どうしよう。

 琥太郎のお見合い相手が隣に住んでいる。

 立花先輩は、真っ黒の前髪をきっちり七三に分けて、すらっとした細身の肢体に黒縁メガネが印象的のインテリ系男子。琥太郎の一つ上。つまり、僕の三つも年上だ。

 僕の知っている琥太郎の元カレとは似ても似つかない相手ではあるが、どっからどう見ても僕よりイケメンだ。出来る男感も半端ない。

 ガチャッ。

「ただいま」

 軽トラを返しに行っていた琥太郎が帰ってきた。

「あ、お、お帰りなさい」

 僕は無理矢理笑顔を作って出迎える。

「あれ? もうこんなに片付いたの?」
「え?」

 辺りを見渡せば、十個はあったダンボール箱が残り二つになっていた。自分でも驚きだ。

「智、もしかして……」

 琥太郎がジト目で見てくる中、僕の目は泳ぐ。

「な、何でしょう」

 やましいことはしていないが、琥太郎にだけは、薫のことを知らせたくないと思ってしまう。

「そんなに朝の続きやりたかったんだ」
「朝の……」

 思わず、巻いてあるタオルの上から首元を触る。

 琥太郎のキス、そして琥太郎の温もりを思い出し、顔が火照る。

「や、やりたいのは琥太郎さんでしょ」
「うん。すっごくやりたい」

 感心する程に清々しい返事。僕も、こんなに素直になれたら楽だろうなと思う。

 琥太郎が絡みついてくる中、インターフォンがなった。

 ピンポーン。

「僕、見てきます」
「また邪魔が入ったね」

 残念そうにする琥太郎から抜け出し、僕はインターフォンのカメラの映像を見た。

 今回のアパートは、カメラ付きインターフォンなので、来客者の顔が事前に見られて有難い。が、来客者が有難くない。

「…………」

 僕は出るのを躊躇った。
 そこには、さっき挨拶に行ったばかりの立花先輩の姿があるのだ。

「智、誰だった?」

 琥太郎がインターフォンのカメラの映像を覗き込もうとするので、背で隠す。

「えっと、子供みたいです。このアパート、ファミリー層多いみたいですよ」
「へぇ。ちょっと揶揄って来よっかな」

 琥太郎が悪戯に笑って言うので、僕は焦って言った。

「入居早々、怖がらせちゃダメですよ。僕が見てくるので、琥太郎さんは、先にお風呂入っちゃって下さい」
「先にお風呂……何だか新婚さんみたいだね」

 琥太郎は、その響きが良かったようで、上機嫌に風呂場に向かった。

「はぁ……」

 僕は、溜め息混じりに玄関に向かった——。

「はい。何でしょう?」

 玄関からヒョコっと顔だけ出せば、やはり立花先輩の姿。一度目を瞑って開いて見ても、立花先輩に間違いない。他人のそら似だと言ってくれ。そう、切に願う。

「これなんだが」

 立花先輩が、何やら袋を差し出してきた。

「これは?」
「実家から沢山送られてきて、余ってるんだ。良かったら使わないか?」

 中身を見れば、沢山の入浴剤が入っていた。

「貰っても良いんですか?」
「実家が温泉旅館を営んでいるんだ。そこの温泉成分が入ってる」
「へぇ。頂きます」

 琥太郎とお見合いするくらいだ。大きな旅館なのだろう。

 礼を言って扉を閉めようとすれば、部屋の奥から琥太郎の声が聞こえてきた。

「智。シャンプーどこ?」
「お風呂の前の引き出しに入ってます!」

 後ろを振り返って、やや大きな声で返事をすれば、すぐに見つかったようだ。

「あ、あった。ありがとー」

 琥太郎が返事をした後、シャワーの音が聞こえてきた。ひとまず安堵する。

 前に向き直れば、今度は立花先輩が中を気にした様子で言った。

「他にも誰か一緒に?」
「え、あ、はい。大学の先輩と」

 彼氏……と言ってみたかったが、ちょっと恥ずかしい。

「じゃあ、ボクと同じ大学か」
「え?」

 何故同じ大学だと知っているのだろうか。

「えっと、立花さんって僕のこと知ってるんですか……?」
「いや、初対面だ」
「じゃあ、何で?」

 疑問に思っていると、立花先輩が僕の首元を指差した。

「あー、これ」

 大学の入学式で配られた、デザイン部のオリジナルタオル。それを首に巻いていたのを忘れていた。

 タオルを外そうと思ったが、ここには無数のキスマークがついている。タオルを取るわけにはいかない。

「えっと、大学でも宜しくお願いしますね。僕、ボランティアサークル入ってないので、接点はないかもですが……」
「ボランティアサークル? 君こそボクを知っているのか?」
「えっと」

 誤魔化してもしょうがないか。琥太郎と会わせなければ良いだけだし。

「実は、テレビで観て。立花先輩の志や、人を慈しむ心に惹かれまして……つまり、何が申し上げたいかと言いますと、格好良いなって」
「桐原君。もしかして、君がボクの隣に引っ越してきたのも……?」
「いや、まあ、憧れは憧れですけど。それじゃ、ただのストーカーじゃないですか」

 それに、今となっては憧れよりも嫉妬の対象だ。出来れば会いたくない。けれど、そんなことを言えるはずもない。

「偶然ですよ」

 本当の事を言えば、立花先輩は後ろを向き、小さな声でブツブツと呟き始めた。

「偶然憧れの先輩が隣の部屋に……これは運命なのでは? もしかして、ここから恋が発展したりなんかしちゃったり? それに、まだ純粋そうだから、ボク好みに調教できそうだし……」

 声が小さすぎて何を言っているのか分からない。そして、早く部屋に戻りたい。

「立花先輩」

 小さな声で呼べば、立花先輩はハッと我に返ったようだ。こちらに向き直り、メガネをクイッと押し上げて言った。

「失礼。男同士は、どう思う?」
「は?」
「男同士の恋愛についてだ」

 初対面の相手に何を言っているのか。

「まぁ、僕は良いと思いますよ」

 自分が今正に男性とお付き合いしているので、あれこれ言える立場ではない。

「結婚まで視野に入れて考えられるか?」
「結婚……ですか?」
「無論、法律上は無理だが、事実婚のような二人ないし家族間で取り交わす約束にはなるがな」
「うーん……好きなら一生そばにいたいですかね」

 琥太郎のことを想えば、つい頬が緩んだ。
 つられたのか、立花先輩の口角も上がった。

「やはり、これは運命だな」
「運命……?」
「ボクは、明日、見合いをするんだ」

 うん、知ってる。

 けれど、初めて聞いたリアクションを取らないと。少し驚いたように。

「へ、へぇ。そうなんですね」
「こんな中途半端な状態では、君も不安になるだろ」
「……?」
「きっちり清算してから、また来る」

 もう来ないで……と、内心思いながら、心にもないことを言う。

「楽しみにしていますね」
「ボクも楽しみだ」

 立花先輩に微笑みかけられた。しかも長い。
 ニコニコ光線を浴びながら、沈黙が続く。

 ニコニコからニヤニヤに変わり、何やら立花先輩の中で妄想が繰り広げられているような気がして怖くなってくる。

「えっと、入浴剤。ありがたく頂きます」

 僕は、ぺこぺこ頭を下げてから、逃げるように部屋に戻って扉を閉めた——。

「はぁ……心臓に悪い」

 もう来ませんように……と、願いながら入浴剤を洗面台の下に片付けに行った。