【過去】

 高校生になってからも、僕と彩音の交際関係は続いていた。中学生の時よりもお金に余裕が生まれ、時間にも余裕が生まれた。中学と違って強制ではないけれどもみんなが部活に参加するわけでもなく、お互いに進学校にすすんだためクラスメイトの大半は帰宅部だった。僕と彩音は、会う頻度を大幅に増やして幸せに過ごした。

「高校の生活はどう? 友達はできた?」

「もちろん、彩音は。ああ、そうか良太も翼さんも同じなのか」

「クラスは二人とは離れちゃったけどね。やっぱり、あの二人は赤い糸で繋がってると思うんだよ。二人とも中学の卒業式で告白されていたけど、お互い断ってたから」

「へぇ、それはすごいな。卒業式で告白されるなんて」

 僕にはそんな相手はいなかった。まあ、千草が常に僕の隣にいたことも大きかっただろう。彩音と比べているからダメなだけで、十分に可愛い。僕と千草が付き合っているという認識をされてもおかしくはない。まあ、どうでもいいことだ。

 心を彩音が、体を千草が満たしていてくれたから、僕は幸せだった。

 だけど、高校に入って嫌だったことは一つだけあった。

 高校ということで様々な地域からやってきた同じくらいの学力を持つ人間が、学力以外の面でマウントを取り合い、クラスでの立場を決めていく中でどうしても避けては通れないのが女性関係の有無、そして性的な体験をどれだけしたかだった。

 やれ、誰かが交際経験があると言えば、その人数をオークションの様に比べあう。

 誰かがキスをしたことがあるといえば、その先を経験したというやつがいる。

「千草、あれをやめさせてくれ。気分が悪い」
 
 とにかく、僕は高校生にもなってそんな低俗な話をすることには随分と嫌気がさしていたし、僕にその話題を振られても困るので千草に言ってやめさせていた。

 そのころの千草はもう女性としては成熟しきり、男どもの目を引くには十分だったことから、千草を使えば男子どもをある程度はコントロールできた。男なんて単純なもので、美少女には嫌われたくないから素直に言う事を聞いてくれる。

 だけど、それだけではつまらないからと友達も数人は作った。太田や吉野がそれだ。太田はいたって普通の男子高校生で、女性経験はなく、そんな話題でマウントを取り合うことに辟易していたから彼の方から僕に寄ってきた。

 一方の吉野は、これもまたどうしてか僕への異性として憧れを抱いたらしい。やはり、高校生になっても僕の顔は別に芸能人やアイドルの様に整っているわけでも無かったけれども、なぜか千草も吉野も僕に惹かれていた。

 いや、千草にはなんだか宗教のような、僕に対して一種の信仰心を抱いているようなことがあったから、純粋な恋心でいてくれたのは彩音と吉野だけだったのだろうと思う。だけど、僕は吉野には興味が持てなかった。

 別に性具としてならば千草の方が優れている。

 千草のほうが胸の大きさも、顔の形も、髪の長さも、声の高さも、足の細さも、唇の柔らかさも全てが彩音に近かった。彩音の代用品としては、中学高校と両方を含めてみても、目をつぶれば千草が一番だった。

 きっと、それ以上に彩音に似ている女子がいれば、僕はアプローチをかけていたはずだ。そうでないともはや、僕の体は興奮しなかった。千草を最低ラインとして、そのうえでどれだけ彩音に近い存在か。それだけが僕の中で女性を測るものさしとして絶対不変のものとして心の中にあった。彩音こそが僕の幸せの定義だった。

 もちろん、千草には場所を提供してくれるという役目もあったけれども、もしも吉野が場所を提供してくれたとしても、僕はそこで千草を抱いただろう。

 間違いなく、僕と出会ってから千草は彩音へと近づいて行っていた。

 その一方で、高校生になってより大人っぽい制服を身にまとった彩音は、その美しさがついに僕が見た中で最高のものへと変わった。その髪、その目、その口、そのえくぼ、その声、その鼻、その指、その足、全てが美しくて完成されていた。

 時間を操ることができるのならば永遠にそのままで閉じ込めておきたかった。

 だが、それとは相反する感情として僕の中には黒い塊が生まれていた。名画ならば、その上に一本の黒い線を引いてしまえばいったい、どうなってしまうのだろうかという破壊衝動の様に、僕はただただ彼女を壊してみたくなった。

 だけど、それを実行するには至らずに彼女の代わりを壊した。

 まずは、笑顔の彼女が映る写真を写真立てに入れる。

 そして、それに向かって思い切り射精した。

 それは、千草に会えない日を埋めるにはちょうどよかったけれども、どうしようもなくむなしさが募った。結局、僕は彼女の写真を入れたままに写真立てごと床にたたきつけて割った。そのときにだけ、少し気が晴れた気がした。

 思えば、このときには既に僕は歪み切ってしまったのかもしれない。

 しかし、それを抱いていたのは僕だけでは無かった。

 高校に入って少しすると、彩音の持ち物が続けて無くなるという事件が発生した。

 最初は消しゴムが無くなっただけで済んでいた。彩音も別に消しゴムが無くなってしまったと軽く言うくらいで、別に気にしていなかった。だが、それがどんどんと激化していったのだ。頻度も、値段も明らかに故意だとわかるようになった。

 消しゴムの次は、シャーペン。シャーペンの次は髪の毛のゴム。これが問題となった。明らかに、消しゴムやシャープペンシルとは違って明らかに男性の影を感じるようなものだったからだ。僕がいる場所から、彩音のいるところはあまりにも遠い。

 守ってあげたくても、どうしようもできない。同じ学校に通う翼さんによるとそれなりに大きな問題となったけれども、結果的に犯人が見つかることは無かった。

「なんだか、怖い」
 
 彩音はその自分自身に向けられた欲望へ、素直に恐怖していた。

 だが、僕は犯人に少しながら共感出来てしまう部分もあった。きっと、犯人の彼かもしくは彼女でもいい。その犯人は今までの人生で美しいものを見た経験が乏しかったのだろう。絵画、彫刻、音楽、映像など様々なコンテンツに触れることをやめてしまい、ありふれた消費されるためだけのくだらない娯楽に時間を費やしてきたのだ。

 そんな人間が、まさにこの世に舞い降りた天使のような彩音を見れば、どんな行動を起こしてしまうかなんて想像もつかない。きっと、そいつは激しく苦しんだことだろう。自分の醜さを、憎んだことだろう。そして、恥じた事だろう。

 自分なんかが彩音と同じ場所にいて、同じ時間を過ごしてもいいのかと。

 そして、それと反するように彩音を手に入れたい。そのためには彼女を汚してこちらへと引き込むしかないと。そんな単純な考えに至るのもごく自然なことだ。

 だけど、それは仕方のないことだ。きっと、恋人であるはずの僕でさえも並び立つことなど許されない。きっと、それが叶うのであれば僕が悪に染まり、獣と化した僕を彩音という天使が成敗する壁画でしかありえない話だ。
 
 もしかすると、犯人は彩音が僕のものであるということを知り、せめてもの慰めとして窃盗を働いたのだろうか。なら、僕がそれを許してやろう。

 もはや、彩音はこの世のものでは無い。美しさが他とは違っていたのだ。

 美しさのレベルではない。性質が違う。どこまで美しい自然現象でも、人間でも、絵画でも彼女と比べる秤に載せることすらもできないのだ。

「大丈夫だよ。何かあれば、すぐに駆け付けるから」

 怯える彩音もまた、美しかった。

「ほら、なくしたものは気にしないでいいから」

 プレゼントした消しゴム、シャープペンシル、髪の毛のゴムに喜ぶ彩音も美しかった。ただ、それが世界の絶対の法則であるかように、美しかった。