「僕、このまま死のうと思うんだ」

 そう言って告げた後の、千草の表情はなんとも言えないものだった。僕の言葉が衝撃的で言葉が出ないのか、それとも何を言えばいいのかと言葉を探しているのか。

 しかし、その戸惑いの表情が終わると、はっきりとこう言った。

「そっか。じゃあ、私も」

 それは、あまりにもこの場所に不適切だった。普通なら、止めるなり慰めるなりするべきところを、自殺を許すどころか自らも一緒に行きたいと切望するのだ。そんなこと、きっと物語ならば間違いだと非難されるだろう。

 だけど、常識で縛るには僕と千草の関係は難しい。

「どんな風に死にたい?」

「定番は、やっぱり入水自殺かな。だけど、光誠君が望むならそうするよ」

 入水自殺は、確かにロマンチックで、千草が憧れそうな気がした。

「ありがとう」

「でも、ロマンチックなのがいいかな」

 そうか。できる限り善処しようとは思うけれど。僕にロマンチックな自殺のシチュエーションを考えつくほどの芸術性なんて持ち合わせているだろうか。

「善処するよ」

 僕は千草と共に、まずは千草の家へと向かった。遺品というか、そういうものを整理するためだ。これから、連続変態殺人鬼の友人であり、その殺人鬼に恋人を殺された僕が自殺すれば、いろいろと言われるのは仕方がない。

 だけど、様々な詮索を受けることは嫌だ。だから、僕も千草も最低限だけ必要なものだけ残してこの世を去ることにした。千草も、どうやらこの世に未練はないようで、すっきりとした顔をしている。どれだけ、僕のことが好きなんだ。

「最後に行きたいところとか、食べたいものとかはない?」

 これまで、五年近くの付き合いだけれども、千草に最も優しくできている気がする。隣で腕に身体を絡ませている千草も、何よりも嬉しそうだ。

「う~ん、どうだろ。お腹は空いたかな。なんでもいいけど」
 
「じゃあ、そこのコンビニで何かを買おう」

 僕たちは適当な総菜やパンに、什器《じゅうき》の中にあるものを一通り頼んでいった。そして近くの公園に移動して、ベンチに腰を掛ける。並んで座る姿は、傍から見れば恋人に見えるだろうか。僕はどうでもいいけれど、千草は嬉しそうだ。

「じゃあ、わがままきいてもらってもいい?」

「別に、自殺に付き合ってもらうんだからなんでもいう事は聞くよ」

 最後に千草が例えばアメリカに行きたいと言えば、これまでに貯めてきたお金でもなんでも使って、アメリカに連れて行ってやるつもりだった。だけど、千草はそんなことを望まなかった。あくまで、千草にとっての基準は僕がどう思うかだ。

「そのポテト。あ~んして、食べさせて」

「それくらい、お安い御用だ」

 僕が一本、ポテトをつまんでそれを差し出すと、千草はそれを美味しそうに幸せそうに食べていた。それが、何よりも美味しい、世界でどんな高級食材よりもおいしいもののように口をいっぱいにほおばって食べていた。幸せそうな笑顔だった。

「美味しい」

「それは、良かった」

 実のところ、僕は千草を自殺のパートナーにしたことを悩んでいた。彼女は、きっと僕が亡くなれば悲しみに暮れるだろう。もしかすると、僕が誘わなくても、僕が自殺したと知れば後を追ったかもしれない。

 だけど、もしも僕を消して他の人と幸せになる道が、千草にだけはほんの数センチしかない道だけど、残されていた。僕も、良太も、翼さんも生きる道は残らなかったけど、この先を進めば堕ちていくだけだけど、千草は違うと思っていた。

「美味しい。ほんとに、幸せがそうさせるのかな」

 千草は、なんだか自殺への最後に残った恐怖を消すように、人目もはばからずに僕の差し出した人差し指と中指を舐めていた。もう、手に付着した塩なんて残っていないはずなのに、その残骸を求めるようにそうしていた。

「千草が幸せなら。それでいい」

 その幸せそうな表情を見られただけで、千草ももう壊れたのだと確信した。

 愛のために、自分の心を犠牲にした。体を愛してもらうため、心を犠牲にした。

 心を慰めるために、デートを願った。その時の僕は、素直な笑顔で無いことにも目をつぶりながらも、それでも求めるしかなかった。

 心を壊さなければ体を愛してもらうことができなかったから。

 心を直すために、心に嘘をつくことしかできなかったから。

「ねえ、妄想の話をしてもいい?」

「いいよ」

「例えばね、もしも彩音ちゃんじゃなくて私が先に光誠君と出会っていたらって何回も、何十回も、何百回も考えたことがあるんだ。毎晩、考えていたんだ」

……

「そこではね。私と光誠君が小学校六年生の頃からずっと一緒にいるの。中学校でも、高校でも、この先の大学でも、社会に出ても。そのまま、二人で結婚して、楽じゃないけどお互いのために仕事を頑張って、子供も生まれるの」

……

「最後はね。子供たちもみんな成長して私と光誠君の手から巣立っていくの。そして、二人で最後の時を静かな田舎で自然と共に暮らすの。私が先に死ぬときは、光誠君が泣きながら手を握って、最後に聞く言葉は愛してるなの。光誠君が先に死ぬときには、私が泣きながら手を握って、ありがとうって言うの」

「それは幸せそうだな」

「うん。この世界を信じていられたのは、光誠君と交わっているときだけ。その瞬間だけが、光誠君に愛されてこの一生を終えられるんだって信じて疑わずにいられたんだけど、それが終わればまた現実に戻されるの」

……

「何度、疲れて眠っている光誠君の隣で死のうと思ったかわからない。そうすれば、最後に手を握りながら愛してるって言ってくれるかなって思ったの」

「言うよ、最後の瞬間には」

 僕がそう言うと、千草はぱっと目を開いた。その言葉が、僕の言葉が信じられないようだと、まるで漫画みたいにほっぺたをつねっている。なんども、なんどもそうして、なんども痛みを感じていたけれども、千草は涙をぽろぽろと流し始めた。

「言ってね。そうしたら、ここまでの十七年間を生きてきた意味があるから」

 手に入らないと知りながら、理解しながらも自分を騙して、手に入ったと錯覚させてしか幸せを感じることができない。それを、実現させるすべを知らない。

 それが、長峰千草の愛だった。