朝から水族館をたっぷり満喫した俺たちは、ギフトショップでお土産を買うと水族館を出た。
「これからどうすんの? もう帰る?」
臨が、ポケットから取り出したスマホを見ながらつぶやく。
臨の横から覗き込むようにして時刻を確認すると、現在午後四時前。
ちゃんと計画どおりだ。
「せっかくの臨の誕生日だから、なんか食べて帰ろうよ。この近くに、夕日を見ながら食べれるイタリアンレストランがあるんだって。そこ行ってみよう」
「夕日? 快、そういうのに興味あったっけ?」
俺の提案に、臨が怪訝な顔をした。
「そりゃあるよ。俺、もう高校生だし」
咄嗟にそう返すと、臨がますます不可解そうに眉をひそめた。
急に気取った提案をしてきた俺を、不審に思っているらしい。
こんなことなら、普段からもっと臨の前でロマンチックなことをいっぱい口にしとけばよかった。
だけど、過去の自分を悔いても仕方ない。
ちょっと変だって思われてるかもしれないけど、これからの俺の計画には夕日が絶対必要なのだ。
「とりあえず、行ってみよう。そこの店、窯焼きピザがうまいって。あと、ペスカトーレっていう海鮮のパスタも超うまいらしい」
「ふーん……」
食べ物の話題を出すと、臨の顔から不信感が消えた。
俺の目当てが、夕日じゃなくてレストランのメニューだと思ったっぽい。
しょせん、花より団子だって思われてるとしたらちょっと複雑だけど。とりあえず、臨を自然に目的のレストランまで導けそうだ。
海に面した道を臨と歩きながら、俺はカーゴパンツの左ポケットに手を入れた。
指に触れた小さなケースを手の中に包んで握りしめる。
中に入っているのは臨にプレゼントしようと思っている指輪。
俺の臨を好きな気持ちが本気だってわかってもらうための最終兵器。
水族館を出る前、ひとりでトイレに行くふりをして、それをボディーバッグからパンツのポケットに移しかえたのだ。
臨の十七歳の誕生日。海に沈む夕日の見えるレストランで告白してこれを渡すのが、本日のデートの最終プランだ。
臨を誕生日デートに誘ってから今日まで、水族館近辺のレストランをリサーチして、手元のお小遣いをかき集めて臨の手に似合いそうな指輪を買った。
ばあちゃんが口座の預金をおろしてくれなくて予算が限られちゃったけど。
プレゼントは値段じゃなくて、気持ちだからね。
それはさておき。指輪を渡すとき、臨になんて言おうかな。
やっぱり、目を見てシンプルに「好きだよ」かな。
あー、でも……。これ、もう何度も言ってんのに全然信じてくれないんだよな。
「俺と付き合って!」とか……?
そうだ。これも、同情すんなとか言って信じてくれなかったんだ。
じゃあ、もう……。
「俺と結婚して!」、とか……。
これだな。もうこれしかない……!
臨のこと大好きだし。何があっても、一生いっしょにいるって決めてるし。
俺の告白に、目を細めて少し口角をあげて笑い返してくれる臨。想像のなかでも充分に可愛い笑顔に、フンフン鼻息を荒くしていると、急に横からグイッと腕を引っ張られた。
「快」
臨の声にハッと顔をあげると、向こうから二人組で歩いてきていた体格のいい外国人男性とぶつかる寸前で。
向こうが大きな目を見開いて、大袈裟にびっくりした顔をしていた。
「すみません……!」
「ソーリー」
とっさにパンツのポケットから手を出して相手を避けると、向こうも謝ってくる。
危ない。このあとのことを考えて、ぼーっとしぎてた。
「何やってんだよ、快……」
外国人男性が行ってしまうと、呆れ顔の臨に怒られた。
目尻の少しあがった臨は、怒ってても可愛い。
もともと美人だから、怒ってても笑ってても可愛いんだよな。
じっと見つめたら、「なに?」と臨が不審そうに睨んできた。
「いや。臨ちゃん、怒っても可愛いなって」
「はあ……? また意味わかんないこと言ってんな。寝ぼけてんの?」
「完全に覚醒してる」
真顔で答えると、戸惑ったように視線を泳がせた臨の頬がりんごみたいに赤くなる。
「いや、寝ぼけてんじゃん。それより、店こっちでいんだよな?」
「そうそう。もうすぐ見えてくるよ」
「わかった」
腕で顔を隠しながらスタスタと先を急ぐ臨の背中が、わかりやすく照れている。
そういうところも、やっぱり可愛い。
ていうか、俺。今までなんで気付かなかったんだってくらい、臨のこと大好きじゃん。
早く言いたい。「結婚して」って。
目当てのイタリアンレストランの前に着くと、入り口の前にはすでに人がたくさん並んでいた。
「わあ、すごい混んでんな。俺、名前書いてくるね」
店の前のステップをあがっていくと、臨も後ろをついてくる。
ドアを開けて中に入ると、レジの前の待合席も混んでいた。順番待ち用紙の一番最後に名前を書いて、待っているグループの数を数えたら十組以上。
もともと人気のあるレストランというのもあるけど、まもなく日の入りが迫っている。
俺と同じで、食事しながら夕日を見ようと思ってたお客さんがいっぱいいるのだ。
スマホを見ると、日の入りまではあと三十分ほど。
十組くらいなら、もしかしたら今席に着いている人たちがいっせいに出てくれたら、なんとか間に合うかも。
そんなことを考えていたら、フロアの奥から制服を着た定員が出てきた。
「二名でご予約の小林様〜」
名前を呼ばれて、若い男女のカップルが待合席から立ち上がる。
ちょっと待てよ。順番待ち用紙に名前を書いている人たち以外に、予約のお客さんもあるのか……。
そうなると、待っているのは十組以上だ。
間に合うかな……。
レストランのフロアの奥の海が見えるテラス席に視線を向ける。
仮に、日の入りまでに順番が回ってきたとしてもテラスに近い席じゃなかったら夕日も見れない……。
そうなったら、せっかくの計画がパーだ。
「快、次の人待ってる」
順番待ち用紙の前でボールペンを持ったまま考えていると、臨が横から俺の服の袖を引っ張ってきた。
振り向くと、四十代くらいの女の人がちょっとイラついた様子で俺を見てきて、あわてて場所を譲る。
「すみません……。臨、外で待ってよ」
もうこっちを見ていない女の人にぺこっと頭を下げると、俺は臨の腕を引っ張って外に出た。
「なんか、だいぶ時間かかりそうだったな。べつに俺、コンビニおにぎりでも、モックのハンバーガーでもいいけど」
臨が気を遣って言ってくれたけど、俺は首を横に振った。
「もうちょっと待とうよ。せっかく来たんだから、夕日みながら食べたいじゃん」
「なんでそんな夕日にこだわんの? あと十組以上も待ってるんだから、順番が回ってきたときには太陽なんて沈んだあとだろ」
なにも知らない臨が、呆れ顔で俺を見てくる。
順番を待ってるあいだに、夕日は沈む。その可能性が高いってことはもちろんわかってるけどさ。
このレストランでの食事と夕日は、俺が臨に本気の告白をするのに必要不可欠なんだ。
せっかくここまで楽しく凛とデートができたのに。最後の最後でうまくいかない。
告白する場所がファーストフード店っていうのは、ムードがなあ……。
どうしようかなあ。最悪、夕日はあきらめるか……。
考えながら、パンツの左ポケットに手を入れる。その瞬間、ひやっとした。
ポケットに、プレゼントの指輪が入っていない。
あれ? なんで? ずっとここに入れてたのに……。
焦って反対のポケットに手を入れたけど、そっちもからっぽだ。
マジで、どこやった……。
両手をポケットの中でパタパタ動かす。そのとき、ふと、レストランに来る途中に外国人とぶつかりかけたことを思い出した。
そういえばあのとき、直前までポケットの指輪を触ってた。
とっさにポケットから手を出したときに指輪の箱を落として気付かなかったのかも。
あれから、まだそんなに時間は経ってないよな……。
「ごめん、臨。ちょっとここで待ってて。呼ばれたら先入ってていいから」
臨の肩をぽんっと叩くと、俺は水族館のほうに向かって駆け出した。
「え、おい……快?」
戸惑う臨の声を背中で聞きながら、ひさしぶりに全力疾走。
あんまり走ると、また足の痛みが出そうで怖いからふだんは控えてるんだけど、今は一刻も早く落とした指輪を探し出すほうが大事だ。
俺は外国人とぶつかった一メートルほど立ち止まると、塵ひとつも見逃さないつもりで心あたりを見て回った。
まもなく日が沈むが、ここはたくさんの人で賑わう観光地。
まだまだ歩道には何人もの人が行き交っている。
歩く人の邪魔にならないように、下を見ながら歩道の端を歩いていたら、誰かのスニーカーが落ちていた石ころを蹴飛ばした。それがころころと車道に転がっていくのを見て、ふと思う。
もしかしたら、歩いている人が気付かずに蹴飛ばしてる可能性もあるよな。
俺たちが歩いていたときは、今よりももうちょっと人通りも多かったし。
そう思って、車道側に寄ってゆっくり歩く。
そうして、ちょうど外国人とぶつかったあたりに差し掛かったとき、歩道のそばの側溝に指輪の箱を見つけた。
けれど、箱の角が側溝の隙間に刺さるように挟まっているという危険な状況だ。
少しでも早く救出したくて、車道のほうに出る。
側溝に近付いて指輪を拾ったそのとき。
キキーッと自転車のブレーキが鳴る音がした。それから間髪あけずに、車のクラクションが鳴らされる。
「快! 危ないっ!」
なぜか臨の叫び声が聞こえて、俺の体は歩道のほうに引っ張られた。
次の瞬間、身体がぎゅーっと苦しいくらいに締め付けられる。
「なにやってんだよ、快のアホ。死ぬ気かよ!」
臨の怒鳴り声が耳元で聞こえて、自分がしがみつくように抱きしめられていることに気付く。
「なんで臨がいるの?」
「快がひとりでいなくなるからだろ! 理由も言わずに勝手にどっか行くなよ。ずっといっしょにいるんじゃないのかよ。死んだらいっしょにいれねえじゃん。臨の母ちゃんや俺のじいちゃんみたいに……」
俺を罵る臨の声が、だんだん掠れて弱々しくなる。
店の前で待っていてと言ったのに、心配して追いかけてきてくれたんだな。
ふだんは全力疾走なんてしない俺が、突然走り出したから。
自転車とぶつかりそうになってる俺を見て、臨はかなり焦ったはずだ。
俺の母さんが亡くなったのは、自転車に乗っているときの事故。歩道からはみ出してきた子どもを避けようとして転倒し、後ろからきていた車に撥ねられた。
さっきの状況は、母さんの事故のときのシチュエーションと似てる。
それなのに、指輪のためとはいえ、周囲が見えてなさすぎた。
自転車に乗っていた人にも、クラクションを鳴らした車の運転手にも迷惑をかけてしまった。
「ごめん……」
本気で反省して謝る。だけど。
「……、ゆるさない」
震える声で、臨がそう言ってきた。
「え、ゆるして。ほんとにごめん……。もう絶対にこんなことしない。気をつけるから……」
「ゆるさない……」
少し涙声でつぶやいた臨が、俺の背中に両腕を回してぎゅーっとしがみついてくる。
俺の肩に顔を寄せてぴったりくっついてくる臨は、人通りのある道にいるというのに、全然離れようとしない。
小さく震える肩が、なんだか子どもみたいで頼りない。
どうしよ。胸がきゅってする……。
俺の勝手な行動のせいで臨を不安にさせてるのに、臨が俺のことで焦ったり、泣いたり、怒ったりしてくれるのは嬉しい。
だって、それだけ臨も俺のことを考えてくれてるってことじゃん。
軽率だとは思ったけど、俺はどうしても臨を抱きしめ返さずにはいられなかった。
「臨、今も俺のこと好き?」
震える臨を抱きしめて、耳元で訊ねる。
その質問に、臨は俺の肩に顔を押しつけたままボソリと答えた。
「……好きじゃなきゃ、こんな心配してない」
好き……? 臨は、まだ俺のこと好きでいてくれてるんだ。
よかった。
ここは人気のレストランのテラス席じゃないし、計画してない夕日も見えないけど。
臨に好かれているとわかって、テンションが上がる。
「うれしい……! 俺も臨のこと大好き!」
周囲も気にせずそう言うと、臨がわずかに眉根を寄せる。
そのとき。俺とぶつかりそうになった人が、自転車を止めて駆け寄ってきた。
「すみません、大丈夫ですか?」
大学生かなって雰囲気の若い男の人に申し訳なさそうに頭をさげられて、俺のほうが申し訳ない気持ちになった。迷惑かけたのは、俺の不注意のせいだ。
「大丈夫です。俺のほうこそ、ちゃんと確認せずに歩道から出たりしてすみません……」
立ち上がると、自転車の男性に頭をさげる。
謝罪をして彼が行ってしまったあとも、臨は顔を隠すように俺にしがみついていた。
何も言わなくても伝わってくる速い鼓動が、俺の左胸をドキドキと高鳴らせた。



