「なんだか久しぶりに会った気がするな」

 僕はそういいながら、警官に案内されるがままに部屋へと入り、パイプ椅子に腰を下ろした。お尻と椅子の間に挟まった空気が、気の抜けた音を立てる。あえてゆっくりと、僕は顔をあげて良太へと視線を移した。

 良太は、返事をしない。今まで、五年間もの長い間を一緒に過ごしてきた良太の面影はほとんど残っていなかった。学業も優秀で、サッカーではチームのエースストライカー、友達も多いしイケメン。この世にある高校生が思いつきそうな誉め言葉の、そのすべてを要素を満たしている。まさに完璧な人だ。

 単純に比べるのならば、僕なんかが敵うはずのない相手だ。

「良太、聞こえていないのか」

 僕が、少しだけ語気を荒げてそういうと、ようやく顔を上げた。

「ああ、すまない」

 それは、いったい何に対する謝罪なのだろうか。僕に対してか、それとも翼さんに対してか、彩音に対してか、それとも四人の被害者に対してだろうか。そんなことは、良太しか知らない。ただ、良太は許されようと謝罪しているわけではないように見えた。建前だけのものではなくて、許されることはどうでもいいような。

 心の底から、申し訳ないと思っているようだった。

「別に僕はいい。良太に何かをされたわけじゃない。謝るなら、翼さんに謝れ」

「ああ、そうだな」

 良太がそれに頷いたことを確認してから、僕は荷物を取り出した。

「なんだ、そのクリアポケットは」

 ピンク色のクリアポケット。百円均一でも買えるそれは、良太の眼には意外に映ったようだった。それもそのはずだ、もともとが僕のものではないのだから。表面がざらざらとしていて、伸びた爪にひっかかる。同じように、喉に何かが引っ掛かった気がした。しかし、それを取り出してなけなしの声を放つ。

「見覚えがないのか、これは翼さんの持ち物だ」

「いや、そういう意味じゃない。どうして光誠が翼のクリアポケットを持っているのかを知りたいだけだ。ごめん、なんだか変な言い方をしてしまった」

 ここに来てからというもの、ずっと良太に謝られている気がする。それは、対等な関係で過ごしてきた四人、そして僕と良太のこれまでを考えれば気分の良いものではなかった。だけど、ここに来ているのは僕の意志じゃない。

 翼さんから頼まれたことを果たすだけだ。彼女のためにも、良太のためにも。

 彼女はきっと、良太のことだけ考えていたから。このクリアポケットの中身だって、すべて良太のために考えた結果だ。そして、それは良太を救う唯一の手段だと思う。彼女が、死ぬ前に遺した最後の愛のカタチ。身が滅びても相手を思いやる愛。

「今から、翼さんの解き明かした事件の真相を話す。何か間違いがあれば言ってくれ、もちろんこんなものはただの女子高生の道楽だから別にどうなるというわけでもない。これを世間に公表するつもりもなければ、警察に提出はしない」

 後ろで見張っている警官の顔が、明らかに強張った。それもそうだろう。ただの女子高生であり、最後の被害者である新村翼は自信が殺害される前に事件の全貌を推理していたのだというのだ。もはや、警察など何の役にも立っていない。

「わかった。翼が頼んだんだろう。なら、言うとおりにするよ」

 良太の心にも罪悪感は確かにあるのだろう。ブレーキが壊れただけで、まだ良太は人として失ってはいけないものを心にしっかりと残している。そう信じたい。

 まず、一枚目のノートの切れ端には、この事件において僕にとっても、翼さんにとっても、そして良太にとっても最も重要なことが書かれてあった。先に確認しておいた中で、世間の推理と大きく食い違っている部分は、ここだけだった。

 僕は、翼さんがそこに記したまま、彼女の文体のままに読み上げた。

「世間では良太が五人の女の子を殺害したことになっているけれども、私が思うにそれは違います。良太は、彩音を殺したりはしていません。それだけはわかります」

 その言葉を告げた瞬間に、良太の顔がはっきりと上を向いた。

 きっと、僕のことが翼さんにでも見えているのだろう。今にも、泣き出しそうな顔をして、縋るようにこちらを見つめる。僕はそれに対して何もリアクションをせず、ただただ翼さんからのまるで手紙のような、いやラブレターを代読する。

「良太は、彩音のことを愛していました。それは、とても深く。だからこそ、私は良太が彩音を殺害する理由がありません。なにより、彩音が亡くなった日の前日。その日は私がなんだか嫌な予感をして良太に電話をかけました。警察にも話したけれども、恋人だからという理由で証言の信憑性がなかったけれども、あの時の良太はいつも通りに私の話を優しく聞いてくれました。少なくとも、愛する人を殺害した後にそれができるとは思えません。殺人鬼と言われても、良太は一人の人間です。」

 この最後の言葉は、救いの言葉であり、翼さんの愛の宣言だった。


 その言葉を放ってから、少しの間だけ沈黙を挟む。まあ、僕も良太が彩音を殺害したことが間違いであることは最初からわかっていた。だけど、それを具体的になにか根拠をもって話せるかというと違う。少なくとも、ここでは言えない。

 翼さんの言葉も根拠があるとは警察には判断されなかったけれども、それでもここまでしっかりと言い切れるのは間違いなく、彼女がずっと良太のことを愛して、同じ時間を過ごしてきたからだった。間違いなく、愛が生んだ小さな奇跡だった。

「私に言えるのはそれまでです。残りの四人に関しては、間違いなく良太が殺害しました。私がいうのもなんですが、良太は間違いなくモテます。きっと、私と彩音と一緒に過ごしていなければもっとたくさんの人に告白されて、もしかすると私たちよりも良い人に巡り合えていたかもしれません。それは、ごめんなさい」

 その部分だけ、紙が少しだけよれていた。きっと、それは涙の跡だ。

 後悔のようなものがあったのだろうか。だけど、その必要はないと僕は思う。きっと、良太だって確かに他の女の子と付き合うことはできただろうけれども、それは長くは続かなかっただろう。ここまで壊れるに至る関係なのだから。

「だから、外傷は無かったのはそういう理由だったんだと思います。彩音の代わりを求めるあまりに、新入生の女の子に手を出した。それだけなら、良かった。私には彩音と見分けがつかないくらいに、あの子は似ていた。だけど、彩音のことが好きだった良太なら、きっと気が付いたほんの小さなずれがあったんでしょう」

 僕はそれを、写真を見ただけではわからなかった。

「これは本当なのか、彩音の代わりを求めていたのか?」

 僕の問いに、良太が何も言わずにただ頷いた。それは、授業中に眠たくて船をこいだ時のように、かくんと首が落ちた。それを了承の意味ととる。

 僕は、いや天国から見ているはずの翼さんと彩音はそれを信じるしかない。

「なあ、光誠」

 かすれるような声で、良太が問いかけてきた。もう少し、面会場所のガラスがぶ厚ければきっと聞こえなかっただろう。ここまで憔悴した彼を見たのは初めてだった。

「なんだよ」

「お前はさ、彩音が亡くなったって聞いた時にどう思ったんだ?」

 考えるまでもない質問だった。

「悲しかった。寂しかった。辛かった。怖かった。喪失感があった。でも、それを言葉で説明しても足りない。きっと、良太が感じていることとそこまで変わらない」

「そういうものか」

 その言葉には、なにかに納得したような感じがあった。

「なあ、少しだけこっちの話を聞いてもらってもいいか?」

 一通り、翼さんからのメッセージを読み終えて僕が休憩したところで今度は良太が話し始めた。僕は、翼さんの両親から預かったものがあったけれども、それは後回しにすることにした。まだ、時間はあるはずだ。

「光誠は、彩音のどこが好きだったんだ?」

 その質問は、以前にも千草からされた気がする。その時にはきちんと答えなかったはずだ。明確に言葉にできないというのもあったけれども、恥ずかしかった。

 でも、ここでは素直に答えるべきだと思った。

「僕は、彩音の見た目に惹かれた。それは間違いない。あの綺麗な色をした髪の毛に、大きく開いた目。細くて長い手足に、堂々とした態度。それを生かすように考えられたファッション。そして、自分をうまく魅せる術を知っていたところ」

 ……

「だけど、そんなことはどうでもよかった。大事なのは心だった。最初に僕と良太が話した日、サッカーボールがぶつかった日。あの日に介抱してもらったときに俺は恋に落ちたんだと思う。それからは、もう彩音のことしか考えられなかった」

「そうか、俺がそのトリガーになったんだな。愛のキューピットか」

 目の前で自虐的に笑う良太に、なんて返せばいいかわからなかった。

「でもさ、付き合っていてここは嫌だなって思ったことは無かったのか。普通は、距離が近づくにつれて何か思うところでもあるんじゃないか。人間なんて、完璧じゃない。彩音がどれほど素晴らしい人かなんてわかっているけど、完璧じゃない」

 まあ、その通りだ。すれ違いがまったく無かったわけじゃない。妥協がまったく無かったわけじゃない。浮気がまったく無かったわけじゃない。それはわかっている。

「そうだな。それでも、僕も良太も彩音の事が好きだったんだ」

 僕がそう結論づけると、良太は乾いた笑いをあげた。