臨と誕生日デートした翌々日の月曜の朝。
俺はドキドキしながら、臨のことを家まで迎えに行った。
昨日は臨が部活で会えなかったから、今日が「好き」って伝えたあとの初登校。
俺、もう臨の彼氏ってことでいいんだよね……?
この前、海で臨にキスをした。
臨の唇は冷えてたけど、触れた感触はとても柔らかくて心地よかった。
髪に触れたり、抱きついたりするときよりも、幸せで満たされた気持ちになれた。
臨とのキスを思い出したら、それだけで体温が0.1度上がる。
ニヤけながらマンションのインターフォンを鳴らすと、「すぐ行く。ちょっと待ってて」と低い寝起きみたいな声が返ってきた。
今日も起きるのギリギリだったのかな。
聞き慣れた声だというのに、そわそわして、早く臨に会いたくてたまらない。
しばらく待っていると、エレベーターから出てきた臨の姿がエントランスのガラス戸の向こうに見えた。
どうしよう。早く会いたいのに、いざ臨の姿を目にすると緊張する。
登校するときに臨を迎えにいくのは、小学生のときからの俺のルーティーンなのに。
幼なじみから恋人になったら、いつもあたりまえにしてたことにもドキドキするんだな。
左胸に手をあてると、深呼吸して姿勢を正す。そのとき。
「おはよ……」
臨が出てきた。
口元に手を当てて、眠たそうにふわっと欠伸する臨は、いつもと同じ。俺と違って、少しも緊張感がない。
あれ、なんか普通だな。
付き合ったばっかりで緊張してたの俺だけ……?
ちょっと拍子抜けしてテンションの下がった声で「おはよ」と返すと、臨が不審げに俺を見てきた。
「どうかした?」
「いや、べつに……」
「ふーん……? なら、行こ」
ずり落ちてきていたスクールバッグを肩にかけ直した臨が、平然とした顔で歩き出す。
あまりに平然した臨の態度に、俺はちょっと混乱した。
あれ……。俺と臨て、付き合ったよね……?
水族館のデートも、浜辺での告白も、ちゅーも。ちゃんと現実だったよな……。まさか、夢オチ……。
気だるそうに歩いていく臨の後ろ姿を茫然と見つめたとき、臨のスクールバッグで、グレーのイルカのぬいぐるみキーホルダーが揺れているのに気がついた。
先週まではなかったイルカのキーホルダー。それと色違いのイルカを、今日は俺もスクールバッグにつけている。
この前のデートの別れ際に、臨が俺にプレゼントしてくれたのだ。
水族館のギフトショップで見つけて、おそろいで買ってくれたらしい。
臨のバッグで揺れるイルカを見つめながら、ほっとした。
臨と付き合ったのは夢じゃない。ちゃんと現実。
それにしては、臨の態度がそっけなさすぎる。
朝イチで大好きな恋人の顔を見たら、もうちょっと嬉しそうに笑ったり、照れたりしてもいいんじゃないの!?
俺は、起きたときからめっちゃドキドキしてたのに。
臨だって、俺のこと「好き」って言ってたのに。
ちょっと不満に思いつつ、小走りで臨を追いかける。左隣にピタッとくっついて並んで強引に手をつなぐと、臨がちょっと面倒くさそうに俺を見た。
少し気の強そうな、切れ長の臨の目。そのまなざしには、彼氏に向ける甘さも隙もない。
「手、つなぐのはだめ?」
しょんぼりと訊ねると、臨がぎゅっと唇を真横に引き結んだ。
怒ったのかな。
そう思って手を離そうとしたら、今度は臨のほうが、指を絡めてぎゅっと俺の手を握りしめてくる。
「……駅までならいい」
ぼそっと小声で返してくる臨。ふと見ると、うつむく臨の耳の後ろが真っ赤になっていて。ぶわーっと一気に、愛おしさが込み上げてきた。
なんだ。臨、照れないように我慢してただけじゃん。
うわー、どうしよう。俺の臨が、朝から可愛い。
そうだよ。もう、俺の臨だもんね。
そう思ったら嬉しくて、臨とつないだ手を何度もにぎにぎしてしまう。
「快、それ、学校でもつけんの?」
ご機嫌で歩いていると、臨が俺を横目に見ながら聞いてきた。
「それって?」
「指輪……」
「ああ、これ?」
臨の言葉に、俺は左手をあげた。
左手の薬指。俺がそこにつけているのは、臨に渡したのと同じデザインのペアリングだ。
最初は臨にだけプレゼントするつもりで指輪を探していたんだけど、どうせだったら俺もペアでつけたいなって思って買ってしまった。
だけど、臨の左手には今日は指輪がついていない。
「臨もつけてくれたらいいのに」
「そうだけど……。快とおそろいの指輪なんてつけてたら、目立つし恥ずいだろ」
「そうかな」
「そうだよ。俺たち、ただでさえ付き合ってる疑惑かけられてんだからな。それが急にふたりで指輪つけ始めたら、『今日から付き合いましたよ』って宣言してるみたいじゃん」
「いいじゃん、べつに」
「よくない。バカップルかよ。付き合ったことはムリに隠さなくてもいいけど、学校では今までどおりにするから」
「ええー。じゃあ、学校ではあんまりいちゃいちゃしたらだめってこと?」
「必要以上には……。ていうか、今までだってだいぶ距離感バグってたのに。あれ以上、なにするつもりだよ」
臨がじとっとした目で俺を見てくる。
なるほど。必要以上には……、ね。
てことは、今までみたいに臨に触ったりくっついたりするくらいならオッケーってことね。
日々を元気に過ごすためには、適度な臨の摂取は大事だもん。
勝手にそう解釈すると、俺は「わかった」とうなずいて、おもむろに臨の襟元に手を伸ばした。
シャツの前ボタンをひとつはずして、緩めに結んだネクタイが少し曲がっている。
インターフォンに出たときの声も寝起きだったし、家を出るときにちゃんと鏡を見なかったのかも。
それでなくても、臨はネクタイを結ぶのがヘタだ。
「曲がってるよ、臨ちゃん」
臨の前に回り込んで向かい合うと、ネクタイをほどく。そのとき、臨の襟元にキラッと光るものを見つけてドキッとした。
なんだよ。臨だって、ちゃんとつけてるくせに。
口元を綻ばせつつ、臨のネクタイを結び直す。
「なに笑ってんだよ」
ほぼ同じ目線の高さで不審そうに俺を見てくる臨。
「べつに~。はい、いいよ。臨ちゃん、可愛い」
ネクタイの位置を整えて、臨の肩をぽんっと叩く。
「は? なんなの、おまえ」
「だから、べつに、ってば」
怪訝に眉を寄せる臨の隣で、俺はずっとニヤケ笑いが止まらない。
「もう手は離すからな」
駅に着く手前で手を離した臨が、ニヤニヤしている俺を気味悪そうに見て少し速足になる。
見慣れているけど、これまでとは確実に違う臨の背中を、俺は鼻歌混じりに追いかけた。
◇◇◇
「臨~、紫藤、おはよ」
臨と並んで歩いていると、学校の正門の手前で後ろからいきおいよくバシッと背中を叩かれた。
誰だよ。俺と臨のふたりきりの登校時間を邪魔するやつは……。まあ、声でわかるけど。
イラッとしつつ振り向くと、やっぱり久保だった。
「おはよ」
優しく応えてあげてる臨の横で無言の真顔になる俺を見て、久保がちょっと苦笑いする。
「なんだよ、紫藤。変わり身はやっ! さっきまでご機嫌だったじゃん」
久保にそんなこと言われるなんて。どうやら、臨の隣を歩く俺の背中は相当浮かれてたらしい。
それがわかってて臨との時間を邪魔してくる久保には、ここでちゃんと言っておこう。
「そりゃあね。ついに臨と結婚しましたから……!」
どや顔で胸を張ると、じゃーんと、久保に左手の指輪を見せつける。
俺の左薬指で輝く銀色の指輪に、久保は「お、おお……」と微妙に唇を歪めて身を引いた。
「お、おめでとう……? だけど、付き合ったじゃなくて結婚なん?」
「そうだよ。臨の誕生日デートのあと、海で――」
「ああーっ! もういいから。久保も深掘りしようとすんな」
ニヤニヤしながら結婚秘話を語ろうとしていた俺を、臨が全力で止めてくる。
「なんで止めるんだよ、臨ちゃん」
「ちゃん、て呼ぶな。ていうか、結婚はしてないからな」
「あ、そっか。結婚の約束……じゃなくて、結婚を前提にしたお付き合いだったね」
久保の前でクールに返してくる臨ににこっと笑いかけると、眉を下げた臨がなんとも言えない困り顔になった。
「違……いや。違うとかじゃないけど……」
にこにこ笑う俺の前で、臨が頭を抱えてブツブツ言っている。
恥ずかしがりながらも、俺と付き合ったことは否定しない臨が可愛い。
「まあ、俺はクラス平和が保たれるならなんでもいいわ。でも……」
俺たちの会話を呆れ顔で聞いていた紫藤が、ふと気付いたように首をかしげた。
「指輪って紫藤の分だけ? え、もしかして、結婚したって、臨のこと好きすぎる紫藤の妄想じゃないよな……?」
久保がなぜかおそるおそる訊ねてくるから、ちょっとイラッとした。
「んなわけないじゃん。臨もちゃんとつけてくれてるよ。俺があげたペアリング」
臨の肩を引き寄せると、臨のシャツの後ろ襟の隙間に指を入れる。
「え、ちょ……快!」
ビクッと震えて焦る臨の襟首から隠れている銀のチェーンを引っ張ろうとすると……。
「やめろ、離せっ!」
怒った臨が、俺の腹に思いきり肘鉄をくらわせてきた。
「いった……なにすんの、臨ちゃん……」
おもわず衝撃に臨から手を離すと、顔を赤くした臨が俺を睨んできた。
「そっちがなにすんだよ……!」
首の後ろを両手で隠す臨は、隠してつけてるネックレスに俺が気付いているとは思っていなかったらしい。
プイッと顔をそらすと、俺から離れて早足で歩いていく。
それが照れ隠しだとわかるから、俺は怒ってる臨の後ろ姿を見つめてニヤニヤとした。
臨が俺にも久保にもバレたくなかったのは、制服の下にこっそりつけてるネックレス――。じゃなくて、そこに引っかけてある銀のペアリング。
臨に俺の本気を伝えるためにプレゼントした指輪だけど、照れ屋な臨が学校ではつけてくれないだろうなってことは、もちろん想定内。
だから、臨が身につけやすいように、指輪の箱の中にはネックレスのチェーンを添えておいた。
そうしておけば、臨なら絶対つけてくれると思った。
さすが、俺。臨のことわかってる……!
立ち止まってニヤけていたら、いつのまにか、久保と臨が隣合って前を歩いていた。
臨の肩に手をのせた久保が、臨の耳に顔を近付けて笑いながらしゃべっている。
俺が臨と付き合ったって言ったばかりなのに。
近いな、あいつ……。
急いで追いかけると、臨と久保のあいだに割って入ってふたりを引き離す。
「離れろ、久保!」
左を向いてじろっと睨むと、久保が一瞬たじろいだ。
「びびった……。いきなりなんだよ、紫藤。今臨と話してんただけど」
「久保は、いつも臨と話すときの距離が近いんだよ」
「そんなことないだろ。ふつうに友達の距離じゃん」
「友達なら、臨と話すときは最低一メートルは離れろ」
「そんなん、話しにくいわ」
「じゃあ、話すな」
「なんで紫藤が決めるんだよ。俺だって、臨の友達なんだけど……」
「だから? 俺は臨の彼氏だし」
イラッとした声で反論してくる久保に圧の強いまなざしを返すと、臨の肩をぐいっと引き寄せる。
しらけた顔で俺たちの言い争いを聞いていた臨は、俺の行動にビクッと肩を震わせた。
「うわ、すげーマウントとってきた。これ、どうなん。臨」
俺の前に身を乗り出して訊ねる久保に、臨が困ったように眉をひそめる。
「どうって……。あ、ちょっとウザい……?」
ぼそっとした臨の低い声に、久保が手を叩いて笑い、俺は地味にショックを受けた。
え……。俺、ウザい……?
しょぼんとしていると、少し目を細めて臨が、ふっと笑いかけてきた。
「何落ち込んでんの」
「だって、ウザいんでしょ……」
「ウザいところも含めてが、快のデフォだろ。嫌いじゃないけど」
口ではそう言うくせに、ちゃんと俺のこと「好き」って目で見つめてくる臨にバカみたいに胸がときめく。
はあー。やっぱり、俺の臨は常時可愛い。
好き。超好き。ほんと、大好き。
だから、これからもずっといっしょにいて。
これ、一生の約束ね。
fin.



