じになってる。
こういうつれないとこが余計にモテそう。四六時中彼女作りてぇって顔に書いてある男子より、ずっと上等に見えてしまう。
俺は余計に火がついたように見える肉食獣みたいに輝きを増した彼女らの目つきにおののきながらも、この攻防戦の行く末をじっと見守ることにした。
「えー。キタカド、中学の時より女子に冷たくなった! 昔は遊びに誘ったら来てくれたりしたじゃん」
「……」
おおっと。なんだかこじれそうな予感。キタカド、お前中学の時はチャラ系だったのか?うーん。これは時間がかかりそうだ。一旦プリントおきに教員室行ってくるか? いやでも、スマホを預かったままはまずいか。声かけるか、どうしようか。
一瞬踵を返そうと迷い脚を動かした時、俺の靴底が廊下と擦れてキュッと大きな音を立てた。
するとその音に気が付き、目線を上げたキタカドの視界に俺が入り、また目が合った。
すぐ反らされるかと思ったのに、今回は違った。俺を見て口元を綻ばせたように見えて、表情の変化におおっと思った。なんだろう。美化委員の先輩だあって思ってくれちゃった? なんか懐かれてる?
「あーもう。じゃあエンダンはもういいよ」
だが即、女子に手綱でも握られたようにグイッと腕を引っ張られ、キタカドはまた強引に会話に引き戻されていった。お気の毒に……。
「その代わり、今日エンダン終わったら、クラスのみんなとカラオケいって、ご飯食べに行くからキタカドも来て。キタカド連れてくるって、皆に言っちゃったんだから。部活が終わった後でも間に合うよね?」
そっちが本命の誘いだったのだとしたら、これは中々の策士だ。一枚上手の女子にクールキタカドはどうでるか? 俺はなんか面白くなってきてスマホをもったまま、腕をぷらぷらさせていた。
「トーマ先輩!」
突然キタカドが俺を呼んだ。へっ、なんで? 急展開すぎん? 女子がみな一斉にアイメイクががっつりの目で俺を凝視してきた。恐ろしいぞ。そんな怖い顔で見ないでくれ。てか、一体どういうこと? なんでキタカドが俺の名前知ってんだ? って思ったけどさ。
俺さっき委員長ですって、名乗った。
目を白黒させてたら、あろうことか渦中のキタカドがこっちに向かって真っすぐに歩いて来た。俺は逃げるわけにもいかずに、ぐっと背中を後ろに反らせながらキタカドを見つめ返す。突然漫画のモブが主要人物に祀り上げられた気分だ。
「待たせてごめん」
本当に申し訳なさそうな顔をしてきた、こういう顔も中々格好いい。
じゃなくて! 待たせてごめん。だと? 急な小芝居が始まり、俺はこっからどうするんだろって目を泳がせながらキタカドを見上げた。すると奴は俺のすぐ傍に立ち親し気に笑いかけてきた。
ま、眩しい。何その笑顔。近くで見ると一段と顔面の圧が強い。なんなん、これ。俺と同じ人間? 主張のある髪型に目元近くまである長めの前髪、その下に覗く、くっきり二重の大きな目、さっき教室でも思ったけど、目の色素だけ薄くて教室の窓辺だとまるでべっ甲飴みたいで綺麗だった。すっきりと高い鼻梁に形のいい唇。はっきりした顔立ちだけど、くどさはない。ちょうどいい感じ。笑ったらクールさよりも、甘さが引き立つ表情になる。さっきまでツンツンしていた男が女子には目もくれず、俺の事だけ見て微笑んでる。
なにこれ、男なのにガチ恋されてる気分になるじゃん。どういうシチュエーションなんだこれは……。するとキタカドは俺の手首を掴んでぐっと腕を引きあげた。
急にやめてくれ、つま先立ちになりそう。身長差けっこうあるんだから!
「ひゃっ」
「先輩、これ」
おいおいおい、顔の位置が近い! ちょっと動いたら口がどっかにくっつきそう! 女子達もキャッとか声を上げてる。くそう、俺も変な声が出た。悔しいなあ。
キタカドはそんな俺を面白そうに見下ろしてくる。なんなわけ?
お互いの顔の真ん中に、スマホ。ロック画はぱちっと俺に向かって映る。反射的にびくっと肩を震えさせてしまった。だから何で俺の写真なんだあああ!
おい、この写真、明らかにキタカドに気がある子らに見られたらどんな反応されんだよ。いや、流石にこんな遠目じゃ、俺ってわかんないよな。
ちらりとキタカドをねめつけたけど、顔色は変わらない。涼しい表情で、むしろさっきよりなんだか楽しそうだ。なんか俺だけ挙動不審になってわたわたしてて恥ずかしくて悔しい。
「俺のスマホ、持ってきてくれたんだ」
敬語だけじゃないこういうため語も交えてくる感じが自然で、なんか親しさを演出してくるのがまたずるいじゃんか。
「お……、おう。教室に置き去りだったぞ」
「ありがとうございます」
スマホを口元に当て、喜色が滲むイケボで礼を言ってくる。そんな仕草もきまってる。俺もびっくりしたが、ギャルたちも当然ざわついた。俺らを交互に見比べて信じられないって顔つきだ。いや、そんな顔で見ないで……。こんなもっさりした髪の先輩と、なんで爆イケ一年が知り合いなのって感じなんだろ? 俺も知りたい。
おい、キタカド。お前知り合いでもねぇのになんで急にこんな親し気ムーブを起こしてるんだ。キタカドの指の長い筋張った手が俺の手首から離された。ほっとしたのもつかの間、スマホごと俺の手を握る。びっくりした俺は反射的にスマホから手を離すと、スマホはそのままキタカドの手に収まっていった。
「持ってきてくれて、ありがとうございます。お礼に、今日この後なんか奢ります」
琥珀色の印象的な色の瞳が半月みたいに細められた。その目を見たらそれが嘘だかほんとだか判るかと思ったんだけど、無理だった。ただひたすらにこいつ、顔がいいって思った。
「え、あ、いや、いいって」
「先輩ちょっと待ってて」
そのままこちらの話に大注目といった感じの女子たちに、キタカドはさっぱりした口調で声をかけた。
「聞いてた? 俺、今日先輩と約束あるから、そっち行くの、無理」
「えーっ!」
女子がずるい、なんで!とかぎゃいぎゃい騒ぎ出して耳がキーンと痛いほどだ。
「この人が最優先なの、俺」
どああああああ! 何言ってんだお前!!! お前と俺はどういう関係なんだああ!
また女子達がぎゃーぎゃーと騒ぎ出したし、俺も一瞬硬直してしまったじゃないか。だがなんだか混乱の波が俺まで押し寄せて来そうで、恐れた俺は教員室に向けてさっと踵を返した。
「じゃ、俺はスマホ渡せたし、もう行くから」
このままさっきまで面白がっていた攻防戦に、俺まで巻き込まれたらたまらない。逃げるが勝ちだ。だが今度はさらにこなれた感じで肩に大きな手を掛けられて、力強くがしっと引き止められた。
「そうですね、行きましょう」
「え? あっ? 行くってどこに」
自分で行くっていったのに言葉尻を取られてくすりと笑われる。
「決まってるでしょ? サッカー部の顧問のとこ」
いや、全然、決まってないぞ。今知ったんだが。意味わからん。
俺は肩を掴まれたまま逃げを打つため、前に進もうとじたばたともがくが、一歳年下とは思えない逞しい腕は外れやしない。見た目は美形の優男に見えるけど、こいつやっぱ運動部だし、部活やめた俺よりずっと体格がいい。
「ほら、暴れないで。行きますよ」
なんか俺の方がたしなめられた。くそう。これではどちらが先輩かわかったもんじゃないな。そのまま校庭に向かって、回れ右をされる。うちの学校は一足制で上履きはないから、そのまま強引に土埃立つ校庭までぐいぐいと連れ出された。
「おい、お前。ふざけんなって。止まれって」
肩に置かれた手をぱしっと手荒く振りほどいて意地で足を止めたら、キタカドが自分の形が良い唇に人差し指を押し当てて「しーっ」ってちょっと怖い真顔になった。
角度的に、女子達からはこいつの顔は見えない。急にきた真剣な表情に、ただ事でない雰囲気を感じる。俺はゾクッとくる美貌に見据えられ、まるで蛇に睨まれた蛙みたいに固まった。
少しだけ細めた大きな目の形も綺麗で、こんな仕草、相当なイケメンにしか許されないだろう。
「あいつら、まだ後ろで見てるから。話を合わせてください」
口の動きだけで『おねがい』と言った。思わず息を飲んで黙ってしまった俺、お願いに弱すぎる。でも隣に下がった俺が盗み見たキタカドの横顔からは笑顔が消えていた。
むむ、気になるぞ。これは何か事情があるに違いない。俺が大人しくなったことをいいことに、キタカドは俺の腰を攫うようにして校庭へ向けて再び歩き出した。
「一緒に顧問のところまで来てください。今日は美化委員会の年間活動の相談をするってことにして、俺、部活休んできますから」
「さぼるのか? 駄目だろ、部活はちゃんと出ないと」
部活をさぼるのはいただけない。俺の中の元バスケ部主将の血が騒ぐというものだ。
すると長い睫毛を伏せて、キタカドがふと愁いを帯びた表情を見せる。そんな表情の変化からいちいち目が離せない。立ち止まると俺は鬱陶しい前髪をかき上げつつ、キタカドを下からじいっと見上げて思わず率直に聞いてしまった。
「どした、なんか困ってんのか?」
この台詞を言うのは久々だ。中学の頃は部長として何度となく口にしたセリフだった。
キタカドは目を僅かに見開いて、ぐっと一度唇を引き結んだあと、観念したように吐息を零す。
「……部活終わった後、あんな風にまた集団で待ち伏せされんの、地味にきついんで」
「待ち伏せ?」
「そうです」
想像よりも苛立ちや嫌悪が滲む声色だ。俺は一気にこいつのことが心配になってしまった。
「毎回、あんな感じで?」
「……あれだけじゃないんです。体育祭実行委員とか文化祭実行委員とか色々勧誘されてて。どれも明日が第一回目の活動日だから、今ならまだ入れるって。今日は休み時間ごとにあんな感じで、相手にするの、いい加減疲れてきたんです」
と言いながらもう少しジャージの袖を上にあげたら、そこには掴まれてついたと思しき指の痕がついていた。
「おまえ、それ!」
「しぃ」
ぞっとした。女子の集団に囲まれてあの勢いで矢継ぎ早に誘われんの、きつい。ましてや体格差があるから振り払えないのに、こんな風に腕を掴まれて、痕までつくなんて。
痛かっただろうな。怖かっただろうな。俺がされたら、きつい。きっとこいつもきついに違いにない。
「……じゃあ今日クラスの集まりに行ったら確実に捕獲されるな」
「ですね」
よし、分かった。この顔面国宝、俺が護ろう。
余裕ありげなクールイケメンに見えたけど、あれは本人なりの防御壁として打ち立てた態度だったのかもしれない。弱り切った姿を見せるのは学年が上で同性の俺だからだと思ったら、放っておけなくなってしまった。
グランドに向かって歩いていき、女子達から離れるにつれてお互い饒舌になっていった。
「入学したてはみんな友達作りたくて必死な時期なんだろうし、お前かっこいいし、目立つから、仲良くなりたい奴、多いんだろうな」
「……あんな風に見た目だけ目当てってあからさまに言われて、近寄ってこられても、ね」
あー、そういう系の悩みね。羨ましいような同情するような。いや、やっぱ羨ましくはないよな。さっきの様子だときっとクラス中の女子が、是が非でもこいつを自分達の活動に巻き込みたいと思ってるんだろうな。それで分かった。なるほど。納得がいく。
「ああ、そっか。だからお前、微妙な美化委員会に入ったんだろ?」
俺が笑いながら聞いたからか、キタカドも笑顔を取り戻して、にこっと肯定してくる。
こういう表情はまだ少し幼い。でも爽やかなだけじゃない、なんだろこの放っておけない感じの儚さがある笑顔だ。自分より背も手もでかい男に儚さもなにもないかもだが、これ一回でも見たらガチ恋に沼る女子は多そうだ。男の俺でもなんか絆されてきた。
それにしても、なんだろ。ロック画の事を抜きにしても、何かこいつの事が気になる。目尻が少しだけ上がった、大きくて印象的なこの目、どっかで見たことあるような? どこだったか、どっかの雑誌のモデルとかアイドルに似てる? 俺はNBAの選手以外は大して詳しくないけど。
「先輩?」
あまりにジーッと見つめすぎて不審がられたかも。俺は気を取り直してしっかり胸を張ると、青いユニフォーム姿の部員が大勢いる方に歩き始めた。キタカドもすぐ横をついてくる。
「でもさ。美化委員会なんて地味めの活動じゃなくて、学校内でももっと華々しく活躍できそうな活動の方がお前に似合ってるような気がするけど、だけどお前はそれじゃ不本意なんだろ?」
こくっと頷かれる。
「それなら先輩だって、もっと表立って人を引っ張っていく方が似合うんじゃないですか?」
何をそう買いかぶられたのかしらないが、俺は大きくかぶりをふる。
「……んなことない。割と好きなんだ。地道な活動。地味な活動だからって、大事じゃないとも限らんだろ?」
「……俺も好きです。地味目な活動。美化委員会、良かったら俺が副委員長になりますよ」
「え、ああ?」
「先輩と一緒なら、やりたいです」
そんなん、急に言われたら照れるしかない。
「べ、別に副委員長は絶対に必要だとは言われてなんだが……」
さっき、一応黒板に書いてみたものの、参加者が少ない中で副委員長まで決めるのは公平じゃないと敢えて決を採らなかったのだ。
「そこは委員長権限で。俺にしてください。ね?」
くーっ。なにが「ね?」だ。甘い声で強請りやがって。
だが俺は、人から助けを求められるとやっぱり嫌とは言えない。あーあ、悪い癖がまた出てしまった。ちらりと顔色を見てから仕方なく俺は頷いた。
「分かったよ」
「ありがとうございます」
なんだかすっかりキタカドのペースに持っていかれてしまった。いや、委員会中から終始、こいつが場を支配していたのかもしれない。
でも委員長は俺、歳上なのも、俺! ここはしっかり主導権を握り返そう。
「おい、いいか。やるからにはちゃんと仕事してもらうからな。毎回活動に参加しろよ」
「分かってます。今回だって、ちゃんと参加してたでしょ?」
「うぐ……、そうだったな」
さっき一年に絡まれた時に結果的に助けてもらったような形になってたわけだから、これで借りは返したとか心の中で自分で辻褄を合わせていく。それにしたって、こいつが毎回清掃に参加したら、急に参加者増えそうだな……。主に女子が。
「じゃあ、ここでちょっと待っててください。顧問に話してすぐ戻ります。俺と一緒に帰りましょう。色々お礼込みで、なんでも奢りますから。駅前のカフェ、新作のフレーバーでてますよ。そういうの好き?」
「好きだ」
と即答したらキタカドは満足げに頷いた。だが、すぐに今日の予定を思い出す。
「あー。でも今日は無理だな。駅まで一緒に帰んのはまあいいんだけどさ。そのあと俺、用事あるから」
「……彼女と、会うとか?」
探るような目つきの妖しい光に、なんだかしどろもどろになってしまいそうだ。いちいち心臓に悪い、顔面の圧力を感じる。
「彼女なんていないよ。今日バイト先寄んないといけないから、駄目なんだ」
「そっか。よかった。バイトですか。先輩、何のバイトしてるんですか? 終わるまで待ちます」
なにが良かったんだかいまいちわからなかったが、キタカドは一瞬影った表情が元に戻って微笑んでる。俺より大きくても笑うとちょい、幼くて。この笑顔見ると、やっぱりなんか面倒を見てやりたくなるんだなあ。
「知り合いのカフェで。今日はシフトは入ってない。用事があって寄るんだ」
「じゃあ、俺も一緒に行きます。駄目ですか?」
「だ、ダメじゃないけど……」
ぐいぐいくるなあ。なんだかおかしなことになってしまった。キタカドは顧問、俺は担任に委員会の報告をした。
俺が担任から週末にある駅前清掃活動についてあれこれ話をされている間に、先に話がついたキタカドが職員室までやってきた。そこで副委員長になったとキタカドを担任に紹介することになって、なんだかんだやっているうちに本当に夕方近くになってしまった。
「嘘から出た真ってこういうこというんだな」
「そうですね」
二人で連れだって駅まで歩く。清掃活動の時に集合する場所はここ、とかキタカドに教えながら商店街を通り抜ける。駅前まで来きたら、キタカドが懸念した通り、さっきとは別の女子グループが本当に待ち伏せしていた。
俺はキタカドを護るように腕をとってそのグループとキタカドの間に入るようにして歩いた。まあ、こいつ、でかくて隠せないけども。
「キタカド、ちょっといい?」
俺たちの前に二人、女子が飛び出してきた。
「ごめんな。キタカド、これから俺と用事あるから」って俺は先輩風を吹かせてみた。さながら、イケメン王子様を守る騎士にでもなった気分だ。
女子はみんな悔しそうな表情を見せたけど構わない。そのまま歩みを止めずにいたら、後ろから「なんであいつが応えてるわけ?」「どこのクラス?」とか文句を言われてるのが聞こえてきた。女子の集団こわっ。てか、俺のが先輩だからな! それに好意から出た想いだって、こいつの事を傷つけていいわけじゃないんだ。
「こんなんで良かったのか?」
「ありがとうございます」
キタカドも余裕が出たのか、俺の肩に腕を回して前回の笑顔を向けてきた。
とはいえ。ほぼ初対面の男同士、急に会話が弾むわけではない。
殆ど葉桜になった八重桜からほろほろと花びらが散る。俺は花びら越しにちらちらとキタカドの顔を見ながら落ち着いたら再燃してきた「なんで俺の写真がロック画なんだ?」という質問をぶつけられないでいた。
もやもやっていうか、そわそわする。どんなタイミングで聞けばいいんだろ。
そしてそのまま、電車に乗り込んだ。電車でもちらちらと他校の女子がキタカドの事をみては何か言いあっている。わかるよ、わかる。イケメンいたあ、とかこの顔、話題作りに最適だ。
そして俺たちが乗った電車は最寄り駅の隣にある、近隣で一番便利なターミナル駅に着いた。
「店はここから徒歩十五分ぐらいあるよ。俺の最寄り駅の方に歩いていくから帰りは家の方までそのまま歩いて帰る。お前は、最寄り駅どこ?」
「隣の駅です」
「え、じゃあ俺と同じ?」
「そこからバスですけどね」
「そうか」
「もしかして、中学は東中?」
「……はい」
「俺も東中だったんだ!」
やっぱり、同中だったってことか。写真、写真は誰からもらった? じいっと見上げて顔色を伺うけど、キタカドは特段焦った素振りを見せない。それ以上何も言わないから俺が「っていってもうちの学校、生徒数多いから同じ学年でも知らん奴多いよな」とフォローするみたいに続けた。
「そうですね」
キタカドは尻尾を掴ませない。手ごわいな。写真の事までこれ以上突っ込めなかった。歩いている間にゆっくりと日が落ちて行く。アルバイト先のカフェ「陽だまり」に行き当たった。
「ここ、民家みたいですね」
「そうそう。ここ元々オーナーの実家をカフェに改築したんだって。裏に小さい庭があって、テラス席があるんだけど、今の季節は気持ちよくてお勧めだぞ。俺も手伝って、寒い時期に一生懸命球根植えまくったから、今沢山花が咲いてる」
「球根?」
「チューリップとか水仙とかムスカリがにょきにょき生えて咲きまくってて、それがパンジーとかと一緒に咲いてる。中々いい感じなんだ」
「花の名前とか、俺全然わかりません。チューリップは分かるけど」
「俺も最初そうだったんだけど、今はオーナーに教えられたから色々覚えたぞ。あー。庭を見せたいけどもう暗くて見えないかもな。こんばんは」
「あー! トーマだあ」
素っ頓狂な声を上げたのは近隣に住む保育園に通う女の子とそのお姉さんだ。俺の隣にいたキタカドを遠慮なく指差してきゃあきゃあと大騒ぎしてる。
「王子様がいる」
キタカドいきなり女児に大人気だな。
「ここって、カフェ、なんですか?」
戸惑い気味なキタカドと俺の周りに、小さな子供や小学生がどんどんと押し寄せてくる。俺は顔見知りの子たちといつも通り痛いぐらいに元気なハイタッチで挨拶する。
「ここ、第一第三水曜日は子ども食堂をやってるんだ。だから俺も今日はバイトはお休みで、ここのボランティアスタッフをしてる」
奥の席では子ども食堂の日だけ運営を手伝っている元教員のおばさんと、その旦那さんが俺に向かって手をあげてニコニコしていた。
「ねー。遊んで」
小さな手が滑り込むように俺の掌にはいってくる。子ども食堂といっても子供だけが使う訳じゃなくて、地域のママさんや一人暮らしの大学生、お年寄りから赤ちゃんまでいろんな人がここに集ってくる。
「あれ、トーマ。あんたえらくイケメンの友達連れてきたね」
ちょっとハスキーだけどやたら元気な声がして、オーナーがカレーが乗ったおぼんを持ったオーナーが歩いて来た。漂うスパイスの良い香りにお腹がぐーっとなってしまう。
「この人が進藤さん。ここのオーナー」
「よろしくね」
大口を開けてがははっと豪快に笑ってる。俺にとっては口うるさいが頼りになる、もう一人の母さんみたいな存在だ。
「お兄ちゃん、お名前は?」
「なんだよ、さっちゃん。俺の時と全然態度が違うじゃん」
小さくても女の子は正直だな。キタカドを見上げる目のキラキラ具合で分かる。小学生のおねえちゃんの方もモジモジしてはにかんでいる。
「トーマがいけてないのは、そのもっさりした髪の毛のせいだ。今週日曜日、忘れてないよな?」
ご飯を食べ終わった子供たちはイベント用に作ったパズルマットのキッズスペースで遊んでいる。その面倒を見ていたのは俺のバイトの先輩だ。美容師を目指して学校に通っているから、最近は忙しくてシフトに入ってない。でも子ども食堂の日は手伝いに来てくれる。
「先輩が沢山失敗してもいいように、こんなに長く伸ばしたんだからな。いい加減に鬱陶しいから早く切ってくれよ」
「俺の腕を疑うとは、失礼しちゃうな」
立ち上がってこちらに歩いて来た先輩は、俺のもさっとした前髪をかき上げて額を出させた。
キタカドは俺の隣に立ってその様子をじっと見つめている。
「お前、顔立ちは整っているんだから髪型さえ弄ればなあ。すげぇイケメンにしてやるから期待してろよ」
「そういうの期待してないんで大丈夫です」
「そっちのイケメンも雰囲気あるなあ。いつか俺に髪の毛切らせてくれな」
キタカドは俺や小さい子たちに見せる顔とはちょっと違って、明らかに警戒した感じに頬を強ばらせ、僅かに会釈した。
「ごめんな、この人、誰にでも馴れ馴れしいんだ」
「社交的って言ってくれ。美容師向きだろ?」
先輩はそのまま俺の髪の毛を触って、あーでもないこーでもないと言っている。
ダラダラとした時間にしびれを切らしたのか、キタカドが「あっちで、女の子が呼んでます」と俺の腕を引っ張って先輩から引きはがした。みれば確かに小学生の女の子が俺たちを手招きしていた。
「ねー、お兄ちゃん、名前何ていうの?」
「北門唯だよ」
「おなまえ、書いてえ」
別の女の子も反対側から自由画帳と鉛筆をキタカドに差しだしてきた。
長身のキタカドは膝を深く折ってしゃがむと、ノートを受け取る。そして隣にあった机の端に押し付けながら、すらすらと名前を書いた。
神経質そうな右肩上がりの、だけど読みやすく綺麗な字だった。早く書きたい気持ちばかりが先行して線が続いてしまう、癖のある俺の字とは大違いだ。
「へー。キタカドって北の門って書くんだ」
「トーマ。あんた友達の名前の漢字も知らなかったの? そんなんだから子どもたちに『トンマ』って言われちゃうのよ。天然なとこあるんだから」
「オーナー、そのあだ名、小っちゃい子たちの前で言わないでよ。マネするから」
「とんまー。とんまー。公園いってボールで遊ぼうよお」
「こら、お兄ちゃんのことそんな呼び方しちゃ駄目でしょ。それに公園はもう暗いからやめときなさい」
呆れた声を上げたのはオーナーの娘さんだ。
「綾子さんはオーナーの娘さん。輸入雑貨店で働いているから、ここのカフェのお洒落な内装とか雑貨は全部綾子さんチョイスだって」
「私っていうか、そもそもおばあちゃんの趣味だけどね。ここおばあちゃんち改装して作ったから。古民家カフェって言ったら格好いいけどあたらしらにしたら「ザ・実家カフェ」ってことよ」
オーナーとよく似た大きな声で笑う二人は太陽とか向日葵とかが似合いそうな明るい人だ。北門は店の中にゆっくりと視線を巡らせて、カウンターの上で目を止めた。きっと俺と同じことを考えていそうだ。アンティークっぽいブロンズの枠の写真立ての中で、二人とよく似た白髪のおばあちゃんがみんなを見守るように微笑んでいる。
そう、その人がこの家の元の主だ。
「まあ、あんたたちもカレー食べていきなさい」
「え、俺も?」
「大丈夫。お代はトーマにつけとくから」
「え……」
「うそうそ。平日に来てるカフェのお客さんたちが今日のカレーやおにぎりの分までお代を置いて行ってくれるから、子どもや学生ボランティアの分ぐらいは出せるから。食べてきなさい。そのあとは宿題教えてあげたり、子どもたちとゲームで遊んであげたりして働いてもらうからね」
「もちろん。北門、ここ座ってて」
俺はカウンター席の重たい木の椅子を引いて北門を座らせる。そのまま奥のキッチンに入ると、そこで綾子さんがてんこ盛りによそったカレーとフルーツポンチを受け取って戻ってきた。
「食べよう」
ホカホカの湯気が上がるカレーを見て、北門はしばし固まっている。その間も俺の背中にはぺたぺたと子供たちがくっついてきてる。
「給食みたいだね」
「給食嫌いなのか?」
「いや。好きだけど」
「ここのカレーは小学校の給食に近いかもな。中学まで給食あったからお前的にはついこないだかもしれないけど、俺は無性に給食のカレーが食べたくなる。ここのカレーも負けないぐらいに旨いよ。いただきます」
「いただきます」
俺は熱いものでも結構ガツガツ行ってしまうタイプなので、皿はあっという間に空になっていく。見た目通りなのかそうじゃないのか分からないが、北門は熱いものは得意ではないみたいだ。えらくゆっくり冷ましている。
一口めを食べた反応が見たくて、じいっと見つめていたら、照れた表情を見せたのがちょっとかわいいと思った。
「あんまりじっと見られると、食べにくい」
「そうか? ごめん。うちの母さんなんて感想言うまで、いっつもこんな感じでジーって見てくるぞ」
「……うち母さん、いないから」
「あ……、ごめん」
いきなりデリケートなところをぶっさしてしまった。焦った俺はまた余計なことをどんどん口走る。
「じゃあ、飯いつもどうしてんの?」
「適当に……。父さんもあんまりご飯作るのが得意じゃないから。大体買ったり外で食べたりかな。手作りっぽいこういうカレー食べるのは久しぶり」
「……そうなんだ」
ばかばか。俺のバカ。こういうところが本当にトンマなんだよ。頭では家庭によって色んな事情があるってわかってるのに、瞬時にパパっと機転が利かせられなかった。一瞬の自分との勝負に負けて、こうして墓穴に墓穴を重ねて掘ってしまう。これが兄貴だったらもっとずっとスマートに人と接するんだろうけど、俺はなんというか、間が抜けてる。
無言でカレーを口に運び始めた俺に、カウンターの向こうから見ていたオーナーが助け舟を出してくれた。
「じゃあ、今度カレーの作り方教えてあげるから。あんたがお父さんに作れるようになってあげたらいいんじゃない」
「俺が?」
意外な申し出に顔を上げた北門に、俺も同じようにぽかんとした顔でオーナーを見上げた。
「来月は豚汁の予定だから、月二回ここに味見しながら習いに来たら、一年経ったら24種類作れるようになるわよ。二年経ったら48種類。それだけつくれたらあんた、一か月の夕飯、大体違うもの食べられるわよ」
ああ、こういうところが俺の第二の母ちゃんなんだ。俺が憧れた、さりげない優しさと暖かい人柄をオーナーは持っている。
中学生の時、よくここを通りがかって看板は見ていたけど、民家っぽい見た目で入ることを躊躇してた俺に、声をかけてくれたのもオーナーだ。ちょっとお節介で、でも暖かい。
こういう大人になりたい。当たらず触らずだってできるこの世の中で、俺も一歩踏み込む勇気が持てる大人になりたい。俺はぎゅっと拳をにぎると、勇気を出して北門に声をかけた。
「なあ。俺とくればいいよ。月に二回ぐらい部活休んでもいいだろ」
「……あんたさっき部活は休むなって言ってたくせに」
呆れた声じゃなく、からかうような調子で北門が返ってきた。
「いいだろ。一緒に来よう」
一歩踏み込んでみた。北門は退かなかった。
北門は俺の隣で素直にこくんと頷いてカレーの乗ったスプーンを口に運んだ。返事を貰い俺はほっとしてカレーを沢山すくったスプーンを口に運んでモリモリ食べた。
おかわりまで食べ終わった後は俺たちはそれぞれ子供たちに請われるまま、宿題を教えてたり、ゲーム機を借りて対戦してあげたりした。
進学して俺たちの中学の後輩になった子たちもやってきた。去年までは小学生でここに来ていて、近所に住んでいる。真新しい制服姿を見せてくれて、オーナーが感動していた。俺はまたここでの繋がりが嬉しくなった。
本当なら店から最寄り駅までの間に家があるんだけど、それはあえて言わない。
こいつと歩く帰り道の空気感が悪くないなって思った。
あえて自宅のある道を選ばず、通り越して北門に乗る予定の駅前のバスターミナルに向かって歩いていく。
俺は結構歩くのが早い方だけど、今日は何となくちょっとのんびりそぞろ歩くっていう気分になってる。北門もそんな俺の歩幅に合わせてくれているみたいだ。
春の空気は温くて心地よく、歩いていると腹もちょうどいい感じにこなれてきた。
ほとんど初対面の男と並んで一緒に歩きながら、ほわあって思う。本当に不思議な日だ。今朝、こんなことが起こるなんて思いもよらなかった。人生ってたまにこういう急な別ルートみたいなところに入っていくから面白いと思う。
たまにどこからか桜の花びらが飛んでくる。空気にまで花の香りが溶け込んでる感じの、甘い夜だ。
北門が使うバス停についた。待っている客も夕方程はいない。ベンチに並んで座った。別にここですぐさよならでもいいのに、なんだろうか。俺はまだ今日のこの奇妙な感覚をまだまとったままでいたいのかもしれない。
隣に座っている友達とも後輩ともまだ名前がしっかりつかない人との距離感がなんだか心地よい。俺はうーんと大きな伸びを一つした。
「カレー旨かったな」
「……はい。今度、これ返さないと」
北門がカレーが入った容器をレジ袋ごと持ち上げた。これを返しに来るようにと念を押してる。次回も遠慮なく北門を「陽だまり」にこさせようとしている、オーナーの老練な作戦だ。俺はそういうのを、いい感じの大人たちから学んでいけたらいいなって思うんだ。
「……トーマ先輩、あそこにはよく人を連れて行くんですか」
俺はちょっとだけ考えてから、さりげなく聞こえるように明るいトーンで応えた。
「あー、そういや。誰も連れてったことないな。あそこは俺にとって隠れ家みたいなもんだから」
「隠れ家?」
「そうだ。今までの自分とはちょっと違う自分になるための魔法の家、なんてな」
意味が分かんないって顔をされたり、茶化されるかと思ったら、されなかった。じっと綺麗な目がこっちを見てきて、無性に照れる。
「こんな話、誰にもしたことなかったのにな」
照れ隠しも手伝って、独り言を呟いてしまった。車道に目をやったら、ちょうどバスがついた。
「どうしてそんな大切なところに俺のこと連れて行ってくれたんですか?」
「それは……」
お前がついてくるっていうからって言いかけて、それは違うと思って黙った。
あの場所には、今まで中学の部活の仲間も、高校からできた友人も連れていったことはなかったし、あえて連れて行こうとも思わなかった。
父も兄もバスケ部、小中とバスケ一筋で来た俺にとって、あそこはそれ以外の俺が生まれた大切な場所だ。
まだ全てが俺の日常に溶け込み切れていない、新鮮な空気感があって、それを俺はまだ、俺だけのものにしていたかった気がするんだ。
あそこにいる俺は今までのどの俺とも違う。本来の俺自身があの場所にはあるような。そんな気がして……。だから、どうしてだろう。どうして北門をあそこに連れてきたんだろう。
俺は北門にとって、どんな俺を見せたいと思ったんだろう。
「じゃあ、あの場所は俺たちだけの秘密の場所ですね」
北門はそう囁きながら、考えたまま立ちすくむ俺を残してバスに乗り込んだ。
「どうしてだろうな」
独り言を呟いていたら、何故か北門がタラップを逆戻りに一段降りた。
「先輩……。高校はなんでバスケ部に入らなかったんですか?」
「え……」
プシューっと音がしてバスの扉が閉まる。扉の向こうは薄暗く、もう北門の表情は探れなかった。動き出すバスから距離を取ろうと、俺はよろけるように数歩後ろに下がった。
不意打ちに食らった、ジャブのような台詞だ。
「あいつ……、やっぱ俺がバスケ部だって知ってたんだ」
じゃあなぜ、北門は俺の写真をロック画にしたんだろう。なんで……。



