愛慾に至る病

【現実】

 電車を降りると、いつもと変わらない町があった。当たり前だ、別に僕が葬儀に参加しようがしなかろうが、彩音が亡くなろうがこの町には関係が無い。電車に乗る前には降っていなかった雪が、体を痛めつける。死ぬときは、これ以上に寒いのかな。

「光誠君!」

 そんなことを考えていると、ちょうど後ろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声は、コンビニエンスストアで母から電話を受けた時に知らせてくれた声と同じだった。高校の同級生で、中学生の頃から付き合いのある友人の長峰千草だった。

「どうしたの? 学校も休んでたけど」
 
 背中のほうから僕の体を抱きしめて、甘い声で問いかけてくる。

 そう言えば、あのまま千草たちを置いて帰宅した後から、みんなに連絡をするのを忘れていた。そのせいで、無駄な心配をかけただろう。携帯電話の電源はいれていたけれども通知は切っていたから忘れていた。慌てて、通知を許可する。

「うわっ、すごい通知の量だね」

 いきなり帰宅して、そのまま翌日も登校しないとなればそれなりに連絡が来ている。その数に僕が辟易していると、彼女は心配をかけたことなど気にする必要がないと言わんばかりに僕の手を取った。何を言いたいかが、ある程度はわかる。

「ねえ、寂しかったよ。久しぶりにしよ?」

 僕は彼女に連れられて、彼女の家に赴く。確か、コンドームはまだあったはずだ。

「心配してたんだよ。太田君とか吉野さんも流行りの風邪とかじゃないって」

 彼女はかなり元気だ。時間を見ると五時を少し回ったところで、おそらく学校帰りだろう。なのに、よくもここまで元気が有り余っているものだと思う。

「そっか。心配をかけたな」

 僕がそう言いながら頭をなでてやると、彼女はまるで犬の様に喜んでいる。その顔は、告白が成功した時の翼さん、その嬉しそうな表情に少し似ていた。

「光誠君、大好きだよ」

 僕はそう言って体を擦り付けて来る千草を、はねのけることはしなかった。


「さあ、あがって」

 僕はお邪魔しますなんていわずに、靴を脱いだ。別にいう相手もいない挨拶は必要ない。千草の母親は夕方の四時から働いていて、父親は千草が幼い頃に女性と急に出て行ってから帰ってこないらしい。がらんとした部屋に、千草の声だけが響く。

 千草も当然のごとく、父親の声なんて覚えていないらしい。

「それで、なにをしてたの? 急に学校にこないなんて」

 千草が表面が黄色くなった冷蔵庫からパックの麦茶を取り出して、ガラスのコップに注ぐ。僕はコップになみなみと注がれたそれをひったくるようにとって、思い切り飲み干した。喉を通り抜ける冷たい麦茶は、冷たくて喉の内側が少し痛い。

「まあ、いろいろあったんだ」 

 とりあえず僕は、良太にコップの水をかけられて濡れたままのシャツを乾かすために制服を脱いで床に放り出した。ストーブが素肌をじんわりと温めてゆく。しかし、千草はそれを勘違いしたのか自らも制服を脱ぎだした。制服のボタンが外されていき、水色のブラジャーがあらわになる。それに覆われた、豊かな乳房も。

「もう、エッチなんだから」

 彼女の甘ったるい声が、狭い部屋に響く。僕はもうめんどうだから、肯定も否定もしなかったけれど、彼女はすぐに僕のベルトを外してズボンを脱がせる。ポリエステルの生地が、肌に擦れた音がした。その肌に、柔らかな千草の指が触れる。

 そして、彼女は何も言わずに僕の股間へと顔をうずめた。僕は空に浮かぶまだ光の弱い青い月を眺めながら、彼女がそうするのをただじっと受け入れていた。

 それと同時に、つまらないと感じていた。千草の舌技は上手いし、体も高校生にしては十分なほどである。なによりも、千草は愛情表現が上手で、僕は千草に抱きしめられると愛されていると感じることができる。好きだと、何度も言ってくれる。

 だけど、つまらないのだ。

 気持ちが良い悪いでは無くて、愛の有る無しではなくてつまらないのだ。

 その感情を、上手く説明はできない。

【過去】

 当たり前だけど新しい場所に友人なんかはいなかったし、引っ越してから新しい学校に通う準備などにいろいろとばたばたしていたせいで、僕は春休みのほとんどの時間を家で過ごすことになった。

 卒業式で僕と彼女の愛し合う光景を見せられて、罪悪感を抱えていた父がいろいろな場所へと誘ってくれたけれど、それに対して僕が首を縦に振ることは無かった。

 きっと、その時の僕には親への反抗心というかやっぱり彼女と引き離されたことを恨んでいた部分もあったのだろう。今になって思えば、仕方のないことだけれども。

 そして、桜ももう完璧に散ってしまった四月の某日。その日に僕は最寄りの中学校へと進学した。別にこれと言って歴史も特徴もあるわけではない中学校だったから、僕は特に期待はしていなかった。普通の公立の中学校だ。
 
 いや、そんなことよりも彩音の居ない場所に、興味が湧かなかったのだ。周りにどう思われるかなんて興味がなかったから最低限の付き合いで済ませて、成績だけは彩音と同じ高校、あるいは大学に通うためにできる限りの努力はしていた。そんな僕がある意味で大人びているというか、浮世離れしているように感じたらしい。

 彼女も、彼女なりにいろいろと思うところがあったのだろう。

 父親は蒸発し、母親は夜の仕事で体を売って稼ぐ。難しい年頃のなかで、いろいろなものを抱えたまま、彩音以外の現実へと興味を失っていた僕に出会った。くだらないことに悩んでいると思っていた千草にとって、僕は魅力的に感じたらしい。
 
 自分に向けられた好意を説明されたりもしたけど、やっぱりそれを理解することはできない。だから、僕はとりあえずは僕が彩音に対して抱いているようなある種の信仰心とかそういうものだと捉えて理解している。形は違えど、性質は似ているような気がした。傍からみれば、偏執的な愛と呼ばれても仕方がない。

 そして、それを恋だと変換した千草は僕に対してかなり明らかなアプローチをしてきた。千草は彩音と違って可愛いと呼ばれるタイプではあったけれど、やっぱり僕にとっては千草も彩音以外の現実、僕と彼女のために用意された背景にしか見えなかった。いくら可愛くても、それはエキストラでしかなかった。

 誰が背景にあるブロック塀に恋心を抱くだろうか。

 誰が背景にある電信柱にキスをするだろうか。

 誰が背景にある道路標識に愛をもって男性器をこすりつけるだろうか。

 それほどまでに僕は千草を愛することに対して興味を持てなかった。しかし、その時の僕にはある種の相反する感情が生まれていた。彼女に対する信仰心とは違った等身大の愛。それと同時に、どす黒く赤い千草に対する性欲のはけ口としての愛情。

 どうしても、動物の本能として千草を、いや千草の体を求めようかと悩んだこともあった。その発達した体、少しずつ丸みを帯びていく千草の体には男として抗いがたい魅力があった。その柔らかな体をぐちゃぐちゃにしてやりたいと感じていた。

 だけど、それは彩音に対する愛情がまるで浄化するように消し去ってくれた。そのおかげで僕は千草に対して性欲を抱いても、千草の裸体を想像して果てることは無かった。僕はただ彩音だけを愛し、彼女を思って毎日のように自慰にふけった。

 彩音と会えるのは、よくて一か月に一度。彼女の家はかなり過保護なせいで、県外への外出を認めてもらえないこともあって、僕が彼女のいる町へと赴くことが大抵だった。その時に、良太や翼さんがいることもあったけれど、良太はサッカー部に、翼さんはバトミントン部に入ったためなかなか時間が取れなかった。

 そんな中で彩音は土日に活動がない茶道部を選んで、なんとか忙しいなかでも僕に会える日を優先的に調整してくれていたのだ。そんな思いに応えて、僕も一途な愛を向けた。二人は確かに結ばれるべきだった。確かに、愛を積み上げていた。

 僕と彼女は、体は離れていても心はしっかり繋がっていたと言えるはずだった。