嬉しいけれど、ちょっぴり憂鬱な新居探し————と、その前に。

「いらっしゃいませ!」

 アルバイトをして、しっかりと稼がなければ。恋にうつつを抜かして、大学に通えなくなるなんてシャレにならない。

 張り切って接客をしていると、裏手から店長が出てきた。

「て、店長! お疲れ様です!」

 店長は、眼鏡をかけた細身の男性。ゆるゆるなキャラで非常に優しい人なのだが、“店長”というだけで、僕は背筋が伸びる。

 そんな僕とは反対に、律は友人のように店長に接する。

「店長、昨日のドラマ観ました?」
「うん、観た観た。やっぱ、みーたんが可愛いよね」
「そーなんですよ」

 二人がドラマの話で盛り上がっていたら、店長が思い出したように言った。

「あ、そうだった。今日から新人さん入るから。今準備してもらってる」
「そうなんですね!」
「桐原君、下っ端卒業だね。よ! 先輩!」

 揶揄ってくる律の後ろから、一人の長身の男性が出てきた。僕は、二度見した。

「桐原君、どうした……の!?」

 後ろを振り返った律も、二度見した。
 そんな僕らを他所に、店長は呑気に紹介し始めた。

「今日からバイトに入ってもらう三笠 琥太郎君だよ。桐原君と知り合いなんだってね」
「はい、まぁ」

 そこには、エプロン姿の琥太郎の姿があった。

「宜しくお願いします。三笠です」

 爽やかな笑顔で挨拶をしてくる琥太郎に、僕と律は呆気に取られたまま挨拶を返す。

「「宜しくお願いします」」
「えっと、三笠君の希望で、指導者は桐原君ね」
「え!? ぼ、僕ですか? 店長、さすがにそれは……僕、働き始めてまだ三週間くらいですよ? 無理です無理です!」

 何故、琥太郎がアルバイトに来ているのかも疑問だが、こんなド新人を指導者にする店長に驚きを隠せない。

 焦って断る僕に、店長は、またもや呑気に言った。

「大丈夫大丈夫。桐原君、完璧だから」
「いやいやいや」
「シフトも桐原君と一緒が良いって言うから、同じにしといたよ」
「シフトも……」

 つまり、大学の講義中以外は、琥太郎と常に一緒ということだ。

「宜しくね。智」

 優しく微笑む琥太郎に、苦笑で返す。

 完全に琥太郎のペースにもっていかれている気がする。

◇◇◇◇

 何とかバイトを終えた僕と琥太郎。
 辺りは既に真っ暗。家々の明かりや電灯を頼りに、暗い夜道を並んで歩く。

「で、琥太郎さん」
「何? 手繋ぐ?」
「い、いえ。流石に外では……」
「良いじゃん。暗いし」
「そうですけど……って、話逸らさないで下さい! 何で僕と同じとこでバイト始めたんですか? シフトも一緒って、絶対遊んでますよね?」

 ややムスッとして言えば、琥太郎は寂しそうな表情で言った。

「これでも我慢したんだよ」
「我慢?」
「本来なら、バイト自体を辞めさせたかったんだよ。大学費用とか、日々必要なお金は俺が出せば良いわけだし」
「いや、その冗談。笑えないんですけど」
「冗談じゃないからね」

 マジか。金持ちの感覚が分からない。

「でも、前に親御さんのお金はあんまり使いたくないって」
「だから、俺が働こうかなって。前から母親に商品CMのモデルやってくれって頼まれてたから」
「めっちゃ売れそうですね」
「でしょ?」

 琥太郎の母は、大手化粧品会社の代表取締役。きっと、琥太郎がそこにモデルとして出れば、売れ行きは勿論、芸能界に引っ張られそうな気がする。

「でもさ、智は真面目だから、自分で稼がなきゃ納得しないでしょ?」
「それは……」

 真面目云々関係ないのでは? 
 それでは、普通にただのヒモ男に成り下がるだけだ。人間としてダメな気がする。

「だから、智を辞めさせるんじゃなくて、俺が合わせれば良っかって思って」
「琥太郎さん……」
「分かってくれた?」

 首をコテンと傾げながら顔を覗かれ、つい頷きそうになる。

 騙されまいと、プイッとそっぽを向いて応える。

「全然分かりません。だからって、一緒に働かなくても良いじゃないですか。シフトまで一緒にして」
「へぇ。あの女とは働けるのに、俺とは嫌なんだ」

 空気がピリついた。
 琥太郎が立ち止まったので、僕も自然と足を止める。

「そういう事じゃ……」
「そういう事じゃん。それに、コンビニなんて出会いの宝庫だよ。俺が家でのうのうと過ごしてる内に、智は何人と連絡先を交換する気? 俺がいない間に……」

 琥太郎の切迫詰まった顔。まだ付き合い始めて一日目だというのに、何でこの人はこんなにも余裕がないのだろうか。

 連絡先を削除させたり、スケジュールを把握されたり、バイトも一緒にして——。

「僕って、そんなに信用ないですか?」
「ごめッ」
「僕、浮気なんてしませんよ」

 静かに言えば、琥太郎に腕を掴まれ、縋るように言われた。

「智、ごめん。捨てないで。俺は、ただ智と一緒にいたくて。智が好きだから……」
「琥太郎さん……」

 琥太郎の手の力が弱まった。

「ごめん……また俺、やらかしちゃったね。さよなら、智。新居探す前で良かったよ」

 一人で歩き出す琥太郎。寂しそうなその背中に、人目もはばからず僕は抱き付いた。

 二十一時を過ぎており、こんな住宅街に人なんていないのだけど。

「智……?」

 驚く琥太郎に、僕はやや怒りながら言った。

「なに一人で自分を責めて、自己完結しちゃってるんですか? 僕は別れる気ないですからね」
「でも、智。こんな俺に嫌気がさしたんじゃ……」
「嫌に決まってるじゃないですか。初っ端から束縛し過ぎですよ。僕が一人になれる時間が講義中だけってどういうことですか」

 想像以上の束縛に驚いているが、多分琥太郎の過度な束縛には、何かしらの理由や背景があるのだろう。そこまでは聞かないけれど、僕の想いは伝えたい。

「束縛したいのはコッチですよ」
「え、俺を?」
「僕なんて誰も眼中にないでしょうけど、琥太郎さんはモテるんですからね。そこのとこ分かってます? コンビニなんて出会いの宝庫で働かれたら、僕は四六時中監視してないといけなくなるじゃないですか。家でご飯作ってくれてた方が良かったですよ」

 僕は琥太郎からそっと離れ、立ち尽くしている琥太郎の左手を握った。

「帰りますよ」
「智、外では嫌なんじゃ……?」
「抱き付いた後なんで、もうどうでも良いです」

 それに、僕だって本当は手を繋ぎたかった。恥ずかしくて出来ないだけで。

「あ、琥太郎さん。バイト辞めちゃダメですよ」
「え? でも」
「一日で辞めるとか無責任すぎるでしょう。自分で蒔いた種ですからね。せめてシフトが出てるとこまでは、きちんと働いて下さい」
「ありがとう」

 先程までと違い、琥太郎の顔が穏やかなものに変わった。