灰被り千夜、桜灯の宵宮で踊る――虐げられた次女が藩を救う和風シンデレラ

 日の光が、神楽殿の隅々まで届いていく。
  朱に染まっていた空は、すっかり澄んだ薄青へと変わり、
  まるで一夜にして世界が洗われたようだった。
 拍手が起こるわけでも、歓声が上がるわけでもなかった。
  ただ、人々は静かに頭を下げていた。
  それが、この町で“神を迎える”ということだった。
 督真は一歩進み、千夜の前に立った。
  そして、錦の羽織の裏に仕込まれていた小さな勾玉を取り出し、千夜の手にそっと渡す。
 「これは、初代の巫女が身に着けていた“鎮魂の印”だ。
  今よりこれを、そなたに託す」
 勾玉は、手のひらに納まるほどの大きさだった。
  だが、冷たさもなければ、重さも感じない。
  それどころか、手に触れた瞬間、心の奥にすっと風が通ったような気がした。
 「ありがとう……ございます」
 言葉は小さかったが、その声は神殿に確かに響いた。
  一人の“声なき者”が、ようやく言葉を手に入れた瞬間だった。
 その様子を、綾女が遠くから見つめていた。
  顔には笑みも怒りもなかった。
  けれど、目の奥だけが動かなかった。
 「……あの子が、ここまで」
 呟いたその声を、誰も聞かなかった。
  綾女は、そっとその場を離れる。
  誰からも気づかれぬよう、静かに、影のように。
 一方、百花は立ち尽くしていた。
  自分が、手に入れたかったもの——名声、後見、巫女としての地位。
  それらすべてが、今、妹のもとにある。
 けれど、なぜか心に棘はなかった。
  むしろ、不思議なほど、肩の力が抜けていた。
 (あの子は……“立たせられた”んじゃない。自分で立ったんだ)
 それを見届けたことが、敗北ではなく、“救い”だったのだと気づいた。
 「姉さま」
 千夜が振り返り、手を差し出す。
  驚いたように目を見開いた百花は、一瞬ためらって——それでもその手を取った。
 「あたし……これから、どうすればいいかな」
 「……一緒に、考えよう? 今度は並んで」
 百花は、声を出さずに頷いた。
  その横顔に、かつての華やかさはなかった。
  けれど、そこに初めて浮かんだ“素顔”は、誰よりも清々しく、美しかった。
 (第十章・了)