【過去】

「ねえ、今度はどこにデートする?」

 彩音は、テーブルに肘をついてジュースをすすりながら言った。この当時、彼女はどこかメルヘンチックなものに憧れていて、例えば今の様にハートの形をしたストローを望んだり、常に手を繋いでいることを望むようになっていた。

 わかりやすい恋のしるしを求めた。その理由を、僕は知らない。

 二人でお揃いのキーホルダーをつけたり、携帯電話の待ち受け画面をツーショット写真に変更したり、真っ当な中学生の初恋を謳歌していた。

 まあ、そのことは恥ずかしかったけれども別に僕は嫌でも無かった。彩音と少しでも近づいているということに僕は確かな喜びを覚えていたし、付き合っているのならばそれも当然だと思っていた。愛を他人に証明しているようだった。

 相変わらず、彩音は僕の情欲を解消してくれるようなことはなかったけれども、彼女とつないだ手のぬくもりがそのまま千草が僕の男性器を握る時に、足りないぬくもりを埋めていく。彼女の唇が持つ甘みを、そのまま千草の唇に足りない甘さを埋めてくれた。彩音の足りない部分を千草が埋め、千草の足りない部分を彩音が埋めた。

 彩音と絡めた舌の味を思い出しながら千草と舌を絡めると、それらしく興奮は出来た。千草と初めて交わってから直後は、僕もかなり高揚していたこともあって千草への好意を捏造して何度も千草の体を愛したけれども、このころには飽きていた。

「今日も、来てね」

 毎日のように、千草は僕を家に招いた。そのことを千草の母親も知っていたようだけれどもそれに対して口を出してくることは無かった。きっと、夜を一人で過ごさせるのは可愛そうで、それなら男とでもいいから二人でいてくれればと思っていたのだろう。こんな僕がいうのもなんだけれども、母親もかなり狂っている。

 千草がこうなるのも、仕方がない気もした。両親からの愛を、僕に求めていた。
  
 しかし、どんなものにでも飽きは来る。交際をしていても倦怠期があるというのに体だけの関係ならばそれを感じることはあるのだろう。千草の体、それはだんだんと僕にとって使い慣れたオナホールと同程度の価値になっていった。

 それでも、千草は体だけでも僕を求めた。僕はそれにくらいは応えてやろうと、彩音の影を求めながら常に彼女を思いながらも千草と逢瀬を重ねた。

 そのことによって、僕はきっと浮気をごまかそうと、やっぱり心だけは彩音のために、彼女の下に、彼女の手の内にあるのだと信じられた。また、それは間違いでもなく、どれだけ頑張っても千草も、その他の女性も愛せなかった。

「もうすぐ夏で忙しくなるし、二人でどこか一泊でもいいから旅行がしたいな」

 中学三年の夏を前にして、彼女はそんなことを言った。

 僕はその時に自分の耳を疑った。いや、別に恋人同士で旅行をするなんて珍しくもないし、この頃には僕の家族はともかく、彩音の両親は僕の事をかなり認めてくれていたし、信頼もしてくれていた。何度も会いに来るのを誠意と捉えてくれたようだ。

 だから、僕が少し怒られるくらいで彩音の望みを叶えることは難しくなかっただろう。お金のことも、きっとなんとかできるはずだ。両親は、僕に気を使ってかなり多めにお小遣いをくれていたから、おそらく大丈夫だと思う。

 そして、僕と彩音の住む地域の周辺には一泊でちょうどよく出かけるのに適した場所の候補がたくさんあった。そのどれもが魅力的だった。

 あとは、僕の気持ちだけが問題だったのだ。

 果たして、僕は彩音の気持ちを尊重してやることができるだろうかという事だけだった。彩音への愛を、貫くことができるのだろうかということだけだった。

「そうだね。もう、こっちも忙しくなるから普段の連絡も、正直に言うとかなり難しくなると思う。できる限りは、彩音と話していたいけれども難しいかもしれない」

 中学三年の夏と言えば、野球部などの引退が早い部活に入っている生徒がどんどん引退し受験モードに入ってくる時期だ。模試なども始まり、いよいよほとんどの人間が初めての受験に対して怖さを覚えて、真面目に努力を始める。

「だから、二人でどこかにいこうか。その時だけは、お互いのことだけ考えて」

 僕も彩音も部活動には積極的では無かったし、勉強も得意な方だったからそこまで心配はいらなかったけれども、それでも一年生や二年生の頃に比べれば会える回数も少なくなることは予想に難くなかった。その事実は重く、心にのしかかっていた。

「やった。じゃあ、どこがいいかな」

 そう言って彼女が取り出した旅行ガイドブックを、わざわざ四人掛けの椅子で二人並んで座り肩を寄せ合って眺める。その光景だけならば、きっとほほえましい中学生のカップルだっただろう。事実、彼女はそうだった。

 だが、僕は結局のところは彩音を最後に裏切ることになる。

【現実】

「ねえ、こういうときにこんな格好でする話でも無いと思うんだけど」

 シーツに裸のままでくるまった翼さんが、髪をかき分けながらそう言った。腕をあげると、そのままシーツがはだけて乳輪まで露になる。なぜかわからないけれども、翼さんはそれを、行為をしている間はできる限りは隠していた。

 そのとき、翼さんの心には裏切りのようなものがあったのだろうか。あるとすれば、それは良太に対するものだっただろうか、それとも彩音に対するものだっただろうか。本当なら、彩音に感じているべきだろうと思う。
 
 それは、僕も同じだけれども。

「彩音。すっごく悩んでたよ」

「何を?」

 悩み? 

 少なくとも、僕にはわからなかった。まあ、彩音と同じ高校に通って毎日のように顔を合わせている翼さんのほうが、恋人である僕よりも気が付くことがあったとしてもおかしくはない。きっと、僕が知らない彩音の存在もあるだろう。

「体を許してあげた方がいいんじゃないかって。やっぱり、男の子に限らずそういう気持ちになるのはわかるし、その欲求が強いのも分かる。確かに、婚前交渉をしないというのを彩音は理想として持っていたけれども、それでも最愛の光誠くんを苦しめるならって、自分の理想とのギャップに苦しんでたよ」

 僕はそれを告げられて、何を言えばいいのかわからなかった。

「だから、もしも体だけの関係の女性がいてもそれを責めることはできないって」

 まあ、悩んでいたのは彩音だけではない。事実、僕は花火大会の夜に彼女が僕を受け入れてくれれば、千草と交わる必要は無かったのだ。それについて、裏切りではないかと心を黒く支配されたことも数えきれないほどにある。

「ねえ、彩音とセックスしたかった?」

 シーツ越しに、翼さんの体が背中にくっつく。小さな胸が沈む感触が背中に感じられた。そのまま、二人で布団にくるまれる。耳元で、消えるような声で言った。

「まあ、したくなかったと言えば嘘にはなるよ」

「なら、それを私が埋めた事にはならない?」

 その声が、その音が僕の耳に届いた途端に激しい情動が僕の中を駆け巡る気がした。血が熱を帯びて全身を駆け回る気がした。それは幼き頃の彼女に抱いたようなものでは無くて、怒りの熱だった。どうしようもなく、怒りが湧き出してきた。

 きっと、彩音の代わりに性欲を解消させたことを、ひと時の感情に任せて僕と体を交わしたことへの言い訳にしようとしているのだろう。好きな男には愛されず、性欲を満たすためだけの人形に自ら成り下がったのなら、そんなことを気にするなと。

 千草がいかに潔くて、純粋に僕を愛しているのかが分かった気がした。

「ならない」

 そのことを理解しながらも続け、挙句の果てには涙まで流した女が。

 悲しみの果てに違う男に抱かれて、それによって生じた罪悪感をごまかすために彼女の代わりになれたと思うために、ひどい質問をするなんて。体の内側に熱がこもり、汗がだらだらと流れる。翼さんは、黙ってそれを舐めていた。

 ふと、冷たい雫が背中に流れた。それは、翼さんの涙だった。

 その瞬間に、なにかが自分の中で爆発するような気がした。テーブルに置かれたお酒を思い切り口に含むと、そのまま布団のなかで翼さんを抱きしめる。それでもなお、翼さんはずっと涙を流していた。アルコールがまわり、視界がぐらぐらする。

 だけど、まだ足りない。冷蔵庫に入っていたアルコールをすべて二人でお互いの口を使って飲ませあいながら、どんどん視界を歪めていった。ほとんど目も見えないほどに酔っぱらって、ランプシェードが二つに見えた。

 その瞬間に、翼さんが僕を抱きしめて耳元で名前を呼んだ。

「良太、大好きだよ」

 もう、彼女には理性が無くなっていった。僕と行為をしていた時よりも激しく、愛を求めてこちらへと縋ってくる。体はこれまでよりもよっぽど熱く、愛液もだらだらと溢れてくる。これこそが、翼さんの正直な気持ちだったのだろう。

 僕はそれを受け入れて、ただただ彼女のされるがままにしていた。

 翼さんは、最後の瞬間に、泣きながら笑っていた。


 翌朝、目を覚ますと頭痛がひどかった。頭がくらくらとして、まともに歩けない。

 隣では、シーツを掴んだまま眠っていた翼さんがいた。その体、綺麗な身体なのに不思議と興奮は覚えなかった。その体にしっかりと布団をかけて、お金をテーブルに置く。ドアを開ける瞬間に、後ろで翼さんが体を起こした音がした。

 僕は振り返らなかった。