一枚の分厚いガラスに遮られた先に、良太はいる。そして、彼は僕の話を聞いてうなだれていた。僕はどうしようもなく、彼に語る言葉を真実以外に持たないはずだ。
僕が持っているのは、翼さんの日記。これは、翼さんの両親から託されたもので、良太に渡すかを迷ったけれども、僕は身勝手ながらも良太を断罪するためにそれを面会室で読み上げた。壁に反響した声は、冷たく良太の心を襲う。
「そうか、そうだったんだな」
翼さんの日記には、良太への愛が恥ずかしげもなく綴られていた。どうしようもなく、良太の事が好きでたまらないということ、だからこそいけないとわかっていながらも体を求められればそれを差し出してしまう事。体だけでも愛してもらえる幸福と、体しか愛されていないという不幸。それに悩む正直な気持ち。
だけど、僕は違うと思う。
良太は、確かに翼さんを愛していた。きっと、翼さんの良太に対する愛がかぎりなく綺麗なハートの形に近い花瓶であるのに対して、良太の翼さんに対する愛情は今にも壊れそうなほどアンバランスな、ハートの形だったんだ。だからこそ、他の人にはわからなくて、壊れてしまいそうだから翼さんのやさしさに縋ったんだ。
「俺って、最低だな」
いったい、どのことを言っているのかわからなかった。世間一般からみれば、最低という言葉が最もよく似あう人として、話題になっているのだから。何の罪もない女子高生を殺害したことか、女子高生の好意に付け込んだことか。
「何が」
「こんなに、こんなにも愛されていたのに。こんなにも、翼に愛してもらっていたのに。愛のためだ、恋のためだと謳って殺人を繰り返すような俺を、こんなに大事に思ってくれていたのに。翼だけが、俺を救ってくれるかもしれなかったのに」
『今日は良太にお弁当を作ってあげた。サッカーの試合、頑張って!』
『なかなか会えなくて寂しいよ。って、学校では会ってるのにね』
『私も勉強頑張って、良太の彼女にふさわしくしていないと!』
日記を読んで知ったことだが、良太と翼さんはくっついては離れてを繰り返していたらしい。常に体はつながっていたが、心を結ぶ契約。交際というステータスにはきっと、良太も翼さんも自分に嘘をついてしまうから長くは続かなかったのだろう。
「それを、こうして日記にまで残してくれているのに。そう、この日記を読めばわかるんだ。消しゴムで消したあとなんてほとんどなくて、ほとんどがきっと俺といたそのままを書いてくれたんだと、その時の気持ちを書いてくれたんだとわかるんだ」
『良太に連れて行ってもらった水族館。手を繋いでくれて幸せ♡』
『もうすぐ良太の誕生日。手作りのケーキ、頑張ったから美味く食べて欲しい』
『最近、良太の顔色が悪くて心配だな。ずっと、顔を見つめすぎだからかも』
「なあ、その日記帳をこの穴に近づけてくれないか?」
僕はその要求通りに、声が聞こえるように開けられた穴に、日記帳を押し当てる。
それは、翼さんが僕にも自慢した、彼との旅行について書かれた部分だった。
良太は、それを指でなぞる。穴は小さくて、良太の指が触れているわけじゃない。
だけど、良太にはそれがわかるみたいだ。
涙が、流れていた。
「触れてもないのに、どんどんと温かさがあふれて来るんだ。翼が、俺なんかのことをずっと思ってくれてたんだって。小学校の頃から、何よりも俺の事を大事に、自分の気持ちよりも、俺の欲望を優先するために自分を削っていたんだって」
『明日は良太とのお泊り! 楽しみすぎて寝られない』
『デートのために買った、新しいワンピース。可愛いって言ってくれるかな』
『明日は、最高の思い出にしようね♡』
「わかるんだよ。それが伝わってくるんだよ。指の先からさ、どんどんとあふれて来るんだよ。それが、温かくて涙になってるのもわかるんだよ。すごく、すごく愛されてたんだってわかるんだよ。こんな、どうしようもない俺の事を」
『ちょっと短くした前髪にも気づいてくれた。さっすが良太!』
『バレンタイン。ハートのチョコなんて重すぎるかなぁ』
『良太! 大好きだ! なんてね』
「だけどさ。俺さ」
……
「心がさ、ぴくりとも動かないんだよ」
良太は、ここまで自分を愛してくれた人を自分の手で奪ってしまった悲しみではなくて、ここまで愛されているのに、それを何とも思えない自分の心へ恐怖していた。
自分はもう壊れてしまったのか。人間と呼べるのか。
自分はついに、怪物へと堕ちてしまったのか。
そのことに、最も怯えて、涙しているように見えた。
彼女も、確かに最後は良太への純潔を捨てて、彩音への言い訳をしながら僕に抱かれた。決して彼女も完璧な愛があったわけじゃない。きっと、どこか少しだけハートの形が歪だったのだろう。それを、良太のためという言葉で自分に暗示をかけて、どこか逃れていた部分があった。彼女がその端を埋めたのは、自分への嘘だ。
しかし、良太はどうしてもそれを補填してやれるほどの愛すらも翼さんには与えられなかった。だからこそ、翼さんはその少しを求めて、良太の愛の不足した花瓶に自分のものを分けてやろうと、花瓶を砕いてそれを良太へと注いだ。
だけど、それは愛ではなかった。きっと、もっと醜くて、苦しくて、それでいて純粋な感情。良太の中にはそれが生まれたけれども、ついに良太の心に充満する液体の色は変わることなく、今も翼さんだけは誰にも悲しまれていない。
「悔い改めてとか、そういうことを言うつもりは無い。僕はそんなに大した人間じゃないから、そういうことは牧師さんにでも頼めばいい。翼さんを愛せないのならそれでもいい。それは、彼女が選んだことだ。良太のために選んだことだ」
翼さんは言っていた。彩音に相談した時には、体だけの関係なんて解消した方がいいと、友達に戻るべきだと。だけど、翼さんの表情が僕たち四人でいるときよりも、翼さんがかりそめの愛でも良太から受けているときの話をしているときの方が幸せに見えた。自分を愛しているわけではないとわかりながらも、そして自分が彩音の代用品になれるわけでもないとわかりながらも、良太からの愛を受け取った。
それが、新村翼にとっての愛だった。
僕が持っているのは、翼さんの日記。これは、翼さんの両親から託されたもので、良太に渡すかを迷ったけれども、僕は身勝手ながらも良太を断罪するためにそれを面会室で読み上げた。壁に反響した声は、冷たく良太の心を襲う。
「そうか、そうだったんだな」
翼さんの日記には、良太への愛が恥ずかしげもなく綴られていた。どうしようもなく、良太の事が好きでたまらないということ、だからこそいけないとわかっていながらも体を求められればそれを差し出してしまう事。体だけでも愛してもらえる幸福と、体しか愛されていないという不幸。それに悩む正直な気持ち。
だけど、僕は違うと思う。
良太は、確かに翼さんを愛していた。きっと、翼さんの良太に対する愛がかぎりなく綺麗なハートの形に近い花瓶であるのに対して、良太の翼さんに対する愛情は今にも壊れそうなほどアンバランスな、ハートの形だったんだ。だからこそ、他の人にはわからなくて、壊れてしまいそうだから翼さんのやさしさに縋ったんだ。
「俺って、最低だな」
いったい、どのことを言っているのかわからなかった。世間一般からみれば、最低という言葉が最もよく似あう人として、話題になっているのだから。何の罪もない女子高生を殺害したことか、女子高生の好意に付け込んだことか。
「何が」
「こんなに、こんなにも愛されていたのに。こんなにも、翼に愛してもらっていたのに。愛のためだ、恋のためだと謳って殺人を繰り返すような俺を、こんなに大事に思ってくれていたのに。翼だけが、俺を救ってくれるかもしれなかったのに」
『今日は良太にお弁当を作ってあげた。サッカーの試合、頑張って!』
『なかなか会えなくて寂しいよ。って、学校では会ってるのにね』
『私も勉強頑張って、良太の彼女にふさわしくしていないと!』
日記を読んで知ったことだが、良太と翼さんはくっついては離れてを繰り返していたらしい。常に体はつながっていたが、心を結ぶ契約。交際というステータスにはきっと、良太も翼さんも自分に嘘をついてしまうから長くは続かなかったのだろう。
「それを、こうして日記にまで残してくれているのに。そう、この日記を読めばわかるんだ。消しゴムで消したあとなんてほとんどなくて、ほとんどがきっと俺といたそのままを書いてくれたんだと、その時の気持ちを書いてくれたんだとわかるんだ」
『良太に連れて行ってもらった水族館。手を繋いでくれて幸せ♡』
『もうすぐ良太の誕生日。手作りのケーキ、頑張ったから美味く食べて欲しい』
『最近、良太の顔色が悪くて心配だな。ずっと、顔を見つめすぎだからかも』
「なあ、その日記帳をこの穴に近づけてくれないか?」
僕はその要求通りに、声が聞こえるように開けられた穴に、日記帳を押し当てる。
それは、翼さんが僕にも自慢した、彼との旅行について書かれた部分だった。
良太は、それを指でなぞる。穴は小さくて、良太の指が触れているわけじゃない。
だけど、良太にはそれがわかるみたいだ。
涙が、流れていた。
「触れてもないのに、どんどんと温かさがあふれて来るんだ。翼が、俺なんかのことをずっと思ってくれてたんだって。小学校の頃から、何よりも俺の事を大事に、自分の気持ちよりも、俺の欲望を優先するために自分を削っていたんだって」
『明日は良太とのお泊り! 楽しみすぎて寝られない』
『デートのために買った、新しいワンピース。可愛いって言ってくれるかな』
『明日は、最高の思い出にしようね♡』
「わかるんだよ。それが伝わってくるんだよ。指の先からさ、どんどんとあふれて来るんだよ。それが、温かくて涙になってるのもわかるんだよ。すごく、すごく愛されてたんだってわかるんだよ。こんな、どうしようもない俺の事を」
『ちょっと短くした前髪にも気づいてくれた。さっすが良太!』
『バレンタイン。ハートのチョコなんて重すぎるかなぁ』
『良太! 大好きだ! なんてね』
「だけどさ。俺さ」
……
「心がさ、ぴくりとも動かないんだよ」
良太は、ここまで自分を愛してくれた人を自分の手で奪ってしまった悲しみではなくて、ここまで愛されているのに、それを何とも思えない自分の心へ恐怖していた。
自分はもう壊れてしまったのか。人間と呼べるのか。
自分はついに、怪物へと堕ちてしまったのか。
そのことに、最も怯えて、涙しているように見えた。
彼女も、確かに最後は良太への純潔を捨てて、彩音への言い訳をしながら僕に抱かれた。決して彼女も完璧な愛があったわけじゃない。きっと、どこか少しだけハートの形が歪だったのだろう。それを、良太のためという言葉で自分に暗示をかけて、どこか逃れていた部分があった。彼女がその端を埋めたのは、自分への嘘だ。
しかし、良太はどうしてもそれを補填してやれるほどの愛すらも翼さんには与えられなかった。だからこそ、翼さんはその少しを求めて、良太の愛の不足した花瓶に自分のものを分けてやろうと、花瓶を砕いてそれを良太へと注いだ。
だけど、それは愛ではなかった。きっと、もっと醜くて、苦しくて、それでいて純粋な感情。良太の中にはそれが生まれたけれども、ついに良太の心に充満する液体の色は変わることなく、今も翼さんだけは誰にも悲しまれていない。
「悔い改めてとか、そういうことを言うつもりは無い。僕はそんなに大した人間じゃないから、そういうことは牧師さんにでも頼めばいい。翼さんを愛せないのならそれでもいい。それは、彼女が選んだことだ。良太のために選んだことだ」
翼さんは言っていた。彩音に相談した時には、体だけの関係なんて解消した方がいいと、友達に戻るべきだと。だけど、翼さんの表情が僕たち四人でいるときよりも、翼さんがかりそめの愛でも良太から受けているときの話をしているときの方が幸せに見えた。自分を愛しているわけではないとわかりながらも、そして自分が彩音の代用品になれるわけでもないとわかりながらも、良太からの愛を受け取った。
それが、新村翼にとっての愛だった。
