そのままの勢いで、僕たちは自転車を飛ばして隣町にあるグラウンドまで走った。

「どうしたんだ?」

 良太は僕たちの姿を見つけると、コーチに少し言ってからネットの傍まで駆けてきてくれた。どうやら、ちょうど試合が始まるところらしい。試合前のアップが終わったところで汗をかいて良太はどこか色っぽい。その姿にも、翼さんは緊張していた。

「せっかくだから、みんなで試合の応援に行こうってことになったんだ。グラウンドも近かったし、することも無かったし。それより、応援するから勝ってくれよ」

 僕のとってつけたような説明にも、どうやら納得してくれたらしい。良太は頷いて、そしてとても嬉しそうにしていた。思えば、長く過ごしているのに良太が体育以外でサッカーをしているのを見るのは初めてだった。それが嬉しかったのだろう。

「じゃあ、頑張ってシュートを決めて来るから。応援よろしくな」

 そう言って爽やかに、駆けていく。その姿は、まさに主人公だった。隣にいる翼さんは骨抜きにされている。どうやら、翼さんもこれまでに良太の出るサッカーの試合を見に行ったことがなかったらしい。体育の授業で試合もしているから、彼がいかに上手いかはわかっているけれども、それはあくまでクラスの話だ。

 僕は、良太が活躍して翼さんにいいところを見せてほしいと、そう願った。

「がんばれー!」

 普段は大きな声を出さない翼さんが、お腹から声を出して応援している姿はとても健気だった。僕と彩音はそんな翼さんを見た後、二人で顔を見合わせて、笑った。純粋無垢な恋心というものは見ているものまで幸せにする。

 そして、その健気な応援の甲斐があったのか、良太の所属するクラブチームは勝利を収めて、良太も約束通りにワンゴールを決めた。彼はやはり、クラブでも圧倒的だった。そして、その時の翼さんは、幸せそうだった。だけど、本番はここからだ。

「応援ありがとうな。コーチがここで解散って言うから親にも連絡したし、ここからみんなでどこかに行こうぜ。俺、お腹が空いたよ」

 彼はそう言って、クラブチームのロゴが入ったカバンを自転車の籠に投げ入れた。

 どのタイミングで思いを告げるのか、それは僕の関与するところではない。彩音と翼さんが相談して決めるらしい。ただ、彩音に言われたのはいつものハンドサインが見えたらどうにかして別の場所へ行って二人きりにしてほしいという事だった。

 ちなみに、ハンドサインというのはどうしても手が繋ぎたくなった時に体育館倉庫裏への呼び出しに使う合図だった。背中の後ろで、小指を立てる合図。彩音が、恋人は小指と小指が赤い糸で結ばれているからなんていう理由で決めたものだった。

 そして、僕がなかなか自転車に乗らず時間を稼いでいると、そのハンドサインが見えた。それを見た僕は、すぐさま行動に移す。どうするべきかは考えていた。

「ごめん、自転車に乗る前に先にトイレ行ってくるよ」

 そう言って駆け出した。人が告白するというシーンを見てみたいという野次馬根性はあったけれど、さすがにそれを押し通すわけにはいかない。きっと彩音も上手いタイミングで抜け出してくるだろう。別に必要はないけれど僕はスタジアムの中にあるトイレ、その前にある壁に隠れてじっと待っていた。

 そこに、少ししてから彼女がやってきた。彼女は、本当に楽しそうだった。

「大丈夫そうだった?」

「うん、翼ならしっかりと言えるよ。それより」

 僕が二人の心配をしているのをよそに、彼女は僕の手を握ってきた。どうやらハンドサインは合図だけじゃなかったらしい。その手からは、かなりの緊張が伝わってくる。少しだけ震えていて、それでも頑張って笑顔を作っているのを見て、やっぱり愛おしいと思った。こんなにも友達を思って心配してあげられるのが美しい。

 僕はしっかりと手を握って、彼女に大丈夫だと伝えた。

「そうだよね。うん、翼なら大丈夫だよね」

 ここまで、人のために祈ることができるものだろうか。どこまで心が美しいんだろうと、尊いんだろうと。それが自分に身を委ねてくれることへの幸福を感じずにはいられなかった。もう、小学校も卒業が近くてそろそろ現実を見つめることができるようになって反抗期が始まっているクラスメイトも数人だがいる。 

 そんな中でも彼女は美しさも、優しさも、純真さも忘れずにこうしていてくれる。 

 そのことが何よりも幸せだった。僕が彼女をこのまま、守っていかないといけない、だけどそれは転校によって叶うかわからない。その恐怖を、僕は彼女の手を握ることで打ち消した。きっと、彩音は変わらないままでいてくれるはずだ。

 重ねた手に、汗がにじむ。いつもよりもお互いにきつく手を握っているのが分かった。彼女の指が僕の指の合間に入って、僕の指が彼女の指の合間を通り抜けてゆく。

 そこに隙間はなく、がっちりと繋がっていた。

 今しかないと、そんな言葉が頭をよぎった。声に出していなかった言葉を、口にするべきだと思った。そのまま、ほとんど答えの出たような状況だったけれども、それでも僕の喉には熱された鉄の棒を突っ込まれたように熱く、熱せられた血がどくんどくんと頭へと流れていくのを自覚できるほどに興奮と緊張をしていた。喉が焼けるように痛い、この熱いかたまりをすぐにでも外に出さないと、火傷しそうだった。

 僕は、握った手と反対の手を、思い切り爪を食い込ませて覚悟を決めた。

「あのさ、言いたいことがあるんだけど」

 僕がそう言うと、握った手から緊張が伝わったように彼女の顔にも緊張の色が映った。今まで、恥ずかしそうに嬉しそうにしていた顔がしっかりと強張った。

「なに?」

 僕は何とか、喉元に引っかかった言葉を引っ張り出した。それは何よりも素敵な言葉だった。この言葉を彼女に伝えるために、十二年間を生きてきたのかもしれなかった。生まれてきた意味を定義するなら、間違いなく彩音のためだ。そして、この言葉を嘘にしないために。真実の愛にするために、これからを生きていくのだと思った。

「好きだ。僕と付き合ってほしい」

 それを聞いた彩音は小さく頷いた。そのまま、僕は小さな体を抱きしめた。安堵と感動から、涙が溢れそうだったけれども、せめてかっこうをつけようと、それはやめておいた。代わりに、抱きしめる手に力を込めた。

「そろそろかな」

 少し時間を置いてから、僕と彩音は自転車を置いた場所に戻った。その時には手を放していたけれども、それに代わるように良太と翼さんは手を繋いで腕を交差させていた。翼さんはそのことがどうも恥ずかしいらしく、顔を赤くして下を向いている。

 その光景を見た瞬間に、彩音は顔を崩して喜んだ。

「おめでとう!」

 繋いでいない方の手を思いっきり握って、ぶんぶんと振り回していた。翼さんも困惑していたけど、その顔は嬉しそうだった。ただ、その恋を信じて、思いを募らせてきた人だけが味わうことのできる、幸せを存分に噛みしめていた。

「おめでとう」

 僕も、以前に良太がそうしてくれたように祝福した。彼も少し照れくさそうにお礼を言うだけだった。あの幸せそうな照れくさそうな顔は、真実だったのだろうか。  

 良太と翼さんが恋人になってから、僕と彩音も揃っていわゆるダブルデートをするようになった。だが、ダブルデートと言うよりも普段からいつもこのメンバーで遊んでいることに、ちょっとばかりおしゃれな名前が付いただけだった。

 僕はデート中に彩音よりも良太と話すことが多い日もあっただろうし、彩音も僕より翼さんと話す回数が多い日があっただろう。彩音と二人でいる時も楽しかったし、良太と翼さんを含めた四人で過ごした時間も楽しかった。間違いなく、僕の人生における宝物だった。しかし、そんな幸せも長くは続かない。

 やがて、僕たちは卒業を迎えることになる。