「ふぅ、こんなもんかな」

 部屋を片付けるのに一週間かかった。

 収納スペースがないので、いる物は段ボール箱に押し込まれ、壁についた汚れなどは落としきれていない。それでも、何とか人は住める状態だ。

「あ、三笠先輩! 出したら片付けて下さい! ゴミはゴミ箱に!」
「うるさいなぁ」
「僕、朝から講義あるんで先に大学行ってますけど、くれぐれも宜しく頼みますよ」
「はぁい」

 間の抜けた返事をする三笠先輩とは、案外上手くやっている。無駄にスキンシップが多いような気もしなくもないが、多分そこは気のせいだろう。

 そして、部屋を綺麗にした端から汚していく。三笠先輩は、部屋を汚くする名人かもしれない。普通に生活しているはずなのに、何故こんなにも汚すことが出来るのか。

「あ、智。お弁当忘れてる」
「すみません。ありがとうございます」

 でも、ご飯は美味しいので許す。そういう契約だし。

 お弁当を受け取れば、三笠先輩が笑顔で言った。

「今日もお昼、一緒に食べようね」
「あー、今日は友達と……」
「そっか。友達出来たんだ?」

 友達なんて出来ていない。

 講義が終わったらアルバイトがあり、帰ったら家の片付け。サークルに入る余裕もないし、内気な僕は、自分から声をかけることもできず、未だに友達はゼロだ。

 しかし、三笠先輩とは、ランチをしたくない。というより、外では関わりたくない。

 ——三笠先輩は、前にも言ったが顔もスタイルも良い。キャンパス内では、アイドル的存在なのだ。
 そんな三笠先輩と一緒にいるのは、目立つ。それに、何だか落ち着かない。自分の平凡さが際立ちそうで、周りから非難されてそうで、だから極力外では関わりたくない。

 どうせ今の関係も、水道の補修工事が終わるまで。無駄に仲の良いところを見せつけて、知らない人達に嫉妬されても困る。一ヶ月もしたら、何の接点もなくなるのだから。

 三笠先輩は、嬉しそうに言った。

「じゃあ、俺も智の友達とランチしよ」
「え!?」
「だって、一人でランチするの寂しいじゃん」
「寂しいって、三笠先輩、友達多いじゃないですか」

 僕が見る限りでは、いつも誰かが周りにいる気がする。遠目からなので、どんな会話をしているかは知らないが。

 まぁ、何にせよ、三笠先輩は人気者だということだ。

「あれは、友達じゃないよ」
「え?」
「みんな、俺と一緒にいるだけで優越感に浸りたいだけ。社長の息子とつるんでたら、人生勝ち組とでも思ってんじゃない?」

 何だか虚しくなるようなことを平然と言う三笠先輩。しれっと大事な情報をぶっ込まれた気がする。

「だからさ、こうして普通に接してくれんの智だけなんだよね」
「えっと、三笠先輩……」
「ほら、早く行かないと講義遅れちゃうよ」

 背中をポンッと叩かれ、送り出された——。

「三笠先輩が社長の息子……?」

 別に三笠先輩の親が何をしていようが関係はない。関係はないが、疑問は残る。
 社長の息子が、家賃四万のオンボロアパートに住んでいる。片付けが出来ない。料理は出来る。

 金持ちなら家政婦なり家事代行サービスを頼めば良いのでは?

 モヤモヤしながら、大学に向かう。

 道中色々と考え、講義も始まったが集中出来ない。

 あまりしたくなかったが、僕はスマホで検索することにした。『三笠』『社長』『琥太郎』と、思い当たるワードを入力して……。

「え!?」

 思わず立ち上がってしまった。
 そして、講義室内に、僕の声が響いた。

「どうかしたか?」

 先生が怪訝な顔を見せる。周囲の生徒の視線も僕に集まった。

「い、いえ……何でもありません」

 僕は小さくなって、静かに椅子に座り直した。
 講義が再開され、僕は机の下でスマホをいじる。

 そこで得られた情報。それは、三笠先輩の母親が三笠コーポレーションの代表取締役社長だということ。主にコスメを扱う会社のようだが、女手一つで子供を育てながら上り詰めた経緯が書いてある。

 僕はコスメには興味ないので知らなかったが、ホームページを見る限り、随分と大きな会社のようだ。

 そんな息子が何故、僕と同じアパートに。何故僕を部屋に招き入れた?

 更にモヤモヤが増してしまった。

 もしや、三笠先輩の気まぐれで、すぐにポイッとされるんじゃ……。機嫌を損ねたが最後、ゴミのように捨てられそうな予感しかしない。

◇◇◇◇

 ランチタイム。

 天気も良いので、外でお昼を食べようと歩いていたら、前の方から大きな声で三笠先輩の声がした。

「あ、いたいた! さーとーし!」

 ニコニコ笑顔で手を振ってくる三笠先輩に気付かないフリをしながら、進路を変える。

「あれ? 聞こえないのかな? さーとーし」

 三笠先輩は、更に大きな声で呼んでくる。皆が注目するので、僕は諦めて三笠先輩の方へ足早に歩いた。

「智、友達は?」
「そんなのいませんよ。それより、三笠先輩。何で黙ってたんですか?」
「何を?」
「お母さんのこと。申し訳ありませんが、ネットで調べちゃいました」
「智、ここのベンチで食べよ」

 三笠先輩がベンチに座ったので、僕もその隣にストンと腰をおろした。

 巾着を開けながら、三笠先輩が言った。

「別に隠してた訳じゃないよ。聞かれなかったから」
「聞く訳ないでしょ。知らないんですから」
「怒ってる?」
「怒ってはないですけど……家事代行サービス使えば良いじゃないですか」

 お金がないから、僕を家政婦代わりにしているのだと思っていた。だから、お金持ちの三笠先輩にとって、本来僕は不要な存在なのではないかと思ってしまう。

 だから、何が言いたいかと言えば、僕が居候するのは、迷惑でしかない。ウィンウィンな関係だから了承したが、そうでないのなら僕は出て行くべきだ。

「居候の身でアレなんですけど……僕、いらないですよね?」
「ほんと、居候の分際で図々しいね。存在意義を聞いてくるなんて」
「すみません……」

 三笠先輩は、物憂げに言った。

「お小遣いはもらってるけど、稼いでるのは母親だから。あんまり使いたくないんだよね」
「めっちゃ良い息子じゃないですか」
「それに俺……」

 それだけ言って、三笠先輩は黙ってしまった。

 あまり深く聞くものでもないと思い、僕も静かに三笠先輩が作ったお弁当を食べる。

「美味しい」

 つい頬が緩む。

「智、これもどうぞ」

 三笠先輩が卵焼きを“あーん”してきたので、僕は躊躇いながらも、それをパクリと食べた。

「あれ? 僕のと味が違う。けど美味しい」
「智の味の好みがまだ分からなくて、色々作ったんだけど入りきらなくってさ。でも、これなら全部食べてもらえるね。ほら、あーん」
「はむッ、でも、これじゃ三笠先輩の食べるおかずが無くなりますよ」

 そう言いながら、僕は唐揚げを三笠先輩の前に持っていった。

 三笠先輩は、それを食べながら嬉しそうに言った。

「俺ら、まるでカップルみたいだね」
「グッ」

 食べていたアスパラベーコンが詰まりそうになり、急いでお茶を飲んで流し込む。

「はは、智。動揺して可愛い」
「三笠先輩が変なこと言うからですよ」
「それより、出て行くなんて言わないでよ」
「居ても良いなら……宜しくお願いします」

 頭を下げた僕は、ふと思い出したので言った。

「あ、今日から布団二枚ギリギリ敷けそうなので、別々の布団で寝ましょうね」
「え、マジで? 寂しいじゃん。いつもみたいに、ぎゅーッてして寝ようよ」

 三笠先輩が僕の腰に手を回して、ギュッとしてきた。

「ちょ、三笠先輩。やめてくださいよ。みんな見てますって」
「良いじゃん。放っておけば。てか、誰もいないじゃん」
「いなくてもですよ。誰がいつ通るか分かんないじゃないですか」
「じゃあ、夜一緒に寝よ」
「寝ませんよ。何の為に必死で片付けたと思ってんですか」

 そう、三笠先輩の部屋は六畳一間。ただでさえ狭いのに、足の踏み場もない程汚い。初日こそ別々で寝たが、この一週間、シングル布団一枚の上に二人で寝ていた。

 しかも、三笠先輩は無駄に絡みついてくるのだ。ドキドキして眠れやしない。

「智、俺のこと嫌い?」

 ウルウルした瞳で首をコテンとしながら上目遣いされ、ドキリとしてしまう。

「もう、三笠先輩。本当に誰か来たら勘違いされちゃいますから。離れて下さい」
「じゃあ、抱いて良い?」
「三笠先輩。言い方。もう、抱き枕でも何でもなりますから。学校ではやめて下さい」
「やった」

 三笠先輩は、小さくガッツポーズを作ってから離れた。

「はぁ……」

 疲れる。学校でも家でも揶揄われて、休まらない。特に無駄に顔が良いせいで、心臓がフル稼働している気がする。
 これが残り三週間も続くと思うと、気が遠くなる。

 だからさ、これくらいリクエストして良いよね?

「三笠先輩。今日の晩御飯、ハンバーグが良いです」
「智、ハンバーグ好きなんだ」
「子供みたいで、すみません」
「ううん。クマさんとウサギさんどっちが良い?」
「じゃ、クマさんで」

 三笠先輩のペースに飲まれ、疲れることもしばしばあるが、僕はこのやり取りが案外嫌いじゃない。三笠先輩には内緒だが。