竹光侍 浪人・橋本清十郎

 戦いが終わると、林道には静寂が戻った。
風が木々を揺らし、血の匂いだけが辺りに漂っている。
生き残った者たちはしばらくその場に立ち尽くしていた。
左馬之助などは未だに信じられないものを見るような目で清十郎を見ている。
その清十郎が口を開いた。
「左馬之助殿、それにそちらのお二方」
三人が顔を向ける。
「このことは済まぬが内密にして欲しいのだ」
左馬之助が首を傾げた。
「どういうことです?」
清十郎は少し困ったように笑う。
「某の力を利用せんが為に娘へ害を及ぼす輩がいるかもしれん」
そして少し間を置く。
「それに、用心棒の仕事で斬り合いをしているなどと知ったら娘が心配するのでな」
左馬之助は納得したように頷いた。
「なるほど」
そして苦笑する。
「確かにあれだけの働きを見れば、腕利きを欲しがる者は後を絶たぬでしょうな」
「そういうことだ」
「分かり申した」
左馬之助は頭を下げた。
「しかし、越後屋さんには?」
清十郎は肩を竦める。
「越後屋さんは大黒屋さんから聞いて、おそらく知っている」
「そうなのですか?」
「そうでなければ報酬に『箱一つ』と言った時に千両箱を持って来たりはせんだろう」
その言葉に左馬之助だけでなく、近くにいた二人の用心棒も目を丸くした。
「千両!?」
「報酬が千両!?」
清十郎は首を振る。
「いや、中身は返した」
「返した?」
「もらったのは箱だけだ」
三人は顔を見合わせた。
そして揃って困惑した。
意味が分からない。
どう考えても意味が分からない。
清十郎はそんな三人を放置して続ける。
「ところで、お主らの名も聞いておきたい」
三人は慌てて名乗った。
「拙者は石川左馬之助」
「某は渡辺佐門」
「拙者は山本喜三郎」
清十郎は頷いた。
「では左馬之助殿、佐門殿、喜三郎殿。少し手を貸して下され」
三人は顔を見合わせる。
「何をすれば?」
「まずは縄だ」
清十郎は番頭の茂吉へ振り返った。
「茂吉さん、縄はありますかな?」
「え?ええ、荷崩れに備えて積んでありますが……」
「それを借りたい」
茂吉が縄を持ってくる。
その間、清十郎は懐から手拭いを取り出した。
「左馬之助殿、腕を見せて下され」
「いや、この程度は……」
「放っておくと後で困る」
そう言って傷口へ手拭いを巻く。
左馬之助は恐縮した。
「申し訳ない」
「気にするな」
やがて縄が運ばれてくる。
清十郎は地面に転がる三人を指差した。
賊の頭目と、生き残った武士二人である。
「息のある者を縛り上げるのを手伝って下され」
佐門が不思議そうに聞く。
「どうするのです?」
「こやつらには聞きたいこともある」
清十郎は淡々と答えた。
「それに南の番所へ届ける約束になっておるのでな」
三人は頷いた。
 やがて賊の頭目と武士二人は縄で厳重に縛り上げられた。
さらに米俵の後ろへ押し込まれ、大八車へ固定される。
逃げられる状態ではない。
そのまま一行は板橋宿へ向かった。
 板橋宿へ到着すると、宿場の番所へ事の経緯を報告する。
賊の襲撃。
武士たちの存在。
そして捕縛した三名について。
 さらに、
「この者たちは南町奉行、大岡越前守様へ引き渡す約束になっております」
と伝えると、番所の役人たちも納得した。
 一行は板橋宿で一泊する。
 翌朝、宿場で大八車を一台借り、捕らえた三名はそちらへ移された。
そして再び江戸を目指す。
途中、大きな騒ぎもなく進み続け、昼七つ――午後四時頃。
ようやく日本橋の越後屋へ到着した。
 店の前には越後屋吉兵衛が待っていた。
米俵を見た瞬間、安堵の表情を浮かべる。
「無事に届いたか」
しかし次の瞬間、その顔色が変わった。
出発時より明らかに人数が減っている。
さらに左馬之助の腕には包帯が巻かれていた。
「一体何があった?」
吉兵衛が問いかける。
左馬之助が前へ出た。
「実は賊に襲われまして……」
そして道中の出来事を説明する。
賊の襲撃。
武士たちの出現。
護衛たちの奮戦。
 そして――
「こちらの橋本殿が、まさに獅子奮迅のお働きで何とか命拾いしたような次第で」
吉兵衛は驚きながら清十郎を見る。
「大黒屋さんの言っていたことは本当だったか……」
あの時は半信半疑だった。
しかし今は違う。
生き残った者たちの表情が何よりの証拠だった。
吉兵衛は深々と頭を下げる。
「橋本様。此度は真に有難う御座います」
さらに続ける。
「何かお礼を……」
しかし清十郎は手を振った。
「報酬は既に頂いておりますので、お気になさらぬよう」
「いえいえ、橋本様のお働きを考えれば空の箱だけでは全然足りません」
吉兵衛は本気だった。
だが清十郎は首を横に振る。
「今回は某が箱が欲しいと申して、その箱を頂けたのですから充分です」
 そう言うと捕らえた三人を乗せた大八車へ向かう。
「某は罪人をお奉行に引き渡さねばなりませぬので、これにて」
吉兵衛は再び頭を下げた。
「どうか宜しくお願い致します」
清十郎は軽く手を上げる。
 そして大八車を引きながら南番所へ向かった。
その背中を見送りながら、左馬之助はぽつりと呟く。
「竹光侍、か……」
誰が最初にそう呼んだのかは知らない。
だが、あの男ほどその名に相応しくない男もいないだろう。
左馬之助は苦笑した。
竹光を差しながら、誰よりも強い。
まこと、不思議な浪人であった。