「先に寄りたいところがあるんだ」
「寄りたいところ?」
彩音との逢瀬を終えた後、僕は自殺をする前にしなければならないことを思い出した。そういえば、この一年間はずっと無視していたものだったはずだ。それは、現実を受け止めきれなかったと言えるのかもしれない。
「彩音のお墓だよ」
偶然にも、彩音の遺体が発見された山。そして、彩音の実家である鷹山家が先祖代々に持っている墓を管理する寺が同じ山だった。両親はあまり乗り気はしなかったけれども、お金のこともあって先祖と共に彩音の亡骸は眠っている。
墓は、見晴らしの良い場所にあった。きっと、彩音はここから僕を、良太を、翼さんを見守ってくれていたのだろう。この結末が彼女の納得いくようなものだったかはわからないけれども、僕も良太も翼さんも彩音の下へと飛んでゆくことになった。
僕は、墓石の前で立ち止まり、用意した花を手向けた。それは、白いはずだったけれども、雪が反射して銀白色に見えた。愛の花、薔薇だった。きっと、墓に備えるのには向いていないだろうけど、僕は改めて、彩音と果たせていない約束を果たしたかったから、薔薇を選んだ。白く気高い花は、彩音の髪のように美しかった。
そして、彼女の名前を呼んだ。
「彩音。僕と、結婚してください」
そう言ってから、僕の目は涙を流した。そして、墓石に抱きついた。
僕は、彼女の体温を感じたかった。
彼女の香りを嗅ぎたかった。
彼女の声を聞きたかった。
しかし、僕は何も感じることができなかった。彼女はそこにいなかった。
僕は、泣きながら墓石から離れた。そして、その前から立ち去った。
千草には残酷かもしれないと思ったから、墓場の手前で待っていてもらった。
永遠の愛を証明すること。
体で彩音と交わって、子を為すこと。
心で彩音と重なって、愛を為すこと。
それだけが、僕にできる唯一の事だった。
それこそが、僕の、後藤光誠の愛だった。
「綺麗な場所だな」
そこは、一面に空が見える草原だった。花が咲いて、風がそよぐ。まるで、天国のような場所だった。もちろん、この時期に花は咲いていないけれども、きっと春になればまた蕾を広げて、この世界を彩るだろう。この白黒の世界を。
そんな綺麗な場所をライターオイルなんかで汚すのは、少しだけ罪悪感を感じずにはいられなかったけれども、僕はそうした。そうするしかなかった。積もった雪を溶かしたオイルは、どんどんその下にある地面へと染み込んでゆく。
彩音の居ない世界は、ずっと白と黒だけがあった。白黒のテレビなんかよりも味気なく、まるで世界が生きていないように見えた。色がまるで彩音がこの世から去ったのと同時に、共に天へと昇って行ったようだった。
そんな彼女の居ない世界に、未練はない。僕と良太は、煉獄で自身の犯した罪を悔い改めて天国へ行く。きっと辛いだろう、苦しいだろう。だけど、僕はそれほどの事をしたし、それに後悔はない。良太も同じはずだ。
愛の証明。それこそが、究極の愛。
僕が、良太が罪を犯してでも求めた、究極の愛。
それをもって、煉獄へと行けばきっと大丈夫だ。
そこで、再会するんだ。翼さんと、そして彩音と。
そのためならば、死ぬことは怖くなかった。そもそも、生きることが怖かった。この先、寿命を迎えるまでどれほどの時間をここで生きなければいけないのだろう。美しいものなんて何もない、こんな白と黒の世の中で。
それに、千草もこっちへと来てくれる。きっと、千草なら彩音とも翼さんとも良太とも仲良くできるはずだ。そうして、五人で天国で暮らそう。そうすればきっと幸せだから、それだけが僕の見つけられた幸せだから。
僕は空に向けてハンドサインを見せた。
「なにそれ?」
隣で景色を眺めていた千草が、僕の動きに気が付いたのか声をかけてきた。
僕は再び、そのハンドサインを繰り返す。
「これのことか。これはね、僕と彩音の間に決めたハンドサインなんだ」
小指をピンと伸ばす。遠くからでも目立つように小指を立てると、うまく小指が伸びずにぷるぷると震えるのを、彩音はよく笑ってくれたのを覚えている。
体育館倉庫の裏で重ねた逢瀬。その時の光景を思い出した。初めてのキスはどんな味がしただろうか。初めて彩音を抱きしめた時には、どんな感触がしただろうか。初めて、彩音と体で結ばれたときは、どんな気持ちだっただろうか。
「なんだか、いいね」
僕と千草は、雪が薄く積もった草原に大の字に寝転がった。余った人差し指を繋いで、空を見上げる。すると、空には大きな雲が二つもあった。
「あっちが、翼さんかな。それで、こっちが彩音」
「なにそれ」
千草は素直に笑う。感傷に浸っている僕が面白いらしい。元をただせば、千草は僕の感情で動かない、常に冷静で大人びているところを好きになったはずなのに、今もこうして一緒にいる。愛する要素を失ったはずの僕を、なおも愛している。
きっと、愛なんてそんなものだ。最初は、確固たる理由があって誰かを愛するけれども、いずれは消えてしまう。いや、消えはしないんだろうけれどもそれこそ雪で隠れる草むらのように、見えなくなってしまうのだ。
だからこそ、それを求めないといけない。身勝手に相手に対して、理想ばかりを押し付けて、それが叶わなければ相手からその分だけ愛してもらわないと人間は生きていけない。それが、愛を欲することだ。愛慾だ。
翼さんは、良太を愛したけれど、最後は愛してもらえないことで壊れてしまう。彼女は新村翼として愛されることを諦めて、鷹山彩音として愛されることを望んでそれを埋めようとした。愛してもらえないことが、翼さんにとって良太が持つ唯一の欠点だったから、それを埋めようと、愛されようとした。
良太は、彩音を愛したけれども、愛してもらえないままに希望が潰えてしまう。彼はそれを、翼さんから愛されることで埋めようとしたけれども、それだけでは足りなかった。翼さんの愛と、彩音の代わりを求めることでなんとかそれを埋めて、翼さんを愛そうとした。二度と手に入らないことが、良太にとって彩音が持つ唯一の欠点だったから、その代わりを用意して、それを手に入れようとした。
千草は、僕を愛したけれども、愛されることはついになかった。僕は、千草を友人として愛しているけれども、恋人として愛することはできなかった。彩音の母がたとえ話で上げた新しい恋人。その言葉を聞いた瞬間に、千草のことを考えたけれども、それがどうしようもなく気持ち悪くて、それを思い出すたびに嘔吐した。だけど、千草は僕の欠点を見つけることは無かったから、愛を求めなかった。
「なあ、千草」
「なに?」
「君はさ、僕のどこが好き?」
「なんだか映画みたいだよ。君なんて、初めて呼ばれた」
ころころと笑う千草の顔は見えない。僕はまっすぐに空だけを見つめている。
「そうだな。光誠君の目が好き。声が好き。鼻が好き。耳たぶが好き。指が好き。息遣いが好き。温かさが好き。匂いが好き。髪の色が好き。優しさが好き。怖さが好き。悲しさが好き。全部が好きかな。恋ってそういうものでしょ?」
「そういうもの?」
「最初は、私はなんだか光誠君のすごく大人びた空気が好きで、憧れたんだ。この人は、きっと辛い経験も幸せな経験もしたんだって。だから、なんだかカッコいいんだって思った。だけど、気が付かないうちにすべてが好きだった」
「なんだか照れるな」
「ほんとは私、顔だけなら太田君のほうがタイプなんだよ」
「そりゃすごい。太田が聞けば、喜ぶよ」
僕は千草の方を見て、千草は僕の方を見て笑った。口の右側から雪が入ってきたけれど、味なんてしなかった。ただ、面白かったし気分がよかった。
「じゃあ、恋はそうだとしても愛は?」
「愛はね、欠点までわかってもそれでも一緒にいたいと思えること。家族だってそう、パパもママも私の良いところとダメなところ。両方とも嫌というほどしっているけれど、それでもどこかでは愛してくれているはず」
まさか、千草の口から愛と家族を結びつけるとは思わなかった。
「だから、私は愛してるのかわかんない。きっと、光誠くんにもダメなところなんて数えきれないほどあるんだと思う。私が知っているものも、知らないものも」
「そりゃ、そうだけども」
「例えばね、急な呼び出しとか、何かを考えすぎてもう一つの事を忘れちゃうところとか、愛してるって嘘でも言ってくれないところとか」
「そうだな。ごめんな」
「でもね、そんなところも含めて好きなんだ。それが、恋が隠してくれているのか、それとも愛になったから、欠点までを愛せるのかわかんないけどね」
そう言って、千草は僕にキスをした。雪の味がしたけど、やはり味はしなかった。
「寄りたいところ?」
彩音との逢瀬を終えた後、僕は自殺をする前にしなければならないことを思い出した。そういえば、この一年間はずっと無視していたものだったはずだ。それは、現実を受け止めきれなかったと言えるのかもしれない。
「彩音のお墓だよ」
偶然にも、彩音の遺体が発見された山。そして、彩音の実家である鷹山家が先祖代々に持っている墓を管理する寺が同じ山だった。両親はあまり乗り気はしなかったけれども、お金のこともあって先祖と共に彩音の亡骸は眠っている。
墓は、見晴らしの良い場所にあった。きっと、彩音はここから僕を、良太を、翼さんを見守ってくれていたのだろう。この結末が彼女の納得いくようなものだったかはわからないけれども、僕も良太も翼さんも彩音の下へと飛んでゆくことになった。
僕は、墓石の前で立ち止まり、用意した花を手向けた。それは、白いはずだったけれども、雪が反射して銀白色に見えた。愛の花、薔薇だった。きっと、墓に備えるのには向いていないだろうけど、僕は改めて、彩音と果たせていない約束を果たしたかったから、薔薇を選んだ。白く気高い花は、彩音の髪のように美しかった。
そして、彼女の名前を呼んだ。
「彩音。僕と、結婚してください」
そう言ってから、僕の目は涙を流した。そして、墓石に抱きついた。
僕は、彼女の体温を感じたかった。
彼女の香りを嗅ぎたかった。
彼女の声を聞きたかった。
しかし、僕は何も感じることができなかった。彼女はそこにいなかった。
僕は、泣きながら墓石から離れた。そして、その前から立ち去った。
千草には残酷かもしれないと思ったから、墓場の手前で待っていてもらった。
永遠の愛を証明すること。
体で彩音と交わって、子を為すこと。
心で彩音と重なって、愛を為すこと。
それだけが、僕にできる唯一の事だった。
それこそが、僕の、後藤光誠の愛だった。
「綺麗な場所だな」
そこは、一面に空が見える草原だった。花が咲いて、風がそよぐ。まるで、天国のような場所だった。もちろん、この時期に花は咲いていないけれども、きっと春になればまた蕾を広げて、この世界を彩るだろう。この白黒の世界を。
そんな綺麗な場所をライターオイルなんかで汚すのは、少しだけ罪悪感を感じずにはいられなかったけれども、僕はそうした。そうするしかなかった。積もった雪を溶かしたオイルは、どんどんその下にある地面へと染み込んでゆく。
彩音の居ない世界は、ずっと白と黒だけがあった。白黒のテレビなんかよりも味気なく、まるで世界が生きていないように見えた。色がまるで彩音がこの世から去ったのと同時に、共に天へと昇って行ったようだった。
そんな彼女の居ない世界に、未練はない。僕と良太は、煉獄で自身の犯した罪を悔い改めて天国へ行く。きっと辛いだろう、苦しいだろう。だけど、僕はそれほどの事をしたし、それに後悔はない。良太も同じはずだ。
愛の証明。それこそが、究極の愛。
僕が、良太が罪を犯してでも求めた、究極の愛。
それをもって、煉獄へと行けばきっと大丈夫だ。
そこで、再会するんだ。翼さんと、そして彩音と。
そのためならば、死ぬことは怖くなかった。そもそも、生きることが怖かった。この先、寿命を迎えるまでどれほどの時間をここで生きなければいけないのだろう。美しいものなんて何もない、こんな白と黒の世の中で。
それに、千草もこっちへと来てくれる。きっと、千草なら彩音とも翼さんとも良太とも仲良くできるはずだ。そうして、五人で天国で暮らそう。そうすればきっと幸せだから、それだけが僕の見つけられた幸せだから。
僕は空に向けてハンドサインを見せた。
「なにそれ?」
隣で景色を眺めていた千草が、僕の動きに気が付いたのか声をかけてきた。
僕は再び、そのハンドサインを繰り返す。
「これのことか。これはね、僕と彩音の間に決めたハンドサインなんだ」
小指をピンと伸ばす。遠くからでも目立つように小指を立てると、うまく小指が伸びずにぷるぷると震えるのを、彩音はよく笑ってくれたのを覚えている。
体育館倉庫の裏で重ねた逢瀬。その時の光景を思い出した。初めてのキスはどんな味がしただろうか。初めて彩音を抱きしめた時には、どんな感触がしただろうか。初めて、彩音と体で結ばれたときは、どんな気持ちだっただろうか。
「なんだか、いいね」
僕と千草は、雪が薄く積もった草原に大の字に寝転がった。余った人差し指を繋いで、空を見上げる。すると、空には大きな雲が二つもあった。
「あっちが、翼さんかな。それで、こっちが彩音」
「なにそれ」
千草は素直に笑う。感傷に浸っている僕が面白いらしい。元をただせば、千草は僕の感情で動かない、常に冷静で大人びているところを好きになったはずなのに、今もこうして一緒にいる。愛する要素を失ったはずの僕を、なおも愛している。
きっと、愛なんてそんなものだ。最初は、確固たる理由があって誰かを愛するけれども、いずれは消えてしまう。いや、消えはしないんだろうけれどもそれこそ雪で隠れる草むらのように、見えなくなってしまうのだ。
だからこそ、それを求めないといけない。身勝手に相手に対して、理想ばかりを押し付けて、それが叶わなければ相手からその分だけ愛してもらわないと人間は生きていけない。それが、愛を欲することだ。愛慾だ。
翼さんは、良太を愛したけれど、最後は愛してもらえないことで壊れてしまう。彼女は新村翼として愛されることを諦めて、鷹山彩音として愛されることを望んでそれを埋めようとした。愛してもらえないことが、翼さんにとって良太が持つ唯一の欠点だったから、それを埋めようと、愛されようとした。
良太は、彩音を愛したけれども、愛してもらえないままに希望が潰えてしまう。彼はそれを、翼さんから愛されることで埋めようとしたけれども、それだけでは足りなかった。翼さんの愛と、彩音の代わりを求めることでなんとかそれを埋めて、翼さんを愛そうとした。二度と手に入らないことが、良太にとって彩音が持つ唯一の欠点だったから、その代わりを用意して、それを手に入れようとした。
千草は、僕を愛したけれども、愛されることはついになかった。僕は、千草を友人として愛しているけれども、恋人として愛することはできなかった。彩音の母がたとえ話で上げた新しい恋人。その言葉を聞いた瞬間に、千草のことを考えたけれども、それがどうしようもなく気持ち悪くて、それを思い出すたびに嘔吐した。だけど、千草は僕の欠点を見つけることは無かったから、愛を求めなかった。
「なあ、千草」
「なに?」
「君はさ、僕のどこが好き?」
「なんだか映画みたいだよ。君なんて、初めて呼ばれた」
ころころと笑う千草の顔は見えない。僕はまっすぐに空だけを見つめている。
「そうだな。光誠君の目が好き。声が好き。鼻が好き。耳たぶが好き。指が好き。息遣いが好き。温かさが好き。匂いが好き。髪の色が好き。優しさが好き。怖さが好き。悲しさが好き。全部が好きかな。恋ってそういうものでしょ?」
「そういうもの?」
「最初は、私はなんだか光誠君のすごく大人びた空気が好きで、憧れたんだ。この人は、きっと辛い経験も幸せな経験もしたんだって。だから、なんだかカッコいいんだって思った。だけど、気が付かないうちにすべてが好きだった」
「なんだか照れるな」
「ほんとは私、顔だけなら太田君のほうがタイプなんだよ」
「そりゃすごい。太田が聞けば、喜ぶよ」
僕は千草の方を見て、千草は僕の方を見て笑った。口の右側から雪が入ってきたけれど、味なんてしなかった。ただ、面白かったし気分がよかった。
「じゃあ、恋はそうだとしても愛は?」
「愛はね、欠点までわかってもそれでも一緒にいたいと思えること。家族だってそう、パパもママも私の良いところとダメなところ。両方とも嫌というほどしっているけれど、それでもどこかでは愛してくれているはず」
まさか、千草の口から愛と家族を結びつけるとは思わなかった。
「だから、私は愛してるのかわかんない。きっと、光誠くんにもダメなところなんて数えきれないほどあるんだと思う。私が知っているものも、知らないものも」
「そりゃ、そうだけども」
「例えばね、急な呼び出しとか、何かを考えすぎてもう一つの事を忘れちゃうところとか、愛してるって嘘でも言ってくれないところとか」
「そうだな。ごめんな」
「でもね、そんなところも含めて好きなんだ。それが、恋が隠してくれているのか、それとも愛になったから、欠点までを愛せるのかわかんないけどね」
そう言って、千草は僕にキスをした。雪の味がしたけど、やはり味はしなかった。
