大岡越前との面会の翌日、清十郎は南番所へ一度顔を出した以外、特に呼び出されることもなく、自宅で傘張りに没頭していた。
千代からは、
「おとっつぁん、本当に暇なのね」
と言われたが、本人は至って満足そうである。
「暇ではない。傘がまだ五本残っておる」
などと言いながら竹を削っていた。
そして三日後。
昼五つ――午前八時頃。
橋本家の戸が勢いよく叩かれた。
「橋本様!橋本様!」
清十郎が戸を開けると、一人の少年が立っていた。
年の頃は十二、三。
息を切らしている。
「私は越後屋の丁稚で聡太といいます。今朝、飛脚が着きまして、荷が上尾の宿場に着いたそうです。つきましては蕨宿に向かって出立いたしますので越後屋までいらしてください」
そう言うと聡太は一礼し、他の用心棒たちを呼びに走って行った。
「若いな」
清十郎は感心したように呟く。
その後ろから千代が顔を出した。
「仕事?」
「そのようだ」
「気を付けてね」
「大丈夫だ。荷物を運ぶだけだからな」
そう言って身支度を整え、越後屋へ向かった。
越後屋の前には既に多くの人が集まっていた。
番頭の茂吉。
手代三名。
丁稚十五名。
そして護衛として雇われた二十三名の用心棒。
皆それなりに腕に覚えがあるらしく、刀や槍を携えている。
清十郎だけが、赤墨色の着流しに竹光一本という場違いな格好だった。
出立の挨拶を済ませると、一行は板橋宿へ向けて出発した。
板橋宿で一泊。
翌日には蕨宿へ到着し、さらに一泊。
そして翌々日の八つ――午後二時頃。
越後から運ばれてきた上納米を引き継ぎ、江戸へ向けて出発する。
米俵を積んだ大八車が三台。
総勢四十名を超える大所帯だった。
しかし道中は驚くほど平穏だった。
用心棒たちも次第に気が緩み始める。
「何だ。噂ほどでもねえじゃねえか」
「盗賊なんざ逃げ出したんだろう」
「これで金がもらえるなら楽な仕事だ」
そんな声が聞こえてくる。
清十郎だけは何も言わず歩いていた。
そして一行が人気のない林道へ差し掛かった時だった。
道の前後から男たちが姿を現した。
総勢三十名ほど。
全員が帯刀している。
明らかにただの野盗ではない。
用心棒たちの顔色が変わる。
だが血気盛んな者たちは逆に興奮した。
「出やがったな!」
「てめえらが盗賊か!」
四、五人が一斉に駆け出す。
先頭の賊を斬り伏せる。
さらにもう一人。
だが次の瞬間。
「ぐあっ!」
用心棒の一人が胸を斬り裂かれた。
別の男は喉を切られて倒れる。
あっという間だった。
賊たちは思った以上に手練れだったのである。
護衛たちの間に動揺が広がる。
清十郎は静かに前へ出た。
「某が行こう」
その時だった。
誰かが肩を掴んだ。
「お主、ちょっと待て!」
振り返ると、一人の浪人が立っていた。
石川左馬之助。
越後屋お抱えの用心棒である。
左馬之助は清十郎の腰の刀を見ていた。
そして突然、鞘から刀を抜く。
現れたのは竹製の刃。
左馬之助は目を見開いた。
「やっぱり……!」
周囲の用心棒たちも驚く。
「何だそりゃ!?」
「竹か!?」
左馬之助は叫んだ。
「お前知っているぞ!竹光侍とか呼ばれている橋本清十郎だな!?」
清十郎は少し感心したように言う。
「ほう、某を知っているのか」
「知っているとも!江戸じゃ有名人だ!」
左馬之助は呆れたように言う。
「用心棒をしているくせに竹光を差している変人としてな!」
「なるほど」
清十郎は妙に納得した顔をした。
そして。
「ちょっと借りるぞ」
そう言うなり左馬之助の刀を抜いた。
「お、おい!」
止める間もなかった。
清十郎は賊の群れへ歩いて行く。
いや、歩いたように見えた。
次の瞬間には最前列の賊の懐へ入り込んでいた。
一閃。
一人倒れる。
返す刀で二人目。
三人目。
四人目。
五人目。
わずか数呼吸。
それだけで五人が地面に転がっていた。
左馬之助は言葉を失った。
「な……」
清十郎は何事もなかったように賊の死体から刀を拾う。
そして戻ってくると、
「返すぞ」
と言って左馬之助へ刀を返した。
左馬之助は反射的に受け取る。
清十郎はそのまま振り返り、再び賊の群れへ向かった。
「竹光を持ち歩いているヤツが、何であんなに強いんだ……」
呆然と呟きながら、左馬之助も戦いへ戻る。
しかし戦況は楽ではなかった。
賊たちもまた歴戦の手練れだったのである。
護衛たちは次々と倒れていった。
やがて戦いが終盤に差し掛かる。
残った賊は頭目一人。
しかし護衛側も十一人まで減っていた。
頭目は大柄な男だった。
顔には大きな刀傷が走っている。
「なかなかやるじゃねえか」
頭目は血に濡れた刀を構える。
その前へ清十郎が進み出た。
「貴様には御白州に出てもらわねばならんからな」
そう言うと刀を持ち替えた。
刃ではなく峰が下を向く。
峰打ちの構えだった。
頭目は怒鳴る。
「何言ってやがる!」
そして斬りかかる。
だが次の瞬間。
清十郎の姿が掻き消えたように見えた。
頭目の身体が宙を舞う。
鈍い音と共に地面へ叩きつけられた。
峰打ちだった。
頭目は白目を剥き、そのまま動かなくなる。
周囲に静寂が広がった。
生き残った護衛たちが息を吐く。
ようやく終わった。
誰もがそう思った。
しかし。
その時だった。
林の奥から声が響く。
「なかなかの腕利きがいるようだな」
全員が振り返る。
木々の陰から次々と武士たちが姿を現した。
一人。
二人。
三人。
その数は二十人近い。
先頭に立つ男が不敵に笑った。
「ここで失敗するわけにはいかんのでな」
刀が抜かれる。
「悪く思うなよ」
左馬之助の顔色が変わった。
賊は囮だったのだ。
真の敵は――こちらだった。
千代からは、
「おとっつぁん、本当に暇なのね」
と言われたが、本人は至って満足そうである。
「暇ではない。傘がまだ五本残っておる」
などと言いながら竹を削っていた。
そして三日後。
昼五つ――午前八時頃。
橋本家の戸が勢いよく叩かれた。
「橋本様!橋本様!」
清十郎が戸を開けると、一人の少年が立っていた。
年の頃は十二、三。
息を切らしている。
「私は越後屋の丁稚で聡太といいます。今朝、飛脚が着きまして、荷が上尾の宿場に着いたそうです。つきましては蕨宿に向かって出立いたしますので越後屋までいらしてください」
そう言うと聡太は一礼し、他の用心棒たちを呼びに走って行った。
「若いな」
清十郎は感心したように呟く。
その後ろから千代が顔を出した。
「仕事?」
「そのようだ」
「気を付けてね」
「大丈夫だ。荷物を運ぶだけだからな」
そう言って身支度を整え、越後屋へ向かった。
越後屋の前には既に多くの人が集まっていた。
番頭の茂吉。
手代三名。
丁稚十五名。
そして護衛として雇われた二十三名の用心棒。
皆それなりに腕に覚えがあるらしく、刀や槍を携えている。
清十郎だけが、赤墨色の着流しに竹光一本という場違いな格好だった。
出立の挨拶を済ませると、一行は板橋宿へ向けて出発した。
板橋宿で一泊。
翌日には蕨宿へ到着し、さらに一泊。
そして翌々日の八つ――午後二時頃。
越後から運ばれてきた上納米を引き継ぎ、江戸へ向けて出発する。
米俵を積んだ大八車が三台。
総勢四十名を超える大所帯だった。
しかし道中は驚くほど平穏だった。
用心棒たちも次第に気が緩み始める。
「何だ。噂ほどでもねえじゃねえか」
「盗賊なんざ逃げ出したんだろう」
「これで金がもらえるなら楽な仕事だ」
そんな声が聞こえてくる。
清十郎だけは何も言わず歩いていた。
そして一行が人気のない林道へ差し掛かった時だった。
道の前後から男たちが姿を現した。
総勢三十名ほど。
全員が帯刀している。
明らかにただの野盗ではない。
用心棒たちの顔色が変わる。
だが血気盛んな者たちは逆に興奮した。
「出やがったな!」
「てめえらが盗賊か!」
四、五人が一斉に駆け出す。
先頭の賊を斬り伏せる。
さらにもう一人。
だが次の瞬間。
「ぐあっ!」
用心棒の一人が胸を斬り裂かれた。
別の男は喉を切られて倒れる。
あっという間だった。
賊たちは思った以上に手練れだったのである。
護衛たちの間に動揺が広がる。
清十郎は静かに前へ出た。
「某が行こう」
その時だった。
誰かが肩を掴んだ。
「お主、ちょっと待て!」
振り返ると、一人の浪人が立っていた。
石川左馬之助。
越後屋お抱えの用心棒である。
左馬之助は清十郎の腰の刀を見ていた。
そして突然、鞘から刀を抜く。
現れたのは竹製の刃。
左馬之助は目を見開いた。
「やっぱり……!」
周囲の用心棒たちも驚く。
「何だそりゃ!?」
「竹か!?」
左馬之助は叫んだ。
「お前知っているぞ!竹光侍とか呼ばれている橋本清十郎だな!?」
清十郎は少し感心したように言う。
「ほう、某を知っているのか」
「知っているとも!江戸じゃ有名人だ!」
左馬之助は呆れたように言う。
「用心棒をしているくせに竹光を差している変人としてな!」
「なるほど」
清十郎は妙に納得した顔をした。
そして。
「ちょっと借りるぞ」
そう言うなり左馬之助の刀を抜いた。
「お、おい!」
止める間もなかった。
清十郎は賊の群れへ歩いて行く。
いや、歩いたように見えた。
次の瞬間には最前列の賊の懐へ入り込んでいた。
一閃。
一人倒れる。
返す刀で二人目。
三人目。
四人目。
五人目。
わずか数呼吸。
それだけで五人が地面に転がっていた。
左馬之助は言葉を失った。
「な……」
清十郎は何事もなかったように賊の死体から刀を拾う。
そして戻ってくると、
「返すぞ」
と言って左馬之助へ刀を返した。
左馬之助は反射的に受け取る。
清十郎はそのまま振り返り、再び賊の群れへ向かった。
「竹光を持ち歩いているヤツが、何であんなに強いんだ……」
呆然と呟きながら、左馬之助も戦いへ戻る。
しかし戦況は楽ではなかった。
賊たちもまた歴戦の手練れだったのである。
護衛たちは次々と倒れていった。
やがて戦いが終盤に差し掛かる。
残った賊は頭目一人。
しかし護衛側も十一人まで減っていた。
頭目は大柄な男だった。
顔には大きな刀傷が走っている。
「なかなかやるじゃねえか」
頭目は血に濡れた刀を構える。
その前へ清十郎が進み出た。
「貴様には御白州に出てもらわねばならんからな」
そう言うと刀を持ち替えた。
刃ではなく峰が下を向く。
峰打ちの構えだった。
頭目は怒鳴る。
「何言ってやがる!」
そして斬りかかる。
だが次の瞬間。
清十郎の姿が掻き消えたように見えた。
頭目の身体が宙を舞う。
鈍い音と共に地面へ叩きつけられた。
峰打ちだった。
頭目は白目を剥き、そのまま動かなくなる。
周囲に静寂が広がった。
生き残った護衛たちが息を吐く。
ようやく終わった。
誰もがそう思った。
しかし。
その時だった。
林の奥から声が響く。
「なかなかの腕利きがいるようだな」
全員が振り返る。
木々の陰から次々と武士たちが姿を現した。
一人。
二人。
三人。
その数は二十人近い。
先頭に立つ男が不敵に笑った。
「ここで失敗するわけにはいかんのでな」
刀が抜かれる。
「悪く思うなよ」
左馬之助の顔色が変わった。
賊は囮だったのだ。
真の敵は――こちらだった。



