一週間後。

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴り、扉を開ける。言わずもがな、来訪者は琥太郎だ。

「おはようございます。いよいよですね!」

 これから、借りた軽トラックで荷物を運び、二人で新居へ引っ越し予定。張り切って軍手を手に取れば、琥太郎にふわっと抱きしめられた。

「え、ちょ、琥太郎さ……」
「もう無理」
「んんッ」

 キスされた。ねっとりと濃いやつ。

 頭の中が真っ白になり、意識が飛びそうになる。腰なんて立たなくなり、琥太郎に支えてもらっている。

 そのまま玄関の中に移動し、扉が閉まる。

 キスしながら、その場に押し倒される。琥太郎の口が離れ、それは首筋に移動する。音をたてながらキスの雨が降りそそぐ。

「あ、んんッ、こたろ……さん」
「智不足で死にそう」

 ——実は、引越しを一週間後にしてしまったばっかりに、荷造りを集中的にすることになった。その為、互いに会う頻度を減らしていたのだ。

 だからといって、ゼロではない。ご飯は一緒に食べるしバイトも一緒。寝るのが別々だったくらいだ。

 それでも、琥太郎には物足りないようだ。

「智、愛してるよ」

 琥太郎のキスが、首から耳に移動する。

「あん、耳……耳、ダメ……」
「智、ここ好きだよね」

 Tシャツの中に手が入ってきて、体を優しく触られながら服が脱がされていく。

 僕は、今日今ここで貞操を琥太郎に捧げるのだと確信した。

「僕も……僕も愛してます」

 拒むことなく琥太郎に身を委ね、快楽に溺れていく。

 肌と肌が重なり、二人の気分も盛り上がったところで、再度チャイムが鳴った。

 ピンポーン。

「こんな時に誰だよ」

 イラッとしながらも琥太郎は続けようとする。僕も正直同じ気持ちだが、流石にそうも言っていられない。

「こ、琥太郎さん。鍵、鍵かけてないから」
「はぁ……」

 琥太郎は渋々僕から退いた。

 ピンポーン。

「はい! 今、今出ますから。待ってください!」

 僕は急いで服を着た。

 そして、扉を開ける。大家さんだ。

「ごめんね。お取り込み中だったかしら?」
「い、いえ。それより、すみません。契約は二年なのに、こんなに早くに出てしまって……」
「そんなの良いのよ。入居早々に雨漏りさせちゃったし、こっちこそごめんね。でも、二人、同棲することにしたのね。これ、お祝い」

 そう言って、大家さんは綺麗にラッピングされた箱を差し出してきた。

「え、何で僕らのこと……」

 同時に出ることは言ったが、同棲に関しては誰にも話していない。何故、大家さんが知っているのか。

「アタシの管理してるアパートって、ここだけじゃないから」
「もしかして……」
「いつも、ひいきにして頂いてありがとう」
「い、いえ」

 どうやら新しいアパートも同じ大家さんだったようだ。どうりで二年未満で退居しても違約金がかからなかったわけだ。

夫婦(めおと)茶碗、気に入ってくれると良いんだけど。じゃあ、また何かあったら連絡してね」

 大家さんは、軽やかな足取りで階段をおりて行った——。

「これ夫婦(めおと)茶碗なんだ……」

 贈り物の箱を下駄箱の上に置き、ふと壁に掛けてある鏡を見た。

「わッ、何コレ!?」

 僕の首筋に無数の小さなアザがあった。

 琥太郎が、僕の後ろから鏡を覗き込んでニヤリと笑って言った。

「智って、肌が白いから付きやすいね。キスマーク」
「キ、キスマーク!? これが、俗に言うキスマークというやつですか!? てっきり唇のマークが付くのかと」
「はは、智可愛い。てか、大家さんにはバレバレみたいだね」

 琥太郎が夫婦茶碗が入った箱を嬉しそうに撫でた。

「確かに……」

 夫婦茶碗なんて結婚祝い、若しくは付き合っているカップルにしかプレゼントしない。

「キスマークも見られちゃったしね」
「ですね……」

 大家さんに僕と琥太郎の関係がバレたからと言って問題はない。ただ、今正にヤっていたと思われていることに羞恥を覚える。無駄に訂正しに行きたくなってしまう。行かないけれど。
 
「続き、ヤって良い?」

 琥太郎が鏡越しに首をコテンと傾げて見てきた。つい、頷きそうになる。

「今回は引越し業者頼まないんですから、先に荷物運んじゃいましょう」
「先にってことは……後からやろうね」

 頬にチュッとされて、顔が真っ赤になる。

「さ、荷物運ぼっか」
「は、はい……」

 キスマークを隠すように首にタオルを巻き、軍手をはめて作業に取り掛かった——。

◇◇◇◇

 空もオレンジ色に変わった頃。

 ようやく荷物の搬入が全て終わった。

 トイレ風呂別。キッチン広めのワンLDK。三階建てのアパートの二階。ここが、今日から僕らの住まいになる。

「でも、まさか琥太郎さんがちゃんと荷造りしてると思いませんでした」

 昨日まで、琥太郎の部屋に箱は置いてあるものの、荷造りが全然進んでいる様子が見られなかった。僕が最後に箱詰めする覚悟でいたのだ。

「当たり前じゃん。智と一緒に過ごす時間を一分一秒無駄に出来ないもん」

 琥太郎は、率直に言ってくれるので嬉しい。けれど、照れる。照れ隠しに、テレビの配線を繋げながら言った。

「そういえば、今日お見合いの日でしたよね? お母さん、大丈夫ですか? お怒りの電話とか来てるんじゃ……?」
「あー、引っ越しが今日って言ったら、明日に延期するって」
「明日……ですか」

 自分から話を振っておいて、何だか複雑な気分になる。

「ま、行かないけどね。俺、軽トラ返してくる」
「じゃあ、僕も」
「帰り歩くようになるから、智は荷解きお願い。俺が荷解きやるより良いだろうし」
「確かに……」

 琥太郎が荷解きしたら、また箱に詰めたくなってしまいそうだ。

「じゃあ、宜しくお願いします」
「はぁい。行ってきまーす」

 琥太郎を見送り、僕はさっそく荷物の箱に書いてあるメモを見て優先順位を決めていく。

「あ、先にこれ配って来よう」

 僕は、御近所さんへ引越しの挨拶用に洗剤とサランラップのセットを購入していたのだ。琥太郎はしなくて良いと言っていたが、一応礼儀だ。お隣さんだけでも。

 僕は早速、右隣の家に向かった——。

「まぁまぁ、ありがとね。わざわざ良いのに。うちの子、まだ小さいから夜泣きとかでうるさいかも」
「いえ、宜しくお願いします」

 お隣さんは、ファミリーだった。ついさっきまで、単身専用のアパートだったので新鮮だ。赤ちゃんの顔を見て、頬も緩む。

 ほわほわした気持ちのまま、左隣の家へ。

 インターフォンを押せば、インターフォン越しに男の人の声が聞こえてきた。

(今度はお父さんかな?)

 勝手にファミリーを想像してしまう。

 ガチャ。

 出てきたのは————。

 僕は、呆気に取られた。

 早く元のアパートに戻らないと。そんな気持ちになった。

「あ、えっと……桐原です。今日から隣に引っ越してきたので、宜しくお願いします」
「立花です。宜しくお願いします」

 引越しの挨拶の品を渡し、僕は急いで部屋に戻った。呆気に取られたまま、僕は呟いた。

「どうしよ……立花(たちばな) (かおる)。琥太郎さんのお見合い相手だ」