十七歳の誕生日。

 快に「水族館デート」に誘われた。

 これまでだって、何度もふたりで遊びに行ったことはあるけど、「デートしよう」って誘われたのは初めてだ。

 ていうか、「デート」ってなんだ……!

 昔から快は、俺との距離感がおかしなやつだったけど。

 最近の快は、距離感以外もおかしい。

 俺のことを友達としていちばん好きだって言ってたくせに、「臨に触らないのはムリだ」とか、「付き合おう」とか言ってきて。

 どう考えても正気じゃない。

 俺がうっかり告白なんでしたせいで。今までどおり快の近くにいるのが恥ずかしくておかしな態度をとっちゃったせいで快がおかしくなったのかもしれない。

 俺が早く快への気持ちをあきらめて今までどおりの態度に戻れば、快はきっと正気に戻る。

 そう思うけど、何年も胸の中に育ててきた恋心はそう簡単には消えてくれない。

 昨日の夜は、デートだって思うと全然寝つけなくて。

 朝は苦手なのに、なぜか早く目覚めてしまって。

 めっちゃ寝不足。

 あくびしながら、のろのろ着替えていたら、約束の時間よりも三十分も早く自宅のインターホンがなって。

 焦った俺は、とりあえずアイロンで髪の毛を整えて、朝ごはんを食べずに家を出た。

 マンションのエレベーターに乗ると、鏡に映る自分の姿を確認しながら前髪を整える。

 黒のワイドパンツに白のTシャツ。上からゆるめのカーディガンを羽織ってきた俺の格好はいつもとたいして変わらない。

 変に気合いを入れて、デートを楽しみにしていたと快に思われたくなかった。

「いつも通りに」

 鏡越しに自分に言い聞かせてからエレベーターを降りる。

 エントランスのガラス戸の向こうに待っている快の姿が見えて、俺はひとつ深呼吸をしてから外に出た。

 俺の姿を認めた快が、嬉しそうに笑いながら歩み寄ってくる。

「おはよう、臨」

 カーゴパンツにゆるめのトップスをさらっと着こなす快も、俺といっしょでいつもどおり。デートだからといって、特別気合いの入れた格好はしていない。

 それでも整った顔をしているから、何を着ていてもかっこよく見える。

 笑顔の快にドキッとして、俺は髪を整える素振りをしながら顔を隠した。

「おはよ。約束したの、十時だよな。来るの早くない?」
「だって、臨に早く会いたくて待ちきれなかったから」

 飛びついてくる快の言葉に、頬がじわっと熱くなる。
 天然なのか、なんなのか。

 いちいち人をドキッとさせるようなことを言ってくるからいやだ。

「何言ってんの。べつに、ほぼ毎日、学校で会ってるだろ」
「そうだけど、今日はデートじゃん。臨、誕生日おめでとう」

 満面の笑みを浮かべる快と目を合わせるのが恥ずかしくて、俺は「どうも……」と、そっけなく返した。

 絶対感じ悪かったはずなのに、快はうつむく俺をなぜか微笑ましげに見てくる。

「そうだ、臨。朝ごはんはちゃんと食べてきた?」
「まだ……」
「じゃあ、電車乗る前にカフェ寄ろうよ」

 そう言って、快がナチュラルに俺の手を握る。あまりに事前に手を繋がれて、しばらくそのまま歩いていたけれど……。

 途中でハッとして、俺は快の手を離した。

「なんで、手繋ぐんだよ……」
「いいじゃん、デートだし。だめ?」
「だめ……」

 ていうか、恥ずかしい。こんな家の近所で。

「臨ちゃんのケチ」

 不服そうに口を尖らせる快だったけど、それ以上は強引に自分を押しつけてくることはない。

 告白後に距離感のことを何度か注意してから、快は俺がだめって言ったときはちゃんと離れてくれるようになった。

 駅前のカフェに入った俺たちは、カフェオレとサンドイッチを食べて、しばらくゆっくりしてから電車に乗った。

 向かったのは、俺たちの家から電車で一時間ちょっとのところにある海沿いの水族館。

 小学一年生のときの夏休みに、じいちゃんが俺と快を連れてきてくれたことがある場所だ。

 俺も快も、一歳か二歳の頃に家族で水族館に連れて行ってもらったことがあるみたいなんだけど。赤ちゃんのときのきだから覚えてない。

 だから、俺の中では、じいちゃんと快と行ったあのときが、初めての水族館の思い出として鮮明に記憶に残っている。

 入り口から入った途端、見たこともないくらい大きな水槽があって。俺や快の顔や手よりも大きな魚がいて。

 ふたりでびっくりして、大騒ぎした。

 熱帯魚は色とりどりで綺麗だし。

 暗いところで飼育されてる変な顔の深海魚は面白かったし。

 ライトに照らされて光るクラゲなんて初めて見たし。

 コツメカワウソは、触ってみたくなるくらい可愛いし。

 水の中で飛んでるみたいに泳ぐペンギンは、カッコよかったし。

 水族館の中のレストランで食べたカレーも、綺麗な色のソーダもおいしかったし。

 イルカのショーが行われるスタジアムに着く頃には夕方になってて。ギリギリ最終のショーに間に合った。

 水がかかるっていういちばん前の席で見たイルカのショーも、すごい楽しくて。

 客席に近い場所で大きくジャンプしたイルカに盛大に水をぶっかけられて。快とふたりでびしょ濡れになって大笑いした。

 いっしょに被害に遭ったじいちゃんは苦笑いで、今思えばちょっと気の毒だったかもしれない。

「臨」

 ぼんやり昔のことを思い出していると、快がチケット売り場から戻ってきた。

 今日は俺の誕生日だから、プレゼントとして水族館のチケット代を奢ってくれるらしい。

「ペンギンとイルカ、どっちがいい?」

 快がチケットを二枚俺に見せてくる。

 いたずらっぽく笑いかけてくる快の顔が、小学生のときにイルカショーで水をかぶって笑ってた快と重なって。

 俺は、イルカの写真が印刷してあるチケットを指差した。

「じゃあ……イルカ」
「はい」
「ありがとう」

 受け取ったチケットで入場すると、俺はそれを財布の中に大切にしまった。

 十七歳の誕生日に快から渡された水族館のチケット。

 これは一生、俺の大切なお守りになる。

 水族館の中に入ると、有名なオレンジ色と青色の熱帯魚が泳いでいる珊瑚礁の小さな水槽があって。その先の通路を進んでいくと、水族館のメインとなる巨大水槽へと繋がっている。

 土曜日ということもあって、水族館は家族連れやカップル、学生のグループで混んでいた。

 途中の水槽を見ながら人の流れに沿って歩いていくと、通路がパッと開けて広くなり、見覚えのある巨大水槽の前に出る。

 ステップ状の観覧席もある巨大水槽の前では、混雑が少し緩和されていて、快とふたりでガラスの前に張り付いた。

 青い水の中を、悠々と泳ぐ大きなサメやエイ。

 水槽の中央を泳ぐ魚の群れ。

 仄暗い青の照明に照らされた海の世界はとても綺麗で圧巻される。

「うわー、なつかしいな」

 ガラスに軽く手をつけた快が、目を細めて子どもみたいにはしゃぐ。

 嬉しそうに水槽を見つめる快の横顔は、小学生のときとほとんど変わらない。

 おもわず笑いそうになったとき、快が俺のほうを向いた。

「でもさあ、小学生のときはこの水槽、もっとデカく見えたよな。自分が海の中に入ったみたいな感じだった。目線が高くなると、こいつらみんな水槽の中でちゃんと泳いでんだなあって思えるわ」

 感慨深げに頷く快だけど、俺からしてみれば、背がでっかくなっただけで、中身は全然変わってない。

 口元を押さえてふっと笑うと、快が不思議そうな目で見てきた。

「何笑ってんの、臨ちゃん」
「べつに……」

 中身が変わってないって思うと、ふだんは気になる快の「臨ちゃん」呼びもあんまり気にならない。

「あ、そうだ。臨、写真撮っとこ」

 快が俺の腕を引っ張って、水槽を背中にするように立たせる。

 それから、俺の隣に並ぶと、インカメにしたスマホをこっちに向けた。

 カメラに映る自分を見ながら前髪を整えた快が、「撮るよー」と、にこっと歯を見せる。

 そのままシャッターを切るのかと思って顔を作ったら、快がちょっとスマホの角度を変えた。

「もっと水槽の風景も入ったほうがいいかな。臨、もうちょいこっち」

 そう言うと、快がいきなり俺の肩を抱き寄せる。頬がくっつくくらいに快との距離が近付いて、とっさに反応できずに身体が硬直する。

「あのエイが、俺らの真後ろに来たときに撮ろう」

 耳に届く快の声が近い。肩に触れる快の手に今にも心臓が暴れ出しそうだった。

 大きなエイが羽みたいなヒレをゆったりと動かしながら、俺たちの後ろへと近付いてくる。

「臨、笑って」

 肩にのせた手の人差し指で、快がツンと軽くほっぺたをつついてくる。

 緊張気味に口角をあげたところで、エイが堂々とおれたちの後ろを泳いでいって。

「お、今だ!」

 臨がカシャカシャ連写した。

「うまく撮れてるのあるかなあ」

 快が、俺の肩を組んだまま、顔とスマホを近付けてくる。

「あ、これがいいかも。臨にもあげるね」

 俺と快のちょうど真後ろにエイがきたときの写真。それをタップして、快がラインに送ってくる。

 超笑顔の快の隣で、ちょっと口角をあげる俺の顔はずいぶんぎこちない。

 写真で見ても、快を意識してるのがもろバレだ。

 普通にしようと思っても、友達だって言い聞かせても、快のことを好きな気持ちは、ふとした瞬間に零れてしまう。

 ドキドキしながら、スマホの中で笑う快を見つめる。
 こんなの、どうしたらいいんだよ……。

 でも今日は俺の誕生日だから。今日だけは、快のこと「好き」って気持ちでいっしょにいてもいいのかな。

 巨大水槽から離れたあとは、クラゲや深海魚、サンゴ礁の海の水槽を見た。

 写真を撮ったり、快とくだらない話をしながら歩くのは楽しい。

 途中のレストランでカレーを食べたあとは、アザラシ、ペンギン、コツメカワウソ、それからウミガメと見て歩く。

 高校生になっても、コツメカワウソは、触ってみたくなるくらい可愛いし。水の中で飛んでるみたいに泳ぐペンギンは、カッコよかった。

 小学生のときはひとつひとつのエリアに夢中になりすぎて全部回りきるのに一日中かかったけれど、高校生の俺たちはそこまで時間をかけずにイルカショーが行われるスタジアムにたどり着いた。

 イルカショーが始まる二十分前。スタジアムは真ん中の見えやすい席から埋まり始めているが、水飛沫がかかる最前列はまだまだ席が空いている。

「どこに座る? やっぱり一番前かな?」

 快がそう言って、最前列へとずんずん歩いていく。

「えー、マジか。だったら、ポンチョ買っとこうよ」

 今日は秋晴れで比較的暖かいとは言え、もう十一月。服が濡れたら、絶対寒い。

 スタジアムの階段の下で、スタッフの人が手売りしているポンチョをひとつずつ買う。

 最前列のシートには「このエリアは水に濡れる可能性があります」と書かれてあって。

 快と並んで最前列の真ん中に座るとポンチョをかぶる。

 俺たちのあとから、小学生くらいの団体がやってきて最前列のシートに座った。

「俺、今日は濡れにいくわ!」
「俺も〜」

 買ってもらったはずのポンチョをわざと脱いで待機している男子たちがいて。そのノリにちょっと笑う。

「昔、じいちゃんに連れてきてもらったときの俺たちもあんな感じだったよな」
「俺たちも、対抗して濡れにいく?」
「あとで寒くなんのやだ」
「臨ちゃん、おとなになったね……!」
「いや。あたりまえみたいに最前列に座りたがる快が成長してないだけだろ」

 俺のツッコミに、快がなんか嬉しそうにへらっと笑う。

 そうして、急に思いついたように俺にスマホのカメラを向けてきた。

「そーだ、写真撮っとかないと」
「え、今? まだショー始まってないけど」
「知ってるよ」

 快が顔の横に手を伸ばしてきて、ポンチョのフードを俺にかぶせる。

「あ、やっぱりこっちのが可愛い」
「は……?」

 可愛いってなにが……?

 その瞬間、快のカメラのシャッター音がして。

 かーっと頬に熱が溜まった。

 可愛いって、俺に言ったの――?

 それは、これから見るイルカに言うべきセリフだろ。

 口元に手をあてて目を伏せると、カシャッとすぐそばでシャッター音がする。

「あ、こっちも可愛い。これ、ロック画面にしよう〜っと」

 機嫌良くそう言いながら、快がスマホを操作する。

 宣言どおり、快はほんとうに今撮った写真をスマホの画面に設定していて。意味不明に恥ずかしかった。

 快は、昔からよくこういうことするけど。

 どういうつもりだよって思う。

 スマホを見る度に俺の顔があって、なんか楽しいんだろうか。

「だったら、快も撮らせろよ」

 鼻歌まじりに俺の写真を眺めている快に、乱暴にポンチョのフードを被せると、腹いせみたいに快の顔を連写で写す。

「ちょ……、それ撮りすぎじゃない? じゃあ、俺ももっと撮ろ」
「なんでだよ。先に撮ってきたの、快じゃん」

 最前列でお互いにスマホを向け合ってしょーもない争いをしていると、水族館のスタッフのアナウンスがかかってイルカショーが始まった。

 ショーに登場するイルカは五頭で。調教師のお兄さんの合図で、高速で泳いだり、ジャンプしたりするのが可愛かった。

 ショーの中盤で、調教師のお兄さんの合図で泳ぎ出したイルカが客席に近いところで、いきおいをつけて高くジャンプする。

 ザブンとイルカが頭から水面に飛び込んだ瞬間、跳ね上がった水飛沫がバシャッと頭からいきおいよくかかった。

 ちゃんとポンチョをかぶってたのに、水飛沫があがる瞬間にタイミング悪く風で脱げてしまって。

 結局、頭から水をかぶることになった俺たちは顔を見合わせて爆笑した。海水は冷たかったけど、そういうアクシデントもバカみたいに楽しかった。

 イルカショーが終わると、髪を乾かしがてらギフトショップに寄った。

「ばあちゃんに土産買う」

 快がそう言って、クッキーを手にとってレジへと並びに行く。

 そのあいだにひとりでギフトショップを回っていると、イルカのぬいぐるみのキーホルダーを見つけた。

 ぬいぐるみの色は、ブルーとグレーの二種類。なんとなく、小学生のときに快とおそろいで持っていたものに似ていた。

 昔、この水族館に遊びに来たときに、じいちゃんが俺と快に記念に買ってくれたのだ。

 快がブルーで、俺のがグレー。ふたりとも気に入って、しばらくランドセルにつけて学校に行ってたんだけど。

 半年も経たないうちに、快のイルカがなくなった。

 ランドセルにはキーホルダーのチェーンが残っていたから、たぶん、登下校中にちぎれて落としたんだと思う。

 快とふたりで学校内や通学路をあちこち探し回ったけど見つからなくて。最後はあきらめた。

 快がひどく落ち込むから、俺もなんとなく学校につけて行きづらくなって。

 しばらくして、ランドセルからキーホルダーをはずした。まだ家の机の引き出しに入っているはずだけど。

 なつかしいな。

 しばらくイルカのキーホルダーを見つめていた俺は、ふとおもいたって、ブルーとグレーとをひとつずつ手にとった。

 せっかくまた快といっしょに来れたんだし、記念にあげるのもいいかも。

 それから家用のお土産にチョコレートの箱をひとつ選ぶと、それで二匹のイルカを隠しながら、快に見つからないようにレジに並ぶ。

 もし渡せそうだったら、今日の別れ際に快にあげよう。

 誕生日祝ってくれたお礼、とか。名目はそういうのでいいや。

 名目とかなくても、快はきっと喜ぶだろうな。

 嬉しそうに笑う快の顔が想像できて、口元がニヤける。

 ――、やっぱり。俺は快のことがすごく好きだ。

 ひさしぶりに快と一日いっしょにいて、俺は嬉しくて楽しくてずっとドキドキしてて。

 どんなカタチだってかまわないから、これからも快の隣にいたいって思う。

 イルカのキーホルダーを渡してそれを伝えたら、また快を困らせるかな。