【過去】

 彩音の物が紛失する事件が一区切りついたところで、僕は良太の家へと泊まることになった。別に特にこれといった理由は無いけれども、彩音たちと四人揃って遊んでいるとどうしても時間を気にすることも忘れてしまうことがある。そのせいで、電車をなくしてしまったから急で申し訳ないが梶原家に泊めてもらうことになったのだ。

「おじゃまします」

「そんな身構えるなよ。昔は、よく泊まりに来たじゃないか」

 昔というと、もう三年以上も前か。小学校六年生の冬くらいだった気がするけれども、そのときのことは覚えていない。そのころの良太と翼さんはすでに携帯電話を買い与えられていたから、ちょうど翼さんの家に泊まっている彩音と四人でえんえんと電話をして夜を明かしたくらいだ。その時に撮影された彩音の寝顔を翼さんが撮影した写真は、四人の中ではたまに使うくらいのネタにはなった。

「相変わらず、片付いてるな」

「なかなか部屋にいないだけだ」

 ちょうど良太は部活が忙しい時期だから仕方がないだろう。なにせ、レギュラー争いの最中らしいのだから。僕にはわからないけれども、重圧もあるはずだ。

「まあ、寝ようぜ。どうせ、あいつらも疲れてるだろ」

 久しぶりの休暇で、僕たち四人は海に行った。結構遊んだから、良太も疲れているのだろう。まあ、僕も疲れたしそれには賛成だった。携帯電話の充電をさせてもらうために、ケーブル類が入っている引き出しを開けるとき、段を間違えたのだ。

「なあ、これってなんだ?」

 それは、僕が彩音にプレゼントしたはずの消しゴムだった。慌てて僕が引き出しを探ると、以前に無くなったと言っていた消しゴムに、シャープペンシル、髪の毛のゴム、さらには明らかに女性用の文房具などが多数見つかった。

「見つかったか。だから、泊めたくなかったんだけどな」

 それだけ言うと、良太は僕の手から消しゴムをひったくろうと襲い掛かってきた。 

 さすがに僕と良太では身体能力に差がありすぎて、まともな抵抗もできずに消しゴムを奪われてしまう。だが、これで良太はもう言い逃れをできない状態になったこともまた、確かだった。一応、警戒はするけれども暴力的な手段は使わないだろう。

「ちゃんと説明してくれ。そうすれば、別に僕だって友情をむやみやたらと破壊したくはない。できれば、四人でこれからも仲良くしたいと思っている」

 それは僕の本心だった。それは、彼女が小学生の頃に願った純粋無垢な言葉だ。

 その時の言葉、声、雰囲気、情景、そのすべてが今になっても思い出せるほどに焼き付いて僕から離れはしない。そこまで行けば、僕はもはや洗脳されているようにそれを望んでいた。彩音の願いは、ほとんど僕の願いだった。

 良太は僕の覚悟に参ったのか、ベッドに勢いよく腰を下ろすとぽつぽつと語り始めた。僕は、学習机についている椅子を引いて、そこに腰を掛けて黙って聞いていた。

「お前はさ、俺が彩音の事を好きだって知ってただろ?」

 僕はそれを沈黙で受け止めようとしたけれども、良太はそれを許さない。

「まあ、わかってたよ」

 それの可能性を最初に考えたのは、翼さんと良太が別れたと聞いた時だった。近くで見ていた僕と彩音からすればその報告はまさに青天の霹靂で、その事実を受け止めるよりも先に、どうしてだろうかという疑問の方が先に湧いたのだ。

 だが、それをすぐに僕は解決できた。それは、良太もまた彩音に魅了されたのだと思ったのだ。それは、僕の世界に彩音が存在していたころと同じだ。彩音に比べれば一般的に美人とされ、一般的に優しいとされ、一般的に人気のある翼さんですらも彩音を映えさせるただの背景でしかなく、灰色の見えてしまっても仕方がない。

「もちろん、ダメなことだってわかってるさ。でも、抑えきれなかったんだ」

 僕と良太は、やっぱり似ているなとこの時も思った。

「まあ、まったく気持ちがわからないというわけでもないけど、だとしてもやっていいことと悪いことがあるだろ。人の物を盗むのは犯罪だ」

「ああ、そうだよな」

 僕の正論に打ち負かされのか、その言葉を聞いた後の良太の体はより一層小さく見えた。もう、どうしようもなく輝いていた小学生の頃からは汚れてしまって、僕らは大人になった、なってしまったんだ。悲しいことに。

 なのに、感情のコントロールだけができないでいる。体が大きくなって、僕らは出来ることが増えた。例えばもう、感情に身を任せて人を殺すことすらも可能だ。だけど、それを制御する機能が壊れてしまえばただの危険な獣だ。

 良太は、どうしてもそう言う部分がある。物事の判断におけるウェートが、おそらく同年代よりも理性から感情によっているのだ。それが悪いことだとは思わない、良太の個性だ。だけど、それによって問題が発生した場合には責任を取る必要がある。

「だけど、別にこれを大ごとにしようとは思わないから、すぐに彩音から盗んだものを渡してくれればばれないように消しゴムは返しておくよ。他のものは、もう彩音も気が付いていないか、無くなったことを納得しているから」

「ああ、わかったよ」

 良太の語る内容は、一言でまとめるならば愛だった。彼のもつ心のうちにあるピンク色の部分が、液体となって良太の口からどんどんとこぼれるように溢れて流れ出てきたのが、なんだかとても美しく、そして僕自身をも肯定されているように感じた。

 良太の目を通して見た、彩音。それは、おおまかにいえば僕と同じだった。最初は彩音の中身に惹かれていったけれども、徐々に年を取るにつれて肥大化する黒の部分と、それを一切感じさせない彩音の白がまぶしく映っていく。

 その白に、僕の持つ、良太の持つピンク色と黒で染める。それが、愛であるという事を僕も良太も確信していた。だが、良太にそれは叶わない。なぜなら、彩音の隣にいるのは僕だったから。彼は、常に彩音を僕の隣から眺めていた。

「だから、せめて彩音を感じていたいとそう思うのは罪なのか?」

 良太のその悲痛な問いかけに、僕が答えるのはなんだか残酷な気がしたけれども、それはどうしようもなく僕が告げるべき言葉だった。

「いや、その感情自体は罪じゃない。だけど、それを形として行動として表面化させることで彩音を傷つけることをするのは良くない」

「そうか。そうだよな」

 良太は、もう何も言う事は無かった。