千草をとりあえず家まで送って、荷物を処分させている間に、僕は自分の家へと戻った。どうやら、両親ともどもどこかに出かけているらしく、家はとても静かだ。しーんとして、何も音が聞こえない。僕が階段をあがる音だけが響いている。
「ただいま」
これを言ってしまうのは癖だ。本当ならば、誰もいないはずの部屋。冷たくて、それは気温だけじゃなくて。もう、この部屋に戻らないことをわかっていると、そんなことでもなんだか愛しく思える。だけど、それよりもなによりも。
―――おかえり
ベットには、冬だというのに浴衣を身にまとった彩音がいた。彩音は、えくぼをへこませて、その赤い花が描かれた浴衣を見事に着こなしている。ベッドに伸びる肢体はまるで雪の様に美しく、衣擦れの音がするりするりと小さいはずなのに、耳に残ってそれを離さない。ふうっと息を吐いた瞬間に、僕の体はそれに包まれて確かな幸福を覚えた。彩音の温度が、僕の体を抱きしめた。
暖房もついていなくて冷えたはずの部屋なのに、暖かかった。
「彩音」
僕も、それを信じた。彩音を、力いっぱい抱きしめた。もう、彩音が壊れてしまってもいいと、それほどまでの力で抱きしめられることが愛の証明だからと、僕は思い切り力をこめたけれども、彩音は少しだけ痛いと笑っている。その細い体で、僕の抱きしめる力に抵抗することなく、ただされるがままになっている。
「あやね、あやね、あやね」
―――もう、子供みたいだよ。
彩音が、いつものように笑った。僕はそれを愛した。頬にできたくぼみに、右の人差し指を合わせてゆっくりとそれをなぞる。初めて彩音の手に触れたあの瞬間のように、あのころから変わらない美しいその肌を擦る。そうすると、彩音はくすぐったそうに笑った。そのまま、僕は彩音の顔を逃げられないように両手で捕まえて、目を閉じる。きっと、彩音も意味を理解して目を閉じてくれるはずだ。
そのまま、僕は一年ぶりのキスをした。瞬間、世界中の時間が止まった気がした。
この日は、偶然にも彩音の命日だった。
「愛してるよ、彩音」
―――うん、私も
僕らはそうやって、離れられないように、お互いが抱きしめる力で愛の大きさを比べながら抱き合って、愛を結んだ。舌を絡め、体を重ね、愛を交えた。何度も何度も、僕は彩音に向かって愛を放ち、彩音はそれを何度も何度も受け止めていた。何度も何度も、その黒い浴衣が、白く染まっていった。浴衣の黒も、赤い花もピンクの花もすべてを白く染まるほどに愛した。どろりと浴衣の表面をなぞるそれが、だらだらと流れ出してベットに落ちる。再び、黒が現れたそこに向かってなおも愛を向ける。
―――嬉しい。初めて、光誠と結ばれた気がする
彩音は、喜んで遠慮もなく喘いでいた。その声すらも上品に聞こえる。僕はそれをできる限り、悦ばせようと彩音に体を深く入り込ませる。心も体もつなげれるようにと、できる限り彩音の体を近づけて、心臓を胸板ごしにくっつける。どくんどくんと波打つ心臓の鼓動が彩音に伝わっていると感じた。
彩音の心臓の音も、聞こえてきた気がした。
「愛してるよ。彩音。愛してる」
――――私も、愛しているよ
――――ねえ、また会いに来てくれる?
「もうすぐ会えるよ」
彩音は、こんな醜い僕を愛してくれた。愛で、全てを包んでくれた。彼女がいなければ、僕は間違いなくこんなに汚れた世界で生きる意味なんて無くて、それでも生きていることを望んだのは彼女のために最後まで決着をつけるためだった。
でも、それは終わった。
僕は、必要な荷物だけをリュックに詰めていく。
彩音の写った卒業アルバムをその部分だけハサミで切り抜き、集めておいた彼女の写真を一枚もこぼさないように両手で包んで、それを透明な袋に詰めた。ライターオイルと、マッチをリュックの脇にある、水筒用のポケットに入れた。
そのまま、部屋ごと燃やしてしまおうかと考えたけれども、両親に迷惑をかける気にはなれなかった。確かに、あの時のことを恨んでいないかと言えば違う。僕は彩音と一緒に中学校に通いたかったし、彼女が良いなら一緒に部活に入ったり、一緒の委員会に入ったりなど子供らしく恋愛漫画のような妄想をしていた。
そして、それは実現するはずだったのだ。それを引き裂いたのは間違いなく両親の決断だ。だが、僕をこの先も高校と大学、さらには不自由なくその学生生活を送らせるためと考えれば仕事を続けるために、家族でそろっているためにそうするしかないのだろうと成長して大人になった今ならばわかる。
そのおかげで得られた幸せもあっただろうから、それでいい。
きっと、離れなければ僕はここまで彩音を愛することはなかっただろうから。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
―――うん、少しの間だけお別れだね。すぐに、会いに来てね
「もちろん、約束する」
部屋の中に残った彩音は、僕に向かって手を振るんじゃなくて、片方の手を後ろに回していた。それを久しぶりに見たせいで思い出すのには時間がかかったけれども、僕はその手をとって、自分の小指を絡める。すると、彩音は笑った。
―――約束だね。会いたいな
ずっと、彩音は星となって花となって雪となって僕を見守っていてくれる。
ずっと、ただ純粋に僕に会いたいと願っていてくれた。
それこそが、鷹山彩音の愛だった。
「ただいま」
これを言ってしまうのは癖だ。本当ならば、誰もいないはずの部屋。冷たくて、それは気温だけじゃなくて。もう、この部屋に戻らないことをわかっていると、そんなことでもなんだか愛しく思える。だけど、それよりもなによりも。
―――おかえり
ベットには、冬だというのに浴衣を身にまとった彩音がいた。彩音は、えくぼをへこませて、その赤い花が描かれた浴衣を見事に着こなしている。ベッドに伸びる肢体はまるで雪の様に美しく、衣擦れの音がするりするりと小さいはずなのに、耳に残ってそれを離さない。ふうっと息を吐いた瞬間に、僕の体はそれに包まれて確かな幸福を覚えた。彩音の温度が、僕の体を抱きしめた。
暖房もついていなくて冷えたはずの部屋なのに、暖かかった。
「彩音」
僕も、それを信じた。彩音を、力いっぱい抱きしめた。もう、彩音が壊れてしまってもいいと、それほどまでの力で抱きしめられることが愛の証明だからと、僕は思い切り力をこめたけれども、彩音は少しだけ痛いと笑っている。その細い体で、僕の抱きしめる力に抵抗することなく、ただされるがままになっている。
「あやね、あやね、あやね」
―――もう、子供みたいだよ。
彩音が、いつものように笑った。僕はそれを愛した。頬にできたくぼみに、右の人差し指を合わせてゆっくりとそれをなぞる。初めて彩音の手に触れたあの瞬間のように、あのころから変わらない美しいその肌を擦る。そうすると、彩音はくすぐったそうに笑った。そのまま、僕は彩音の顔を逃げられないように両手で捕まえて、目を閉じる。きっと、彩音も意味を理解して目を閉じてくれるはずだ。
そのまま、僕は一年ぶりのキスをした。瞬間、世界中の時間が止まった気がした。
この日は、偶然にも彩音の命日だった。
「愛してるよ、彩音」
―――うん、私も
僕らはそうやって、離れられないように、お互いが抱きしめる力で愛の大きさを比べながら抱き合って、愛を結んだ。舌を絡め、体を重ね、愛を交えた。何度も何度も、僕は彩音に向かって愛を放ち、彩音はそれを何度も何度も受け止めていた。何度も何度も、その黒い浴衣が、白く染まっていった。浴衣の黒も、赤い花もピンクの花もすべてを白く染まるほどに愛した。どろりと浴衣の表面をなぞるそれが、だらだらと流れ出してベットに落ちる。再び、黒が現れたそこに向かってなおも愛を向ける。
―――嬉しい。初めて、光誠と結ばれた気がする
彩音は、喜んで遠慮もなく喘いでいた。その声すらも上品に聞こえる。僕はそれをできる限り、悦ばせようと彩音に体を深く入り込ませる。心も体もつなげれるようにと、できる限り彩音の体を近づけて、心臓を胸板ごしにくっつける。どくんどくんと波打つ心臓の鼓動が彩音に伝わっていると感じた。
彩音の心臓の音も、聞こえてきた気がした。
「愛してるよ。彩音。愛してる」
――――私も、愛しているよ
――――ねえ、また会いに来てくれる?
「もうすぐ会えるよ」
彩音は、こんな醜い僕を愛してくれた。愛で、全てを包んでくれた。彼女がいなければ、僕は間違いなくこんなに汚れた世界で生きる意味なんて無くて、それでも生きていることを望んだのは彼女のために最後まで決着をつけるためだった。
でも、それは終わった。
僕は、必要な荷物だけをリュックに詰めていく。
彩音の写った卒業アルバムをその部分だけハサミで切り抜き、集めておいた彼女の写真を一枚もこぼさないように両手で包んで、それを透明な袋に詰めた。ライターオイルと、マッチをリュックの脇にある、水筒用のポケットに入れた。
そのまま、部屋ごと燃やしてしまおうかと考えたけれども、両親に迷惑をかける気にはなれなかった。確かに、あの時のことを恨んでいないかと言えば違う。僕は彩音と一緒に中学校に通いたかったし、彼女が良いなら一緒に部活に入ったり、一緒の委員会に入ったりなど子供らしく恋愛漫画のような妄想をしていた。
そして、それは実現するはずだったのだ。それを引き裂いたのは間違いなく両親の決断だ。だが、僕をこの先も高校と大学、さらには不自由なくその学生生活を送らせるためと考えれば仕事を続けるために、家族でそろっているためにそうするしかないのだろうと成長して大人になった今ならばわかる。
そのおかげで得られた幸せもあっただろうから、それでいい。
きっと、離れなければ僕はここまで彩音を愛することはなかっただろうから。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
―――うん、少しの間だけお別れだね。すぐに、会いに来てね
「もちろん、約束する」
部屋の中に残った彩音は、僕に向かって手を振るんじゃなくて、片方の手を後ろに回していた。それを久しぶりに見たせいで思い出すのには時間がかかったけれども、僕はその手をとって、自分の小指を絡める。すると、彩音は笑った。
―――約束だね。会いたいな
ずっと、彩音は星となって花となって雪となって僕を見守っていてくれる。
ずっと、ただ純粋に僕に会いたいと願っていてくれた。
それこそが、鷹山彩音の愛だった。
