明後日。


柚葉は誰にも見送られることなく家を出ていった。この街一番の洋館は堂々と『あさぐも館』という看板を掲げている。


朝にも関わらず家の周りは誰一人道を歩く者はいなかった。


……それもそのはず。


この街は夜の街と言われる遊郭。


朝には眠りにつき、夕方頃から活動が始まる。そんな街なのだ。柚葉はそっと自分の家を見上げ、一礼した後。


姿を消していったのだった。


***


「……えっと……。東條様の家はここであってるかしら?」



柚葉は荷物を抱えながら一枚の紙を見ていた。電車と徒歩で何とかその紙に書かれていた住所に辿り着く。


目の前に広がる屋敷を見ながら、柚葉は玄関前でうろうろしていた。



「……どちら様ですか?」



しばらくすると。


誰かに声をかけられ、驚いた柚葉はビクッと身体を震わせた。



「えっ、と……はじめまして。東條桜久耶様の婚約相手の……朝雲柚葉と申します」



なんて挨拶したらいいかわからずそのままの内容を話した柚葉。緊張感が高まり、心臓がバクバクと激しく脈打っていた。



「あら、噂の柚葉様ですね。私は東條家使用人の荒木と申します。今坊ちゃんを呼んで来ますのでお待ちください」


「は、はい。ありがとうございます」



声をかけてくれたのは50代くらいの優しそうな女性だった。


白髪混じりの髪をひとつにまとめ、お上品な振る舞いに呆気に取られる柚葉。そのまま玄関に案内され、少し待つと。



「お久しぶりですね」



中から桜久耶が出てきた。桜久耶は柚葉を見るなりにこりと微笑む。だけど柚葉は顔が強ばり、動くことが出来なかった。


何せ婚約の話を何回も断っているのだ。


緊張して動けなくなるのも無理は無い。



「あ……お、お久しぶりです。この度は縁談の話……ありがとうございます。不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします」



柚葉はこの空気に耐えられなくて、失礼のないようにと挨拶する。


気持ちが落ち着かなくて早口になってしまったが、桜久耶は何も言わずただ黙って聞いていた。



「こちらこそよろしく頼む。じゃあ早速だが柚葉の部屋とこの屋敷の案内をしよう。ついて来なさい」


「は、はい!」



桜久耶はそう話すと柚葉を家に上げ、早速屋敷の説明に入った。中にはたくさんの人がいて柚葉はまた驚いた。