今日のバスケ部は、体育館が使えないので外での基礎練習。
外周を走ったあとは体育館前で、二人ペアになって基礎トレをする。
俺がペアを組むのは、体格が同じくらいの久保だ。
秋になって、だいぶ気温が涼しくなってきたけど、外周を走ったあとはほてって熱い。
Tシャツの胸元をつまんでパタパタあおいで体を冷ますと、俺は既に座って軽く前屈している久保の後ろに立った。
開脚前屈する久米の背中を軽く体重をかけながら押していると、
「なあ……」
床に額をくっつけた久保のくぐもった声が聞こえてきた。
「んー?」
「紫藤、待ってるけど」
肩甲骨の浮き出た背中を眺めながら相槌を打つ俺に、久保がぼそりとつぶやく。
「……だな。中練で遅くなるから先帰れって言っといたのに」
「今日外練で早く終わる日じゃん。ウソついたの?」
「うん。待たれんの、だるいから」
「しっかりバレてんじゃん」
「なんでだろう」
「女バスの一年かもよ。なんか最近、紫藤にめっちゃアピってる子がいるって聞いた」
「ふーん……」
なんでもないふうにそう言ったけど、口端がピクッとわずかにひきつった。
ふーん。へえー。
人には合コン行くなっつっといて、自分はしっかり後輩女子にアピられてんだ。
ヘラヘラ笑う快の顔を思い浮かべたらムカついて、つい久保の背中に体重を全掛けしてしまう。
「ちょ……、臨っ! 痛い、痛いっ……!」
身体の下で久保の呻き声がする。
「ああ、わるい……これで交代な」
「……いいけど。急にはやめろよ。筋痛めるじゃん」
ぶつぶつ言いながら上半身を起こす久保と交代して、床にお尻をつけて座る。
そんな俺の動きを、快は少し離れたところにある格技場の陰からじっと見ている。一瞬目が合って、快が嬉しそうに顔色を明るくする。
だけど俺は、無の表情で快からふいっと顔をそらした。
視界から快を消し去ると、真っ直ぐに足を伸ばして、つま先をつかんで前屈。それから、足を開いて身体を前に倒すと、久保から上から背中をゆっくり押してくれた。
膝裏がじわじわ伸びていくのが、痛気持ちいい。
「なあ、臨。聞いていい? 前から思ってたんだけど、なんで紫藤は臨と一緒にバスケ部入んなかったの?」
頭を空っぽにしてストレッチしていたところに、久保が快の話題をぶち込んでくる。
「ああやって、ちょっと離れたところから見てるくらいだったら、バスケ部に入って臨と一緒に部活やったほうがよくない? 紫藤だってべつに運動できないわけじゃないよな」
「そうだけど……快、中学の初めくらいまではあんまり動きすぎたらダメって言われてたからな」
「どういうこと? 実は身体弱いの?」
「いや。身体は健康だけど、中学の途中くらいまで足が悪かったんだよ。走りすぎたり、過度の運動をすると痛くて歩けなくなったりして。しばらく安静にしてたら落ち着くし、最近はもう痛くなることもないみたいなんだけど……なんかあって周りに迷惑かけたたらだめだって思ってんじゃないかな。体育だって、あいつ、だいぶ力抜いてやってるよ」
俺の話に、久保が「ふーん」と鼻から抜けたような声で相槌を返してくる。
小学生のときの快には、年に何度か原因不明の足の痛みが起きていた。学童期の子どもに見られることのある股関節の炎症疾患で、原因は特定できないものらしい。
急に足が痛くなって、歩けないということが起きるのだが、しばらく安静にしていれば改善する。
快の足がそんなふうになったのは、小学校二年生くらいの頃に突然で。まだ暴れたい盛りの時期に思いきり外遊びができなくなってしまって、かわいそうだった。
しかも、ただでさえ足の痛みで思ったように遊べないストレスを抱えていたところに、追い打ちをかけるように、快の母親が交通事故にあって亡くなった。
離婚して父親がいなかったから、快の家族はばあちゃんだけになった。
快はしばらくめちゃくちゃ落ち込んでいて。そんな快のことを、俺はこれまで以上に気にかけるようになった。
思い返してみると、快が異常なまでに俺にべったりくっ付いてくるようになったのはそのくらいからかもしれない。
足の病気への不安と母親を亡くした淋しさから、快は俺の近くにいないと不機嫌だったり、落ち着きがなくなったりと不安定になった。
でも、小学校を卒業する頃にはそういう不安定さはなくなって落ち着いてきたように思う。
今の快が俺にべったりくっついているのは、子どもの頃からの惰性。
だから、中学のときに俺はひとりでバスケ部に入った。快に、俺と離れられる時間ができるように。
だって、惰性でこのまま一生くっつているわけにはいかない。俺は快が好きでも、快は違うから。
考えたら、また虚しい気持ちになってきた。
「久保、もうちょい体重かけて強めに押して」
なるべく快のことを考えずに済むようにするには、基礎トレに集中したほうがいい。
「んー、このくらい?」
久保が、背中に乗っかるようにして少し体重を預けてくる。
「もっと思いきり乗っかっていいよ」
そう言うと、久保がちょっと重たいくらいの負荷をかけてきた。背中に乗る重みだけを感じながら頭の中を空っぽにする。
気持ちよく身体を伸ばしていると、ふいに背中の負荷が軽くなった。
「久保、もうちょい押して」
前屈姿勢のまま注文をつけたら、
「いや、もうこれくらいにしといたほうがよくない?」
久保がそう返してきた。
「は? なんで? 大丈夫だから、もっと体重かけて乗れよ」
「いや、臨が大丈夫でも俺が大丈夫じゃねーわ。なんか、すげー紫藤ににらまれてる。俺、あいつに殺されね?」
「なんで?」
「なんで、じゃねーよ。臨、今日ずっと紫藤のことを無視してんだろ。そのおかげで、休み時間とか移動教室のときとかずっと臨と一緒に行動してた俺や三上が、どんだけおそろしい思いしてたかわかってたか? 臨とちょっとでも距離が近くなると刺されそうな目で紫藤ににらまれて、マジ怖かったんだけど……」
「……ふーん」
久保からの苦情に間延びした返事をしながら、ゆっくりと上体を起こす。
格技場の陰から様子を見ている快に視線を向けると、快が嬉しそうに破顔して俺に手を振ってきた。
ご主人様にかまってもらえて喜ぶ大型犬みたい。快の腰の横から、ブンブンと振り回すしっぽが見えるような気がする。
朝からずっと、快とは関わらないようにしてるのに。
部活まで覗き見して待っているとは、なかなかしつこい。
だけどもちろん、俺からは手なんて振り返さない。かわりにプイッと横を向く。
「紫藤、めっちゃしょんぼりしてんだけど」
見なくても、しょげてる快のが頭に浮かんだ。でも……。
「俺にはカンケーない」
「で? ケンカの原因は何?」
久保が、憐れむような目で快を見ながら訊ねてくる。
「べつにケンカはしてない」
「はあ? ケンカじゃないのに、なんで一日中紫藤のこと無視してんだよ」
怪訝な顔をする久保に、俺はわずかに首をかしげたみせた。
「それは、なんというか……、方向性の違い?」
まさにこれだ。これ以外にしっくりくる言葉はない。俺と快は、お互いに対する「好き」の根底が違う。
「なに、そのバンドの解散理由みたいなやつ。そーか、わかった。さてはおまえら、別れたんだな」
「は?」
「臨がついに愛想つかしたんだろ。まあ、あんなにべったりじゃ疲れんのもわかるけど……紫藤の臨への距離感がバグってんのなんて、今に始まったことじゃないじゃん。なにがあったかは知らないけど、あんなに熱い眼差しで臨のこと見てるんだから許してやれよ。それがクラス平和にもつながる!」
久保によれば、今日一日俺が快を無視することによって、クラスメートたちが大変な目にあったらしい。
たとえば……。
体育のとき、俺と準備運動のペアを組んだ鈴木が試合中に快からの豪速球サーブを打けてたとか。(基本はいつも快とペアを組んでて、今日の体育はバレーボールだった)
化学のとき、俺と違う実験グループになった快が、実験材料と間違えて同じグループの女子のレポートを燃やしかけたとか。(化学の実験は自由にメンバーを組めるから、基本はいつも快と同じグループにしてた)
ひとりで弁当を食べたくて昼休みに中庭に出てたときに、快が俺の行方を探してクラスメートたちを胸ぐらつかむ勢いで尋問してたとか。(快がトイレに行った隙にこっそり教室から出て、鬼のように着てたラインはスルーしてた)
俺が休み時間中に久保と三上とずっと一緒にいるせいで、快の空気がピリピリしてたとか。(先生すら声をかけるのをためらってたらしい)
坂部が、放課後に合コンに誘ったら、「それどころじゃない」ってキレ気味に断られてたとか。(坂部が断られてるのはいつものことだ)
おかげで久保と三上も、快に刺されそうな目でずっと睨まれてて寿命が縮んだとか。
自分を含めたクラスメートたちが、どんな被害を被ったかを切々と語る。
「それを俺のせいにされたって困るんだけど。たまたま快の機嫌が悪かっただけだろ」
「たまたまじゃない! 紫藤の不機嫌は確実に臨が原因だ。おまえが紫藤と別れたりするから。たのむっ! 俺たちみんなのために、今すぐにヨリを戻してくれ」
両手を擦り合わせながら、久保が俺に懇願してくる。
ヨリを戻せって言われてもな。
「そもそも俺と快、付き合ってないし」
「……え?」
一瞬間を開けて、久保が目を見開く。
「それに、告ってフラれたのは俺のほう」
「は? え? マジ?」
久保が、さらに大きく目を見開く。
「マジ」
静かにそう返す俺に、
「いやいや! そんなはずないだろ」
久保が顔の前で、オーバーリアクション気味に手を振った。
「そんなはずあるよ。友達なんだって。俺は、快にとってのいちばんの」
自分が口にした言葉が、思った以上に胸に刺さった。
鼻の奥がツンと痛くなって、それが目頭にくる。それを誤魔化すように鼻の下を指でこすると、俺は上体を前に倒してストレッチを再開させた。
「久保、上から押して」
「んー」
俺の背中に手のひらをあててぐっと押しながら、久保が後ろから耳元にちょっと顔を寄せてきた。
快だったらドキッとする距離だけど、久保には一ミリもときめかない。むしろ、その近さがうっとおしい。
秋もそろそろ中盤に入るとはいえ、いまだに気温が高い日が多いから、暑苦しさが増してよけいに。
ちらっと横目に見ると、久保が真顔で聞いてきた。
「てか、臨が紫藤を好きってのはガチ?」
なんと答えるか、数秒迷う。
本音をさらしたからって、久保の性格的にこれまでと態度が変わることはないってことはわかってる。
でも、俺が一方的に快に好意を持ってると思われるのはなんだか癪だった。
「は? そんなわけねーじゃん」
だから、唇を歪めてふっと笑った。
それを久保がどう受け止めたかはわからないけど、久保がどう思うかはべつにどっちだっていい。
今日から俺も、快への気持ちを友達としての好意に戻すんだから。



