「じゃあさ、彩音は僕のどこが好きだったんだと思う?」

 それは、自分で口から出て驚いた。まさか、こんな質問をする日が来るなんて。
 
「そんなの、わかんないよ」

 千草は首を振る。意地悪な質問だとはわかっているけれども、口から出たのだ。

「想像でいいからさ」

「きっと、光誠君が愛してくれたからじゃないかな。ほら、高校でも中学でも周りでたくさんのカップルができたじゃん。だけど、その全部がお互いに百パーセントの気持ちで付き合ってたわけじゃないと思う。どこかに、妥協があったんだと思う」

 それはその通りだ。告白をしたほうならともかく、されたほうが同じだけの熱量を持っていることなんて、そんなことはなかなかないだろう。

 告白をするというのは、どうしようもなく体が熱を帯びて。好きだとその二文字を伝える前に喉が焼けて死んでしまいそうだけど、このまま体の中にためておけば自分の心が壊れてしまうからとそこまでになるものだ。

 それを感じたことのない人間が、完結した愛なんて知るはずがない。

「だからね。それを相手からの愛で埋めるの。光誠君が私と一緒に死のうとまで思ってくれたのは、きっと情とか付き合いとかだけじゃないの。私が光誠君と一緒に死んでもいいと思えるほどに愛したから、光誠君は嫌でもデートしてくれたし、体だけでも愛してくれた。それを、彩音ちゃんもそれを感じていたんじゃないかな」

 なるほど。確かに僕は欠点の多い人間だけれど、それでも彩音が愛してくれたのはきっと僕からの愛が確かに存在したからだ。きっと、その裏には失敗したくないから愛してくれた相手と結びつくという動物の生存本能みたいなものも存在するだろう。

 だけど、本当の愛は相手の心を悪く言えば騙すことができるのかもしれない。

「ちょっと、泣かないでよ。恥ずかしい」

「え?」

 その時に僕は、初めて涙を流していることに気が付いた。
 こんなことは生まれてから二回目だ。
 彩音の葬式に行った後と、そして今。

「きっと、幸せだったと思うよ。愛されて、愛せて」

「それなら、良かった」

 そう言ってくれたのなら、ここまで生きてきた意味があった。人から見れば、恋人にも友人にも恵まれて幸せな人生に見えるだろう。もちろん、彩音といる時間は幸せを感じられたけど、それでも幸せばかりでは無かった。

 きっと、自殺をしたらいろいろと勝手なことを言われるだろう。友人の犯行に心を痛めていたとか、恋人の死に心を痛めたとか。だけど、僕は良太にも彩音にも心を痛めたことは間違いないけれど、彼らを愛したから自殺を選んだ。

 良太の死は、きっと果てしなく遠い。死刑の執行にはきっと、かなりの時間がかかるだろうけれど、それは良太に課せられた罰だ。四人もの関係のない命を奪った罰として、価値のない現実で生きながらえるのが、彼へのふさわしい罰だ。

 だけど、僕も彩音も翼さんも良太が天国へ来られた時には盛大にお祝いしよう。

 毎年、彩音の誕生日にそうしていたようにクラッカーを鳴らして、ケーキを食べて、お祝いの言葉をあげよう。きっと、それ以上の幸せなんてもう現実にはない。そうすれば、そのことを夢見て良太も現実を耐えられるかもしれないと、そう思う。

「光誠君は、幸せだった? 私に愛されて」

「ああ、幸せだったよ。僕は千草を愛してあげることはできなかったけれども、それでも幸せだと感じることができた。それなら、それも愛なのかもしれない」

「まあ、まだ十年ちょっとしか生きていない私たちが愛がどうとかわからないけどね。だけど、これだけは言えるよ。私が光誠君に向けている感情も、光誠君が彩音さんに向けている感情も愛の全てではないけれども、一種類ではあるはずだよ」

 そうなのかな。彩音はどう思うのか、聞いてみたかった。

「それ」

 僕の上にまたがるようにしていた千草が、僕の顔へと雪を押し付けていた。鼻の周りが白く覆われて、雪のにおいがする。なんだか、どこか透き通っていて冷たい。

 千草は、自分で押し付けた雪を、ただただ美味しそうに舐めていた。とろける雪と、千草の口から溢れた涎が、僕の顔を濡らす。僕はその千草を抱き留めた。

「良太はさ、きっと彩音がいないと自分の人生に意味がなかったんだ」

「私が光誠君がいないと、自分の人生に意味がないみたいに?」

「そう、翼さんは良太がいないと自分の人生に意味がないみたいに」

 きっと、ここにある五本の矢印。僕の見える、そのすべてがどこまで綺麗にあてはめたとしても、僕たちが揃って幸せになることはできなかったんだろう。

「もう、眠たいな」

 千草が、甘えるような声でそう言った。僕は、千草を抱きしめたままで考えを巡らせた。どうすれば、僕と千草が自殺を果たした後に、いろいろと勘繰られないで済むだろうかという事を。どのような状態でも、同年代の男女が同じ場所で亡くなっていればいろいろと疑われる。だけど、僕が愛したのは彩音だけだ。

 彩音との愛を証明できないことが、僕にとって何よりもの苦痛だ。

「そっか。じゃあ、もう行こうか」

 僕がそう言うと、千草はおもむろに服を脱ぎ始めた。そして、僕が手渡した浴衣に袖を通していく。その浴衣は、彩音にもらったものだ。彩音が、僕の事を思いながら選び、僕がそれを汚した。そして、千草が黒いそれを纏う。

 その姿は、綺麗だった。千草は、彩音の写真を見せた時からずっと、彩音になろうと努力をしていた。もちろん、それはできることではないけれど。だけど、彩音と同じ化粧品を使い、彩音と同じ髪の長さまで伸ばした。日の光でうまく見えなくて、一瞬だけこの世界に再び彩音が舞い降りたのかと錯覚するほどだった。

「千草、お願いがあるんだ」

「なに?」

「僕を殺してくれ。どうしても、自殺が嫌になった」

「それは、生きたいってこと?」

「いや違う。はやく、この世界から解放されたい。だから、殺してくれ」

 彩音に似た、今の千草にならば殺されたかった。僕が、彩音にそうしたように。

 あの瞬間に僕が、選択を誤れば、彩音は生きていた。

 もしも、強引に鷹山彩音を殺害した人物を決めるならば、それは僕だ。

「わかった。でも、約束は守ってね。あと、私も殺して」

 千草はそう言ってから、着ていた服の胸ポケットから一つの小さな瓶を取り出した。そこには、ぎっしりと白とピンクの錠剤が詰まっていた。それも、茶色い瓶の中にあるせいで、より体に悪そうに見える。おどろおどろしい色だった。

「これ、飲ませてくれれば死ねるから。ほら、自殺を考えたって言ったでしょ」

 僕はその瓶を千草からひったくると、浴びるように飲んだ。そして、そのまま僕の上にまたがる千草を、身体を起こして抱きしめる。そのまま地面へと押し倒し、唇を交わす。それと同時に、大量の錠剤が千草の口へと滑り込んだ。千草の舌と、錠剤の味が混ざる。今までにしたキスで、もっとも刺激的だった。

 視界がぐらぐらと揺れて、口から涎が、鼻から鼻水があふれて来る。それを止める方法もない。目がくるくると回っていることが自覚できるほどに体が抑えきれなかった。千草も同じようで、お互いに体を支えあうように僕は忘れないようにと、持ってきたマッチに火をつけて僕らを取り囲むように敷いたオイルのカーペットに投げた。

「はあ、やっぱり決心がつかないや」

 千草が言葉を発するたびに、口からピンクの錠剤が溢れる。それが、僕の体とその間に落ちていった。少しだけ積もった雪に沈んでいく。千草は持ってきた黒いリュックサックから、一本のボトルを取り出した。それは、彼女が最も好きな赤い色をしたワインだった。そのまま、ボトルを逆さに向けて体へと流し込む。

 もちろん、口から溢れた赤紫色の液体が千草の肌を流れる。

 そのまま、白い雪に垂れると、それはようやく綺麗な赤い色になった。

「綺麗」

 いつの間にか燃え上がった炎は、空で微笑んでいる翼さんと彩音を焼き尽くさんばかりの勢いで高く上がった。僕と千草が命の炎を消そうとしている分だけ、この炎が代わりに燃えてくれようと、そうしているのだと感じた。

 これで大丈夫だ。彩音と同じように、僕も同じように死ねる。

「どうやって殺してほしい?」

「首を絞めてくれ。抱きしめるように」

 もちろん、千草の腕力では僕の息を止めることなんて不可能だろう。

 千草はするりと浴衣の腰ひもを抜くと、それを僕の首にかけた。そして、まるで包み込むように優しくそれを引く。まるで、僕が千草の腕の内側にいるように千草は強く抱きしめていた。その痛みが、心地よかった。

 意識が消えゆく中で、僕の頭には彩音が亡くなった時の光景が浮かんだ。